埋め立てによって、市の面積が4倍にもなったのが浦安ですが、江戸期からの干拓と河川の運ぶ土砂の堆積で陸続きになってしまった島が岡山県の倉敷にあります。倉敷というと、大原美術館やアイビースクエアのある美観地区があまりにも有名で、多くの観光客を集めていますが、倉敷駅から本数の少ないバスで20分ほどの連島には、どっしりとしたなまこ壁をもつ土蔵造りの家並みが残っています。今回は、美観地区にやってくる観光客とは無縁のような連島を紹介します。
連島は、倉敷駅の南西5km程度の高梁川の河口近くにある町です。干拓で陸地とつながっただけあって、高台にある箆取神社に上ってみると、周りは起伏が無く田んぼと住宅が続いていて、町並みの向こうに小山が見えますが、この小山もかつての島だったのでしょう。
古い町並みが残る西ノ浦地区は、バスの走っている表通りから少し奥まったところにあり、バス停付の雰囲気が殺風景なので、バス停を間違って下車したとも思いました。東西に走るバス通りから北に向かうと、道はアナログ的に西方向に曲がっていて、その角近くに格子のある木造三階建ての家があります。
ここを起点に、東西方向に伸びた道路の両側に、格子の残る家、なまこ壁の土蔵造りの家などが点々と残っていて町並みを形作っています。少々傷んで朽ちかかっている家もありますが、滅びの美学のようなものを感じます。
この西ノ浦地区は、町並み保存地区というような仰々しい冠も無く、観光パンフレットにも載っていないようです。これだけの町並みが残っているのは不思議な感じもします。美観地区があまりにも有名なので、取り立てて宣伝する必要も無いのでしょうか。俗化や観光化とは無縁なようで、土産物屋はおろか、通りを歩いていてもほとんど人とすれ違わないところは、美観地区とは好対照です。自然な町並みが、好印象なのですが、おそらく何も規制や保護が行われていないので、やがて都市化の波に飲み込まれてしまわないかが心配です。
連島は、高梁川の水運を利用した、流通拠点として発展した町で、古い町並みとして残っている土蔵造りの家並みは、かつて水運で富を得た豪商の家々の名残のようです。豪商同士が、大きさや、意匠の違いを競って邸宅を建てたようです。水運の元になった、高梁川が運ぶ土砂で港の機能をそがれてしまったのも皮肉な気がしますが。箆取神社は船乗りが海の安全を祈った神社で、西ノ浦地区の東、尾根が南に出っ張ったところに建っています。さほど高くは無いのですが、周りが干拓地で平たいので、かなり遠くの水島工業地帯までも見渡せる眺めの良い場所です。
なぜか、上ってゆく坂の途中に、六地蔵があり、ウン?ここは神社じゃなかったっけ?と思ったりもします。
箆取神社の高台から見えた、水島のコンビナートには、かつては3~4度ほど東京からとんぼ返りの出張をしたことがあります。ほとんどが移動時間で、お客様の工場には2~3時間ほどしか滞在できなかったように思いますが、新幹線ができる前の在来線のビジネス特急での東京ー大阪の日帰り出張もそんなものだったのでしょうか。水島はさすがに石油コンビナートだけあって、時おり鼻を突く異臭が漂ってきます。通信関連の打ち合わせでの訪問でしたが、亜硫酸ガスなどのある環境で銅線のケーブルは大丈夫かなとも思いました。現在では当たり前のようですが、当時は実用化間もない光ケーブルを使ったシステムは、条件にあっていたようです。ただ、装置には電気を通す銅線がたくさん使われているわけで、電気を使わない光だけで論理回路を作る技術はいつ実用化されるのかな、です。
連島は、倉敷駅の南西5km程度の高梁川の河口近くにある町です。干拓で陸地とつながっただけあって、高台にある箆取神社に上ってみると、周りは起伏が無く田んぼと住宅が続いていて、町並みの向こうに小山が見えますが、この小山もかつての島だったのでしょう。
古い町並みが残る西ノ浦地区は、バスの走っている表通りから少し奥まったところにあり、バス停付の雰囲気が殺風景なので、バス停を間違って下車したとも思いました。東西に走るバス通りから北に向かうと、道はアナログ的に西方向に曲がっていて、その角近くに格子のある木造三階建ての家があります。
ここを起点に、東西方向に伸びた道路の両側に、格子の残る家、なまこ壁の土蔵造りの家などが点々と残っていて町並みを形作っています。少々傷んで朽ちかかっている家もありますが、滅びの美学のようなものを感じます。
この西ノ浦地区は、町並み保存地区というような仰々しい冠も無く、観光パンフレットにも載っていないようです。これだけの町並みが残っているのは不思議な感じもします。美観地区があまりにも有名なので、取り立てて宣伝する必要も無いのでしょうか。俗化や観光化とは無縁なようで、土産物屋はおろか、通りを歩いていてもほとんど人とすれ違わないところは、美観地区とは好対照です。自然な町並みが、好印象なのですが、おそらく何も規制や保護が行われていないので、やがて都市化の波に飲み込まれてしまわないかが心配です。
連島は、高梁川の水運を利用した、流通拠点として発展した町で、古い町並みとして残っている土蔵造りの家並みは、かつて水運で富を得た豪商の家々の名残のようです。豪商同士が、大きさや、意匠の違いを競って邸宅を建てたようです。水運の元になった、高梁川が運ぶ土砂で港の機能をそがれてしまったのも皮肉な気がしますが。箆取神社は船乗りが海の安全を祈った神社で、西ノ浦地区の東、尾根が南に出っ張ったところに建っています。さほど高くは無いのですが、周りが干拓地で平たいので、かなり遠くの水島工業地帯までも見渡せる眺めの良い場所です。
なぜか、上ってゆく坂の途中に、六地蔵があり、ウン?ここは神社じゃなかったっけ?と思ったりもします。
箆取神社の高台から見えた、水島のコンビナートには、かつては3~4度ほど東京からとんぼ返りの出張をしたことがあります。ほとんどが移動時間で、お客様の工場には2~3時間ほどしか滞在できなかったように思いますが、新幹線ができる前の在来線のビジネス特急での東京ー大阪の日帰り出張もそんなものだったのでしょうか。水島はさすがに石油コンビナートだけあって、時おり鼻を突く異臭が漂ってきます。通信関連の打ち合わせでの訪問でしたが、亜硫酸ガスなどのある環境で銅線のケーブルは大丈夫かなとも思いました。現在では当たり前のようですが、当時は実用化間もない光ケーブルを使ったシステムは、条件にあっていたようです。ただ、装置には電気を通す銅線がたくさん使われているわけで、電気を使わない光だけで論理回路を作る技術はいつ実用化されるのかな、です。