世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

今回はインターラーケンの町ではなく、ほとんどがトゥーン湖の紹介です(スイス)

2015-06-28 08:00:00 | 世界の町並み
 ピータラビットの故郷の高原に数多くの湖が散らばっているのがイギリスの湖水地方でした。高原に湖が散らばる景色では、スイスがその最たる国の一つではないでしょうか。イギリスの湖水地方と違って、湖の近くにそびえる山々は、丘ではなく、3,000mを越え雪を頂くアルプスの場合が多いかもしれません。今回は、これらの中から二つの湖に挟まれた町という名前のインターラーケンをトゥーン湖を中心に紹介します。

 インターラーケンは、スイスのほぼ中央、首都のベルンの南東40kmほどの所にあります。インターラーケンの町並みは、西のトゥーン湖と東のブリエンツ湖とを結ぶアーレ川の南に東西に広がっています。鉄道駅はインターラーケンヴェスト(西駅)とインターラーケンオスト(東駅)があって、世界遺産のユングフラウに上る登山電車は東駅から出ています。一方、観光船は、トゥーン湖へは西駅の、ブリエンツ湖へは東駅のそれぞれ裏に波止場があって発着をしています。インターラーケンの地名は英語にすると inter lake で、湖の間という地理上の特徴がそのまま町の名前になっています。

 
 スイスでは、外国からの旅行者に鉄道のパスを発行していて、複数の国で使えますが国鉄のみに乗車できものと、スイス国内のみですが私鉄も乗車できるものがあります。スイスは私鉄が多いので、通常はスイスパスと呼ばれるスイス内の登山電車やケーブル以外のほとんどの鉄道に乗車できるパスが使われます。このパスを使うと、有効期間内であれば、鉄道やバスの他に、登山電車が割引になるだけでなく、ほとんどの観光船にも乗船できてしまいます。船からは、鉄道とは違った視点で山々や湖岸の城なども眺められ、移動に時間はかかりますが、移動そのものが目的とできます。

 
 筆者は、ベルンからインターラーケンへの鉄道をトゥーンで途中下車をして、インターラーケンヴェストまで観光船に乗りました。おそらく、時間は鉄道の5倍以上かかったと思いますが、2時間の船旅は天気にも恵まれて快適でした。湖岸には、お城のような建物やホテル、別荘と思し建物などが緑の中に建っています。そして、はるか向こうには上半分に雪が残るアルプスの峰峰が望まれます。おそらく、世界遺産のユングフラウではなかったかと思います。このブログは世界の町並みなのですが、インターラーケンの町並みはほとんど記憶がありません。ホテルに荷物を置いて、すぐに登山電車でユングフラウに上り、翌日は雨で早々に次の滞在地に移動してしまったからです。

 スイスというと精密機械の時計を思い起こします。ただ実用的な時計の大部分はクォーツになってしまい、メカ的な時計は装飾品として使われているのみです。ところが、これらの高級時計の宣伝では、航空機のパイロットが使っていて丈夫で高精度とかといった文言を見かけます。精度や頑丈さの面では、どうがんばってもクォーツには及ばないわけで、ノスタルジ以外の何物でも無いように思うのですが、売れてるから不思議です。高精度の工作技術はすばらしいとは思いますが、無駄なエネルギーのように感じます。

再訪の時も雨の知覧でしたが、雨にぬれた武家屋敷の庭石も風情がありました

2015-06-21 08:00:00 | 日本の町並み
 日本一の欅の巨木がある、薩摩藩の外城の町が蒲生でした。薩摩藩の外城は100箇所以上も有り、重要な軍事拠点になっていました。今回は、数ある外城群の中で、およそ9年前に一度紹介をしたことのある知覧を再度紹介します。前回は写真が1葉のみでしたが、今回は再訪のときに撮影した写真を複数掲載したいと思います。

 知覧は、鹿児島の市街地の南南西25km、バスで70分ほどの薩摩半島の中央部にあります。最初に訪問の時には川辺郡の町の一つでしたが、その後に合併によって南九州市の一部になっています。かつては、伊集院と枕崎を結ぶ鹿児島交通の支線が西から延びていましたが、現在はその面影すらありません。知覧の駅跡というのは、武家屋敷の並ぶ町並みの南西方向、川を渡った対岸にあり、現在は鹿児島交通のバスの車庫になっているようです。

 
 
 鹿児島からのバス停を降りて、一筋南に入ると武家屋敷通りになります。両側を石垣に囲まれ、屋敷の庭より一段低くなり、ちょっと閉塞感のある道路がバス道路と並行に伸びています。どうも知覧を訪れる時は雨が降る巡り会わせらしく、2回目も雨模様でした。樋状になっている道路の壁面が暗く、底の面が光る景色は、ちょっと奇妙な感じがします。

 
 
 
 
 道路の両側の武家屋敷群には、それぞれ個性的な庭を持っている屋敷が多く、枯山水風、池泉式庭園、石庭風など、こじんまりはしていますがバラエティに富んでいます。訪問をした時は、お雛様の季節でしたので、段飾りのある屋敷が多かったのですが、五月人形で飾る鎧や兜を飾る屋敷もあって、桃の節句と端午の節句が混在してしまった感じでした。

 
 知覧というと、特攻機地のイメージが強く、その記念の施設も周辺に作られています。それらの、特攻を正面から取り上げるのではなく、特攻隊員との交流が深かった富屋食堂が知覧駅跡近くに再建されています。食堂の女将と隊員とのふれあいは映画にもなり、この建物もロケに使われたようです。特攻機地は知覧が有名ですが、敗戦の前には九州だけではなく、日本中に滑走路と格納庫が作られたようです。何が何でも戦争をするんだという、軍部の暴走が招いた悲劇ですが、現在の日本ももと来た道を突き進んでいるように思えてなりません。大多数の人間を生贄にして、戦争で巨万の富を得る一部の人間が世論操作までも行っているように感じます。富屋食堂の話も、本来は女将の善意で始められた逸話でしょうが、得てして戦争を美化する材料にされかねないのが、現在の日本ではないでしょうか。

 よく、兵器の技術を民間転用することで、技術が進歩すると言われます。これはIT技術の面でも、けっこう耳にするフレーズで、その最たるものの一つがGPSとも言われます。たしかに、兵器の技術の流用によって、民生機器の品質が向上することは事実でしょうが、その兵器の開発には莫大な予算が使われています。最初から、民生機器として研究開発を行えば、その何分の一かの費用で済んでしまうのは明白です。このような、論理のすり替えが行われることも、危険な兆候の一つなのです。

ベトナムを代表する世界遺産のハロン湾には巨大な鍾乳洞もあります(ベトナム)

2015-06-14 08:00:00 | 世界遺産
 ロンドンを代表するというより、イギリスを代表するような世界遺産がウェストミンスター寺院と宮殿でした。ビッグベンを見上げるとイギリスに来たな~と実感する場所のように思います。それぞれの国に、その国を代表するような世界遺産がありますが、わが国の場合は、意見が分かれるかもしれませんが、富士山が順当なところでしょうか。さて、今回の世界遺産ですが、我が国とほぼ同じ面積に8箇所の世界遺産を持つベトナムから、代表格と言えるハロン湾を紹介します。

 
ハロン湾は、首都ハノイから東へ約80km、車で2時間足らずの港から船で行くトンキン湾北西部の多島海です。ハノイを出発する現地催行の日帰りツアーで十分に行って帰れる距離ですが、クルーズ船で1泊するツアーも人気があるようです。海の桂林とも呼ばれ、その桂林から続く石灰岩台地の一角で、沈降後に海食によって現在の姿になったと言われています。ツアーでは、ティエンクン洞という巨大な鍾乳洞があるダウゴー島に寄りますが、これは石灰岩でできた島だからです。

 伝説では、かつて中国がベトナムに攻めてきた時に、龍の親子が現れて撃退し、その時に口から吐き出した宝石が現在あるような島々になったとのことです。現在でも、ハロン湾は中国国境に近いため、かなりピリピリ状態なのだそうです。

  
 
 ハロン湾の観光船は、宿泊設備のある大きな船から、神戸や横浜などで港めぐりで乗船するような小型の船まで様々です。筆者の乗った船は、中位の船だったようで、船内で海鮮料理の昼食を食べたように思います。コースの途中には、いけすに入れた魚などを売っている筏船もありましたが、昼食がここからの魚だったどうかは解りません。

 
 
 
 ハロン湾の島々は、横幅より高さの方が大きい者が多く、背の低い島が連なる日本の松島とは風景のイメージが違います。訪れた時は、少し天気が悪く霞んでいたせいもあり、怪獣が現れそうな不気味さもありました。かつては、龍の親子が現れたのですから、今も何か出てくるのかもしれません。ただ、小ぶりの島もあって、動物などの姿に似ていて、観光船の案内ではXX岩といった説明もあったように思います。中で最も有名なのは香炉岩で、香炉の脚に見える部分の上に四角の岩が乗る姿はベトナム紙幣にも採りいれられています。


 
 ダウゴー島の鍾乳洞は、かなりの規模で、島にこんな洞窟があったのかとびっくりします。ただ、文化の差なのでしょうが、内部のライトアップは白色光ではなく、赤青黄と色とりどりのカラフルなもので、テーマパークか何かに入ったような感じを受けます。

 電子書籍の普及が進んで、電車の中でもタブレット端末で読書をしている方をよく見かけるようになりました。電子書籍は本棚が要らなくって、コレクションで本を購入する人以外にとってはメリットの多い媒体かもしれません。しかしながら、物理的な本にしか無い利点も多く、全面的に乗り換えるのは、まだまだかもしれません。この本で問題となるのが印刷媒体となる紙で、洋紙の大部分が酸性紙だったために、経年変化でぼろぼろになるということでした。欧米でで20世紀の初頭から問題になり、わが国でも1980年代から、本に使われる紙の中性化が進みました。この中和に使われるのがハロン湾の島を構成する炭酸カルシュウムですが、電子書籍とて読むためのシステムが変わればただのメモリになります。パソコンなどのOSが、利益追求のために頻繁に変わるご時勢ですからありえないことではありません。

薩摩藩の外城の一つの蒲生には日本一のクスに加え御仮屋跡には犬槙の巨木もありました

2015-06-07 08:00:00 | 日本の町並み
 姫路市の北の宍粟市の中心にある山崎の大歳神社には、1本の木が境内を埋め尽くすように大きくなった千年藤があって観光客を集めていました。神社仏閣には、御神木的な巨木があることが多く、注連縄などが張られている姿をよく目にします。これらの中で、日本最大の巨木と言われ天然記念物になっているのが蒲生八幡神社境内の大楠です。今回は、大楠の茂る神社周辺の町並みを紹介します。

 蒲生(かもう)は、鹿児島県に中央部の鹿児島市から北に20kmほどにあります。現在は姶良(あいら)市の一部で、姶良の市街地が錦江湾に面して、日豊本線の駅があるのに対して、まったくの山の中、鉄道も通っていません。鹿児島市や姶良市街との間でバスがありますが、かなり不便そうです。面白いのは、鹿児島空港と川内とを結ぶ空港道路を走るバスが、ほぼ1時間おきに停車することでしょうか。空港までは直線で10kmほどで、鹿児島市内へ行くよりも近いわけです。

 
 蒲生は、江戸時代には薩摩藩の外城の一つで地頭仮屋の置かれた所で、おそらく江戸時代にはもっと賑わいを見せた土地ではなかったかと思います。地頭仮屋跡には、かつての町役場であった市役所の支所が建っていますが、その前には樹齢400年という、こちらは犬槙の巨木が残っています。かつての地頭仮屋の庭に植えられていたもので、そばには仮屋の門も残されています。

 
 さて、日本一の巨木といわれる大楠の木ですが、蒲生神社の境内の右側にそびえています。高さが30m、目の高さの幹周が24.2m、根回りが33.5mあり、樹齢は1,500年だそうです。和気清麻呂が大隅に配流になった時に、持っていた杖を地面に刺したら根付いたという伝説があるようです。台風による被害などでだいぶ痛んでいますが、存在感のある木です。

 
 
 町並みは、他の薩摩藩の外城の知覧や入来などと似た雰囲気です。石畳の道の両側に民家の石垣が続き、その上には生垣が植えられ、所々に武家門の名残が見られます。石垣の高さが知覧ほどではないのと、道路があまり狭くないので、知覧で感じたような巨大迷路に迷い込んだ感覚はありません。これは、道路が格子状でまっすぐなためかもしれません。

 クスノキの茎や葉を水蒸気蒸留すると樟脳が取れます。樟脳は衣服の防虫剤としてさかんに使われたほか、鎮痛剤や鎮痒剤や清涼感を与える薬剤として痒み止めや湿布薬などの外用薬としてつかわれています。かつては、強心剤として使われ、カンフルという言葉は、人間の蘇生だけではなく、企業や物の蘇生に使われる手法や物、金などを「カンフル剤として・・」というように使われてきました。ただ、電子回路の蘇生のためのカンフル剤というのは、あまり聞いたことが無いように思います。自己復旧する電子部品の研究なども行われているようですが、なかなk実用品を見かけません。これは、誰にでも勧められる手法ではありませんが、駄目になった電子機器を蒸留水で丸洗いという手もあります。うまくすれば、復活しますが、乾燥が難しいようです。