世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

石段に飾られたお雛様も見ごたえがありますが朝市の商品のそばのお雛様もかわいい勝浦です

2011-06-26 08:00:00 | 日本の町並み
 金比羅参道にかつての賑わいの余韻を残す道標や鳥居などの石の遺跡があって、藩主の別邸跡の庭園にはバルビゾン絵画のコレクションがある美術館もあるのが丸亀でした。この美術館には、江戸から昭和にかけての雛人形を集めたひいな館もあります。ひいな館は美術館の中の展示ですが、ひな祭りの期間中に町中に2万体を越えるお雛様飾りがあふれる町が勝浦です。今回は朝市や漁師町の町並みも残す千葉県の勝浦を紹介します。

 
 勝浦市は、房総半島の太平洋を南東に臨むいわゆる外房のやや南寄りに位置し、JR外房線の勝浦が最寄り駅となります。勝浦という地名は紀伊半島にもあり、こちらも紀伊半島の太平洋を南東に臨む場所にあります。半島こそ違え似たような地理環境に同じ地名が存在するのも面白いことです。さて、房総半島の勝浦で開催されるひな祭りですが、毎年3月3日の桃の節句を最終日としてその前の2週間程度の期間に町中がお雛様であふれます。役所のロビー、公民館の中、商店の商品に混じって、民家の庭先、さらには道路のそばには巨大なひな壇が作られています。一番の圧巻は遠見岬神社の60段の石段に飾られた200体のお雛様です。さほど広くない境内は、観光客で押し合いへし合いになり、このイヴェントの目玉的な存在のようです。日没後は片付け、翌朝に再度並べなおすのだと思いますが、その作業も大変なことでしょう。

 
 勝浦のひな祭りは、1年の中でほんの2週間ほどしか見ることが出来ませんが、名物の朝市は、水曜が定休ですが通年で開催されています。今から400年も前から続いているそうで、朝市が始まった由来は、海のものと畑のものとを交換するためだそうです。農業と漁業の両方の産業がある勝浦ならではで、現在の朝市でも、海と畑の恵みが並べられています。朝市通りと呼ばれるとおりの突き当たりにある高照寺には、勝浦朝市発祥地の木の碑がが建てられています。朝市で売られている商品の値段はさほど安いとも思えないようですが、鮮度を考えるとお徳なのかもしれません。雑然と並べられている商品のそばには、ここでもお雛様が飾られていました。

 
 
 朝市に並べられる魚介類は、勝浦港で上がったものが中心ですが、この勝浦港を拠点とする回船問屋の古い家が港近くに残されています。入り口の上に破風を置いて宮型と呼ばれる銭湯に似たような建物や白漆喰の土蔵造りなどの建物は、少々周りを圧している感じもします。商店街の中には、唐破風を持った旅館も残っていて、近代的なホテルとは一味違った雰囲気を作っています。商店街の中や、町並みの中には、大都市ではあまり見かけなくなったちょっと古さを感じる民家や商店が多く残されていて、どことなく懐かしさを感じる町並みです。

 勝浦は東京から外房線の特急で1時間半ほど、アクアラインを経由するバスで行っても2時間ほどで着いてしまいます。太平洋を望んで、温暖な外房ですが、意外なほど近いと言えます。この近さのために、外房に居を構える人も有名人をはじめとして、増えているそうです。高速のインターネットが普及した現在では、オフィスなどに行かなくても自宅で仕事が出来てしまうことが多いためです。ソフトの作成や文筆業などの分野では、ネットでプログラムや原稿を送って、Skypeで打ち合わせをすれば十分かもしれません。ただ、かつて本社を神奈川県の町外れに引越しをした会社では、週末には無性にネオン街が恋しくなったとのこと、ネットでは人のぬくもりまでは伝えられないですからね。

クルカ国立公園には連続した小さな滝がさわやかな景色を作っています(クロアチア)

2011-06-19 08:00:00 | 世界の町並み
 中国の江南地方には、揚子江の河口付近に水郷地帯広がり、前回はその中から烏鎮を紹介しました。水郷地帯は縦横に走る掘割の静止した水面が続く魅力ですが、数多くの滝が動く水の魅力となっているのがクルカ国立公園です。今回は、国立公園でありながら、日本のガイドブックにはほとんど載っていないクロアチアの自然を紹介します。

 クルカ国立公園は、アドリア海に沿って細長く伸びる部分に内陸に向かってこぶのように突き出したような国土を持つクロアチアの中で、アドリア海に面した部分のほぼ中央辺りで、少し内陸にひったところにあります。聖ヤコブ大聖堂が世界遺産になっている海沿いのシーベニクからバスで30分くら乗ったスクラディンが最寄の町になります。ところが、このバスが大変に不便で、一日に数本しかありません、帰路にバスに乗り損ねるとその日にはシーベニクに帰って来れなくなります。滝のある国立公園のエリアには、スクラディンから遊覧船が出ていて30分くらいで到着します。筆者の場合は、その後の予定から1時過ぎまでにシーベニクに戻る必要がありましたが、まばらなバスダイヤの割りに都合の良いバスがありました。ただ、このためには公園内の滞在時間は1時間ほどです。

 
 ガイドブックにも載っていないクルカですが、訪問のきっかけはシーベニクのホテルのロビーに架かっていた絵でした。滝の連続する風景は魅力的でしたので、フロントで尋ねると、さほど遠くないようです。そこで、バスセンタや観光案内所に聞きまくって情報を集めて、かなりリスキーな旅程が出来ました。ただ、このリスクを犯すだけの価値があったようです。遊覧船で移動中に降っていた雨も止んで、滝めぐりの頃には晴れてすばらしい風景を堪能できました。滝が連続する風景は、三重県の赤目四十八滝にもありますが、赤目は狭い渓谷の岩の間を流れ落ちる小さな滝の連続という景色です。散歩道も流れのすぐそばの渓谷を歩く感じです。一方、クルカの川はかなりの幅があって、渓谷といった感じはありません、滝の幅も大きく一箇所から複数の滝が流れ落ち、すぐ上流にはさらに複数の滝が覆いかぶさって見えます。散歩道も、流れのすぐそばではなく、着かず離れず、時には流れを見下ろすような所もあって、変化に富んでいます。

 クロアチアのシベニクから内陸の首都のザグレブに向かう途中に世界遺産のプリトビッチ国立公園があり、湖水と豊かな緑で観光客を魅了しています。多くの湖水は、石灰の堆積物によるせき止湖で、湖水と湖水との間には数多くの滝があり、この滝の部分は繰るかの景色に似ているようにも思います。ただ、クルカは、あくまで川で流量がかなり大きく滝の迫力では勝っているようにも思います。

 この流れを利用した、水車小屋もあって、中の様子を見ることが出来ます。さらに、ここには世界で最初に商用電力を供給した水力発電所が建設され、送電線によりシーベニクまで電気を送ったそうです。世界で最初に稼動をした商用水力発電所はナイアガラで、クルカより3日早かったのですが、バッファローまでの送電線が完成して商用に供されたのは1年後まで待たねばならなかったためです。

 東日本大震災による災害で原子力発電が見直され、自然エネルギーを利用した発電にシフトする動きがあります。水力発電は発電としての歴史も古く自然エネルギーを使う発電の元祖のようなものですが、現在の日本では総発電量の7%と意外に小さな割合でしかありません。降水量が比較的多く、山が急峻で発電のための落差を得やすい条件を持っている割には小さく感じます。世界的に見ると未開発の水力エネルギーは世界の総電力需要を上回るという推定もありますが、まだまだ未開発部分は残されているのでしょうか。ただ、クリーンと言われる水力発電ですが、大規模なダム建設などによって水没などの自然破壊を伴うことも事実のようです。

金比羅詣での街道筋からも丸亀城の天守閣はよく見えます

2011-06-12 08:00:00 | 日本の町並み
 四国の4件の中で唯一太平洋に面してユニークな人材を輩出したのが高知でしたが、高知の中心には現存天主の一つの山城の高知城が市内を見下ろしています。四国には4つの現存天守閣がありますが、今回は、その中の一つの丸亀城がそびえる丸亀を紹介します。

 
 現存天守閣は全国に12残されていて、四国にはその1/3があることになり、丸亀城を含めて、そのすべてが平山城です。このため、お城は高みにあって市街地の何処からでも見ることの出来るシンボルとなっています。ただ、平山城といっても、麓の大手門から天守閣まで上るのは思いのほかの標高差があってくたびれます。息を切らせて上って行くと、遮るものが無い眺望は、上っただけの価値を感じます。通常は北にある大手門からの往復になりますが、帰路には南側の搦め手に回ると観光客も少なく、石垣の美しさを感ずる散歩道になっています。

 
 さて、丸亀市ですが、香川県の北部中央の瀬戸内海に面し、市域は瀬戸内海の塩飽諸島にも広がっています。塩飽諸島は行って見たいところに一つですが、取材旅行に行くことが出来れば取り上げようと思います。筆者が訪問したのは、旧市街で、お城付近には、城下町を思わせる古い町並みが点在しています。商店街の中にぽつんと黒壁の商店が現役で使われていたり、なまこ壁の土蔵が残っていたりします。

 
 多少まとまって古い町並みが続くのは、丸亀港に上陸した金比羅参りの客が通った金比羅街道沿いの町並みです。ただ、古い家並みはほとんど新しいマンションなどに代わっていて、百四十丁の石灯籠や百五拾丁石の基点石などの道標群や中府の大鳥居などの石造りの物が参詣道の面影を残しています。お城の美しい石垣といい、丸亀訪問の目的の一つは石を見に行くことなのかもしれません。

 石ばかりが丸亀ではなく、バルビゾン派の美術館が存在することも魅力の一つなのですが、こちらのほうは余り知られていないようです。この美術館は、「「中津万象園」の中に設けられた丸亀美術館の絵画館なのです。美術館は絵画館の他に、オリエント地区で出土した陶器を陳列する陶器館と江戸から昭和に掛けての数々の雛人形を展示するひいな館があります。バルビゾン派の絵画はミレー、ルソー、コロー、クールベなどかなりの見ごたえがあります。田園風景を描いたバルビゾン派の絵画は特に日本人が好きなようで、首都圏の八王子にも村内美術館があって、こちらも多くのコレクションがあり見ごたえがあります。

 絵画館の母体となる中津万象園ですが、丸亀城などのある駅周辺から西よりに2kmほどの海に面したところにある回遊式池泉庭園です。江戸初期に丸亀二代目藩主京極高豊候により中津別館として作られたのですが、京極氏の祖先の土地であった近江八景を模した庭園です。メインとなる池は、琵琶湖に見立てているとのことで、庭に点在する茶室を眺め、手入れの行き届いた花木を含む植え込み、そして材料も形も違ういろいろな橋を渡って一周するお庭は、なかなか贅沢な景色を見せてくれます。

 丸亀の特産品に「うちわ」があり、市内には「うちわの港ミュージアム」もあります。なんと全国シェアーが90%と、うちわを見たら丸亀で作られたと思ってほぼ間違いなさそうです。今年は、電力不足で消費電力を食うエアコンより扇風機がもてはやされそうですが、うちわなら消費電力量はまったくのゼロです。パソコンなどの電子機器には多くの場合ファンが入っています。プロセッサーの速度に比例して消費電力は大きくなり、その電気エネルギーは最終的には熱に変わり、電子機器はその熱に弱いのですから風を送って冷やすしかないのです。この夏は、ファンの消費電力を抑えるために丸亀産のうちわでパソコンを扇いでみますか。

返還後のマカオはポルトガルよりポルトガルの香りがするかもしれません(中国)

2011-06-05 08:00:00 | 世界遺産
 自己防衛のために西洋と東洋とが折衷した楼閣が畑の中に林立している村が開平でしたが、その開平からバスで3時間ほどのマカオは西洋と東洋との文化が折衷された混沌さが魅力的な町です。対岸の香港は商都としての発展が目覚しく、文化的な遺産はほとんど見受けられませんが、マカオの方はポルトガルと中国の文化が融合した遺産が数多く残されています。今回と次回の2回に分け、今回は半島の南部を中心に、マカオの魅力を紹介します。

 マカオは、広州の南150kmほど、中国大陸から突き出た半島と島からなる特別行政区です。かつてはポルトガルの植民地で、1997年に香港が返還された後の1999年に中国に返還されて香港と同様に特別行政区となっています。このため、中国本土との間には実質的な国境があり、パスポート・コントロールのために、ゲートの通過に結構時間を要します。ただ、日本人観光客の多くは、香港から高速船でやってくるので港で出入国には時間がかからないようです。30年ほど前、つまりポルトガルの植民地であったころに香港から日帰りをした時には、にぎやかな香港から訪れたこともあって眠ったような町だったという印象でした。ところが、返還後に再訪したマカオは、見違えるような華やかさを持った町になっていました。

 ポルトガルと中国との文化を融合した建物群は30年前にも当然ながら存在していたはずです。しかし、これらの遺産が世界遺産に登録されるまでは、あまり注目されず、空港があって買い物天国の香港にばかり観光客が集中したのかもしれません。ラスベガスまでも抜いたといわれるギャンブルのために訪れる観光客が中心だったのでしょう。現在は空港もでき、世界遺産の登録を受けた建物群には数多くの観光客が集まり、香港に負けない喧騒さがあり、かつての眠った町の面影はほとんどありません。しかし、ちょっと裏道に入ったり、遺産に登録された建物でも、足の便の悪い場所にあるものでは観光客の姿を見かけることは少なく、喧騒さを離れてほっとします。

 マカオの世界遺産は8つの広場と22の歴史建造物が登録されていて、一つの世界遺産の登録地域に、これだけ数多くの建物が登録されているのも珍しいかもしれません。香港の1/40程度という狭いエリアのほぼ全域にこれらの建物群が散らばっています。今回は、マカオの名称のもととなった道教の廟である媽閣廟のある半島の南西に突き出した長さが1km、幅が600mほどの地区を中心に紹介します。

 この突端部はきわめて狭いエリアですが、世界遺産登録の建物郡の半分以上がひしめいていて、順に見ていくと意外と時間がかかります。突端部の中央が丘になっていて、登ったり降りたりの連続となるのも時間のかかる要因の一つかもしれません。散策のスタートとなる媽閣廟は先端に近い所にあり、海の神様である媽祖は観光客だけではなく信仰のために訪れる人々をも引き付けていて、混雑しています。

 
媽閣廟の裏山を越えて、禮賓府を右手に見ながら坂を下って、さらに次の丘を登ったところにあるのがペンニア教会で、高台からの眺めはすばらしいのですが、この教会は世界遺産登録されていないようです。

 
 この丘も越えるとリラウ広場、その先にあるのが鄭家屋敷です。清朝から中華民国に掛けての思想家・実業家の旧居で、間口の狭い奥に長い建物ですが、間仕切りに彫られたレリーフや屋根裏の木組みが美しい家屋です。

 

 
 そこから高台を北に進むと、聖ローレンス教会、聖ヨゼフ教会と遺産登録の建物が続き、聖オーガスティン広場を囲んで、聖オーガスティン教会、ロバート・ホートン図書館それにドンペドロ5世劇場があります。これらの建物は、ペパーミントやクリーム色のあわいパステル調の色が塗られていて、原色が多い中国とも旧宗主国のポルトガルともやや違った色合いのようにも思えます。

 ギャンブルで一攫千金を夢見る人は多く、たまたま大金を手にした有名人の報道などがあると、私にもと思うのかもしれません。ただ、ルーレットのルールを見ても、胴元総取りとなるポケットもあって、平均的には胴元だけが儲かり、お客は儲からない仕組みになっているようです。昔見た映画の中で、ルーレットの出目をコンピュータ(その頃はパソコンは無く大型のコンピュータだった)に送って、規則性を計算させて、次の出目を推定して大もうけをしようとたくらむ場面がありました。映画では、この操作がばれて、儲け損ねたようですが、ルーレットを始めとして、ギャンブルのマシンは、ほんとにランダムなのでしょうか、それともコンピュタによる最適予測が可能なのでしょうか。