世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

連島(つらじま)と呼ばれる地区には虫篭窓の残る家並みが残り、美観地区とは違った倉敷があります

2008-08-31 16:30:06 | 日本の町並み
 埋め立てによって、市の面積が4倍にもなったのが浦安ですが、江戸期からの干拓と河川の運ぶ土砂の堆積で陸続きになってしまった島が岡山県の倉敷にあります。倉敷というと、大原美術館やアイビースクエアのある美観地区があまりにも有名で、多くの観光客を集めていますが、倉敷駅から本数の少ないバスで20分ほどの連島には、どっしりとしたなまこ壁をもつ土蔵造りの家並みが残っています。今回は、美観地区にやってくる観光客とは無縁のような連島を紹介します。

 連島は、倉敷駅の南西5km程度の高梁川の河口近くにある町です。干拓で陸地とつながっただけあって、高台にある箆取神社に上ってみると、周りは起伏が無く田んぼと住宅が続いていて、町並みの向こうに小山が見えますが、この小山もかつての島だったのでしょう。

古い町並みが残る西ノ浦地区は、バスの走っている表通りから少し奥まったところにあり、バス停付の雰囲気が殺風景なので、バス停を間違って下車したとも思いました。東西に走るバス通りから北に向かうと、道はアナログ的に西方向に曲がっていて、その角近くに格子のある木造三階建ての家があります。

 ここを起点に、東西方向に伸びた道路の両側に、格子の残る家、なまこ壁の土蔵造りの家などが点々と残っていて町並みを形作っています。少々傷んで朽ちかかっている家もありますが、滅びの美学のようなものを感じます。

 この西ノ浦地区は、町並み保存地区というような仰々しい冠も無く、観光パンフレットにも載っていないようです。これだけの町並みが残っているのは不思議な感じもします。美観地区があまりにも有名なので、取り立てて宣伝する必要も無いのでしょうか。俗化や観光化とは無縁なようで、土産物屋はおろか、通りを歩いていてもほとんど人とすれ違わないところは、美観地区とは好対照です。自然な町並みが、好印象なのですが、おそらく何も規制や保護が行われていないので、やがて都市化の波に飲み込まれてしまわないかが心配です。

 連島は、高梁川の水運を利用した、流通拠点として発展した町で、古い町並みとして残っている土蔵造りの家並みは、かつて水運で富を得た豪商の家々の名残のようです。豪商同士が、大きさや、意匠の違いを競って邸宅を建てたようです。水運の元になった、高梁川が運ぶ土砂で港の機能をそがれてしまったのも皮肉な気がしますが。箆取神社は船乗りが海の安全を祈った神社で、西ノ浦地区の東、尾根が南に出っ張ったところに建っています。さほど高くは無いのですが、周りが干拓地で平たいので、かなり遠くの水島工業地帯までも見渡せる眺めの良い場所です。

 なぜか、上ってゆく坂の途中に、六地蔵があり、ウン?ここは神社じゃなかったっけ?と思ったりもします。
 
 箆取神社の高台から見えた、水島のコンビナートには、かつては3~4度ほど東京からとんぼ返りの出張をしたことがあります。ほとんどが移動時間で、お客様の工場には2~3時間ほどしか滞在できなかったように思いますが、新幹線ができる前の在来線のビジネス特急での東京ー大阪の日帰り出張もそんなものだったのでしょうか。水島はさすがに石油コンビナートだけあって、時おり鼻を突く異臭が漂ってきます。通信関連の打ち合わせでの訪問でしたが、亜硫酸ガスなどのある環境で銅線のケーブルは大丈夫かなとも思いました。現在では当たり前のようですが、当時は実用化間もない光ケーブルを使ったシステムは、条件にあっていたようです。ただ、装置には電気を通す銅線がたくさん使われているわけで、電気を使わない光だけで論理回路を作る技術はいつ実用化されるのかな、です。

中国三大石窟の一つの莫高窟(ばっこうくつ)の近くには大きな砂山とらくだの群れが居ました(中国)

2008-08-24 16:32:16 | 世界遺産
 チュニジアのケルアンにはらくだが水をくみ上げる井戸がありましたが、砂漠とらくだは昔から縁があるようで、大きな砂山を背景としたらくだの群れは絵になります。中国の三大石窟の一つ、莫高窟の西にも巨大な砂山があって、観光客目当てのらくだの群れが大砂丘の麓を闊歩しています。今回は、世界遺産の莫高窟と敦煌の周辺を含めて紹介します。

 敦煌は、かつてのシルクロードのオアシス都市の一つで、周りは漠々とした砂漠に囲まれています。中国の中央政権の影響が及ぶ西のはずれとして、そこから先は何が出るか解らない、という世界だったようです。現在の敦煌は、10万人を越える人口を擁する都市で、市街地に居ると周りが砂漠であることを忘れてしまいます。中心街のロータリーには、莫高窟の壁画を題材とした反弾琵琶像が立っていたり、

しゃれたホテルの建物があったりで、砂漠とは隔絶され、こざっぱりしています。この反弾琵琶像ですが、琵琶を背中にかざして奏でているという像なのですが、どう考えても無理がありそうに思います。町の派手さは異なりますが、敦煌の町はラスベガスと似た状況でしょうか。しかしながら、ちょっと車で町を出ると、そこは石ころと砂の世界が延々と続く、ゴビ砂漠の一部です。

 らくだのいる砂山は、町のメインストリートをまっすぐ南に車で15分ほど走った突き当りで、市街地からも遠くに巨大な(最も高い山は250mほどあるそうです)砂山が望めます。この砂山は鳴沙山(めいささん)という名前が付いており、風が吹いて砂が移動すると、ある条件で鳴き砂現象が起こるのだそうです。

夏の季節の昼間には、とても暑くって、立ち入ることもままなりませんが、少しは日が傾いてからは、砂山に陰ができ他の砂山の影が伸びって行って景色が時々刻々と変化します。少しは涼しくなった砂山に登ろうとしますが、これが思いのほか、きつくとても頂上まではたどり着けません。足を出しても出しても、ずるずると後退してしまい、それこそ3歩進んで2歩下がる感じです。階段も作られていますが、どうもこちらは使用料を徴収されるようです。

 さて、世界遺産の莫高窟ですが、この砂山の東側の斜面に南北1,600mに渡り掘られたものです。4世紀頃から1,000年間に掘られた600あまりの洞窟が残されています。ただ、一般に公開されているものは、ごく一部で、かつ1.5~2時間のガイド付きで見て廻れるのは10窟程度だけです。

観光料金はおよそ3千円/人で、バスの料金が16円ほどの中国の物価水準で考えれば、途方も無い高額です。取れるところから取ろうと、という方針なのでしょうか。世界遺産の観光地は、どこも高額な入場料を徴収しているように思います。これでは、中国の人が、なかなか入場できないのではないかとも思います。3大石窟の龍門石窟では、石窟は浅くてその中には石仏があるだけでしたが、莫高窟では、壁画が中心になります。洞窟状になっている部屋の側面、天井にびっしりと壁画が描かれています。奥行きがあり、直射日光に当たらないので、鮮やかな色が残されているものが多かったようです。

 案内される石窟は、毎日変わるそうですが、必ず訪れるのが巨大な石仏のある3つの石窟です。2つは坐像、1つは涅槃像です。涅槃像は何とか全容がわかりますが、坐像のほうは引きの足りない洞窟内では首が痛くなるほど見上げても、上半身はよくはわかりません。最も巨大な石仏は九層楼の中に納まり、

35mの高さがあって中国で3番目に大きいそうです。奈良の大仏が16mほどですから2倍以上あることになります。ちなみに中国での1番は楽山大仏で71mあるのでさらに2倍あることになります。中国での2番目は知らないとはガイドさんの弁でした。

 莫高窟の328窟の石仏は1体が無くなっています。原因はアメリカの東洋学者のウォーナー博士によって持ち去られてしまったからです。壁画の一部も、薬品を使って剥ぎ取ってしまったようです。早い話が、泥棒行為に及んだわけですが、西欧列強の国々には似たような話はたくさんんあるように思います。国立の博物館に飾られている多くの遺品が、東洋などの国々から略奪やただ同然の価格で持ち出されたものであると言えるでしょう。ウォーナ博士といえば、京都や奈良を空襲から守った人といわれ、奈良の桜井には記念碑まで建って感謝されていますが、中国では極悪人の一人とされています。携帯電話などのIT機器は、これほど便利で生活を豊かにするものはないように思われますが、反面では犯罪の温床にもなっています。どうも世の中は一筋縄ではゆかない2面性があるようです。

ディズニーリゾートばかりが浦安ではありません、まるで違った町並みもあるのです

2008-08-17 16:34:34 | 日本の町並み
 宍道湖に沈む夕日や、お堀の北側の塩見縄手の風景など、松江は水の存在なしでは語れませんでしたが、東京ディズニーレゾートの近くににも、かつて水辺の漁村だった面影を残す町の浦安があります。39年からの海面の埋め立てが進んで、市域は4倍にもなったそうで、かつては海の近くだったことが信じられません。埋め立て地に、逆に海を作ってしまったディズニ・シーもありますが、舞浜あたりの喧騒がうそのような、かつての漁師の住宅なども残されている、地下鉄の浦安駅付近を紹介します。

 浦安は、千葉県の西のはずれに少し出っ張って、旧江戸川を越えると東京都という位置関係です。このためか、デイズニーランドも千葉ディズニーではなく、東京ディズニーと川向こうの名前が付いています。そういえば、成田も千葉県にあって新東京国際空港でした。埋め立て前の浦安は、地下鉄東西線の浦安駅周辺の、現在の風景からは海の近くを感じられない場所でした。京葉線もディズニー・リゾートもすべて海の中だったのです。

 昔の面影が残るところは、浦安駅から南に300mほど行ったところを流れる、境川に沿った町並みです。

 境川は江戸川の支流ですが、埋め立てが進むに連れて、海がどんどん遠くなる~と川下に伸びていって3倍の長さになったとか。かつては、この境川が東京湾に出漁する漁船の系留地で、漁師町も川に沿って作られたようです。

川沿いの旧大塚家は唯一残された漁師の家の遺構で、他には少し川下にある浦安市郷土博物館にベカ舟などと共に漁師町が再現されています。旧大塚家は、江戸末期に建てられ、水害対策に家財道具を2階に収納できる工夫など、水辺に住むための工夫がされています。

 旧大塚家の手前には、明治初期に建てられた商家の遺構も残されていて、こちらの建物もなかなか見ごたえのある民家の遺構です。関東近郊では商家の遺構は少ないそうですが、この家は商家で多雨変われた後は、郵便局や医者の診療所としても使われたようです。

建物がしっかりしていて、使い回しが効いたのでしょうか。

 これらの民家がある川沿いの道に行く手前、車の多い通りに面して清瀧(せいりゅう)神社と宝城院とがあります。お寺と神社が仲良く隣同士といった感じですが、どちらも、ちょっと立ち寄ってみようかと思うようなものがあります。清滝神社のほうは、本殿の彫刻が立派で、いろんなものが彫られていますが、海の神様らしく亀に乗った浦島太郎の像もあります。

 一方の、宝城院のほうには賓頭廬像や庚申塔があります。庚申塔庚申の夜に体の中の虫が悪事を報告に行かぬよう、寝ないで庚申塔や塚にお参りするためのものです。

道祖神像と共に安曇野散策でよく見かけるものですが、こちらの庚申様は、ちょっとお顔が怖そうです。

 浦安の駅前からも、東京ディズニー・リゾートへ向かうバスが頻繁に出ています。ディズニー・ランドにもディズニー・シーにも、人工の海や川があって、IT制御されレールの上を走る船やボートが走っています。楽しむことを計算しつくされたプログラムは、実実見事で、一日居ても決して飽きないことは、リピータの数の多さが証明しているようです。ただし、あくまで自然や文化のレプリカの集合体なわけで、混んでいるディズニーを避けて、古い本物が残されている浦安の町も訪ねてみてはいかがでしょうか。

イスラム教の第3の聖地ケルアンは城壁に囲まれた迷路の町に個性的なモスクがあります。(チュニジア)

2008-08-10 16:37:42 | 世界遺産
 アルハンブラ宮殿はスペインにあってイスラム文化を代表するような美しさを誇る宮殿でしたが、スペインにイスラム教が伝わる経路の北アフリカに、アラブのメッカ、メディナに次ぐ第3の聖地ケルアンがあります。ケルアンは7世紀に建設が始まり、北アフリカにおけるアラブの重要拠点となりました。中世にはその重要性からイスラムにおける第3の聖地と位置付けられるようになりました。今回は、城壁に囲まれたイスラム都市のケルアンを紹介します。

 ケルアンは、チュニジアの首都のチュニスの約160km南方にあり、鉄道の駅があり海沿いのスース(こちらも世界遺産の町)からバスで1時間ほどです。バスで行くと、旧市街からだいぶ離れた所に降ろされ30分ほど暑い中を歩かされました。

城門を通り抜けた内部のメディナの旧市街は、イスラムの町に共通する迷路の町で、太陽の位置と磁石が無いとどちらに向かって歩いているか解らなくなります。

 城壁を北門から入ると、すぐにケロアンを代表するグランドモスクがあります。

主堂の中には信者以外は入れませんが、外から見た内部はシャンデリアなどもあって、なかなか見事です。

トルコなどで見かける、がらんとした空間だけのモスクとずいぶんと様子が違います。中庭を囲む回廊の柱が作り出す陰影も絵になる風景です。

 城壁の中には、グランドモスク以外にも大小のモスクや霊廟があり、個性的な意匠ものもありました。スペインのコルドバにあるメスキーととそっくりな白と黒の縞模様のアーチのあるガリアニ霊廟です。おそらく、こちらのほうがオリジナルなのではないでしょうか。

 メディナの中を歩いていると、白の壁に青い窓や扉の家をよく見かけます。この色の組み合わせは、チュニジアを代表する配色で、チュニス近郊の高級住宅街のシティブサイドでもよく見かけました。

強烈な光線の下で、光輝く白と寒色系の青とのコントラストは、最初のこの配色を考えて取り入れた人は、チュニジアの光の様子をちゃんと計算に入れてたんでしょうか。

 その街中で奇妙なものを見かけました。少し高いテラスのようなところに上って、中を見るとらくだがグルグルと廻っているいるのです。牛や馬が臼を引いて廻るのは時々見るのですが、らくだが円を描いて廻るのは初めてです。

それに臼も見当たりません。らくだの廻っている中心には井戸があって、紐に付けられた壷が井戸野水面までを循環するようになっています。この紐をまわす動力源としてらくだが使われていたのです。

 ケルアンは城壁の中だけでなく、外にも美しい霊廟があって、うろうろさせられます。特に、シディ・サハブ霊廟は回廊にはめ込まれたタイルと回廊を支える列柱とが美しく、苦労して訪れるだけの値打ちはあります。

ポルトガルにはアズレージョと呼ばれる美しいタイルの文化がありますが、このタイル文化も源は北アフリカにあるのかもしれません。
 
 チュニジアを地図で調べてみると、東京とあまり緯度は変わらないんですね、エジプトのカイロもやや南くらいなのです。ところが、なぜかはるかに暑いのです。地中海がそばにあるので、大陸性の気候というわけでもないと思うのですが。逆に海の近くの割には湿度が低くて、暑い割りに木陰などは涼しいので助かりますが。この暑さは、おそらく砂漠の影響かと思います。どちらも、都市部を離れると、砂や石ころだらけの砂漠になります。砂漠の多くは、かつて緑豊かな土地だったところで、人類の祖先がエネルギーのために、木を切り倒してしまったのが原因の一つといわれています。この頃から、地球温暖化が始まっていたのでしょうか。IT技術の発展でエレルギー効率を上げ、CO2の排出を抑えるというのも一見合理的のように見えますが、IT機器は仕事をしていないときにも待機電力を消費することのほうが問題なのでは?とも思います。

県の位置の認識度は低くても、小泉八雲と聞くと松江とイメージする人は多いでしょう

2008-08-03 16:40:14 | 日本の町並み
 長崎、神戸そして横浜に共通する地名は山手でした。共に港湾都市として明治期から外国人の多い都市でしたが、明治期に日本に来訪した外国人の中で、最もよき日本の理解者の一人がラフカディオ・ハーン(小泉八雲)ではないでしょうか。そのラフカディオ・ハーンが伴侶とした小泉セツとめぐり会い、日本の文化に触れるきっかけとなった場所が松江です。今回は、日本の県の中で、県のある場所が解らないという人の割合が最も高いといわれる島根県の県庁所在地、松江を紹介します。

 松江は、現存する12の天守閣のうちの一つが残る城下町です。松江城は5層6階の天主を持つ平山城で、高台にある城は市街地のどこからも、黒を基調にした少し地味な姿が見られます。

 ラフカディオ・ハーンが2年間住んだ旧宅も、お城の北側にあって、堀の向こうに天主が望めます。

 松江ではローマ字読みをして、ヘルンと呼ばれていて、旧宅のこともガイドブックなどにはヘルン旧居と表示されていることもあります。

 旧宅には、八雲が使った椅子と机が残されていますが、机が通常のものに比べて、やけに高いことに気が付きます。

子供の頃に怪我で左目の視力を無くし、残る右目もかなりの弱視だったようで、机を高くして本などがよく見えるようにしたものだそうです。ハーンは、アイルランドの父とギリシャの母を持つ混血で、日本に来訪した後に日本に帰化して小泉八雲となります。どれが、彼のアイデンティティなのか、なんともインターナショナルで複雑な感じがしますが、日本人が忘れていた文化を、少し距離を置いて見なおすことができる貴重な存在であったと思います。小泉セツとハーンの子供の中には3種類の血が流れていたことになります。


 ヘルン旧居のある辺りは、塩見縄手と呼ばれ、お堀に沿った500mほどの通りで、かつては中級武士の屋敷町であったところです。旧居のほかに武家屋敷も残されていて、城下町の雰囲気を残す場所になっています。


建物が少なく、緑が多いところは、これが県庁所在地か?と疑いたくなるほど、落ち着いた町並みです。この風景は、どこかで見たような・・松本城や彦根城の後方からの風景と似ていたような記憶があります。

お城の大手門から見た正面の天主も立派ですが、後姿も風情があっていいものかもしれません。ただ、弱視だった小泉八雲は、このお城の風景をどの程度見ることはできたのでしょうか。


 このブログの写真は4度目の訪問の時のもので、小雨交じりのあいにくの天気でした。松江といえば、宍道湖に沈む夕日が売りの景色の一つです。学生時代に2度目の訪問をした時には、この夕日を見れただけでなく、ちょうどお盆だったので、宍道湖に浮かべた灯篭流しの送り火の幻想的な景色を楽しむことができました。ずいぶんと昔のことなので、記憶が定かではなく、どのあたりで、どのようにされたのかは覚えていないのですが、湖に映る光の列だけは妙に覚えています。ただ、翌日に隠岐ノ島に境港からのフェリーに乗って渡ったのですが、お盆シーズンとあって、大変な混みようのうえに、海が荒れて悲惨な目に遭いました。

 この宍道湖の北岸に沿って、一畑電鉄というローカルな私鉄が走っています。一畑薬師への参詣のために弾かれた私鉄のようですが、JRの大社線が廃止になった現在では、出雲大社のそばまで行ける唯一の鉄道になっています。この鉄道に、文字数で日本一長い駅名(南阿蘇鉄道と1位を分け合っています)が存在します。「松江イングリッシュガーデン前」というのですが、実はこの駅は、かつては正真正銘の一番長い駅名の「ルイス・C・ティファニー美術館目前」でしたが、その後に肝心の美術館が閉館してしまい、名前を変更せざるを得なかったようです。

 小泉八雲は日本の伝統的な文化を外国に広く紹介したことで知られています。国外だけでなく、「怪談」などは日本人もあまり知らなかった民話の世界を、日本人そのものにも知らしめたといえるかもしれません。耳なし芳一の話など「怪談」が書かれてなければ、今ほど有名な物語にはなっていなかったかもしれません。ただ、小泉八雲とて超人ではありませんから、日本や日本文化に対する誤解や誤認があるとされています。外国語の優れた通訳の方は、話された言葉には直接現れなくても、その裏にある文化や習慣の違いを踏まえて言葉を補って訳してくれる人だとも言われています。もちろん、翻訳の作業では、この過程は必須のことなのかもしれません。コンピュータによる、自動翻訳は、かなり使える程度にまでなったようにも思えます。ただ、言葉の奥にある文化の差までを、訳し分けられるようになるまでには、まだ相当の時間が必要なようです。