婚外子相続格差は違憲・・・個人主義が野放図に肥大し、家族という単位のほうが先にが壊れていっている

2013-09-04 | 社会

婚外子:民法の相続差別は「違憲」…最高裁大法廷
 毎日新聞 2013年09月04日 15時08分(最終更新 09月04日 16時00分)
 結婚していない男女間に生まれた子(婚外子)の遺産相続分を、結婚している夫婦の子の半分とする民法の規定が、「法の下の平等」を保障する憲法に違反するかどうかが争われた2件の裁判で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允<ひろのぶ>長官)は4日、規定を違憲とする決定を出した。規定は婚外子への不当な差別だとの批判が根強く、国会は早急な法改正を迫られる。
 大法廷は1995年、「民法が法律婚主義を採用している以上、相続格差には合理的根拠がある」として、規定を合憲と判断していた。判断が見直された背景には、婚外子差別の解消が進む国際情勢や、事実婚やシングルマザーの増加など家族の形の多様化、国民意識の変化があるとみられる。
 2件の裁判は、いずれも父親(被相続人)が2001年に死亡し、和歌山、東京両家裁で遺産の取り分が争われた家事審判。1、2審は規定を合憲とし、これに沿った分割を命じたため、婚外子側が最高裁に特別抗告していた。今後は2審の大阪、東京両高裁で審理がやり直される。
 最高裁が法令を違憲と判断するのは、戦後9件目。【和田武士】
 *上記事の著作権は[毎日新聞]に帰属します
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〈来栖の独白2013/9/4 Wed.〉
 本件は、家事審判であり、相続の問題である。が、極めて危うい未来を指し示しているようだ。婚外子への差別というが、憲法のもたらした現社会のありようを見るとき、家族とか絆、秩序といった、人が生きていくうえでの根本の崩壊を感じざるを得ない。日本人にとっては未だ自分の下着となりきっていない個人主義が野放図に肥大し、家族崩壊が一層加速しそうだ。
 菅沼光弘氏はその著『この国の歴史の真実』のなかで次のように云う。

p24~
 だからアメリカは、戦時中、日本人とは何かを徹底して研究しました。例えば、ルース・ベネディクトという文化人類学者の女性が『菊と刀』(1946年)という本を書きました。あれは、アメリカ陸軍情報部の依頼で日本人とは何者かを研究したものです。日本の文化は「恥の文化」である、武士道であると。しかし、宣戦布告もしないでやった、あの真珠湾攻撃は卑劣な奇襲攻撃ではないか。何が武士道だ、と、戦後はそれを逆手に使って、日本人の「弱み」を攻めるような仕方で攻撃し、日本人の誇りを傷つけてきたのです。日本の古来からのそういう精神をみんな変えてしまおうと、武士道精神を否定する政策をGHQが展開したわけです。
 日本人は「天皇陛下万歳」と言って、自分の命よりも、自分のふるさとのために、自分の父母兄弟のために、さらには公のために、もっと言えば国のために命を捨てることができた。これでは困るわけです。
p25~
 だから、アメリカにとって戦後の憲法で一番重要なのは、「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法第13条)という条文であって、たいていの解説書では「日本国憲法の中核的価値観である個人の尊厳・個人の尊重について謳っている既定なので、最重要規定と言える」と書いてある。国よりも父母兄弟よりも、他人よりも何よりも、価値のあるのはあなたですよと。あなたにとっては、あなた自身が一番重要なのですよ。あなたの命を守ることが一番重要なのですよ、人の命を守るよりも。そういうことを教えたわけです。
 結婚でもそうですが、家族制度というものを無視してしまって、両性の個人と個人とのあいだの合意で成立するとした。要するに、家族の絆や親族というものを、封建時代の遺物としてみんなぶち壊してしまった。その結果、今いろいろな悲惨な状況が出てきている。孤独死とか。もっと悪いことに、お母さんが死んでいるのに葬儀もせずに、年金をもらうために隠していたとかいう話もニュースで出ていました。何ですか、これは。過去の日本人ではまったく考えられないことです。そういう世界になってしまったわけです。*強調(太字・着色)は来栖
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石原慎太郎著『新・堕落論』 新潮選書 2011/7/20発行 2012-07-25 | 読書 
p39~
  坂口安吾がかつて、当時の世相の変化を踏まえて書いた「堕落論」には、「世相が変わったので人間が変わったのではない」とあったが、今の日本の変化にそれが当てはまるものではとてもない。敗戦から65年の歳月を経て、この国では人間そのものの変質が露呈してきています。これは恐らく他の先進国にも途上国にも見られぬ現象に違いない。
  それを表象するある出来事に、少なくとも私は固唾を呑まされました。
  東京における男の最高齢者といわれていた老人が、実は30年前に死亡しており、家族はそれを隠し続けていたがそれが露顕し、遺体はすでに白骨化していました。その間家族は死んでいる老父の年金と、数年前に死亡した、かつて教師をしていた老母の遺族年金も受領し続けてい、年金を支給していた団体は遺族を不正として告訴し逮捕されました。そしてこれを皮切りに高齢者の不在、行方不明があちこちで数多く露呈してきています。
  亡くなった実の親の弔いもせずにそれをひた隠し、限りある家の中に禁断の部屋をもうけ、死んでなお扉一枚隔てただけの一角に放置された死せる親、30年という驚異の長き間白骨と化しながら一体何を待ち続けていたのだろうか。これがきっかけで高齢者に対する調べが始まったら、他のある他のある家族は何を憚ってか、これは我々のプライバシーの問題だと訪れた調査員との面談を拒否してもいる。
p41~
 国民が追い求め、政治もそれに迎合してかなえ、助長している価値、目的とはしょせん国民それぞれの我欲でしかない。その我欲は分析すれば、金銭欲、物欲、性欲です。この追求にこれほど熱心な国民は世界にいないでしょう。
p42~
 しかし我欲がのさばってくると、これは始末におえません。死んだ親の弔いもせずに遺体を放置したまま、その年金を詐取する家族に始まって、高値のブランド製品に憧れてそれ欲しさに売春までする若い女の子。新しい同棲相手の男に媚びて、先夫との間に出来た子供をいびり殺してはばからない若い母親。消費税を含めていかなる増税にも反対してごねる国民。
 消費税のアップなしに、この国のここまできてしまった財政がもつ訳はない。
p44~
 しかしそれにしても、親族にとって30年前に死亡していた老父なる人物の存在は実はどんな意味合いをもっていたのだろうか。
p45~
 同じ家に住み続けてきながら肉親の死者への弔いについてわずかも思わず、それを隠匿する家族の心象というものが私には全くわからない。
 一族から出た死者への弔いなるものは家族の連帯を確かめる最後の手立てだろうに、それを行わず遺体を隠匿して金をせしめるといういじましい行為の根底にあるものは一体何なのだろうか。
 いつかテレビの番組で見たが、アフリカに棲む動物の中でも知能の高い象たちは群れの中から死者が出ると群れのすべての象たちが、子供に至るまで一頭一頭死者に歩み寄って鋭敏な長い鼻で相手に触れ、その死を自ら確かめ別れを告げていました。
p46~
 弔いは知性ある生きものの、生死を分かった同僚への己の存在を踏まえた実は自らのための儀式でもあるのに、人間ながらそれを省いてまでして彼等が保持しようとするものが僅かな金というなら、動物以下の下劣な存在というよりない。
 あてがわれた平和の毒
 つまりこれは坂口安吾がいった、ただの世相の表示ではなしに、人間そのものが堕落し変質した証しでしかない。
 こうした未曽有の現象が証すものは日本人という民族の本質的な堕落としかいいようありません。要するに戦勝国アメリカの統治下、あてがい扶持の憲法に表象されたいたずらな権利の主張と国防を含めた責任の放棄という悪しき傾向が、教育の歪みに加速され国民の自我を野放図に育てて弱劣化し、その自我が肉親といえども人間相互の関わりを損ない孤絶化した結果に他なるまい。
p47~
  しかし我々が敗戦から65年という長きにわたって享受してきた平和は、他国が願い追求努力して獲得してきた平和とはあくまで異質なものでしかありません。それは敗戦の後、この国の歴史にとって未曽有の他者として到来したアメリカという為政者が、あのニューヨークタイムズの漫画に描かれていたように、彼等にとっては異形異端な有色人種の造形した日本という、危険な軍事力を備えた怪物の解体作業の代償としてあてがったいびつな平和でしかありません。
  ドイツは敗戦後連合軍の統治下、国是として2つのことを決めました。1つは新生再建のための国家規範となる憲法はドイツ人自身が決める。2つは戦後のどいつにおける教育はドイツ人自身が決めて行う、と。我々に人がやったことはドイツと正反対のものでしかなかった。
  我々は、他人が彼等の目的遂行のために造成しあてがった国家の新しい規範としての憲法と引き換えに、自らの手で造成に努めることなしに、いや、努めることを禁じられた囲われ者へのお手当としての平和を拝受してきたのでしかありません。
 p48~
  平和は自ら払うさまざまな代償によって初めて獲得されるもので、何もかもあなたまかせという姿勢は真の平和の獲得には繋がり得ない。
 p49~
  戦後から今日までつづいた平和の中で顕在したものや、江藤淳の指摘したアメリカの手によって『閉ざされた言語空間』のように隠匿されたものを含めて、今日まで毎年つづいてアメリカからつきつけられている「年次改革要望書」なるものの実態を見れば、この国がアメリカに隷属しつづけてきた、つまりアメリカの「妾」にも似た存在だったことは疑いありません。その間我々は囲われ者として、当然のこととしていかなる自主をも喪失しつづけていたのです。
  未だにつづいてアメリカから突きつけられる「年次改革要望書」なるものは、かつて自民党が金丸信支配の元で小沢一郎が幹事長を務めていた時代に始まりました。 *強調(太字・着色)は来栖
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