コロナ禍、岸田政権不安、プーチンの戦争、景気後退、世間は苦しみの連続、死後の面倒は阿弥陀様にお任せするとして、残り少ない命の抜苦与楽は観世音菩薩にお頼み申すのが人間の知恵なのだろう。
そんな屁理屈で西国33カ寺観音霊場の掛軸作成の為の巡礼を始めた老夫婦、令和4年は最南端1番札所青岸渡寺界隈と最西端札所27番書写山円教寺を打ち終わったのだった。
令和5年の事始めは最北端28番成相寺と29番松尾寺 . . . 本文を読む
人間は何故に旅をするのだろう。人間は動物だからだろう。コロナ禍で外出を規制する世間は植物園と言わざるを得ない。
令和4年も旅をした。備忘録を兼ねて記録する。
1月3日松平郷高月院、奥殿陣屋、六所神社初詣。5日田原蔵王山展望台、浜名湖弁天島、東海道舞阪宿。10日蒲郡三谷子安弘法大師。19日おかまいり岡崎三十六地蔵スタンプラリー。22日南知多アトリエぜんきゅう。28日南知多山海の岩屋寺。
2月4 . . . 本文を読む
豊橋から辰野までのJR東海飯田線、元善光寺の座光寺の果樹農家の援農で15年間で10数回往復したので、路線の知識が増えるのは必然だろう。
豊橋平野の豊川稲荷、長篠城跡を通過し湯谷温泉から隧道と橋梁で豊川水系を遡ると池場,東栄駅の分水嶺で三河から遠州出馬駅になる。天竜川水系の川岸をしばし走行すれば中部天竜、3年の歳月を費やして66年前の昭和31年に竣工した佐久間ダム建設時期は駅前市を成しだっただろう . . . 本文を読む
11月初旬、12月初旬は飯田座光寺の市田柿生産のワーホリでJR東海飯田線で豊橋~飯田を二往復した。
神無月30日 豊橋発10時8分伊那路1号で飯田着、各駅停車で元善光寺13時13分下車
霜月9日 元善光寺8時33分の各停で天竜峡、中部天竜行きに乗り換え、中部天竜11時21分伊那路2号で12時31分豊橋着。
師走5日 豊橋8時11分各停で天竜峡、各停に乗り継ぎ13時13分に元善光寺で下車。
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