風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

さようなら南極観測船「しらせ」 281号

2008年05月17日 18時57分42秒 | 随想
日本人として初の南極探検を行った白瀬矗(しらせのぶ)陸軍中尉。東郷平八郎元帥の命名した「開南丸」だった。白瀬中尉の名を借りた防衛省海上自衛隊所属の砕氷艦「しらせ」が引退する。

1956年11月8日に日本を出港した海上保安庁の南極観測船「宗谷」は一路南極へと向かった。岡崎市出身の永田武隊長の第一次南極観測隊の目的は,観測基地の建設であった。南極大陸を囲む氷海を砕氷しながらの悪戦苦闘の航海であったが、1957年1月29日、ついに東オングル島に昭和基地を設営した。帰路4千トンに満たない小型船は、氷海で立ち往生して、ソ連の砕氷艦「オビ」の救援により辛うじて脱出した。

改造され能力が向上して、翌1958年第2次観測隊を乗せた「宗谷」であるが、深い岩氷に挟まれ接岸を断念、基地で越冬していた観測隊員は航空機で脱出したが,物資の輸送で大活躍していたカラフト犬15頭は置き去りにされた。翌年、犬たちの生存をほぼ絶望視していた第3次越冬隊が昭和基地に到着するとタロとジロの2頭が昭和基地で生存していた。

性能改善を繰り返し、6回にわたる南極観測に従事したが,後継の海上自衛隊砕氷艦「ふじ」に南極観測任務を譲り,もとの巡視船として北海道に配備された。1978年に船齢40年で退役し、東京お台場・船の科学館で一般公開されている。現在でも船籍を有しており、要請があれば出動できるのである。現存する数少ない帝国海軍艦艇である。

海上自衛隊砕氷艦「ふじ」は5250トンの大型艦で名古屋港に係留され見学できる。「しらせ」11600トンの巨大艦。巨大が災いして解体スクラップの運命だろう。後継艦・第二代「しらせ」は約12500トンだが未完成で、来年の第50次南極観測隊の輸送には間に合わず、オーストラリアから民間砕氷船オーロラ・オーストラリスをチャーターする様である。それで済むなら何で巨費を投入して巨大軍艦を装備する必要があるのか?

資本主義の科学万能で自然を征服する事は容易な時代であるが、心に訴えるハラハラ・ドキドキのロマンは消滅している。南極観測艦「しらせ」の引退には何の感傷も無いのであるが、南極観測船「宗谷」のドラマを思い起こし涙しているのである。その思いを「しらせ」たいので、恥ずかしながら拙文を記述した。

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