サウジで処刑された(2016/1/2)ニムル師はどんな人物か

2016-01-04 | 国際

サウジで処刑されたニムル師はどんな人物か
 By Ahmed Al Omran 2016 年1月4日 09:24 JST
 サウジアラビアによる過去数十年間で最多の大量処刑の一環として、シーア派聖職者ニムル師の死刑が執行された。これをきっかけに、中東やそれ以外の地域で非難の嵐が吹き荒れている。サウジの政治的に不安定な東部や、バーレーン、そしてレバノンでは抗議行動が行われ、イランの首都テヘランではサウジ大使館がデモ隊に襲撃された。
 ニムル師がどのようにして幅広い影響力を持ったか、そして同師の死刑執行がこの地域全域にどういう波紋を投げかけているかをQ&A方式でまとめた。
・ニムル師とはどんな人物か
 二ムル師はイスラム教シーア派教徒で、サウジ東部のアワミヤ(Awwamiya)という小さな町で育った。イランで宗教教育を受けたあと、1990年代初頭にサウジに戻った。同師は、サウジの支配者層を批判する激烈な説教で知られ、2003年から08年までの間、何度か投獄された。内部告発サイト、ウィキリークスによって公開された当時の米国公電は、同師について「二線級の政治活動家」と表現し、「地元で人気を博し、とりわけ若者たちに人気がある」と評していた。後にニムル師は、中東民主化運動「アラブの春」に触発されたシーア派の抗議行動の背後にいる指導的な人物として登場した。この抗議行動は2011年に始まり、サウジを揺るがした。
・ニムル師はなぜ処刑されたのか
 サウジの治安警察は2012年7月、ニムル師を車で追跡の末、アワミヤで逮捕した。サウジ政府は同師を「治安を乱す扇動家」と呼び、同師とその仲間たちが逮捕を逃れようと警官に発砲したと述べた。逮捕した時、ニムル師は負傷した。同師の家族は、同師が当時、武器を携行していなかったと反論している。同師は14年10月、支配者に対する反逆、宗派闘争の扇動、そして治安警察を標的とした武器携行の罪で死刑判決を受け、今年1月2日に死刑が執行された。同時にスンニ派戦闘員を中心とする46人もテロ罪でサウジ各地で処刑された。
・シーア派は彼の処刑にどう反応したか
 反応は激烈だった。イラン政府とレバノン、イラクの同盟国政府は処刑を非難する一方、群衆がテヘランにあるサウジ大使館を襲撃し、建物に火炎瓶を投げ、その一部に放火した。ニムル師が拠点としている町では小規模な抗議行動も行われた。一方、米政府は死刑執行を「特に憂慮する」と述べ、平和的な反対行動は容認するようサウジに促した。国連と欧州連合(EU)は、死刑施行は中東での宗派間の緊張を高める恐れがあるとの懸念を表明した。
・サウジ・イラン関係にどのような影響があるか
 ニムル師の死刑執行は、既に緊張状態にあるサウジ・イラン関係を一層悪化させる恐れがある。両国は、不安定なこの中東地域で権力と影響力を求めて張り合っている。両国の当局者はしばしば干渉を非難し合い、中東を不安定させる原因になっているとして責任をなすりつけ合っている。シリアでは、イランと同盟関係にあるアサド大統領政権がサウジに支援されている反政府スンニ派勢力と戦っている。サウジはまた軍事連合を指揮し、南部の隣国イエメンで反政府フーシ派勢力と戦っている。このフーシ派勢力はイランが政治的に支援している。(編集部注:サウジアラビアは3日、イランとの外交関係を断絶すると発表した)
・それはサウジのシーア派にどう影響するか
 石油埋蔵量の豊富なサウジ東部地域での宗派間の緊張をエスカレートさせるリスクをはらんでいる。東部にはサウジで少数派であるシーア派の大半が住んでいる。そこでは、2011年以降、治安部隊との衝突や抗議行動が散発的に発生している。ニムル師の死刑執行は、「シーア派をサウジ中央政府から一層離反させるだろう」と、トービー・マシーセン氏(英オックスフォード大学セントアンソニーズ・カレッジ中東センターのシニア研究フェロー)は述べている。シーア派は、サウジで差別を受けていると訴えているが、サウジ政府はこうした差別はないと否定しており、抗議行動は外国の当事者(暗にイランを指す)にあおられた少数グループによる暴力的な反乱だとしている。

 ◎上記事は[WSJ Japan Real Time]からの転載・引用です
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
イスラム教スンニ派の大国サウジアラビア、シーア派の大国イランとの断交を発表 2016/1/3
...........


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。