古河にある旧宅が残されている鷹見泉石は江戸時代の蘭学者の一人として有名ですが、蘭学はキリスト教とは無縁と称したオランダを経由した西洋学でした。そのキリスト教を伝えたのはスペインのフランシスコ・ザビエルで、そのザビエルの名を冠した記念聖堂が、大内氏の城下町の山口にあるのをご存知でしょうか。
現在の聖堂は2代目で、10数年前に焼失した初代の聖堂の跡に信者の募金などにより建てられたものです。2代目の三角形のモダンな建物もシャープさがあってそれなりにいいのですが、個人的には初代のロマネスク様式の建物が好きでした。新旧に共通するのが時計塔と鐘楼の2本の尖塔で、軽やかな鐘の響きでその存在をアピールしているようです。
山口市は鉄道の無い沖縄を除いて唯一JRの本線上に位置しない県庁所在地でしたが小郡町と合併して市域が広がり新幹線の新山口駅も山口市内となりました。しかし、人口は商都の下関市のおよそ1/2でしかありません。このために、県庁所在地にしては、のびやかな雰囲気のある都市のように思います。この雰囲気が西の京都と呼ばれる所以のひとつなのでしょうか。
その新山口から山口を経由して島根県の津和野まで走っているイベント列車がSL山口号です。梅小路機関車館で動体保存され貴婦人と呼ばれた優美なC571とレトロな客車の組み合わせが人気を呼んでいるようです。筆者は山口号には乗り損ね、その後を走る列車で着いた津和野で間近に眺めることができましたが、途中にはいくつかのトンネルがあるので、乗車した人たちは多少煙かったのではないでしょうか。かつては、この煙のために蒸気機関車が敬遠された時代もあり、現在の人気からは隔世の感があります。
西の京都と呼ばれるだけに数多くの神社やお寺が残っていますが、なんといっても瑠璃光寺の五重塔がお奨めです。寺の本堂などは残っておらず塔のみが山の緑を背景に、前には池を配して建っています。桧皮葺で屋根に掛かる負担が小さく、そのため各階の軒が深くでき、塔身の細い塔は、山口までの旅費を払ってでも見に行く価値があるのでは、と思うのですが。
薬師寺の三重の塔を凍れる音楽と表現したのはフェノロサですが、そのフェノロサがアメリカからの運賃を払ってでも見る価値があると評したのが薬師寺の仏像です。運賃を払って実際に現場まで出向くのと、映像などで鑑賞するのとでは受ける感動は違うのでしょうが、携帯電話からも動画が送れる現在では、離れた場所に居てちょっぴり現場の雰囲気を味わえるかもしれません。次世代は現場で受ける感動をも伝えられるようなシステムの開発が必要かもしれません。
現在の聖堂は2代目で、10数年前に焼失した初代の聖堂の跡に信者の募金などにより建てられたものです。2代目の三角形のモダンな建物もシャープさがあってそれなりにいいのですが、個人的には初代のロマネスク様式の建物が好きでした。新旧に共通するのが時計塔と鐘楼の2本の尖塔で、軽やかな鐘の響きでその存在をアピールしているようです。
山口市は鉄道の無い沖縄を除いて唯一JRの本線上に位置しない県庁所在地でしたが小郡町と合併して市域が広がり新幹線の新山口駅も山口市内となりました。しかし、人口は商都の下関市のおよそ1/2でしかありません。このために、県庁所在地にしては、のびやかな雰囲気のある都市のように思います。この雰囲気が西の京都と呼ばれる所以のひとつなのでしょうか。
その新山口から山口を経由して島根県の津和野まで走っているイベント列車がSL山口号です。梅小路機関車館で動体保存され貴婦人と呼ばれた優美なC571とレトロな客車の組み合わせが人気を呼んでいるようです。筆者は山口号には乗り損ね、その後を走る列車で着いた津和野で間近に眺めることができましたが、途中にはいくつかのトンネルがあるので、乗車した人たちは多少煙かったのではないでしょうか。かつては、この煙のために蒸気機関車が敬遠された時代もあり、現在の人気からは隔世の感があります。
西の京都と呼ばれるだけに数多くの神社やお寺が残っていますが、なんといっても瑠璃光寺の五重塔がお奨めです。寺の本堂などは残っておらず塔のみが山の緑を背景に、前には池を配して建っています。桧皮葺で屋根に掛かる負担が小さく、そのため各階の軒が深くでき、塔身の細い塔は、山口までの旅費を払ってでも見に行く価値があるのでは、と思うのですが。
薬師寺の三重の塔を凍れる音楽と表現したのはフェノロサですが、そのフェノロサがアメリカからの運賃を払ってでも見る価値があると評したのが薬師寺の仏像です。運賃を払って実際に現場まで出向くのと、映像などで鑑賞するのとでは受ける感動は違うのでしょうが、携帯電話からも動画が送れる現在では、離れた場所に居てちょっぴり現場の雰囲気を味わえるかもしれません。次世代は現場で受ける感動をも伝えられるようなシステムの開発が必要かもしれません。