尖閣のみならず沖縄までも 領有権を主張する中国の領土観念

2012-08-07 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

尖閣のみならず沖縄までも 領有権を主張する中国の領土観念
WEDGE Infinity 2012年08月07日(Tue)岡本隆司(京都府立大学文学部准教授)
■尖閣をめぐって巻き起こる賛否の議論
 石原慎太郎東京都知事がさる4月17日(日本時間)、尖閣諸島の一部を都が買い取る意向をワシントンで表明して以来、賛否こもごも大きな議論を呼んでいる。
 国内の大方は石原都知事の言動に肯定的で、最近では日本政府が都の購入に先んじて、国有化をすすめる意向を示した。
 それに対し、東京都や政府の姿勢を批判するマスコミは少なくない。また政府内部でも、丹羽宇一郎在中国日本大使が同じ立場から、都の尖閣購入に懸念を表明した。現職大使のそうした発言は大きく取り沙汰されて、その更迭説すら流れたことは記憶に新しい。
 その理由はともに、明らかである。賛成の意見は、日本固有の領土である尖閣諸島の実効支配を強め、中国の脅威から守ろうというもの、反対の意見は、中国との新たな摩擦を生むような行為をすべきではないというものだ。いずれも、近年来の尖閣諸島に対する中国の言動がその前提にあることで、共通している。
 中国の言動というのも、くだくだしい説明は必要あるまい。尖閣諸島に対する領有権の主張、およびそれにともなう挑発的・攻撃的な船舶の派遣や領海の侵犯などの行為である。日本人からすれば、尖閣問題を問題化させ、日中の摩擦を生む原因を作っているのは、一方的に中国の側にあって、日本ではない。
 もっとも当の中国側は、それを「日本の挑発」によるものと称する。尖閣諸島の購入に賛否いずれの立場であれ、これに違和感を覚えない日本人は、おそらくいるまい。「挑発」しているのはそちらだろう、といいたいのが率直な感想である。またぞろ力に恃(たの)んだ理不尽な中国の自己主張だと断ずる向きが多いかもしれない。
■中国の理不尽、その深層
 こうした自己主張は、中国の大国化と日中関係の緊密化にともない、日本人も耳にする機会がとみに増えた。そのぶん慣れてしまって、奇異に感じなくなったかもしれない。筆者はそんな感覚の麻痺をひそかに恐れている。
 一方的、理不尽なのはそのとおり、しかしそれだけで片づけては、たがいに相手の非を鳴らし、相乗的に憎悪をかきたて、果てしない争いしか生まない。そんな陥穽におちないためにも、その理不尽がどこに由来するのか、深層に立ち入った理解が求められよう。
 そもそも中国人はなぜ、尖閣諸島を自らの領土と称するのか。「領土」だと言い出したのは、いかにさかのぼっても昭和40年代、周辺海域に石油資源の埋蔵などが確認されてからであって、要するに利害関心としては、それしきの動機にすぎない。ところがいったん言い出すと、以後そう信じて疑わなくなった。そのほうが実は重大であって、経済的な利害関心などとは別次元の、かつ尖閣にとどまらない話になってくる。たとえば、中国がベトナムやフィリピンなどと激しく対立している南沙諸島と変わるところはない。
 最近の動きは、あたかもそんな事情を切実に教えてくれそうなので、ややつぶさにみてゆこう。
■尖閣のみならず沖縄に関しても主張
 尖閣をめぐる日本の「挑発」に強く反撥した中国では、尖閣諸島のみならず、沖縄そのものが日本のものではない、歴史的な経緯からして、中国の支配下にあるべきだ、という声があがりはじめている。
 その根拠は、現在の沖縄県がもともと、15世紀に成立し19世紀後半まで存続した琉球王国だった、という事実にある。その琉球国王は明朝・清朝の皇帝へ定期的に使節を派遣し、貢ぎ物をおくり、臣礼をとっていた。これは別に琉球に限ったことではなく、朝鮮やベトナムも同じで、こうした国々のことを、中国の漢語で「属国」といったり「藩属」といったりする。中国に「属」しているのだから、歴史上その主権は中国のものであり、日本の琉球支配には正統性がない、という論理なのである。
 この論理はつい最近も表明され、マスコミをにぎわす話題となった。日本のウェブの報道をそのまま引こう。産経新聞7月14日配信の記事である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120714-00000094-san-int
 「沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権問題に絡み、中国国防大学戦略研究所所長の金一南少将が『沖縄は中国の属国だった』との“暴論”を展開していたことが13日までに明らかになった。現役軍高官の発言だけに、波紋を呼びそうだ。――」
 金一南氏のいわゆる“暴論”の中国語原文は、以下のURLに見える。中広網7月12日配信の記事。
http://mil.cnr.cn/jmhdd/ywj/201207/t20120712_510197013_2.html
 さわりだけ訳して引くと、以下のようになる。
 「今日からみると、沖縄は当時、独立した国家として中国の藩属国であり、中国との関係が非常に近かった。」
 別のくだりはいざ知らず、この部分だけみれば、歴史家としても間然するところのない議論で、史実として誤った点は見いだせない。おそらく産経の記事は、中国語で公になった金一南氏のこの発言を抄訳したのであろうが、「沖縄は中国の属国だった」といわれると、確かに一般の日本人には“暴論”に聞こえる。「藩属国」は原文どおりの漢語、それを「属国」とするのは、決して誤訳ではない。それなら、“暴論”が事実なのかといえば、やはりそうでもない。史実に誤りがないのに、“暴論”になってしまう。どうやら、そこに問題の本質がある。
■産経の記事と中広網の原文記事に見る違い
 そこで、もうひとつ。原文の記事には、次のような見出しがついている。
 「琉球群島は中国の属地である。日本は出て行け」
 この煽情的な表現はあくまで見出しであって、金一南氏自身の発言ではない。それでもやはり、産経の文面と異なる点に注目したい。つまり日本語で「属国」としたものを、中国語は「属地」と解しているわけである。
 日本人の歴史感覚でいえば、琉球などが貢ぎ物をもった使節を派遣したからといって、その国が属国になるわけではない。卑近なたとえでいえば、お辞儀をし、へりくだった物言いをし、おみやげを持参したからといって、相手に隷属するはずはないだろう。
 さらにいえば、「属国」と「属地」は大いにちがう。前者は曲がりなりにも別の国なのに対し、後者は領土、もしくはそれに準ずる同じ国の一部にほかならない。琉球が「属国」でも論外なのに、中国人はさらにそこを自らの「属地」だと考えている、とあっては、いよいよ以ての外である。
 しかし以上は、しょせん日本人の感覚だということを忘れてはならない。「藩属国」を「属国」と訳しても誤訳ではないのと同時に、「属地」と言い換えても、決して改竄ではない。そうなってしまうところに、日中の摩擦をもたらす大きな理由がある。
 「藩属」といい「属国」といい「属地」といい、どの漢語も指す実体は、歴史的にみれば大した違いはない。いずれも貢ぎ物をもってきて、儀礼上、中国の下位に立つから、「属」という字がつく。それは本来、儀礼的な意味しかなかった。
■中国の領土観念とそれに関わる語彙概念
 ところが19世紀の末から20世紀にかけて、近代的、国際的な支配隷属関係を同じ「属」という漢字であらわしたことで、事情がかわってくる。列強の脅威を感じた中国は、儀礼上の「属国」に実質的な従属の意味をもたせ、関係をかえはじめた。琉球も朝鮮も、その過程で日本と対立し、戦争にまでなったのである。また「属地」も20世紀に入って、近代的な領土とひとしい意味で用いはじめた。こちらはチベットやモンゴルが該当し、現代の困難な民族問題の出発をなしている。
 かくて「属国」「属地」ともに近代的な意味では、日本人の使う漢語と同義になった。というよりも、近代の日本漢語が中国語化した、というほうが正しい。
 しかし中国語は、まったく同じ字面で、以前の意味をも兼ね備える。「藩属国」といえば、それは「属国」にも「属地」にも言い換えられ、古い史実も近代的な意義をも包括できる。そこから昔の「藩属」は、今の「属地」だという論理も生じてくる。それが中国人大多数の感覚にほかならない。
 筆者はすでに『WEDGE』2011年3月号掲載の拙稿「他国領を自国とする論理」で、こうした漢語概念とそれにむすびついた中国の世界観・行動パターンを明らかにしている。金一南発言をめぐる最近の報道は、その沖縄版だといってよい。
 中国の領土観念とそれに関わる語彙概念を知るには、その歴史をつぶさにみなくてはならない。それを忘れた議論は一知半解、今回のように対立をいたずらに劇化させるばかりで、ひいては日本自身のためにもならない。官民ともそのことを肝に銘じるべきであろう。
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中国の一貫した謀略戦(長期間かけた法律、世論、心理の三戦)に曝されている日本 尖閣諸島 2012-07-30 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉 


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