盲目の活動家・陳光誠事件の真実 農村部でなお続く人権侵害の実態

2012-05-10 | 国際/中国/アジア

盲目の活動家・陳光誠事件の真実 農村部でなお続く人権侵害の実態
Diamond online特別レポート【第265回】 2012年5月9日
 ここ1年、ミニブログ等での自己紹介の写真欄に、サングラスをかけ、厳粛な表情でこっちを睨んでいる中年男の写真が多用されている。反社会勢力、あるいは超大金持ちの子弟に愛用されているサングラス姿は、中国社会で大抵の場合顰蹙を買うが、急に流行するには訳がある。
 多くの場合、使われていたのは陳光誠氏の写真だった。盲目の人権活動家で、一時は有名であったが、しばらく音沙汰がなかった。しかし、インターネットでは彼は忘れられていない。5月3日、4日に中国・アメリカ間の戦略と経済に関する対話が開かれる前に、彼は夏空の流星のように急に明るさを増し、また消え去っていこうとしている。(在北京ジャーナリスト 陳言)
■障害者や出産の権利をめぐってインテリを共鳴させた陳氏
 一国の人権状況は、その国の身体障害者に対する処遇を見るだけで、皮相ではあるが、かなりの部分が見出せる。
 北京の地下鉄では毎日のように、盲目の人や手足の不自由な人が、スピーカーのボリュームを最大にして、あまりにも古くなった歌と最近の流行歌をMP3から流して物乞いしている姿に出会う。身体障害者としての権利はまったくなく、ただ職業として物乞いをしている。
 その北京の地下鉄は、身体障害者に対しては決して十分な思いやりを示しているわけではない。この問題に注目させたのは、誰あろう陳光誠氏だった。北京の地下鉄では法律上、障害者の使用は無償だという規定があるにもかかわらず、チケットを買わないと乗車できなかった。2003年、陳氏は、それを訴えて勝訴した。その時から彼は有名になった。
 中国のマスコミが注目したのは、彼が盲目の人であることだった。一時は報道が集中的に行われたものの、その後はあまり触れられず、いつの間にか陳氏は大都会では忘れられていった。また彼が勝ち取った地下鉄の障害者無償使用の権利も、機械による改札自動化のなかで、忘れ去られてしまった。
 その後、陳氏の社会的不公平との戦いは、地元の山東省臨沂市に移った。弁護士などほとんど行かない農村では、一人っ子政策関連のトラブルが多発していた。一人っ子政策はそもそも法律ではない。それを厳格に執行するか、あるいはそのなかで決められている「農村部では第一子が女の場合、第二子の出産も認められる」という条例を適用するかは、各地で見解が異なる。山東省の農村の場合、第二子を厳しく制限した。そして陳氏は訴訟を起こした。
 そのころ臨沂市の農村では、第二子を妊娠した女性に中絶と、その後の不妊手術を強制することがしばしばあった。陳氏は集団訴訟を起こして反発した。それは臨沂市政府と対立する状況にまでなった。後に彼は逮捕され、釈放されてからも住居の監視を受けた。
 一人っ子政策に対しては、2005年ごろから中国のインテリの間では見直し論も起こっている。中国では人口の高齢化、人口の逆ピラミット現象などが懸念されている。幸い、一人っ子政策は農村部でそれほど徹底的に執行されておらず、そのことがある程度は人口構成の歪みの緩和になる。ただ、都会部から農村まで広がる晩婚化現象、結婚しても子どもを遅く作る晩育現象、あるいは生涯子どもを持たない人が多くなるなか、一人っ子政策は早く見直すべきだと考えられていた。
 陳氏が求めている出産関連の基本的人権は、当然インテリ層だけでなく社会の理解も得ている。彼と臨沂政府との関係がどんどん悪化していく一方で、インターネットでは多くの支持が集まっていた。
■“I want to see you.”と“I want to kiss you.”
 人権問題については、常に中国とアメリカの間でつばぜり合いが展開されてきた。いままでは人権など主張したら政府から睨まれていた中国のインテリは、アメリカなどのメディアに取り上げられ、また米国の政治家の強い支持を得ていた。
 インターネットの普及に加え、国内での言論がある程度自由になってから、インテリは言いたいことをかなり言えるようになり、メディアの関心は、盲目の人権活動家である陳氏に移った。その陳氏は2010年に釈放されてからも、ずっと不自由だった。そして彼はやっとアメリカ大使館に逃げ込んだのだ。
 実は、2月に副大臣級の重慶市幹部が、アメリカ領事館に逃げ込んでいる。彼の両手は民営企業家や普通市民の多くの血で汚れている。もちろん反社会勢力が、彼によって沈静化させられた面もある。この時、アメリカ領事館は、その人の政治亡命を許さなかった。
 一方、陳氏は密かに臨沂市政府などの監視を抜けだして、4月22日から北京にあるアメリカ大使館に避難した。ほぼ一週間経って、5月3日と4日の中米戦略と経済対話会の直前に、「自らの意思」でアメリカ大使に付き添ってもらい、大使館に近い病院に移った。
 アメリカ大使館は、中国政府から陳氏の身の安全、移動の自由を保障するという約束を得て、対話の前に陳氏問題を解決した。
 しかし、陳氏は重慶の高級幹部と違い、2006年に集団訴訟を起こすことによって臨沂市では拘禁され、後に4年3ヵ月の有罪判決を受け、さらに釈放されてからも軟禁状態にいたのだ。そう考えると、本当に病院では自由だったのだろうか。
 5月2日に、陳氏はヒラリー・クリントン国務長官に電話をかけた。十分な英語教育を受けていない陳氏は、開口一番に“I want to see you.”と言ったはずだが、なぜかアメリカから伝わった話としては“I want to kiss you.”となった。
 どちらの言葉を発したかによって、陳氏のおかれた状況はまったく違う解釈ができる。“see”ならいかに状況が緊迫しているかが分かるし、“kiss”となると、むしろアメリカに対する渾身の熱意を込めた感謝の現れとなる。地方の農民に“kiss”が言えるかどうかは別にして、少なくとも中国的な表現として、女性の国務長官に対してそのような言い方ははあまりに無礼だ。真偽はやぶの中だが、結局、陳氏はアメリカに行くこととなった。
 アメリカは、重慶の高級官僚の亡命を認めなくても中国市民の理解を得られるが、陳氏を大使館から放り出すことは、理解が得られないと考えたのかもしれない。
 陳氏のアメリカ大使館への駆け込みについて中国外交部は、アメリカがかばうことは内政干渉で、関係者は中国の法律を守る義務があり、謝罪および関係者の処罰を求めた。また中国のインターネット世論では、アメリカ大使館のやり方は今ひとつすっきりしない、と炎上している。
 結局、3日からの米中対話のなかで人権問題は触れられる程度で、具体的な話し合いはほとんどなかった。また常に人権という高いところから世界を見下ろしているアメリカの姿勢は、今度の陳氏問題処理のお粗末さによって、中国の世論に打算的で口ばかりという印象を残してしまった。
■農民の権利、計画出産など陳氏ほどのシンボルはない
 中国の農村部は、教育、医療、文化などの面で立ち遅れただけでなく、法律はほぼ空白地帯ともいえるほど浸透していない。お兄さんなどに関連の法律の本を読んでもらい、条文などをひとつ一つ心に刻んでいく陳光誠氏は、その努力で初めて中国メディアに、そして後にインターネットで大きく讃えられた。また農村部におけるあまりにも酷い無法状態に果敢に挑戦して、集団訴訟を起こすなどの行動は、都市部の人々も感銘を受けた。
 陳氏がインターネットで英雄視されるのには、社会的な背景がある。身体障害者の権利、出産という女性の権利を求めることは、どれひとつとっても中国社会に動乱を招いたりすることではなく、むしろ大いに主張すべきことである。
 しかし中国のインテリ層は、だんだん言論が自由になるにつれ、たとえば農村まで赴いて、農民工が一年通して働いたが給料が一文ももらえないがどうすればいいかという相談に耳を傾けたりすることは、もはやほとんどなくなった。それを補っていたのは、独学して、マッサージで生計をたてる陳氏だった。農村では彼のような人物が出てくることによって、事態が改善されていくと多くの人は期待した。
 しかし、アメリカ大使館は、はたして本当に中国の人権活動を支持しているのだろうか。中米戦略会議の直前に人権問題で中国に圧力をかける、とアメリカの政治家は国内では大々的に言い、ちょうど陳氏の問題があったのでそれをネタに使ってしまう。
 マスコミにとっては、山東省から北京までいろいろな監視をくぐり抜けてアメリカ大使館に避難するという武勇伝も、記事としては面白い。北京の各外資系メディアはどこも一大政治事件のように陳氏のことを取り扱い、報道合戦を展開していく。
 また陳氏がアメリカ大使館に逃げ込み、自らの意思で大使館を離れて病院に行き、また病院からアメリカに対する失望とも思わせる発言をし、最終的にアメリカに渡るという決意を固めるなど、物語としては非常に面白いが、彼の求めている農村での人権などは、いつの間にか忘れられてしまった。
 陳氏はアメリカに行くが、おそらく今年死去した方励之氏などのような「異見者」と同じく、アメリカの地に着いたその日から、もう活動家でも異見者でもなくなる。
 中国農村での酷い状態、農民の被る不利益など、それに注目する人がますます少なくなっている。また一人っ子政策を大きく変えていく方向が出てきているなか、今でも子どもを多く出産するだけで巨額の罰金を科され、住宅を完全に破壊される農村部で、それを問う法律家もあまり出ていない。今、中国では陳光誠氏のような農村から出た人権派活動家を、もっとも必要としているが、彼のような行動派は多くはない。
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