〈来栖の独白〉
市橋達也被告が「逮捕されるまで 空白の2年7ケ月の記録」(幻冬舎)という手記を出版との報道に接し、咄嗟に、2005年に読んだ吉村昭著『長英逃亡』(新潮文庫)を思い出した。
逃走の範囲が東北から四国(市橋被告の場合は沖縄の孤島まで)と、範囲に及んでいること、顔を変えていること、そして何よりも、そのサバイバル精神が共通しているように思えた。長英の概要をほんの少々。
幕末期、最高の蘭学者と謳われた高野長英。幕府の鎖国政策を批判し永牢(ながろう=無期懲役)の申渡しを受けるが、牢に放火。放火・破牢・脱獄という罪科。潜伏を繰り返しつつ、逃亡する。発煙硝石精(しょうせきしょう)で顔を焼き容貌を一変させて沢三伯と名のる。
市橋被告は整形外科で施術したそうだが、更に自身で口を切ったりなどして変形を加えた、といわれる。両人とも、常人には耐えられそうにない痛みを耐えて逃亡に意欲を燃やす。
長英が最後に逮捕の契機となったのは、彼の手になる翻訳書『三平答古知幾』(さんぺいたくちいき)の余りにも優れた出来栄えであった。ロシアへ入国し死亡したと信じられていた長英だったが、生存しているのではないか、これほどの翻訳書を著せるのは長英をおいて他にない、と当局に推量させた。
このことから分かるように、同じように広範囲に足を延ばし顔を変えた逃亡者であるが、二人の人間像は違うようだ。市橋被告のことはこれから公判が始まるわけで予断は差し控えたいが、高野長英はきわめて優れた学者であり、反骨の精神を持ち合わせて、情の深い人間像だ。吉村氏の著書は幾つか読んでいる。史実を掘下げ、探り、情緒を排して抑制の効いた硬質な文体。大好きな作家、本物の小説家である
私はこのエントリでただ単に、市橋被告の出版に際し吉村昭氏の著書を思い出した、と書いた。出版にいたる市橋被告の心情、又それを受けての被害者の心情に言及するものではない。ただ何であれ「ブーム」と化してしまうこの国、市橋被告の潜伏したオーハ島を訪れる観光客という現象もでてくるのかな、などと余計なことを思った。
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市橋被告が手記出版へ 「収益で遺族に弁済」
2011年1月24日 東京新聞夕刊
千葉県市川市で二〇〇七年三月、英国人英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人罪などで起訴された市橋達也被告(32)の手記が、二十六日に出版されることが関係者への取材で分かった。約二年七カ月にわたった指名手配中の生活をつづり、収益は遺族への被害弁済に充てる意向を示しているという。
手記のタイトルは「逮捕されるまで 空白の2年7ケ月の記録」。出版する幻冬舎は「昨年六月ごろから弁護団に手記出版を打診していた」という。
関係者によると、市橋被告は沖縄県久米島町のオーハ島に計三回、それぞれ一~三カ月ほど滞在。初めて滞在したのは、神戸市で働き始める〇八年二月より前のことで、滞在中は使われていない海の監視施設に住んでいたという。
千葉県警は今月二十二~二十四日、同島に捜査員を派遣。施設にあったペットボトルや古着を押収し市橋被告が使ったものかどうか調べている。島には住民がほとんどおらず、若者が泳ぎに来るようなところだという。
市橋被告は、死体遺棄容疑で指名手配中に顔を整形し、神戸市の土木会社に〇八年二~六月、大阪府茨木市の建設会社に同年八月~〇九年十月、それぞれ住み込みで働いていたことが関係者への取材で判明している。
〇九年十~十一月には何度目かの整形手術を受けた名古屋市内の病院から警察に通報されたほか、福岡市のインターネットカフェでも目撃された。同十一月、大阪市住之江区のフェリーターミナルで見つかり逮捕された。フェリーで沖縄に向かい、オーハ島に行く予定だったという。出版される内容について関係者は、起訴内容と直接関係のない部分で、遺族への謝罪や情状の立証、被害弁済の一環だと説明している。
市橋被告は殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪で起訴され、裁判員裁判で審理される予定。現在は千葉地裁で公判前整理手続きが進んでいる。殺人罪などで起訴された〇九年十二月、市橋被告は「騒がれて首を絞めた。殺すつもりはなかった」と殺意を否認したが、リンゼイさんへの謝罪の意を示していると弁護団が明かしている。
昨年五月には「私は悪でした。死ぬまで自分のしたことに十字架を背負い続けます」などと謝罪の手紙を記したが、英国の遺族に受け取りを拒否されたと同年十月に英紙が報じている。
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◇ 市橋達也著『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』幻冬舎文庫
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◇ 職質に「道」あり 「市橋です」市橋達也容疑者の身柄が確保された瞬間だった 2009/11/10
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