昨年春 下見に行った「不動院→平和公園」25名の参加です。
近頃には滅多にない暖かく 太陽が燦々と輝く日和でした。
当番なので みんなに諮って 「平和公園」を急遽 梅の花が見られる「縮景園」に変更しました。
不動院
福島正則は、一六〇〇年(慶長五年)関ヶ原合戦の後、毛利氏の去った広島に入府しました。
続いて、当時空院になっていた安国寺(現不動院)の住職に、その祈願僧・宥珍を迎えたのです。
それまで安国寺は、臨済宗寺院でしたが、この機に真言宗に替え、
本坊の本尊に不動明王を祀ったことから、以来現在のように寺号も「不動院」と呼ばれるようになりました
鐘楼堂 国重要文化財 不動明王
切り立つ屋根の曲線
美しき袴腰付鐘楼(スカート裾を広げたような形)
内には 恵けいが朝鮮から持ち帰ったとされる
高麗初期の銅製梵鐘
閼伽井あかいの水 仏様への御供水
閼伽とは、仏教において仏前などに供養される水のことで、その閼伽を汲み出す井戸を閼伽井という
天智・天武・持統の3帝の御産湯に用いられた閼伽井(あかい)と呼ぶ井戸があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれ
今も不動院の墓地には、福島正則の供養塔と宥珍の墓があります。
正則は、終生、宥珍を心の師とあおぎ、また宥珍は、かたわらで常に正則を見守りつつ生涯を終えました
日当たりのいい場所の 紅梅が一本だけ花をつけていました
早めに切り上げて 「縮景園」に向いました。
つづく