風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

匂いのあるのがうなぎの蒲焼 282号

2008年05月18日 09時23分15秒 | 随想
「におい」は鼻で感じる嗅覚である。漢字で記述すると匂いと臭い。好感する「におい」を「匂い」と表記し、嫌悪する「におい」は「臭い」と記述する。

最近の都会のうなぎ屋から香ばしい匂いが漏れてこない。昔は匂いに誘われて美味いうなぎを食べたものだが、今は看板の文字を見て店に入る。さんざん待たされたうな丼は体裁は良いが味の感動はないのである。

保健所の行政指導は、「においは全て悪臭」という悪魔の論理で、脱臭の巨額の設備投資を強要するから、巨大資本の大規模店舗以外は経営が成り立たない。

一部の市民の苦情を暇な役人が取り上げ、法律にするのである。多くの小市民は不味いうなぎを高額の対価を支払い食べるが、二度と行かない。しかし都市には人口が集中し、入れ代わりが激しいから不味くても商売は成り立つ。あるいは本当のうなぎの蒲焼の味を知らないのかもしれない。

大学を出た利潤追求の専門化が、うなぎ職人を追放し、高度に分業化して数値管理の効率調理で提供する。天然素材のバラツキに対応して焼き時間や温度を変化させる職人芸は無い。マニュアルに適合する養殖うなぎを人工飼料で短時間に飼育する。工場でロボットを駆使して調理し、店では電子レンジで暖めるだけである。味も素っ気も無く旨い訳が無い。

匂いの無い不味いうなぎを高度にマニュアル化された接客態度でカモフラージュする。店内にはハーブの匂いが満ちている。店長は客の反応には関心が無く、札束の勘定に多忙である。儲けが少なくなれば高額で店を売却すればよい。

田舎を旅すると、うなぎの香ばしい匂いと乳牛や豚の懐かしい臭いがする。同じ鼻に届く良質な匂い、悪質な臭いが生きていることを実感させてくれる。細工の無い自然に溶け込むとカネモノに頼らない生き方を思い付く気がするのである。

うなぎ蒲焼の匂いは犯罪者ではなく、匂いを否定した人間が犯罪者である。そして蒲焼を食べた人間は糞に変え、悪臭を世間に撒き散らす。しかし風は黙って悪臭を消してくれる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。