本の話WEB タイトルに秘められた魅力を読み解く
『名画と読むイエス・キリストの物語』 (中野京子 著)
解説末盛 千枝子|編集者/3・11絵本プロジェクトいわて代表 2017.01.13 07:30
こういう本を読んで、ああ楽しかったと思うのは、不謹慎で、おかしいかもしれません。でもなんだかそう言いたいような気がするのです。著者の中野京子さんから、彼女の素晴らしいお友達の話を詳しく聞かせていただいたような気がしたからです。考えてみれば、本当に不思議な本かもしれません。わたし自身、若い時にある人から、「キリストと個人的に親しくなりなさい」と言われたことがありました。そして、この本には中野さんと親しいキリストとその仲間たちのことが、実に自然に、流れるように話されているのです。キリストと個人的に親しくなるとはこういうことだったのか、と改めて思っています。
もしかしたら、この本の魅力の一つは、ここで使われている聖書が文語訳だということもあるかもしれません。そのために、少し、お話のような感じになるのでしょうか。とても好ましいと思います。そして、著者が、自分はクリスチャンではありません、とあとがきで断っておられますが、へえ、そうか、と思うだけで、何の違和感もないのです。というよりも、私はこんなに解りやすいキリスト伝があるだろうかと思ったのです。神学者や、哲学者には申し訳ないような気もしますが、読む人になんの矛盾もなく、実にすんなりと伝わると思うのです。そして、私にとっても、キリストが本当に親しい人なのだとあらためて思いました。
それに、このタイトル、「名画と読むイエス・キリストの物語」こそが、この本の魅力の最大の秘密ではないでしょうか。あまり考えたことがなかったのですが、わたし自身も、きっとそうだったのではないかと思います。つまり、私もいろんな絵を見ながら、キリストに親しんできたと思い当たりました。この中に、自分でも好きな絵がたくさん出てきますし、実際にこの目で見た絵もたくさん出てきます。なんと嬉しいことでしょうか。
昔、私も「ナザレの少年」というタイトルで、キリストの誕生から少年になるまでを絵本にしたことがあります。文章は、福音書のあちらこちらから必要なところをとってきて、少年になるまでのキリストの姿を追うことを第一に考えたのです。それこそがクリスマスだと思ったからです。そのあとがきに、私も、「読者がヨーロッパを旅して、いろんな絵を見るときの役に立てれば、」というようなことを書きました。不思議なことです。
そして、わたし自身は、たった一度ですが、聖地と言われるキリストの生活の地にも旅したことがあります。一九六六年、初めて外国に旅したときです。このチャンスを逃したら、二度とないと思い、ローマから日本に帰る時に日本航空の事務所に行って、ルートをイエルザレム経由にしてもらったのです。その時の窓口の男性の純情な言葉が忘れられません。「悪いことは言わないから、あんなところに行くのはお止めなさい。あんな汚いところをキリスト様が歩いたはずはないんだから」というのです。笑いそうになりました。ローマから直行の便はなく、一旦ギリシャのアテネに入って一泊し、翌朝早い便でヨルダンのアンマンに飛び、そこからイエルザレムに入りました。その頃、日本人の旅行者で聖地に行く人はまだほとんどいませんでした。アンマンの空港からの道すがら、窓から見える景色に、たまらなく懐かしい思いがしました。なぜだろうかと考えたのですが、子どもの時から見てきた聖書物語などで見慣れていた、ロバに乗った人たちが行き交っていたからだと思います。初めての土地なのに、とても不思議な懐かしい思いがしました。あれは、パレスチナの六日戦争が起こる一ヶ月ぐらい前のことでした。
簡単なツアーに入り、あちこち見て歩き、最後にはキリストが十字架を担って歩いた道に沿って、大きな十字架とともに歩く「十字架の道行き」と言われる行列に加わりました。その行列がゴルゴタの丘に着いた時に、その先導をしていたフランシスコ会の神父様たちの中に日本人の方がおられ、いろいろと話して下さいました。フランシスコ会には、特別に聖地で聖書研究をする研究所があるようでした。その神父様に教えていただいたことで、忘れられないことがいくつかあります。それは、ローマ時代のまま残っている数少ない遺跡と言うカヤパの屋敷の入り口のすり減った階段です。そこに建っている教会は「鶏が鳴いた時の聖ペトロ」という名前でした。私は、あの聖ペトロの単純さが好きでしたので、その名前がとても気に入りました。鶏が鳴くのを聞いた時に、彼は、どれほど泣いたことかと思いました。
そして、もう一つ忘れられないのは、あまり知られていないようですが、キリストの時代、死刑になることが決まった人たちは、深く掘られた石室に、上からつり降ろされ、一晩そこで過ごしたということです。そのため、キリストも、そこで一晩を過ごされたに違いないと、その聖書学者の神父様が話して下さいました。もちろん、今は横から入れるようになっているのですが、その岩を掘っただけの深い穴のような部屋に、本当に素朴な小さな祭壇が置いてありました。神父様が、「せっかくですから、ここで主の祈りを唱えましょう」と言って下さり、ご一緒に祈りました。忘れられない時間でした。ここで、あの方、キリストが、一晩過ごされたのかと思うと、体中が震えるようでした。
あれからすぐに、六日戦争が起こり、それはどんどんひどくなって、今では地球上のあの地域は収拾がつかない状態です。どう考えたらいいのか、私でさえ、悩みはつきません。今もキリストが苦しみ続けておられるということだろうかと思ったりします。
この本で紹介されている好きな絵のことを書いていくときりがないほどですが、まず、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「大工の聖ヨセフ」がとても好きです。とても新しい感じがしますが、この絵が一六四〇年頃に描かれたということは信じられないようです。なんだか近所の親しい親子、という感じがします。この一連の絵を集めた小さな本をもっていますが、とても素敵な絵本のようです。
ニューヨークのフリック・コレクションで見たドゥッチオの絵も忘れられません。小さな絵でしたが、とても素敵だと思いました。一三一一年頃に描かれたようですので、まだ中世の雰囲気があるようです。絵もさることながら、ニューヨークの街のまん中にある豪邸の中で見る名画は特別なものでした。
私は、学生の頃毎朝自転車に乗って、ミサに与かっていました。そこは古い立派な日本家屋でカナダのケベックから来られた神父様たちの東京の本部になっているお屋敷でした。そこのお座敷をそのまま使った聖堂の祭壇には、素晴らしい絵がかかっていました。印刷か模写だったのだと思いますが、素晴らしく美しいと思って毎日眺めていました。この絵がなぜか、「アヴィニオンのピエタ」という名前の絵だと知ったのは、しばらくたってからのことです。そして、この絵の実物がパリのルーブル美術館にあると知り、ブックフェアなどの行き帰りにパリに寄るようになったとき、広いルーブルの中を探しまわりました。でも、なかなかその絵には会えませんでした。どうやら、いつも展示しているわけではないようでした。探し始めて何回目かの時に、思い切って、黒人の中年の守衛さんに片言のフランス語で「私はアヴィニオンのピエタが見たくて、殆どそのために来ているのに、いつ来たら見れるのですか」と聞いたのです。しばらくやり取りしたあとで、彼は「ちょっと待っていて」と言ってどこかに行きました。そしてしばらくして、大きな鍵束をもって戻ってきて「五分間だけだよ」と言って、扉を開けてくれました。その部屋は石造りの小さなチャペルになっていて、その祭壇画として、あの絵が飾ってあり、そこはその絵のためだけの部屋でした。駄目で元々と思って言ってみただけだったのですから驚きました。彼は私をそこに残して出て行き、しばらくすると迎えにきてくれました。幸せな時間でした。
私が関わっていたIBBYという子どもの本の世界大会がスイスのバーゼルで開かれたことがありました。そこはフランスのコルマールという土地と隣り合わせで、そこの美術館に「イーゼンハイムの祭壇画」と言われる有名なグリューネヴァルトの凄惨きわまりない磔刑図がありました。阿鼻叫喚の図で、まるで気絶しそうになっている母マリアの嘆きの叫びが聞こえそうでした。そして、その裏の絵が、この本にある、復活の姿でした。でも私はどちらかと言うと磔刑図の方が好きでした。なぜだか、復活の瞬間の姿を目で見ることが難しかったような気がします。
そして、大会に一緒に参加していた夫と、バーゼルの美術館にも行きました。そこで見た、ホルバインの「墓の中のキリスト」の絵は、本当にすごいものでした。それは、ちょうど墓の中のような作りの、一人か二人しか入れないような狭い部屋で、もう死人の色に変わってきている等身大の死せるキリストが目の前に横たわっていました。狭い棚に置かれたようなキリストは、ローマのカタコンベと言われる初期キリスト教の地下墓地を思わせる作りでした。否も応もなく、見る人は死せるキリストに対峙させられるのでした。まるで死臭までしそうでした。ずっと経ってから、気がついたのですが、彫刻家である私の父がいくつかの教会のために「十字架の道行き」を作ったのですが、その最後の場面、「イエス、墓に葬られたもう」という一枚は、どこかあのバーゼルのホルバインの影響を受けているような気がしました。私たち家族がお世話になった神父様たちは、スイスのバーゼル地方のベトレヘム会という宣教会の方たちでしたので、父はその方たちから、あの絵のことを聞いていたのではなかったかと想像しています。
◎上記事は[本の話WEB]からの転載・引用です