世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

漱石の「坊ちゃん」に登場する笹飴は、豪雪と雁木で有名な高田で作られていました

2009-12-06 08:00:00 | 日本の町並み
 上杉謙信と武田信玄の合戦の舞台となった川中島に近い宿場町が稲荷山宿でしたが、合戦の一方の将である上杉謙信の居城が上越市にあった春日山城です。上越市は直江津市と高田市などが合併してできた都市ですが、今回は春日山城のある旧直江津市側ではなく、豪雪で有名な旧高田市側を中心に紹介します。

 上越市は、新潟県の西部、JRの北陸線の一方の起点で、信越線が日本海に出て北陸線と合流するところにあります。合併により生まれ都市名のためJRの駅名に上越駅はなく、さらにややこしいことに、JR上越新幹線や在来線の上越線ははるか東を通っていて、かすりもしていません。東京から上越市に行くには、上越新幹線に乗るのではなく、長野新幹線で長野に行き、在来線の信越線に乗り継ぐのが一般的です。この紛らわしさのために、市の名称を変更しようという意見も多いのだそうです。

 高田と聞くと思い出すものが、豪雪とその対策としての雁木です。雪の季節には少し遅かったのですが3月初旬に高田を訪れ、豪雪と雁木を見ようと思いました。ところが、このもくろみは見事に裏切られたようです。温暖化のせいなのか、雪は裏通りに少し残っているだけ、雁木も商店街のアーケード風のものが多かったようです。

ただ、裏通りには軒の深い家並みが残り、これが雁木なのだ、と思わせる風景を作っていました。

 高田は春日山城とは異なる高田城の城下町ですが、現在の町並みには、城下町を思わせるものがあまり残っていないようにも思います。ただ、町を散歩すると興味を引く建物や、お店があって、なかなか楽しい散歩になりました。
 まず、旧師団長官舎は、高田の観光施設にもなっている明治期の木造洋館ですが、異人館風の外部や内部の状況も、よく保存されていて、これを神戸や横浜の山の手に移築しても違和感がなさそうです。2階の和室部分が貸し集会室として使われ、単なる博物館的建物ではなく現役の建物というのも好ましいところです。
 
 木造の洋館といえば、商店街で見かけた木造洋館3階建ての薬局も、田では余り見かけない面白い建物でした。周りの和風建築から、ちょっと浮いた感じではありましたが。

 旧師団長官舎は明治でしたが、江戸時代からの歴史のある商店が残っていました。十返舎一九の「金の草鞋」にも登場する飴菓子の老舗で高橋孫左衛門商店です。古風な店の門前には、「十返舎一九ゆかりの地」の石碑もありますが、ここで売られる笹飴は、明治期の文学にも登場するのです。夏目漱石の「坊ちゃん」の中で、、「清(きよ)が越後の笹飴を笹ぐるみむしゃむしゃたべている」というくだりがありますが、この笹飴がこちらの商店のものなのです。

 「坊ちゃん」の作者の漱石は、「電力」、「肩が凝る」、「反射」、「無意識」、「価値」などいくつかの造語をしたとされています。明治期には、外国から新しい概念のものが多く入ってきたために、明治期には漱石に限らず、多くの造語や翻訳語を作ったようです。これらの中には、意味と音の両方を表した「倶楽部」などという傑作も存在します。現在の日本では、IT分野でもそうですが、外来語のほとんどを日本語には翻訳せず、原語を単純にカタカナ表記とするだけで逃げている嫌いがあります。はたして、これでどの程度の人が、その言葉の概念を理解しているのでしょうか。


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