「従軍慰安婦・南京大虐殺のデタラメ」~衆院予算委 質疑 2013.4.10 中山成彬(維新の会)

2013-04-24 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

【国会質疑 書き起こし】H25.4.10 衆院予算委 中山成彬(維新の会)

■脱自虐史観 ■慰安婦問題に続き,南京大虐殺もデタラメな嘘 ■やっぱり日教組は日本の教育の癌 ■総理大臣の靖国参拝への道を開く ■天皇陛下の靖国ご参拝実現は政治家の仕事

中山 維新の会の中山成彬です。教育問題についての集中審議をお願いしておりましたが、なんか経済問題ばかりのようでございますが…。(※前の質疑者の枝野幸男に対する皮肉)
 えー、わずか3時間の短時間でございますから早速質問に入らさせて頂きたいと思いいます。
 あの、去る3月26日でしたか、この新しい学習指導要領に基づきます検定教科書…高校2年3年の、検定の結果が公表されました。私もざっと目を通してみましたけども、まぁ残念ながらですね、あんまり、変わってないなぁと。あの…私も文部大臣の時にですね、答弁して、竹島も日本の領土だと教科書に書くべきだと、こういう事を言いましたら、あの組合…ある組合からとんでもないと、抗議が来ましてね。調べてみたら、竹島は韓国の領土だと教えている、そういう先生方もいらっしゃったということ。
 まぁそれより…それに比べますとですね、えー、竹島は日本の領土だとちゃんと書いてあります。
 しかし、先ほどお話しが、西川京子先生からもお話がありましたが、従軍慰安婦の問題とか、あるいは南京事件についてはですね、相変わらずこの、残っている。特に私ですね、びっくりしたのは、検定前には10万から数万の…犠牲者と、略奪…虐殺したという記事がですね。…なんか20万と…増えている検定結果があると。下村大臣,この検定の結果てのは、一応目を通されたんですかね。その事からお聞きしたいと思います。
委員長 下村文部科学大臣
下村 私も、あの目を…通しました。あの安倍政権の以前からのですね、これはあの、教科書検定の結果でありますので、大臣が変えられるという事ではありませんが、ただ今回のですね、あの申請図書の具体的な記述について、いま中山先生からもご指摘がありましたが。南京事件については、犠牲者数に諸説ある事が理解できない記述があった。また領土については、我が国の領有権について誤解する恐れのある記述や、竹島と尖閣諸島の問題を同列に扱っている記述もあった。また慰安婦問題については、国家間の賠償問題が解決済みである事を理解できない記述もあった、と。
下村 ま、これに対しては、検定意見を付して修正を求めるなど、その時点における客観的な学問的成果や政府見解、適切な資料等に照らして、欠陥を指摘することにより、教科書検定が行われました。しかし今、ご指摘のような所はですね、我々も感じる部分もございます。ま、今後、この教科書検定についてですね、その教科書検定の現状と課題というのを整理し、そして、よりあるべき見直しについて検討して参りたいと考えております。
委員長 中山成彬君
中山 あの、安倍総理も覚えていらっしゃると思うんですけど、総理になられてですね、私たち大変喜びました。早速、その従軍慰安婦についてのね、河野官房長官談話を見直してくれということで、申し入れに行きました。そうしましたら、あの時は下村官房副長官でございましたが、党の方で調べてくれと。こういうふうなことでございましたので、えっ?と思いましたけど、じゃあ党の方で調べようじゃないかと。先ほど西川京子先生が言われましたように、党の中で、例の歴史議連ですね、教科書議連の中で、それこそ、第一次資料と言いますかね、新聞記事から、国際連盟の議事録から、いろんなものを徹底的に調べました。
 その結果ですね、先ほどお話ししました、あの南京の実相という本を出しました.英訳も付けてアメリカの議員達にも全部配ったと、あの時ですね、まさに、あの西川先生が言われましたようにですね、あれは通常の戦闘であり、それ以上でもそれ以下でもなかった、と結論づけたわけでございます。
 だから30万人のですね、中国人を虐殺したなんて、とんでもない話なんです。お手元にですね、南京市の人口という一枚の紙を配ってありますけど。「#資料1 南京市の人口」(略=来栖) これを見ればですね、もう逆にですね、あれは昭和12年の12月13日でございますけど、人口は増えてんですよ。南京の人口はですね。20万からずーっと増えてて25万になってる。何処にその30万人の大虐殺…あったのかと。こういうのはなかったという事はもう明かでございましてですね、こういう事実をね、事実としてハッキリですね、教科書に書くべきなんですね。
 私たちはもう、あの時の安倍総理の命によりまして、当時自民党でしたけれども、まあの古屋大臣もおられましたが、しっかりと調べました。総理はよく…あるいは学者とか歴史研究家に調べさせると言われますけど、我々国会議員が中心になってですね、一生懸命調べた結果が、従軍慰安婦っていう、そういうものは無かった。居なかったと。これはこの前の国会質問でお話ししました。 南京事件も無かったんですね。無かったことがですね…このデタラメが、今…世界中に広まっているっていう事。これは大問題だということをですね。もうそれは本当に、繰り返し話をしたいと思ってるんです。
 あの…8年前になりますけどね、あの…下村さん一緒に教育改革を一緒に提唱しました。あー、まさにあのサッチャーさんがですね、えー、ま…イギリスも、いわゆる自虐的教育、そして過度にね、自主性を尊重した。子供の自主性を尊重した。そういう教育に陥っている。これじゃいかんと言って教育改革をやられたと。私どもも同じようにやりましたですね?400校の学校を手分けして、ずっと回って、そうして教育改革…やろうじゃない…やらにゃいかんと。いわゆるゆとり教育の見直しをはじめとして、やったんですけど。まぁあれから8年。まさに安倍総理、そして下村大臣が中心になってですね、教育改革を進めてこられた。だから教科書も厚くなりました。そして授業時数も増えると。増えてきましたですね?
 だけどこの、いわゆる自虐教科書だけがですね、変わってないということ。これ非常に大問題だと思うんですよ。
 この前私,ある方から聞いたんですけど、高校の時ですね,修学旅行で南京に連れて行かれたと。そしてあの、おどろおどろしいですね、もう捏造の南京虐殺記念館を見せられて、そして子供達がショックを受けてる時に、南京の中学生…日本で言えば高校生と討論をさせられると。
 まあ日本の子供達は残念ながら英語得意じゃありません。向こうはもう百戦錬磨の人たちにですね、もう徹底的にやられたと。日本の子供達ちゅうのは、もうショックを受けてますからね、ただうなだれて何も反論できなかったと。こういうのが実態なんです。
 だから一体ね、この連れて行かれる先生方何を考えているのかと。まさに自虐教育の仕上げに連れて行くのが、あのああいう韓国とかね、中国の自虐…まさに虐殺記念館。そういう事だということをね、もうこれは本当に私は、大変なことだと。
 まぁいじめの問題も大事、体罰もやめにゃいかん。
 しかし一番教育で大事なのは、いつも総理が言われますように、日本人としての自信と誇りを取り戻そう、と。そういう子供を育てると。そしてチャレンジ精神に富んだ子供達を育てるという事だと思うんですけど。
 今…検定を見直すと言われました。ぜひ安倍内閣…長く続いて欲しいと思います。その間にですね、この一回りしましたけど、さらに新しい教科書の検定が始まりますからね、早急にこの、検定の基準を見直して欲しい。
 いろんな、もう昔のですね、この前言われました、大国語辞典に出てるからとか、そういう戦後のですね、まさに占領の頃、左翼思想が非常に強かった頃の学者たちが書いた本に出てるからと言うんで、検定を取るんではなくて、今の目でですね、安倍内閣のもとで。
 要するに自信と誇りを持てるような子供を育てるというのを、検定基準の最初に書いて欲しいと思うんですけど、大臣どうですか?
委員長 下村文部科学大臣
下村 えー、先の第一次安倍内閣の時に、あの教育基本法を改正したわけでございます。その改正教育基本法の中でですね、我が国の伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と、郷土を愛するとともに他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うことができるように。ま これを新しい教育基本法の中に入れて、そしてこの精神に則って新学習指導要領の主旨を踏まえた教科書で学ぶことが必要であるということでございますが、残念ながら、必ずしも新しいこの教育基本法や新学習指導要領に則った教科書記述になってない部分があるのではないかというふうに、私自身も感じる部分が今回の高校教科書の記述の中でありました。
 ま、これはそういう意味では、あらためてですね、この教科書検定制度のあり方、あるいはまた採択のあり方等を踏まえて、自民党の教育再生実行本部の提言もあり、先生も前回もご指摘をされましたし、また他の委員から国会でもご指摘をされているところでもありますし、子供達に歴史というのは影の部分もあれば光の部分もあるわけでございまして、やはり、この日本は素晴らしいと、素晴らしい伝統文化を誇るこの国に生まれて良かったと思ってもらうような歴史認識も、教科書の中できちっと書き込むと。こういう事は大変必要なことであるというように思います。
委員長 中山成彬君
中山 安倍総理大臣、どうですか。その日本人としての自信と誇りを取り戻す。そういうのをね、教育…あの教科書検定の第一項目に挙げるということについて。
委員長 安倍内閣総理大臣
安倍 ま 前回、えー、安倍内閣においてですね、教育基本法を変えました。そこで、教育の目的,目標をしっかりと書き込んだのでございますが、そこに、日本の文化と伝統を尊重すると、これをしっかりと書き込みました。そして愛国心、郷土愛というものも書いたのでございますが、残念ながらですね、検定基準においては、この改正教育基本法の精神が私は生かされていなかったと思います。えー、そして同時にですね、検定官自体がその認識無かったんじゃないのかな、とも思います。という意味においてですね、えー、文科大臣の下でどうあるべきか。当然ですね、やはり初等中等段階において自分のアイデンティティについて、これは誇りを持つ。自信を持つ。これは基本ですから。それがなければ、自分自身に自信はなかなか持てないんですね。
 えー、これは、日本、中国、そしてアメリカの青少年を対象にした意識調査の結果にハッキリと現れているわけでありますから、我々はそういう教育を行っていくべきなんだろうというふうに思います。
 また…えー、これは採択の結果ですね、非常の…非常に、一部の教科書に、ま、偏っていくという状況があるんですね。採択が果たして…ちゃんとですね、ちゃんと教育的な視点から採択されているのかどうか、という事もですね、私はちゃんと見ていく必要があるんだろうなと。このように思うところでございます。
委員長 中山成彬君
中山 ありがとうございます。あの…採択の問題、これは今まではですね、非常にその日教組の影響が強かったですね。そのところはもうひとつ文科大臣、しっかりと見守って頂きたいなと思ってます。
 私これね、あの心配しますのはですね、今、日本だけじゃなくて、外で…アメリカとかカナダとか、もういろんなところでですね、慰安婦問題とか、あるいは南京問題。あの中国人や韓国人がですね、もの凄い運動してるんですよ。これもあの、去年の12月13日ですけどね、カナダのトロントでね、南京大虐殺記念日と。こんな宣言をされたと言う話を聞いてまして、まさにこの日本で火が付いたんですけど、その火がね、世界中に広がって、日本人の名誉が傷つけられてんだと。この事実をね、知らなきゃいかんと思ってます。
 今日はあの、外務大臣、呼んでませんけど、ぜひ大臣…あの総理大臣、ね、外務省にそういう事実をしっかり踏まえた上で、それに対してはきちんきちんと、やはり抗議していくという事をやらないと。日本はもう、この前にも申し上げましたけど、宣伝性においては負けているという事を、私は感じて頂きたいなと思っております。
 まぁそういう事でですね、子供達を本当に貶めることを、なんか教師の本懐だと思っているような先生も居る中で、しかし立派な先生というのはやっぱり一生懸命やってますよ。子供達に向き合ってね、一生懸命やってる。
 ただ最近いじめの問題だとか、体罰で、現場の先生方のね、このモラルというかな、やる気が失われているのが非常に心配です。
 ましてこれから、先生方、新しい先生をどんどん入れていかなきゃいかん。やっぱり優秀な先生をたくさん採用するという事はとても大事だと。教育改革の中でお互い認識したんですけど、教育は教師力であると。ま、そういう意味でですね、私は昭和44年ですかね、田中角栄元総理が人確法…人材確保法というのを作って教員の給料をバッと上げた時がありました。
 しかしもうあれから40年以上経ってですね、段々段々、薄れてきている。まぁ普通の地方公務員と変わらなくなってるんですけども。
 やはり,このお金の問題だけではありませんけど、しかしやっぱり国がね、教員というものを先生を大事なものだと思っているという意味で、この教員の給与…改正といいますかね、改善について、ひとつ考えて貰いたいと思うんですけど、どうですか、下村文部大臣。
委員長 下村文部科学大臣
下村 あのご指摘のように、この人材確保法によってですね、教師の給与は一般の公務員よりも優遇することを定め、教員に優れた人材を確保し、以て義務教育水準の維持向上を図る、これを目的に制定されたわけでございます。
 この人材確保法による計画的な給与改善が完成したのは昭和55年度でございますけども、この時の教師の給与は、一般行政職と比較して7.4%。優遇されておりましたが、ご指摘の通りですね。その後、教師の給与の優遇分はどんどん目減りしてきておりまして、現状では一般行政職とほぼ同水準になってしまっているという現状がございます。ま、これからやはり学校の先生は教師力と素晴らしい情熱を持った先生をいかに確保するかということが、教育改善にも繋がることでございますので、今後ともこの人材確保法の本来の趣旨を踏まえ、優秀な教師を確保すると。その士気を高めるためにメリハリのある給与体系、頑張ってる先生がさらに報われると。努力している先生が報われると。まぁそういうふうな、あの待遇の改善にしっかりと努めて参りたいと思います。
委員長 中山成彬君
中山 ま、ひとつ、頑張って頂きたいと思います。まぁ麻生財務大臣、ひとつ…要求されたらしっかりと…見ていただきたいと…あの、お答えは要りませんので宜しくお願いします。
 次にですね、私あの、専修学校,専門学校の重要性について、お話をしたいと思うんですけど。まぁ先ほどからいろいろ格差の話とかいろいろ出てましたけども、社会を見てましてですね、どうもその労働市場にミスマッチがあるんじゃないかと。これあの、下村大臣もですね、新聞…この…記者会…あのインタビューでね、その大学教育と社会の求めるものが違うんじゃないか、てなことをまぁ言っておられる。ああ認識しておられるなぁと思うんですけども。
 ただあの、その中でですね、日本の高等、大学進学率は51%と。しかし、カナダ…韓国とか、アメリカは70%と。オーストラリアは96%と書いてある。これはびっくりしたんですけどね。これ日本のその、大学進学率ていうのはそんなに低いのかと。日本の場合には,そういう…それだけ、プラスですね。いわゆる専修学校に行ってるんですね。私はこれが非常に大事だと思うんです。「#資料2 専修学校」(略=来栖)
 と言うのはですね、やっぱり今こう見てますとですね、あの本当に、先ほど言いましたミスマッチと言いますか、大学を出た…一般の高校を卒業して大学を出た…しかし就職は無い人、それでまた医学部なんかへ行きますとね、さらにまた就職がないと。
 この前奨学金の話もありましたけど、何百万というね、あの借金と言いますかね、返さにゃいけないお金を背負って、社会に出たら早速もう、仕事がない。収入がないという人がたくさん居るんです。
 これはね、本当に就職できないっていうのは、子供にとっても親にとっても大変な問題なんですけども。やっぱり日本がこういうふうにね、やっぱこう、高度に発達して参りますと、サービス産業ていうかな、まぁこの前私やりましたけど、日本はもっと消費大国にならにゃいかんと、こう思ってんですけど。
 やっぱそういう意味でね、例えば調理師だとかね、あるいは介護関係とか、理美容士とか、こういうとこのですね、求人は非常に多いんですよ。だからもっとですね、そういう専修学校をね、えー大事にすべきだと思うんですけど。まご承知のように、専修学校には、例の大学のようなね、経常維持補助金がありませんですね?、
 ま、そのようなとこについて、大臣どのようにお考えかをお聞きしたいと思うんですけど。
委員長 下村文部科学大臣
下村 えー、専修学校は、その柔軟で弾力的な制度の特性を生かし、社会の変化に即応した実践的な職業教育、専門的な技術教育により、高い就職率を誇る教育機関として大きな役割を果たしています。
 あのー、中山先生ご指摘のように、えー、平成24年度の大学の就職率が63.9%、専門学校は77.4%ですから、専門学校の就職率の方が、大学卒業就職率より高いという事でございます。
 えー、この専修学校を支援するために、平成25年度予算案においては、専修学校関係予算として対前年度比…ま、17%増ですから、パーセンテージ的にはまぁ非常に高いんですが、しかし、額そのものは31億6千万円ということで、大学のですね、私学助成金から比べると、もう本当に少額という事でございます。
 ただこの中で、産業界との連携強化により、専門人材養成を強化し、就労やキャリアアップに必要な多様な職業教育を重視するための学習システムの構築、また、安心して学べる環境の実現に向けた防災対策等の設備、施設設備等の支援を行っておりますが、その社会的な役割から考えてですね、ご指摘のように、まだまだそういう補助等は少ないと。
 ま、それだけ逆に少ない中で、専修学校は大変にですね、専門学校は貢献されていると。そういうことでございまして、今後、専門学校、専修学校に対するですね、もっと積極的な評価と、それから対応を、文部科学省としても考えていかなければならない、まぁ、いうふうに思っております。
委員長 中山成彬君
中山 ありがとうございます。
 あの自民党ではですね、町村信隆先生が会長になってですね,あの専修学校のこと、一生懸命頑張ってこられたんですけど、民主党政権でちょっと頓挫してますから、是非新生自民党でですね、この専修学校についてもね、ひとつ努力して尽力していただきたいと、心からお願い申し上げます。
 あんまり時間が無くなりましたけど、まぁ…最後ですね、総理、あの靖国問題。あー、あんまりそれこそ、ちょっと機微に触れますから、どういうふうに質問したらいいのかは分かりませんが、先般、総理は、もうアメリカに行かれましたですね。ワシントンに行きますと、私もワシントンに住んでましたからよく分かるんですけど、あのー、総理もあのアーリントン墓地に行って献花されました。列国の首脳というのは、ワシントンを訪問されますと必ずアーリントン墓地…無名戦士の墓に参られるわけですね。あそこは、要するにアメリカのために戦った、その戦死者を祀ってあるわけです。キリスト教の墓地ですよね。ところが日本は、日本のために戦って…死んだ靖国神社に参拝できない。安倍総理は日本と戦って…アメリカのために戦…あの死んだ、その…兵士の墓に参られたわけですけど、どういうふうに感じられましたか?お聞きしたいと思います。
委員長 安倍内閣総理大臣
安倍 えー、ま、私が、まぁ、総理として外国を訪問いたしますと、ま、その国の無名兵士・戦士の墓にお参りを致します。これは、えー、外交上相互儀礼と言ってもいいんだろうと思います。国のために戦い、命を落とした人に対して、えー、そのご冥福をお祈りをすると。あるいは尊崇の念を表する。ま、これは、国と国との関係においてですね、いわばその国に対しての敬意を表することにもなっていくんだろうと思います。
 ま、先般、モンゴルを訪問した際にもですね、私はその地で眠る抑留者、日本人の抑留者の方々の墓地にお参りをさせていただきました。
 えー、ちょうどですね、えー、到着した日は晴れていたんですが、その日は大雪が降っておりまして。大変な雪の中だったんですが、こういう厳しい寒さと雪の中で、抑留者の方々は、いつか帰れるのではないかという…希望を抱きながら、無念の思いで、あの地で亡くなっていったんだろうなあ…という思いの中で、ご冥福をお祈りをしたところでございますが。
 えー、またとえばアーリントン墓地においてもですね、北軍…、南北戦争の兵士たちも眠っているわけであります。南軍も北軍も眠っている。ま、しかし大統領はそこにお参りに行かれる。
 では南…、南軍のですね、掲げた奴隷制度を維持をしようとした南軍の兵士たちも眠っている。しかし、この奴隷制度というものをですね、肯定して大統領は行くわけではないんです。ただそこには国のために死んだ…亡くなった魂があるのみでありまして、その崇高な魂に対して尊崇の念を表する、これは当然、義務と考えて、おそらく行かれるんだろうなあと、こう思う次第でございまして。
 えー、まさに、先の大戦においては「靖国で会おう」ということを合言葉に多くの兵士たちが散って行ったわけでございまして、ご遺族の方々もあそこに…行けばですね、お父さんに、あるいは主人に会えるかもしれないという思いであの場に行かれるわけであります。
 えー、私もですね、ま、指導者として、えー、当然尊崇の念を表することは、えー、これはある意味国際的にもですね、あたりまえのことなんだろうと、このように思うところでございます。
委員長 中山成彬君
中山 あの、安倍総理のおじいさん…岸信介元総理もですね、A級戦犯であられた。まぁ、長い…長い間牢屋に入っておられて、そのあと出てこられてですね、総理大臣にまでなられたわけですけど、戦犯の仲間の方々でたくさんの方が実は刑死されているわけです。
 あのー、安倍総理。この前あのインドに行かれてですね、あのー、ただひとり、日本の無実をずっと訴えられたパール判事の生家を訪ねられて、遺族の方々に会われたという記事を読みまして、やっぱし、安倍総理の…あの靖国参拝と言いますかね、そのA級戦犯に対する思いというのは、まぁ格別なものがあるんだろうなあと。まぁ、実はそういうふうに、まぁ自分なりに感じたわけでございますけど。まああの、我が党の石原慎太郎さんは「天皇陛下にまず参拝してもらえ」と、こういうようなことも言われましたけど。私はまず天皇陛下が参拝できるような、そういう環境を作るのは政治家だろうと。まぁこう思ってるわけですけども。まぁもし参拝ということになりますとですね、中国はまた色々言ってくるのかもしれん…しれません。韓国も言ってくるかもしれません。まぁしかし、ここに面白いですね、資料がありますので、皆さん方お手元のところに、えー、この、配ってありますけど。これはあの2007年にですね、中国の南京で発行された雑誌ですけど、まぁこれはあの、中国のですね、首脳…偉い人がみんな読む本だそうですけど。「#資料3 南京の刊行物」(略=来栖)
 この本にですね、1918年…えー、これはもう日露戦争が終わったあとですけど、その「共産党建国の母」と言われて中国で大変尊敬されております周恩来首相がですね、あの靖国神社春の大祭に行かれて大変感激したと…いうふうな、実は日記が載ってんですよね。1918年と言いますと,まさに日清日露の戦争が終わった後ですけど、いま中国はですね、日本は日清日露の頃から中国を侵略したと、こう言ってるわけですけれども。その中国の生みの親・周恩来総理がですね、感激したと言ってるわけですから。これはですね、まぁ大変なことでございまして。まぁこれを中国の人たちは知ってるんですね。ですから、あんまりそんなに心配することはないんだということを申し上げたいと思っとります。
 それからあの私ですね、最後になりますけど、あの、安倍総理がですね、あの施政方針演説で、「一身独立して一国独立す」と、こういうことをまぁ言われました。私はもうそのとおりだと思うんです。あれはあの福沢諭吉の学問のすゝめの一節ですけど、実はその後のほうにですね、こういう文章が実はあるんですね。これはあの…簡単に言いますとですね、日本人は日本を本国だと思い、本国を思うこと我家を思うが如くし、国のためには財を失うのみならず、一命をも擲って惜しむに足らず。是即ち報国の大義なり、と。まぁこういう実は文章があるわけでございます。
 まさに、一国を守るために報国の大義としてですね、亡くなった…命を捧げられた方々に、いつも総理が言われます崇拝の念を持つということは、これは日本国民として当然のことだと、まぁこう思うわけでございまして、まぁこれはあの、私はあの…答弁は求めませんが、今後行動で示していただくことを、まぁ期待申し上げる次第でございます。
 えー、昨日、一昨日ですか、サッチャー首相が亡くなられましたけど、まあ私は、サッチャー首相というのはですね、まぁアイアンレディと言われました。長年続いた英国病、これを克服するために本当に頑張られました。フォークランド紛争でもですね、もう絶対にこの、妥協しなかった。先ほど言いましたように、教育改革についてもやられました。まさに今、日本はそういう状況にあるんではないかと。まぁそう思うわけでございまして、安倍総理、本当に今回の、まぁ経済だけじゃなくて、教育関係すべて…この日本を再建するために、とても大事なですね、私は、任務を…背負われていると思ってます。まぁ経済再生も教育再生も、安倍総理が成功しなかったらもう日本は無い…というぐらいのつもりで私もおります。たぶん総理大臣はじめ、閣僚の皆さん方も同じ気持ちで取り組んでおられるんじゃないかと、こう思うわけでございますが。まぁ是非、今後どういう気持ちでこれからの国政に取り組んでいかれるか、もうあんまり時間がありませんので、一言お願い申し上げます。
委員長 安倍内閣総理大臣
安倍 えー、さすが中山先生。背筋が伸びる質問をしていただいたと、えー、ま、このように思いますが。子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てる、そういう国にしていきたいと、えー、思います。ま、相当状況は厳しいわけでございますが、この中で私たちは怯むことなく、今…えー、サッチャー元首相の例を挙げられましたが、意思の力で国を変えていくことができると。この言葉を肝に銘じて頑張っていきたいと思います。
委員長 中山成彬君
中山 はい。頑張ってください。終わります。
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◆ 従軍慰安婦・創氏改名・・・ 中山成彬議員の質疑「先祖が侮辱されるのは看過しがたい」衆院予算委 8日 2013-03-09 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉 
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憲法改正で「日本」を取り戻せ いまこそ誤った歴史観を広めるメディア・教育界に風穴を開けるとき 2013-03-24 | 読書
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『日本人の誇り』藤原正彦著(文春新書)2011年(平成23年)4月20日第1刷発行
p58~
 「明治・大正・昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと・・・」
 占領後、アメリカは米軍による日本国憲法制定を手始めに、言論統制、「罪意識扶植計画」等により、日本をアメリカに都合の好い属国に造り替えてゆく。
p63~
 GHQすなわちアメリカはまず新憲法を作り上げました。GHQ民生局が集まり1週間の突貫工事で作ったのです。憲法の専門家はいませんでした。まず前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書きました。アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというハーグ条約違反、そしてそれ以上に恐るべき不遜、をひた隠しにしましたが、この文章を見ただけで英語からの翻訳であることは明らかです。「決意した」などという言葉が我が国の条文の末尾に来ることはまずありえないし、「われら」などという言葉が混入することもないからです。いかにも日本国民の自発的意志により作られたかのように見せるため、姑息な姑息な偽装を施したのですが、文体を見れば誰の文章かは明らかです。そのうえ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。
 ともあれこの前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。
 第9条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。自国を自分で守らないのですから、どこかの国に安全保障を依頼する以外に国家が生き延びる術はありません。そして安全保障を依頼できる国としてアメリカ以外にないことは自明でした。すなわち、日本はこの前文と第9条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。この憲法が存在する限り真の独立国家ではありません。中国に「アメリカの妾国」と馬鹿にされても仕方ないのです。(~p64)
p104~
 南京大虐殺の不思議
 「南京大虐殺」も実に不思議な事件でした。1937年12月13日に南京を陥落させた日本軍が、その後6週間にわたり大規模な虐殺行為を行ったというものです。
 1997年にアメリカで出版された五十万部を超えるベストセラーとなった、中国系アメリカ人アイリス・チャンによる『ザ・レイプ・オブ・南京』によりますと、「ヒットラーは6百万人のユダヤ人を殺し、スターリンは4千万以上のロシア人を殺したが、これらは数年をかけて行われたものだ。レイプ・オブ・南京ではたったの数週間で市民30万人を殺し、2万人から8万人の女性を老若かまわず強姦し豚のように殺した、という点で史上最悪のものだ。天皇を中心にした日本政府がこれを仕組んだ」という内容のものです。「日本兵は女性の腹を裂き、胸を切り刻み、生きたまま壁に釘づけにした。舌を鉄の鉤に吊るしたり、埋めてセパードに食い散らかせた」などとも書いてあります。
 私達の父や祖父達がこんなことを組織的にしていたとしたら、私たち日本人は百年は立ち上がれないでしょう。祖国愛や誇りを持つなどということもあり得ないことです。
 そのためにも事実を明らかにし、東京裁判史観に染まった国民にどうしても真実を知ってもらう必要があります。
 1937年12月、南京攻略を決めた松井石根大将はとても神経質になっていました。日露戦争に従軍したことのある松井大将は、かつて世界1規律正しいと絶賛された軍隊でロシアと戦ったことを誇りに思っていました。
 そこで攻勢前に兵士たちに、「首都南京を攻めるからには、世界中が見ているから決して悪事を働いてはならぬ」という趣旨の「南京攻略要綱」をわざわざ兵士に配り、厳正な規律を徹底させました。これ自体が稀な行為です。そのうえ、還暦を目前に控えた松井大将は、陸軍大学校を首席で卒業した秀才ですが、若い頃からアジアの団結を唱える大アジア主義に傾倒していて根っからの親中派でした。孫文の革命を支援したばかりか、若き蒋介石が日本の陸軍士官学校に留学した時は親身で面倒まで見てやった人です。運命のいたずらで愛弟子と戦わざるを得なくなり、せめて規律だけは保たせようと思ったのでしょう。そして、攻略を始める前日の12月9日、南京包囲を終えた松井大将は中国軍に対し、民間人の犠牲を避けるため10日正午までに南京を解放するよう勧告しました。蒋介石をはじめ政府と軍の首脳はすでに7日に首都を放棄していました。続いて役人、警察官、郵便局員と姿を消したため、水道は止まり電気も消え、無政府状態となりました。
p106~
 ほとんどの戦争では、中国でもヨーロッパでも、市民を巻き添えにしないため軍隊は市内から出るものです。第2次大戦でパリはドイツに占領され、後に連合軍に占領されましたが、どちらの場合も軍隊は市街を出たので美しい町が保たれたのです。北京や武漢でも中国兵は町から出たので市民巻き添えという混乱はありませんでした。
 南京守備軍の唐生智司令官はこれを無視しました。「首都と運命を共にする」と広言していた彼は、日本軍の猛攻を受け陥落寸前というときに撤退命令を出すや、逃げ出してしまいました。指揮系統はすでに失われていたので数万の兵に撤退命令は伝わりませんでした。大混乱の最大原因です。降伏命令だったら何も起きなかったからです。
 『「南京事件」の総括』(田中正明著、小学館文庫)に、軍服を脱ぎ捨てた数千の中国兵が安全区に入ってきてからの混乱が詳述されています。南京市は首都といっても面積は世田谷区の3分の2ほどの狭さです。日本軍の攻撃の迫った12月1日、南京市長は全市民に対し、安全区、すなわち国際委員会が管理する地区に避難するよう命令します。安全区は、狭い南京の一角に作られた2㌔四方程度の狭小の地区です。日本軍が攻略を始めた12月10日には、すでに揚子江上流に避難した中上流階級の人々を除く、全市民がここ安全区に集まっていました。 資料により異なりますが、この段階における安全区人口は12万から20万の間です。「惨劇」があったとしたら、すし詰めとなったこの安全区で起きたはずなのです。
 ところが不思議なことに、南京に入城した幾万の日本兵も、共に入城した百数十名の日本人新聞記者やカメラマンンも誰一人そんな惨劇を見ていないのです。皆が一糸乱れぬ口裏を合わせているのでしょうか。こんな狭い所で大虐殺が行われたというのに、そこに住んでいた国際委員会の外国人や外国人記者も目撃していません。
 日本軍が入城した12月13日から翌年2月9日までに、国際委員会は日米英の大使館に61通の文書を提出しており、そこには殺人49件、傷害44件、強姦361件(うち被害者多数3件、被害者数名6件)などがありますが、大虐殺と呼べるものはありません。この数字自身も、国際委員会書記スマイス教授が認めたように、検証されたものではなく中国人からの伝聞によるものでした。また国府軍側の何應欽将軍が直後の1938年春に提出した大部の報告書にも、南京での虐殺を匂わせるものはいっさいありません。無論、市民虐殺を示唆する日本軍の作戦命令も存在しません。
 当時、中国に関して最も権威ある情報源とされていた「チャイニーズ・イヤーブック」と呼ばれる年鑑がありました。上海で英国系新聞が出版していたものです。これにも虐待の影はありません。
 一口で言うと、虐殺を示す第一次資料は何一つないということです。(~p108)
p110~
 東京裁判で再登場した
 「南京大虐殺」が再登場したのは、南京戦後8年半もたった1946年、東京裁判においてです。証人となった中国人が次々に大虐殺を「証言」しました。日本兵は集団をなし、人を見れば射殺、女を見れば強姦、手当たり次第の放火と掠奪、屍体はいたる所に山をなし、血は河をなす、という地獄さながらの描写ばかりでした。
 この裁判は、通常の裁判とはまったく異なり、証人宣誓が求められず証拠検証もされませんでしたから、言いたい放題だったのです。殺害者数30万人という証言に疑念を抱いたロヴィン弁護人が「私の承知している限りでは南京の人口は20万ですが」と質問すると、ウェッブ裁判長は「今はそれを持ち出すときではありません」と慌ててこの発言をさえぎりました。
 中国人だけでなく金陵大学(のちの南京大学)のベイツ教授など数人の欧米人も証人として出廷しました。ベイツ教授は事件時に南京にいて国際委員会のメンバーであり、「戦争とは何か」を書いたティンパーリに、書簡で事件を教えた人です。「1万2千人の市民を含む非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁の近くで殺されたことを埋葬記録は示している」という趣旨の証言をしましたが、やはり中国人からの伝聞のみです。
 埋葬死体が戦死者のものかどうかも確認していません。実はベイツ教授は、やはり国際委員会に属する金陵大学のスマイス教授と、1938年の3月から4月にかけて、多数の学生を動員して南京市民の被害状況を調査していました。スマイス教授は社会学が専門なのでこの種の調査には慣れていて、50戸に1戸を無差別抽出して、2人1組の学生がそこを訪れ質問調査するという方法でした。
 この日時をかけた調査結果は、日本兵の暴行による被害者は、殺された者2400人、負傷した者3050人でした。(「南京地区における戦争被害調査」)。ただし、調査は被害者救済のためのもので、誰も住んでいない家は調査対象となっていませんから、家族全員が犠牲になった家などは統計に入っていません。また死亡者の中に、南京に自宅のある兵で便衣兵(軍服を脱いで一般市民に混じった中国兵)として処刑された者もかなり混じっているはずです。この人たちは市民でもあります。というわけで実数はある程度上下するはずです。しかしこの調査はほとんど唯一の第1次資料と言えるものです。
 ベイツ教授はこの調査を知っていながら、東京裁判では大いに水増ししました。そればかりか、
 「日本軍侵入後何日もの間、私の家の近所の路に、射殺された民間人の屍体がゴロゴロしておりました。スマイス教授と私は調査をした結果、城内で1万2千人の男女及び子供が殺されたと結論しました」
 と述べたのです。一方のスマイス教授の東京裁判への出廷は、弁護側が要求したにもかかわらず認められませんでした。ベイツ教授は1938年と1946年に蒋介石より勲章をもらっていました。
 またマギー牧師は法廷で延々と日本軍による殺人や強姦の事例を証言しましたが、ブルックス弁護人に「実際に自分で見たのはそのうちの何件か」と問われ、「実際に見たのは1件だけ」と白状しました。しかもそれは、日本軍歩哨に誰何され逃げ出した中国人青年が射殺された件でした。当時、中国にいた宣教師たちが国民党におもねっていたことは、アメリカの上海副領事をしていたラルフ・タウンゼントが1933年に出版した『暗黒大陸中国の真実』(芙蓉書房出版)などに記されています。
p120~
 私は大虐殺の決定的証拠が1つでも出てくる日までは、大虐殺は原爆投下を正当化したいというアメリカの絶望的動機が創作し、利益のためなら何でも主張するという中国の慣習が存続させている、悪質かつ卑劣な作り話であり、実際は通常の攻略と掃討作戦が行われただけと信ずることにしています。さらに事を複雑にしているのは日本国内に、大虐殺を唱え続けることこそが良心と平和希求の証し、という妄想にとらわれた不思議な勢力があることです。「南京大虐殺」は歴史的事実ではなく政治的事実ということです。事実であるという決定的証拠が1つでも出るはるか前に、「カチンの森」が事件発生50年後のソ連崩壊時に告白されたごとく、「南京大虐殺」の真実が、アメリカの情報公開で明るみに出るか、中国の一党独裁崩壊後に告白されるのではないかと考えています。
 ただし、アメリカは時が来れば何でも情報公開する公平でオープンな国のように見えますが、肝心のものは公開しません。真珠湾攻撃前1週間の暗号解読資料とかケネディ大統領暗殺犯などについては、今もすべてを出そうとしません。南京事件が原爆投下と関係しているとしたら容易には出さないでしょう。
 南京の話が長くなったのは、これが未だに日本人を委縮させているからです。中国に対して言うべきことも言えないでいる理由だからです。尖閣諸島が中国のものと言っても、自分から体当たりしてきて謝罪と賠償を高らかに唱えても、怒鳴りつけることもできず、下を向いたまま「領土問題は存在しません」とつぶやくだけの国となっているからです。
 20年以上にわたり毎年10%以上も軍事費を増加させるという中国の異常な軍備拡大に抗議するどころか、すでに6兆円を超すともいわれる巨額のODAを与え、さらに援助し続けるのも、自らの対中防衛力を高める努力もしないでハラハラしているだけなのも、中国の不当な為替操作を非難しないのも、「南京で大虐殺をしましたよね」の声が耳にこだまするからです。中国の対日外交における最大の切り札になっているのです。(~p121)


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