会期末の滑り込みで、国立西洋美術館「ピカソとその時代ーベルリン国立ベルクグリューン美術館展」を観た。ベルクグリューンさんの現代美術愛が詰まったコレクションで、優れた鑑識眼と画廊経営者としての手腕もが偲ばれる展覧会だった。
https://picasso-and-his-time.jp/
会場は私のような駆け込み客でかなり混みあっていたが、やはり現代美術は若い観客層が多い。で、嬉しかったのは今回も写真撮影(フラッシュ禁)OKで、スマホで写真を色々撮ることができたこと。
さて、オープニングはセザンヌ《セザンヌ夫人の肖像》で...
ポール・セザンヌ《セザンヌ夫人の肖像》(1885-86年頃)
その後に意表を突くようにジャコメッティの素描が並んでいたのだ(それも西美所蔵)。
アルベルト・ジャコメッティ 左:《セザンヌの模写ーセザンヌ夫人の肖像》 右:《レンブラントの模写ー窓辺で描く自画像》(1956年)国立西洋美術館
今回の展覧会は「ピカソとその時代」を扱ったものであり、確かにジャコメッティも同時代の芸術家なのである。
ジャコメッティは彫刻家だからか、セザンヌ夫人もレンブラントも立体としての顔の彫り込み線が印象的だ。この素描もだが、彼の絵画作品を観ると、線がどんどんエネルギーを凝縮していくように見える。
そして、思ったのだが、セザンヌもレンブラントも、ジャコメッティにとってリスペクトする画家たちなのではないかと。それに、自画像を描いているレンブラントを描くって、なんだか自己投影っぽいよね。
ちなみに、渡辺晋輔氏の「国立西洋美術館所蔵のジャコメッティの素描について」を読むと、ジャコメッティは昔から多くの絵画作品を模写しており、画家として特にセザンヌとレンブラントがお気に入りだったようだ。
セザンヌはルネサンス以来の西洋絵画の表現形式を壊してしまった。この展覧会に登場する画家たちは皆、セザンヌの破壊を糧に自らの方向性を模索し、彼らの更なる破壊の軌跡が展示されていたと言えるかもしれない。
なにしろ、ピカソだってセザンヌ紛い(?)の作品を描いているし😉。まぁ、キュビズムと言うべきなのだろうけど。
パブロ・ピカソ《丘の上の集落(オルタ・デ・エブロ》(1909年)
で、今回の展覧会で私的に特に興味深かったのは、ピカソの頬杖をつく「メランコリア」ポーズの女性像シリーズ!! なんと多様な「メランコリア」だこと!!!
パブロ・ピカソ《水差しを持ったイタリア女》(1919年)
パブロ・ピカソ《緑色のマニュキアをつけたドラ・マール》(1936年)
パブロ・ピカソ《横たわる裸婦》(1938年)
パブロ・ピカソ《多色の帽子を被った女の頭部》(1939年)
パブロ・ピカソ《女の肖像》(1940年)
ピカソがこの時代、頬杖「メランコリア」(デューラーやレンブラントを想起させる!)ポーズの女性像を多く描いているのがわかる。私にはメランコリーな時代の空気がこのポーズに凝縮しているように思えた。
会場内の解説「両大戦間のピカソー女性のイメージ」でも、彼自身の女性観や不穏な時代の空気を反映しながらますます多様な形式に展開した、とあり、蓋し!とうなずいてしまった。
今回の展示作品を眺めていても、ピカソは長生きしたからこそ、その表現形式の多様さと変遷は実に興味深い。そのピカソと同時代の画家たちも、それぞれの表現形式の変遷が作品から窺うことができ、本当に面白かった。キュビズムの盟友ブラック、ドイツのパウル・クレーの変遷、フォービズムのマティスのその後の展開、そして見えるがまま彫刻のジャコメッティ...。
今回のボリュームのある展示作品の数々は、画家達がいかに独自の表現を創造するか、その挑戦と模索の軌跡をも教えてくれたような気がする。
ということで、サックっと感想ではあるが、現代美術とは言え、かなり満足感のある展覧会だったと思う。