ケビン・メア元国務省日本部長「私は見た! 何も決められない日本の中枢」アメリカは何もかも知っている

2011-09-06 | 政治

特別インタビュー ケビン・メア元国務省日本部長「私は見た!何も決められない日本の中枢」 アメリカは何もかも知っている
2011年09月06日(火)週刊現代
 「ゆすり発言」で日本部長を解任されたメア氏は、その後日本の復興支援の最前線に身を置いた。メア氏の口から、アメリカが見た原発事故の真相が語られる。

*東京在住米国人「全員避難」
 はじめに、みなさんにひとつ衝撃的な事実を明かしましょう。3月17日、アメリカ政府が原発より半径50マイル(80キロ)圏内にいる在日アメリカ人に退避勧告を出したことは覚えていますよね? あのとき「アメリカが退避勧告を出したということは、状況は相当悪いに違いない」という話が日本人の間で広まったと聞きますが、実は私たちはそれよりさらにハイレベルの対応を検討していたのです。
 日本の復興支援にあたるタスクフォースのメンバーは、3月16日未明の時点で、日本政府よりもさきに、原発の炉心が融解していると判断していました。このままでは最悪の場合、メルトダウンして、使用済み核燃料が燃え、放射性物質が広範囲にばらまかれる可能性がある。そのことがホワイトハウスをはじめとする政府機関との電話会議で伝わると、ある政府高官が「東京在住の米国民9万人全員を避難させるべきだ」と衝撃的な提案を口にしたのです。
 もしも9万人のアメリカ人が一斉に避難していたらどうなったでしょうか。日本の人々も敏感に反応して、避難を考えるようになり、空港や道路は大混雑を起こして、日本はパニックに陥ったでしょう。それだけは避けなければなりませんでした。本当に難しい決断でしたが、私は「一斉避難は時期尚早です」とこの高官の説得に当たりました。
 幸いにして私の意見が通り、なんとか50マイル圏内からの退避勧告で済んだのですが、もし一斉避難が実行されていれば、日米関係は大きな亀裂が走る瀬戸際に立たされたでしょうね。そのことを考えると、今でもゾッとします。これはひとつの事例でしかありませんが、原発事故処理の舞台裏では、おそらくみなさんが想像する以上に深刻な議論がなされていたのです。

 1984年に駐日米国大使館経済担当二等書記官に就任して以来、日米間の強固な関係構築に努めてきたケビン・メア元国務省日本部長。日本人の妻を持ち、日本の政治から文化にまで精通する対日政策のエキスパートである彼は、東日本大震災が発生した後、日本の復興を支援するタスクフォースのメンバーとしてその辣腕を振るった。「トモダチ作戦」の遂行にも携わったメア氏が、原発事故処理の舞台裏と日本の危機管理システムの問題点、そしてこの国の将来についての本音を明かす。
 
 みなさんもご承知のように、私は共同通信の「ゆすり発言」の記事(3月6日、当時国務省の日本部長であったメア氏が、昨年末にアメリカの大学生らに行った講義で「日本人は合意重視の和の文化をゆすりの手段に使う」「沖縄はごまかしの名人で怠惰」などと発言した、と報じた記事)によって、「最も愛した日本で、一番嫌われたアメリカ人」になってしまいました。
 最初にお伝えしておきたいのですが、この共同通信の「ゆすり発言」報道は事実無根のものです。このことの経緯や詳細については、先日出版された私の著書((『決断できない日本』文春新書))に書きましたので、そちらをぜひご一読いただきたいのですが、私はこの事実無根の記事によって、3月10日に日本部長を更迭されてしまったのです。
 すぐに「あの報道は正確ではないんです」と反論しようとも考えたのですが、国務省は私の発言を禁止し、弁解の場を与えてくれませんでしたので、私は国務省を去ることで自らの潔白を証明しようと決意しておりました。
 まさにそのとき、東日本大震災が起こったのです。
*東電からの問い合わせ
 私はこの悲劇を前に、日本部長の経験者として自分になにができるのかを真剣に考えました。ちょうどそのとき、私の上司であるドノバン筆頭国務次官補代理から「対日支援のタスクフォースを立ち上げる。日本に精通している君の力が必要だ。国務省を去ろうという君の気持ちは分かるが、しばらく国務省に残って、対日支援のコーディネーターをやってもらいたい」との依頼があったのです。私もまったく同じことを考えていましたので、自分の力が日本の復興の役に立つなら、と直ちにこのオファーを受けました。
 それからはホワイトハウスや国防省、在日米軍、在日米大使館などと日本の諸機関との間の調整に当たりましたが、震災発生後の約1ヵ月は不安と落胆の連続でしたね。
 正直なところ、地震発生直後はここまで危機的な状況に陥るとは考えてもいませんでした。ところが、11日の深夜に、背筋が凍るような情報が私のところに入ってきて、その認識を改めることになったのです。「東京電力から『在日米軍のヘリで、真水を大量に運べないか』との問い合わせがあった」と。
 私は駐日大使館で環境・科学技術担当公使を務めたことがありましたので、原子力分野にもある程度の知識を持っていました。ですから、東電が真水を求めていると聞いたとき、「これは原子炉の冷却装置が壊れているな」と即座に分かりました。原発事故から間もなく半年が経ちますが、3月11日以降の1週間、どれだけの危機感を持ったかは、いまだに鮮明に覚えています。
 福島第一原発が深刻なトラブルに見舞われているということが、日本政府からの情報ではなく、東京電力からの水面下の要請で明らかになったということに驚かれるかもしれません。とにかく、日本政府からも東京電力からも正確な情報が寄せられなかったために、状況がどれだけ悪いのか、あるいはどれだけ悪い方向に向かっていくのか判断ができませんでした。これは相当私たちをいらだたせました。
 欧米メディアを中心に「日本政府は不都合な情報を隠しているのではないか」との指摘がありましたが、対日支援の現場にいた私からすれば、実際のところは情報を隠していたのではなく、彼らは単に正確な情報を持っていなかったのだと考えていました。日本からの情報がないから、アメリカ側がどの程度のレベルの対策をとる必要があるのかも判断ができませんでした。
 冒頭でアメリカの高官が「9万人の在東京アメリカ人の避難」を検討していたことを明かしましたが、これも情報が不足していたために、こうした事態を予測しておく必要があったのです。しかし危機管理という意味では、最悪の状況を考えることも重要です。そして、あらゆる可能性を検討した上で、様々な対応策のなかからどれを選ぶかを、責任ある立場の人が最終的に判断する。これが政府の役割です。
 ところが3月11日以降の日本政府の対応を見ていると、この基本的な意思決定のシステムがまったく機能していなかったように思えるのです。
責任を取るのが大嫌い
 具体的な事例をひとつ示しましょう。原発事故の後、アメリカは日本側に「こうしたことなら支援ができますよ」という品目を連ねたリストを送りました。ところが、日本からは「ヘリコプターを何台支援してほしい」という回答ではなく、「そのヘリコプターはどんな仕様なのか。もしも放射能で汚染されてしまった場合は、どんな補償が必要になるのか」といった100項目にわたる「質問」が返ってきたのです。
 一刻を争う状態なのですから、とにかくまずは「ヘリコプターを貸してくれ」と支援を受け入れるべきでしょう。ところが、彼らはもし問題が起きたとき、自分たちがその責任を取ることをおそれて、何も決めようとしなかったのです。まさに決断ができないのです。
 これは現場レベルにとどまる話ではありません。日本のトップである菅直人総理も、「自分は関係ない」と言わんばかりに責任を逃れようとしていたフシが各場面で見られました。たとえば、電源喪失から1週間が経過し、東電にも打つ手がなくなってしまったとき、菅総理の命令で自衛隊のヘリを1機飛ばして、空から放水したことがありましたね。
 この光景を見たときの、アメリカ政府のショックは大変大きかったのです。仮にも大国である日本ができることが、ヘリ1機を飛ばして放水するだけだったのか・・・と。しかもこの放水は、原子炉冷却にはまったく効果がなかったわけですから。
 実は、この放水の前日、アメリカ政府は藤崎一郎駐米大使を国務省に呼び出して、「日本政府は総力を挙げて原発事故に対処するように」と異例の注文を付けていたのです。というのも、ホワイトハウスは菅政権が原発事故の対応を東電任せにして、自分たちにはまるで責任がない、これはあくまでも一企業の問題だとでも言いたげな姿勢でいることに懸念を持っていたので、「このままでは日本が大変な危機に陥る」ということを伝えたかったのです。東電は発電が本業で、事故対応のプラント会社ではないからです。
 ところがその要請のあとに行われたのが、あのヘリでの放水だったので、「これが日本の総力か」と悲嘆に暮れたのです。別の見方をすれば、ヘリ1機を出してそれでよしとする菅総理の姿勢をみて、やはりこの問題を東電任せにしようと考えているのだな、とさらにホワイトハウスは疑念を強めたはずです。
「もし菅内閣でなければ、もっとスムーズに原発問題を処理できたのではないか」との声も聞かれました。たしかに菅内閣の対応に不信感を持ったことは事実です。しかし、別の内閣であればうまくいったかというと、そうとは言い切れません。というのも、日本には致命的な欠点があり、残念ながら私が日本に携わったこの19年間、それはほとんど改善されていないからです。
 その欠点とは「決断できない」というとてもシンプルなものです。日本ではいまだ「和をもって貴しとなす」という考えが尊重されているようですね。しかし、これは平時においては長所となるかもしれませんが、危機的状況においてはむしろデメリットの方が大きいのです。
 まず、全員の考えをまとめていけば、結論を出すのに時間がかかります。さらに問題なのは、もしその結論が間違っていたとしても、誰に責任があるのかがまったく分からなくなることです。責任の所在が明確でなければ、大胆かつスピーディーな決定は下せませんからね。
 ここでもうひとつ衝撃的なお話をしましょう。少し古い話になりますが、1985年に御巣鷹山で飛行機の墜落事故が起こったとき、米軍は日本政府に「御巣鷹山と横田基地はそれほど離れていないから、すぐにでも捜索部隊を救助に向かわせることができる」と提案しました。ところが日本政府は、この提案を断ったのです。
 おそらく仮に問題が起こったときに、誰も責任をとりたくなかったのでしょう。しかし、私はもしこのとき米軍の支援を受けていれば助かった人もいたはずだと、今でも思っています。震災対応のタスクフォースで働く中でこのときのことを思い出しながら、日本政府が今回もまた「決断できない」という病を再発させてしまったことに、とても残念な気持ちになりました。
*決断できる総理を
 ただ、誤解をしてほしくないのですが、確かに日本政府の対応に落胆することは多かったけれども、だからといって日米関係にヒビが入った、ということはありません。地震が発生した後、ワシントンでは「どんな支援で日本を助けられるか」という方法についての議論はありましたが、「日本を助けるべきかどうか」については、一切議論はありませんでした。日本を救うことは、われわれにとっては話し合う必要がない当然のことなんです。日米関係は地震が起きたぐらいでは揺らがない、ということです。
 しかし、日米関係は別として、私は震災以後の日本の国際的な地位---特に経済力のプレゼンスが低下することを危惧しています。
 最も分かりやすいのは、いまだに電力が十分に供給されていないこと、そしてこの状況がすぐには改善されないことです。電力は経済活動の源であり、十分な電力が供給されないのであれば、日本が世界に誇る強力な経済は維持できません。これから日本の原発をどうするかという議論がなされていますが、もし誤った結論を出せば、世界経済における日本のプレゼンスは低下することになるでしょう。
 それ以上に、根本的な問題として日本人が日本の将来に対して自信をなくしてしまっていることが心配です。これはみなさんの方が思い当たることは多くあるでしょうが、いまの日本の状況はアメリカが'70年代に陥った危機とよく似ているのです。ベトナム戦争によるショックとスタグフレーションをはじめとする経済問題に見舞われたアメリカでは、「このまま衰退の道を進むしかない」と皆が思いこんでいました。そこにレーガン大統領が現れて、様々な改革に着手しました。
 私はレーガン氏の支持者ではありませんが、しかし彼が変化のための決断をいくつも下して、国民に自信を与えたことは否定できません。日本にも強いリーダーが現れ、国民に強い自信を与えてくれればよいのですが。
 まさに日本ではいま、次の総理が誰になるのかが注目されていますね。私もしばしば「誰が次の総理にふさわしいと思いますか」と聞かれますが、それは日本のみなさんが決めることで、私が何か口を出すことではないと答えています。しかしこれまでに述べてきたように、決断力を持ち、決断に対して責任をとれる人でなければ、今の日本を正しい方向に導くことはできないでしょうね。
 しかし私は、日本の将来を決して悲観的には見ていません。反対に言えば、強い責任感と決断力を持つリーダーが現れれば、状況は一気に好転すると思いますよ。日本は潜在的にはまだまだ裕福な国ですし、国際的にも重要な地位にいることは間違いありません。強力なリーダーのもと、原発問題に早急に対処し、東北地方の復興に取り組めば、遠くない将来、もう一度日本に活力が戻ってくる。少なくとも私はそう信じています。「週刊現代」2011年9月10日号より
..................
ケビン・メア著『決断できない日本』 普天間から福島まで、代償の大きい日本の優柔不断2011-08-20 | 政治〈国防/安全保障/領土  
=================
民主党大会 小沢氏演説=この理念に沿った政治をこの国が渇望しないはずがない2010-09-15 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 民主党代表選に於ける小沢一郎氏演説
〈前段略〉
 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。
 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。
 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。
 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。
 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。
 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一縷の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。
 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。
 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。
 私は40代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。
 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。
 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。
 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。
 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。
 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。
 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。
 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。
 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。
 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。
 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります
 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。
 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代に松明を引き継ぎたいと思います。
 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。
...
〈来栖の独白2010/09/15〉
 「クリーン」などといった意味不明、空虚な言葉の1つもなく、肝心なことが言い尽くされて、素晴らしい演説だ。憲法一三条の理念を、小沢さん自身の言葉で語っている。この政治家を、国民が必要としないはずがない。この理念に沿った政治を、この国が待望しないはずがない。
 *強調(太字・着色)は来栖

憲法第13条
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。