2016.2.2 12:17更新
【川崎中1殺害】冒頭陳述詳報(1)丸刈り、スーツ姿の19歳被告 公訴事実に小声で「間違いありません」 検察側「被告は告げ口を否定した遼太君を殴り…」
《川崎市川崎区の多摩川河川敷で平成27年2月、市立中学1年、上村(うえむら)遼太さん=当時(13)=が殺害された事件で、殺人などの罪に問われたリーダー格の少年(19)=同(18)=の裁判員裁判初公判が2日、横浜地裁(近藤宏子裁判長)で始まった》
《27年2月20日、首を鋭利な刃物で複数回傷つけられ、衣服もないまま河川敷に放置されて上村さんの遺体が発見された。1週間後、神奈川県警に逮捕されたのは被告ら少年3人だった。未来ある13歳の少年が、同じ少年から暴行を受け、命を奪われるという事件は社会に大きな衝撃を与えた》
《上村さんは小学6年の夏まで島根県の隠岐諸島・西ノ島で過ごした後、川崎市に転居。「カミソン」などの愛称で親しまれ、「人気者」(同級生)だったが、知り合いになった被告らから次第に暴行を受けるようになった。事件前、上村さんは周囲に被害を打ち明け「殺されるかもしれない」と漏らしていたという》
《事件当日、河川敷に連れてこられた上村さんは川を泳がされた後、首をカッターナイフで何度も切りつけれて死亡したとされる。横浜地検は被告を殺人などの非行事実で、他の2人を傷害致死の非行事実で、それぞれ家裁送致。家裁が検察官送致(逆送)し、地検は27年5月に起訴した》
《なぜグループの暴行がエスカレートし、上村さんが殺されたのか。この日は傍聴席の抽選には47席の一般傍聴席を求めて希望者841人が訪れた》
《被告人席や弁護人席を隠すようについたてが設けられた法廷に傍聴人が次々と入廷。開廷約5分前の午前9時55分ごろ、ついたてが外されると、被告人席に着席する被告の後ろ姿があらわれた。丸刈りで濃いグレーのスーツ、白いワイシャツを着ている》
《午前10時、近藤裁判長は開廷を宣言し、被告に起立を促す。成人の裁判では氏名などを読み上げて間違いがないかを確認するが、少年事件のため、近藤裁判長は公判前整理手続きのときから氏名などに変更がないかを尋ね、被告は小さな声で『はい』と応じた》
《続いて罪状認否に移り、検察官が(1)被告が27年1月17日、横浜市の日吉駅付近の駐車場で上村さんの顔をこぶしで殴って2週間のけがを負わせた(2)同年2月20日に被告は殺意を持って、少年B、Cは傷害の犯意で上村さんの首をカッターナイフで多数回切りさき、死亡させたとする公訴事実を読み上げる》
《身じろぎせず、聞き入る被告。近藤裁判長は被告に黙秘権があることを告げた上で、こう尋ねた》
裁判長「読み上げられた公訴事実に間違いなどはありますか」
被告「間違いありません」
《被告は再び小さな声で答え、弁護人も「同じ意見です」と続ける。傍聴していた記者たちが速報を伝えるため慌ただしく法廷の外に出ていく》
《続いて検察側の冒頭陳述へと移り、画面には被告や少年B、C、上村さんの人間関係を示す図が写し出される》
検察官「お手元の資料に沿って争点、事件の流れなどポイントについて説明していきます」
《検察官は公訴事実を改めて述べた上で、(1)の傷害事件を日吉事件、(2)の殺人事件を川崎事件と称すると説明。被告が公訴事実を認めていることを踏まえ「裁判で判断してもらいたいのは、どのような刑罰を科すのかが適切なのかです」と訴え、被告やB、C、上村さんの人間関係について言及していく》
検察官「Bは被告より1年下で(事件当時は)17歳でした。被告とBは26年、友人の紹介で知り合い、ゲームセンターで遊ぶなどしていました。Cは被告の中学、高校の同級生で、Cの家で酒を飲むなど親しい友人でした」
「遼太君と被告は26年12月ごろ、友人の紹介で知り合い、ゲームセンターで遊ぶなどしていました。27年1月にはBと知り合い、被告とBとでゲームセンターで遊ぶなどしていました。Cとは一度、顔を合わせましたが、川崎事件まで交友関係にはありませんでした」
《検察官はまず、日吉事件の経緯について説明していく。27年1月16日に被告とB、上村さんら6人が遊んだ際、2グループでそれぞれ日吉駅に向かった。被告らのグループは自転車で、上村さんらのグループは電車で向かったが、上村さんのグループが遅れて到着し、被告らが駅で待つことになった》
検察官「合流し、17日未明にコンビニに行き、飲酒をしました。被告は遼太君が遅れたことにイライラしていました。遼太君が年下なのになれなれしく、生意気と感じており、駐車場に連れて行き、遼太君の顔を数回殴り、2週間のけがを負わせました」
《上村さんは顔に青タンができ、母親らからけがについて聞かれたが、『ケンカの仲裁に入って殴られた』などと言って被告に殴られたことを黙っていた。しかし、知人に質問されたとき、被告に殴られたことを打ち明けたことで、その後、知人らが被告を問い詰めたり、被告の自宅に押しかけたりする騒動があった》
検察官「被告はトラブルが起きたのは知人に話したからだと考え、怒りを募らせました」
《被告は前を見据え、動きを見せない。冒頭陳述は殺人事件へと移っていく》
検察官「2月19日、被告はBと一緒にゲームセンターで遊んでいましたが、CからCの家で酒を飲もうと誘われ、Cの家で酒を飲んでいました。午後10時ごろ、遼太君からBの携帯電話に『一緒に遊びたい』とメッセージが入りました」
《Bから上村さんの誘いを知らされた被告はBに呼び出すよう指示した。Bは被告がいることを伏せて上村さんを呼び出し、4人は川崎市内の神社で合流。そこで上村さんは外部との連絡手段である携帯電話を取り上げられた》
検察官「被告は遼太君が告げ口を否定したため、遼太君を殴りました。そして遼太君が認めたため、被告はその態度に腹を立てました」
《そして被告は上村さんを殺人事件の現場となる多摩川河川敷に連れて行くことになる》
=(2)に続く
2016.2.2 13:40更新
【川崎中1殺害】冒頭陳述詳報(2)完 「しばらく生きていた」瀕死の遼太君を裸にして河川敷に置き去りに うつむく被告はさらにうなだれ…
《川崎市川崎区の多摩川河川敷で市立中学1年、上村(うえむら)遼太さん=当時(13)=が殺害された事件の裁判は、検察側の冒頭陳述が続いている。検察官はリーダー格の少年(19)=同(18)=が他の少年B、C=いずれも傷害致死罪で起訴=とともに上村さんを河川敷に連れ出し、暴行を加えた状況について詳しく言及していく》
《最初は被告とC、上村さんが河川敷におり、Bはいったんコンビニエンスストアに向かったという》
検察官「被告は遼太君が連絡が取れないように、遼太君の携帯電話を川に投げ込み、護岸の斜面で遼太君に馬乗りになりました。するとCが持っていたカッターナイフを取り出して被告に渡し、被告は遼太君の左頬を数回切りつけました。血がにじみでるのを見て、『中途半端な傷で帰せば、つかまったり報復を受ける』と考え『殺そう』と決意しました」
「その後、服を脱がせて腕や首を切り、(コンビニ行っていた)Bを河川敷に呼び戻し、Bに首を切るように指示。Bはカッターナイフで複数回切りつけました。Cにもカッターナイフを渡し、首を切るように頼み、Cも切りつけました。また、遼太君の髪の毛をつかんで、護岸の斜面に打ちつけ、共犯者の発案で、少なくとも2回、遼太君を多摩川で泳がせました」
《検察官は淡々とした口調ながらも、上村さんがむごい仕打ちをうけていた状況を裁判員らに訴えていく》
検察官「最後、被告が遼太君の左側の首をカッターで1回切り裂くと、川に下半身をつかせた状態で動かなくなったので、(遼太君を)河川敷に放置しました。その後、午前2時34分ごろ、服と靴を持って河川敷を後にし、近くのコンビニでライターオイルを購入し、付近の公園で遼太君の服を燃やし、Cの家に戻り、事件のことは言わないように話し合いました」
「遼太君は(置き去りにされた後)しばらく生きていましたが、その後出血性ショックで亡くなり、20日午前6時過ぎ、遺体の状態で通行人に発見されました」
《うつむいていた被告は被告はさらに首を前に倒し、うなだれた。検察側が裁判で動機や経緯、遺族の気持ち、再犯の可能性などについて主眼を置いて立証していくと説明。検察側の冒頭陳述を終えた》
《続いて弁護側の冒頭陳述に移る》
弁護人「川崎事件は傷害程度にとどめるつもりが、予期せぬ状況と逡巡の中で殺害に至りました。人間関係上のトラブルも関わり、不幸な事件になってしまいました。A君(被告)によって尊い命が奪われたことを否定するものではありません。争点は量刑です」
「私たちは事件発生後、1年間にわたりA君に向き合い、なぜこのような罪を犯してしまったのか整理してきました。事件発生は大々的に報道され、事件を知らない人はいないと思いますが、ここではいったん今までの知識を横に置いていただき、A君にどの程度の責任を負わせるのが相当か考えてください。なぜ、ここまでの事件になってしまったのか、どの程度Aが責任を問うべきか、資料に即して説明します」
《ここで法廷両サイドにある大型モニターに被告たちの関係性などを説明する図解が写され、弁護側は被告と関係する匿名の少年たちについて言及する》
弁護人「当初、A君は被害者を痛めつけるつもりでした。(川崎)事件の1カ月前、A君はX兄弟やYら地元不良グループからしつこくつきまとわれて、多くの恐怖やストレスを抱えていました。過去に一度、A君は中学校時代に同様の経験をしたことがあります。自分がしてしまったことが何倍にもなって返ってくる、と自分の身を脅かされたのです」
《川崎事件の前に日吉駅近くの駐車場で上村さんに暴行を加え、そのことが周囲に発覚していた》
弁護人「事件直前にA君の家に乗り込まれることがありました。X兄弟やYが家に押しかけました。当時、A君は賽銭(さいせん)盗をしていて、そのことに関して日吉事件を口実に乗り込んできたのです。自分がまいた火種が何倍にもなって返ってくる辛い体験と、身に危機が迫る日々を思い出すことになりました。A君は被害者が話したからだと感じ、A君に強い怒りを感じるようになりました」
《弁護人はここで生い立ちなどについても説明を始める》
弁護人「A君は暴力以外にトラブルの解決手段を知りませんでした。当時、日常的にタイマン、一対一の決闘を持ちかけられ、家庭でも言うことを聞かないと親に手を出されたことが何度もありました。最終的に暴力で解決するという環境で育ってきました。暴力以外で困難を解決する能力が身につかず、言うことを聞かなければ殴ればいいという環境にいたのです」
「またA君は人に対する共感性も持てていませんでした。成育環境にあって、健康な自己愛がなく『どうせ自分は理解されない』『安心感が持てない』という状況でした。犯行当日、被害者と合流した際、なぜチクった(告げ口した)のかを問い詰めると、被害者はチクったことを認めなかったので、やはり痛めつけるしかないという結論に至りました」
《検察側の冒頭陳述では暴行後、上村さんは知人に日吉で殴られた被害を打ち明け、そのことに被告はさらに怒ったとされる》
弁護人「AとB、AとCは対等な人間関係で、誰がリーダーというものはありませんでした。BはAにとって1学年下でしたが、タメ口で話しており、CはAにとって高校の同級生で何でも話せる関係でした」
「河川敷に到着したときには、殺そうなんて思っていなかったのですが、馬乗りになったときに、予想外のできごとが起ります。Cからカッターナイフを手渡されたのです。Aは強い怒りの中で痛めつけること自体は正当化しており、反射的に切りつける行為を行います。ここで、逡巡が生じます。A君は被害者に対し、絶対に殺すという強い殺意はありませんでした。切りつける際、A君も恐怖を感じ、自分1人ではできないと考えました」
「そこで、B、Cにも代わってくれと頼みました。『自分の代わりにやってほしい』という思いとともに『止めてくれないかな』という気持ちがありました。泳がせるのも、B、Cのどちらかからの提案を受けて行ったことです」
「3人で交代で切りつけたり泳がせる中で、A君はどうすればいいかわからなくなった。切りつける行為を進めるのをやめてしまうと、X兄弟やYから報復もある。続けるのも、ここでやめるのも怖い。混とんとした中、行為を継続し、殺害するに至ってしまいます。逡巡やためらいの結果ということです」
「では、なぜ切りつけ行為を死ぬまでやったのか。A君自身、培われていなかった能力、すなわち、被害者への共感性が培われてこなかったのです」
《弁護人は被告が反省し、家族が支える存在となっているため更生可能であると主張し、冒頭陳述を締めくくった。この後、証拠調べなどが行われ、近藤宏子裁判長が午後1時半から公判を再開すると告げた後、休廷した》
◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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◇ 川崎中1(上村遼太さん)殺害事件 主犯少年のゴマカシ・ウソ供述【実名報道】 週刊新潮2016/2/18号
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◇ 川崎中1殺害事件 主犯格少年初公判 「報復されると思い殺害」検察側/「強い殺意なく、暴走し殺害」弁護側
◇ 川崎中1(上村遼太さん)殺害事件 主犯格少年初公判 2016/2/2 被告人質問① 両親の“仕打ち”赤裸々に
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