湯川遥菜さん父、正一さん「国民に迷惑を掛け申し訳ない。政府や関係者の方々のご尽力に深く感謝している」

2015-01-26 | 国際

イスラム国が湯川さん殺害か、父親の言葉に韓国ネットからは称賛の声=「さすが日本人、尊敬する」「韓国人だったら…」
  Record China1月26日(月)10時32分配信
 25日、韓国メディアによると、イスラム国に拘束された後藤健二さんとみられる男性が、湯川遥菜さんは殺害されたと語る画像がネット上に掲載されたことを受け、湯川さんの父親が心境を語った。韓国のネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。
 2015年1月25日、韓国・聯合ニュースによると、イスラム国に拘束された後藤健二さんとみられる男性が、湯川遥菜さんは殺害されたと語る画像がインターネット上に掲載されたことを受け、湯川さんの父親・正一さんが「国民に迷惑を掛け申し訳ない」などと語った。
 正一さんは同日、千葉県千葉市の自宅で行われた記者会見で「政府から息子が殺害されたようだとの連絡を受けた時、頭が真っ白になり言葉が出なかった。しかし、政府や関係者の方々のご尽力に深く感謝している」などと述べた。また、同じくイスラム国の人質になっているフリージャーナリストの後藤健二さんについて「息子を心配し、自らの命を懸けて現地へ行ってくれた。申し訳なく、心苦しい。後藤さんが解放され、早く日本に帰ってくることを願っている」と語った。
 これを受け、韓国のネットユーザーは以下のようなコメントを寄せている。
 「息子が人質になり殺害されたのに『申し訳ない』なんて言える?さすが日本人だ。尊敬する」
 「どんなにつらいだろう?イスラム国が憎くて涙が出てくる」
 「冷静で立派な人だ。日本は嫌いだけどうらやましい国」
 「韓国人だったら、『どうして救えなかったのか』と政府を責めたてるだろう」
 「どうしてこんなセリフが言えるのか不思議。日本の国民性は本当にすばらしい」
 「韓国の大統領が同じことをしたら、遺族は『なんで金を出さなかった?』と政府をののしり、週末には賠償金を要求するデモを行うだろうね」
 「息子が殺害されたって時に、どうして他人を気遣うことができるんだ?そんな日本人を怖いとさえ思った」(翻訳・編集/篠田)
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湯川さん父 声震わせ 「仕事に信念持ち渡航」
 中日新聞 2015年1月26日 朝刊
 「頭が真っ白」-。「イスラム国」とみられるグループに湯川遥菜(はるな)さん(42)が殺害されたとする画像の公開から一夜明けた二十五日、父は声を震わせた。人質となっている後藤健二さん(47)の母は、息子とみられる画像の男性の姿に「もう、耐えられない」。見えない人質解放交渉に、無事を祈る人たちは憔悴(しょうすい)しきっている。 
 「うそであればいいと心の中で思っている。再会できれば、思い切り抱きしめてやりたい」。湯川さんの父正一さん(74)は二十五日朝、千葉市花見川区の自宅で報道各社の代表取材を受け、約三十分間、心境を語った。その表情は終始、硬かった。
 同日午前零時ごろ、外務省から正一さんに連絡があった。湯川さんが殺害されたようにみえる画像が配信されたということだった。「(真偽は)確認されていないが、ご承知おきいただきたい」と告げられた。その瞬間、「すべてが真っ白になった」という。拘束されてから約五カ月。つらい内容の話を聞いた正一さんは「戦争がこんなに悲惨なものであることを肌で感じた」と漏らした。そして「人命がこんなに大切かと、本当に感じた。早く戦争をやめて、平和な時がくることをお願いしたい」と語った。
 湯川さんは後藤さんを「兄貴のようだ」と慕っていたという。正一さんは後藤さんを「遥菜を心配して命をかけて現地入りし、拘束されたということで、非常に心苦しい。早く解放され、日本に帰ってまた活動していただきたい」と気遣った。
 正一さんによると、湯川さんは、ミリタリーショップを経営していたが十年以上前に倒産。その後も事業に失敗し、妻を早く亡くした。自殺を図り、未遂に終わったこともあった。「人生の限界を感じている」。湯川さんは弱音を漏らすようになった。
 そんな湯川さんが新たな生きがいを持った。民間軍事会社をうたう「ピーエムシー(PMC)」の経営だった。「海賊が出ている場所で船の護衛をしたい」と、湯川さんは正一さんに打ち明け、昨年一月に会社を登記した。その三カ月後、戦地の視察として初めてシリアに渡航し、後藤さんと出会った。帰国後は「救急車の中古を買って送れないか」「物資もない。靴を持って行くと約束した」と正一さんに熱く語った。
 この間の心境の変化を、湯川さんは自身のブログに率直につづっている。
 PMCの設立には「日本にないビジネスをやりたい」「やりたいことが生きる目的になっている」と意気込んでいた。「イスラム国」と敵対する現地の武装勢力とメールで連絡を取り合っていることも明かしていた。
 息子の話に疑問を感じていた正一さんも、「何か信念があるのだろう」と考えるように。昨年七月、湯川さんは再びシリアに向かった。正一さんは、心配しながら「行くなら頑張ってこい」と見送った。
 渡航前、ブログには「日本に帰国すると堕落する。僕は今の日本で生きていくのは向いていない」と記していた。そして昨年七月二十一日付の「再び、紛争地域の戦場へ」の書き込みを最後に、ブログの更新は止まった。 (北浜修、内田淳二、渡辺陽太郎)
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銃器の興味が…「いつもスリル求めていた」 湯川遥菜さんを戦場に駆り立てたものは 2015-01-26 | 国際/イスラム… 
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