風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

人生一路

2023年01月15日 10時26分22秒 | 随想

彦根市に転勤して4年後の平成7年1995年1月17日に阪神淡路大震災成の6月21日 31番・32番の西国観音霊場の巡拝を始め、その年の7月11日 12番・13番・14番、8月9日 30番、10月11日 15番・16番・17番、10月24日 8番
平成8年1996年3月8日 18番・19番、7月19日 33番
平成11年1999年5月22日 20番、5月23日 28番・29番、7月14日 10番・11番
平成13年2001年8月13日 5番・6番・7番・9番、9月10日 26番・27番
平成14年2002年2月28日 1番・2番・3番、11月17日 24番・25番
平成17年2005年10月6日 22番・23番
平成20年2008年1月13日 21番、1月19日 4番の槙尾山施福寺で満願したのだった。

人生は苦、四苦は生老病死である。人間如何に生きるかは釈迦如来、病は薬師如来、死は阿弥陀如来が担当だろう。しからば老人はどんな如来様が適当かと思いを巡らしても見当たらない。阿弥陀様の極楽浄土に旅立つ準備期間のインドの四住期の七五才からの游行期、「有漏路より無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」ならば阿弥陀様の脇侍の観音菩薩の西国霊場の巡拝が適当なのだろうと思い至った。

サンスクリット語を鳩摩羅什なら観世音、玄奘なら観自在と翻訳する救世観音は妙法蓮華経の観音経によれば三十三に化身し凡人の抜苦与楽に慈悲心が有るという。余生の一時期、安楽は観音菩薩にお任せが良いと思うのである。

人の心には天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道を内在するが、それぞれの心の様相に対応する観音の化身が如意輪・准胝・十一面・馬頭・千手・聖観音で善導してくださる。

妻の望みが朱印掛軸の授かりなので先達として令和四年の4月17日に8番・7番・6番、18日に5番、19日に4番・9番、6月29日に最南端札所1番、30日に3番、7月1日に2番・10番・11番、11月28日に最西端札所27番、29日に26番を案内した。桜の咲く頃には最北端札所28番・29番を参拝を予定している。

平成20年の4番槙尾山施福寺は満願寺、1時間ほどの山登りは過酷だったが、禅寺では「葷酒山門に入るを許さず」で禁酒であるが、境内には茶屋が有り冷えたビールで喉を潤した思い出がある。観音様の功徳を感じ、仏教感が劇的に転換したのだった。令和4年の再訪では乗車はしなかったが、登山バスが運行し、茶屋も消滅していた。

奈良の都市仏教から比叡山・高野山の最澄・空海の山岳仏教に転換して以来、本堂への道のりは過酷になったが、苦しみを通り過ごすと歓喜が有るのだろう。

大和尼寺精進日記の融通念仏宗の音羽山観音寺も過酷な山道の様だが参拝し、尼僧の料理を食したい夢が有る。

伝教大師の己を忘れ他を利するは慈悲の極み、観音の菩薩行だろう。

何か目標を定め継続して挑戦することは人生一路だろう。一度決めたら二度とは変えぬ、これが自分の 生きる道。泣くな迷うな苦しみ抜いて、人は望みを はたすのさ。

 


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