ジョサイア・コンドル設計の旧岩崎家の洋館のそばには、天神様が鎮座する町が湯島界隈でしたが、菅原道真を祭る天満宮は全国各地にあるようです。京都北野や大宰府が有名ですが、今回は三大天満宮の一つがある防府(ほうふ)を紹介します。ちなみに三大天満宮とは、先の京都北野、大宰府それに防府で湯島は入っていないようです。
防府市は山口県の中で瀬戸内海に面しほぼ中央あたりに面した都市です。かつては、交通や商業の中心地として、県や国の出先機関も多かったようですが、新幹線の駅ができなかったり空港が宇部にできたりと、交通の要所としての性格を失って来ています。中心となる駅はJRの防府駅ですが1898年に開業の時には三田尻駅という名称でした。尻という名前を嫌ったのか1962年に現在の防府駅に改称されています。三田尻駅は国内最初の食堂車や最初の寝台車連結の列車の一方の始発駅という輝かしい歴史を持っていますが、岡山以西に優等列車の無くなってしまった山陽本線では、新幹線の駅ではない防府駅は単なるローカル駅になってしまっています。
さて、天満宮ですが、調べてみると天満宮は日本国中にあるようで北は北海道、南は九州まで沖縄を除き(宜野湾市普天間に普天満宮がありますが祭神は菅原道真ではありません)ほぼ全県に一つは存在するようです。藤原氏によって失脚させられた、道真が雷神となって藤原氏に祟ったことを恐れ、その霊を鎮めるために建てられたのが起源ですが、これだけ全国津々浦々に広まっているとは知りませんでした。道真が優れた学者であったため、天満宮は学問の神様に姿を変え、学業成就は全国規模での祈願でしょうから何処にでもあるようになったのかもしれません。
三大天満宮の一つの防府天満宮は防府駅の北1kmほどの天神山の南斜面にあり、道真が大宰府に流される途中に宿泊した防府が道真自身が気に入ったことにより日本で最初の天満宮となったのだそうです。防府天満宮は、今から45年ほど前の学生時代に訪れたのみで、さすがにほとんど記憶がありませんので、主観的な紹介は今回は省略です。
二度目の防府訪問は8年ほど前ですが、余り時間が無く雨模様であったので種田山頭火の散歩道を散策しました。防府を有名にしたのは、天満宮よりむしろ山頭火かもしれません。五七五の形式に縛られない自由律俳句を代表する俳人を生んだのが防府です。自由律俳句の主のためか、私生活も自由気ままのようで、筆者はその生き方には余り賛同できませんが、彼が散歩をしたであろう町並みは好ましいところがあります。細い水路の向こうに白壁の土蔵が建っていたり、崩れかかった板塀が続いていたりで、なかなか絵になる風景です。その町並みのそこかしこに俳句が書かれた木簡が季節の花と一緒に掲げられているのも、さすがに山頭火を生んだ町だからでしょうか。
防府には駅の無い山陽新幹線は、九州新幹線とつながって鹿児島まで直通運転が始まり、北の青森から鹿児島までが新幹線を乗り継いで移動できるようになりました。それでは、東京駅で新幹線車両の相互乗り入れをして、乗り換えなしに青森から鹿児島中央まで行けるようにできないだろうかという疑問が湧いてきます。実は新幹線を動かしている電力には2種類あって、電圧はすべて25kVなのですが、東海道以西では60Hz、JR東日本では長野新幹線の佐久平以西を除いて50Hzの交流が使われています。大部分の新幹線の車両は、構造を簡単にするために50Hzか60Hzのどちらかでしか走れません。唯一例外的な車両が、長野新幹線で使われているE2系と呼ばれるもので、この車両を使えば、電源の面からは青森から鹿児島中央まで走れるかもしれません。ただ、乗る人がどれほど居るかは分かりませんが。
防府市は山口県の中で瀬戸内海に面しほぼ中央あたりに面した都市です。かつては、交通や商業の中心地として、県や国の出先機関も多かったようですが、新幹線の駅ができなかったり空港が宇部にできたりと、交通の要所としての性格を失って来ています。中心となる駅はJRの防府駅ですが1898年に開業の時には三田尻駅という名称でした。尻という名前を嫌ったのか1962年に現在の防府駅に改称されています。三田尻駅は国内最初の食堂車や最初の寝台車連結の列車の一方の始発駅という輝かしい歴史を持っていますが、岡山以西に優等列車の無くなってしまった山陽本線では、新幹線の駅ではない防府駅は単なるローカル駅になってしまっています。
さて、天満宮ですが、調べてみると天満宮は日本国中にあるようで北は北海道、南は九州まで沖縄を除き(宜野湾市普天間に普天満宮がありますが祭神は菅原道真ではありません)ほぼ全県に一つは存在するようです。藤原氏によって失脚させられた、道真が雷神となって藤原氏に祟ったことを恐れ、その霊を鎮めるために建てられたのが起源ですが、これだけ全国津々浦々に広まっているとは知りませんでした。道真が優れた学者であったため、天満宮は学問の神様に姿を変え、学業成就は全国規模での祈願でしょうから何処にでもあるようになったのかもしれません。
三大天満宮の一つの防府天満宮は防府駅の北1kmほどの天神山の南斜面にあり、道真が大宰府に流される途中に宿泊した防府が道真自身が気に入ったことにより日本で最初の天満宮となったのだそうです。防府天満宮は、今から45年ほど前の学生時代に訪れたのみで、さすがにほとんど記憶がありませんので、主観的な紹介は今回は省略です。
二度目の防府訪問は8年ほど前ですが、余り時間が無く雨模様であったので種田山頭火の散歩道を散策しました。防府を有名にしたのは、天満宮よりむしろ山頭火かもしれません。五七五の形式に縛られない自由律俳句を代表する俳人を生んだのが防府です。自由律俳句の主のためか、私生活も自由気ままのようで、筆者はその生き方には余り賛同できませんが、彼が散歩をしたであろう町並みは好ましいところがあります。細い水路の向こうに白壁の土蔵が建っていたり、崩れかかった板塀が続いていたりで、なかなか絵になる風景です。その町並みのそこかしこに俳句が書かれた木簡が季節の花と一緒に掲げられているのも、さすがに山頭火を生んだ町だからでしょうか。
防府には駅の無い山陽新幹線は、九州新幹線とつながって鹿児島まで直通運転が始まり、北の青森から鹿児島までが新幹線を乗り継いで移動できるようになりました。それでは、東京駅で新幹線車両の相互乗り入れをして、乗り換えなしに青森から鹿児島中央まで行けるようにできないだろうかという疑問が湧いてきます。実は新幹線を動かしている電力には2種類あって、電圧はすべて25kVなのですが、東海道以西では60Hz、JR東日本では長野新幹線の佐久平以西を除いて50Hzの交流が使われています。大部分の新幹線の車両は、構造を簡単にするために50Hzか60Hzのどちらかでしか走れません。唯一例外的な車両が、長野新幹線で使われているE2系と呼ばれるもので、この車両を使えば、電源の面からは青森から鹿児島中央まで走れるかもしれません。ただ、乗る人がどれほど居るかは分かりませんが。