世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

西の小京都の山口、瑠璃光寺の五重塔は運賃を払っても見に行く価値があります

2005-12-25 15:08:36 | 日本の町並み
 古河にある旧宅が残されている鷹見泉石は江戸時代の蘭学者の一人として有名ですが、蘭学はキリスト教とは無縁と称したオランダを経由した西洋学でした。そのキリスト教を伝えたのはスペインのフランシスコ・ザビエルで、そのザビエルの名を冠した記念聖堂が、大内氏の城下町の山口にあるのをご存知でしょうか。
 現在の聖堂は2代目で、10数年前に焼失した初代の聖堂の跡に信者の募金などにより建てられたものです。2代目の三角形のモダンな建物もシャープさがあってそれなりにいいのですが、個人的には初代のロマネスク様式の建物が好きでした。新旧に共通するのが時計塔と鐘楼の2本の尖塔で、軽やかな鐘の響きでその存在をアピールしているようです。
 山口市は鉄道の無い沖縄を除いて唯一JRの本線上に位置しない県庁所在地でしたが小郡町と合併して市域が広がり新幹線の新山口駅も山口市内となりました。しかし、人口は商都の下関市のおよそ1/2でしかありません。このために、県庁所在地にしては、のびやかな雰囲気のある都市のように思います。この雰囲気が西の京都と呼ばれる所以のひとつなのでしょうか。
 その新山口から山口を経由して島根県の津和野まで走っているイベント列車がSL山口号です。梅小路機関車館で動体保存され貴婦人と呼ばれた優美なC571とレトロな客車の組み合わせが人気を呼んでいるようです。筆者は山口号には乗り損ね、その後を走る列車で着いた津和野で間近に眺めることができましたが、途中にはいくつかのトンネルがあるので、乗車した人たちは多少煙かったのではないでしょうか。かつては、この煙のために蒸気機関車が敬遠された時代もあり、現在の人気からは隔世の感があります。
 西の京都と呼ばれるだけに数多くの神社やお寺が残っていますが、なんといっても瑠璃光寺の五重塔がお奨めです。寺の本堂などは残っておらず塔のみが山の緑を背景に、前には池を配して建っています。桧皮葺で屋根に掛かる負担が小さく、そのため各階の軒が深くでき、塔身の細い塔は、山口までの旅費を払ってでも見に行く価値があるのでは、と思うのですが。
 薬師寺の三重の塔を凍れる音楽と表現したのはフェノロサですが、そのフェノロサがアメリカからの運賃を払ってでも見る価値があると評したのが薬師寺の仏像です。運賃を払って実際に現場まで出向くのと、映像などで鑑賞するのとでは受ける感動は違うのでしょうが、携帯電話からも動画が送れる現在では、離れた場所に居てちょっぴり現場の雰囲気を味わえるかもしれません。次世代は現場で受ける感動をも伝えられるようなシステムの開発が必要かもしれません。

教会の壁に描かれた壁画がバラエティに富むモルドバ地方の教会群(ルーマニア)

2005-12-21 15:09:59 | 世界遺産
 ルーマニア全土では7箇所の世界遺産が登録されています。6箇所までが文化遺産ですがドナウデルタという自然遺産もあります。その中でモルドヴァ地方の教会群は、5箇所の教会が広い地域に分散しています。短期間の滞在では、公共の輸送機関を使って回るには無理があり、ガイド兼用のドライバ付きの車をチャータする必要がありました。
 半日程度で一巡できましたが、それぞれの教会の壁画は、色の具合は似ているのですが、モティーフは各々で異なり、描かれる壁面の規模も様々でした。民家もほとんど見当たらないような野っ原の中に、教会とその周囲だけに数多くの観光客や教会によってはシスターが群れている状況は、砂漠の中に忽然と出現するラスベガスを思い起こします。
 教会といえば、モルドヴァ地方の教会群をめぐる基地となるスチャバ市内の教会で思いがけず結婚式に参列することになりました。式の始まる前に、教会内の様子をうかがっていたら招き入れられて、とうとう最後まで式の状況を写真に収めることになりました。
 ルーマニアはカソリックの他にロシア正教会の流れを汲むルーマニア正教会があって、参列の結婚式はルーマニア正教会で行われたものでした。日本の教会などで行われる結婚式とは、儀式の様子がずいぶんと異なり、新郎新婦も参列者も椅子のない空間に最初から最後まで立って司祭の言葉を聴いたりします。式の終盤に新郎新婦と立会人それに両親が、香炉を振りかざす司祭に導かれて祭壇の周りをグルグルと回るのですが、日本の静的な印象の儀式と比較してずいぶんとダイナミックな印象を受けました。

日本唯一の篆刻美術館がある古河

2005-12-18 15:10:54 | 日本の町並み
 大森町は石見銀山で栄えた町ですが、銀といえば銀行の取引で常に使われるのが印鑑です。印鑑、特に実印でよく使われる字体の一つが篆書体です。今回はその篆書の美術館のある茨城県の古河(こが)から紹介します。
 古河は室町時代の古河公方のあった町として、江戸時代には徳川譜代大名の城下町として発展してきた町で、町のそこここに歴史を感じさせる建物などが残されている町です。現在は、上野まで1時間程度の距離に位置することから、東京のベットタウン化しているのかもしれません。駅周辺は建物が建てこんで、何処にでもある地方都市の様相ですが、ちょっと歩くと武家屋敷の遺構や石蔵を利用した篆刻美術館など町の特徴のある顔が見えてきます。
 篆刻は中国で起こった書道のひとつで、四書五経などの中から名文を選び篆書体で石に刻んだものを押印して鑑賞するものです。篆書体は水が流れるような字体で、その起源は古く、漢字のルーツと言われています。一つの文字に対して数多くの字体があり、くねくねとした字体とあいまって実印などでニセモノを作りにくくしているのかもしれません。ただ、最近はデジタル処理で印影を簡単に偽造することができるようで、はんこ文化を揺るがすものとして問題化しているようです。
 駅の南西方向の町並みが途切れるあたりに蘭学者の鷹見泉石の晩年の住まいが残されていて公開されています。鷹見泉石と聞いてもピンと来ない方でも、渡辺崋山が描いた国宝の肖像画をご覧になられた方も多いかもしれません。住居は古河城の余材を利用して建てられたとのことですが、この住居で江戸時代唯一のオランダ地図の研究などが行われたそうです。
 人工物の印鑑によって本人を確認する手段は、人工物ゆえ偽造の恐れがあるのは避けられないことだと思います。指紋や虹彩や声紋などによるバイオ認証は個々の生身の人間が持つ特徴を利用したものゆえ偽造は難しいのではないでしょうか。携帯電話にも指紋認証機能を持つものも登場していますが、カメラやマイクを持つ携帯電話では声紋や顔の輪郭を利用した認証など総合的に個人を特定できる可能性」があるのではないでしょうか。

シドニーから日帰りでユーカリの青さが美しいブルーマウンティンズ(オーストラリア)

2005-12-14 15:12:09 | 世界遺産
 今月の25日はクリスマスですが、サンタさんはトナカイに引かれたソリに乗ってくるものとばかり思っていましたが、南半球のオーストラリアでは夏真っ盛りで、サンタさんもトナカイのソリではなくサーフボードに乗ってやってくるのではないでしょうか。
 オーストラリアには10を超える自然遺産がありますが、その中でシドニーから列車で2~3時間のブルーマウンティンズは、パッケージツアーの自由時間にでも往復可能な場所で、訪れる人もさほど多くないように思います。インディアン・パシフィックも走る大陸横断路線の途中にあって、平地を走っていた列車が、上り勾配を登って山に分け入ったあたりに位置します。車窓からは、綺麗な雲海を眺めることができて、その雲海が目指すブルーマウンティンズであることは着くまでわかりませんでした。訪れたときは日本の夏で、オーストラリアは冬、ブルーマウンティンズは標高が高いせいか、かなり寒かった記憶があります。駅からバスもありましたが、20年ほど前はあまり本数はなかったようですが、現在はどうなっているでしょうか。
 ブルーマウンティンズの名前の由来は、山にユーカリが多く全体が青く見えるためだそうです。綿々と続く青い山並みと、その間を埋める雲海は、山の景色を見慣れた日本人にも新鮮でした。現在はなくなっているかもしれないのですが、奇妙な2種類の乗り物に乗ることができました。一つはロープウェイ、他方はケーブルカーで、どちらも山にはつきものですが、ちょっと変わっています。ロープェイのほうは、谷を跨ぐように懸けられていますが、途中で止まって折り返し、けっして向こうへは運んでくれないのです。ケーブルカーの方は、断崖を下るように作られていて、通常は往復乗車になります。この勾配が半端ではなく、ケーブルというよりエレベータと呼んだほうがいいかもしれません。何人かは、下の駅で下車していましたが、そこから歩いて戻るのは、かなりきついのではないかと思います。
 オーストラリアは比較的歴史が浅いためか、広大な国土に少しの人間しか住んでいません。不動産屋さんの店頭に、日本では3DK程度のマンションしか手に入らないような価格で、けた違いに広い建物と庭がついた一戸建て物件の案内が表示されていて羨ましく思ったものです。これらの物件では「北向きで日当たり良好」という表示があるのではないでしょうか。オーストラリアは南半球ですから、とうぜん太陽は東から上って北側に回り込み、日当たりも北側がよくなります。北半球の人間からはちょっと不思議に思いますが、南側が日当たりがよいというのは、北半球に住む人間の常識で、全地球上で普遍的なものではないわけです。北半球の方で陸地が多く、歴史にも早くから登場したために、北半球での物の見方が地球共通なものと誤解されがちなのでしょう。我々が日常に見る世界地図も北を上にして描かれていますが、オーストラリアでは南を上にしたものが売られています。ITの分野においても、常識だと思われていることを、いったん否定してみることで、新しい発見や、発想が生まれたように思います。

世界七不思議で唯一現存するピラミッド(エジプト)

2005-12-07 15:14:22 | 世界遺産
 エジプトの遺跡はどれをとっても巨大で、その大きさが周辺の物と比較しにくいため、なかなか実感できませんが、とにかく巨大です。ギリシャを訪問したあとエジプトを訪れた方の弁によると、「エジプトのルクソールにあるカルナック神殿を見てしまうと、ギリシャのアクロポリスはマッチ箱みたい」とのこと。
 なかでも巨大さの代表格はピラミッドで、古代ギリシャ時代の世界七不思議のなかで現存する唯一の遺跡でもあり、このことからも地球を代表する遺跡といえるでしょうか。平面図における面積では日本の仁徳天皇稜が世界一の大きさですが、体積や重さではピラミッドがまさっています。これだけ有名な遺跡のわりには謎も多く、そもそも王様の墓という説にも疑問が多いとか。最も大きなギザのクフ王のピラミッドでは、盗掘のために空けられた穴を利用して、観光客も玄室まで入ることができますが、急な坂のうえにトンネルの天井が低くて中腰で歩く必要があり、玄室までの上りはけっこう辛いものがあります。
 近年は観光客の吐き出す湿気のためにピラミッドが傷むとの理由から、一日の入場者数を制限していて、観光シーズン中は入場券を手に入れるのがかなり難しく、最近の日本発のパッケージツアーでもピラミッドの中には入らないそうです。
 古代エジプトの技術は、我々から想像もできないほどの発展をしていたように思います。巨大なピラミッドを「作り上げた土木技術だけでなく、その四辺が方位と性格に一致するなどの天文学など、現在の科学技術をもってしても困難な課題を克服しています。IT全盛の世の中ですが、果たして人類はほんとに発展してきたのだろうか、とふと疑問に思います。

かつては世界の銀の生産量の1/3を算出した石見銀山で栄えた大森

2005-12-07 15:13:14 | 日本の町並み
 上下は石見銀山に通ずる街道の宿場町として栄ましたが、その石見銀山で栄えた町が島根県の大森です。石見銀山の遺構を世界遺産に登録しようとの動きもあるようですが、大森町じたいは山陰線の仁万(にま)もしくは大田市から本数の少ないバスで20~30分に位置する静かな山里です。
 銀山の坑道は間歩(まぶ)と呼ばれ、町から更に山奥に2kmほど入ったところにその遺構が残されています。現在は、遺構のみですが、最盛期の16~17世紀には世界の銀の1/3を算出したといわれ、日本の銀のかなりの部分が石見銀山から掘り取られていたようです。微妙にカーブをする道に沿って、古い町並みが残されていて岡山県の吹屋にも似た感じがします。吹屋もベンガラ(酸化鉄)を産した鉱山の町だったという共通性からでしょうか。
 町の奥まったところには羅漢時というお寺があり、鉱山で亡くなった人々を弔うために18世紀に五百羅漢を彫って奉ったものとされています。五百羅漢は、寺の本堂から道路と川を隔てた斜面に安置され、川には3本の石橋が掛けられていて、この石橋がなかなか良い雰囲気を醸し出しています。羅漢像は50cm程度と小ぶりで、雨風それに日射による劣化を防ぐため扉を付けた祠の中に、さまざまな表情でところ狭しと並んでいます。
 羅漢は修行者の到達する最上の姿とされていますが、通常の五百羅漢像は修行中の姿として表されることが多いようです。このため、大きな口をあけて何かを叫んでいる像、眉間にしわを寄せて考え込んでいる像、中には泣いているのではないかと思われる像など人間臭い像が多いものです。親近感があるためか数多くの寺などに五百羅漢像が残されていて、川越の喜多院、目黒の五百羅漢寺、小田原の天宝寺、清水の清見寺など関東一円に多いようですが、兵庫県の北条には日本人離れの顔をした五百羅漢が並んでいます。
 一方、町の入り口付近には代官屋敷跡が銀山資料館として公開されています。羅漢寺と代官屋敷跡を結ぶ町並みには古い家を利用したお土産屋さんや喫茶店に加えて、画廊までありました。中には入りませんでしたが、外から見える感じではかなりユニークなスタイルを持つ作者の作品を展示していたようです。
 銀といえば、フィルムを使う写真では感光素材としてハロゲン化銀が使用されます。世界中で写真のために使用される銀の量は莫大であるとのことで、現像後の銀の多くは再利用されるようです。デジタルカメラや携帯電話のカメラ機能の普及は銀を使わない映像記録として、写真への銀の使用量を抑制して、銀本来の用途での使用量をふやす効果があるのではないでしょうか。

世界一のクリスマストゥリーのある上下

2005-12-04 15:15:44 | 日本の町並み
 世界一のクリスマスツリーのイルミネーションが日本にあるのをご存知でしょうか。それは広島県のJR福塩線の沿線にある上下(じょうげ)にあります。クリスマスツリーといっても一本の木ではなく、一つの山全体をクリスマスツリーに見立てて、電飾されます。通常はクリスマス前後に点灯されますが、費用を払えば希望の日にも点灯してくれるようで、誕生日や結婚記念日などに申し込まれる方もいらっしゃるそうです。ただ、木の葉の茂る夏は電球が葉によって隠れる部分が多くなるため、葉の落ちる冬場のほうが見栄えがするとのこと。
 上下というのは、ちょっと奇妙な地名ですが、山陽と山陰の分水嶺あたりに位置することからついた地名のようです。江戸時代には天領として、山陽山陰を結ぶ銀山(石見銀山)街道の宿場町として栄えたまちですが、現在は山の中に古い町並みを残す静かな町になっています。
 町の中心となる通りを歩くと、先に紹介した柳井のように白壁の商家が目立ちます。その中には見張りの櫓を持った旧警察署の建物もあって現在は食堂として利用されています。同じように塔がある建物として、蔵の上に塔を足したキリスト教会があり、こちらは現役の教会として使われています。塔の部分を見ていると口を大きく開けた人の顔のように見えてしまうのは筆者だけでしょうか。
最近はイルミネーションの数も増えて、首都圏では全部を回るには12月いっぱいかかるのではないかと思うほどです。かつてのクリスマストゥリーの電飾は単純に点滅するだけでしたが、このところのものは、いろいろと趣向を凝らしたものが多いようです。おそらく、プログラム制御で、点滅のパターンも日によって変えたり、天気によって変えるてのは簡単になってきているのでしょう。