世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

大宰府政庁跡の周辺には、過去から現代につながる見どころが沢山です

2017-05-21 08:00:00 | 日本の町並み
 砂丘、稲荷そして祭りと日本の三大XXを続けましたが、今回はさらにその続きで日本三大史跡の一つである大宰府の周辺を紹介します。大宰府の東にある太宰府天満宮は、三大天神の一つにもなっています。

 
 
 大宰府跡は、福岡市の南東10kmほど、西鉄の大牟田線の都府楼前駅の東900m、大宰府線の西鉄五条駅の西1.2kmほどに位置します。大宰府は6~7世紀に大和政庁の出先機関として置かれ、現在は政庁跡は南北200m、東西100mほどの原っぱに石柱や礎石などが残るのみです。政庁跡はこの程度ですが、かつては政庁の南側には2.5km四方ほどの条坊製の町並みが広がっていたそうです。

 
 政庁跡の東には、観世音寺と戒壇院とがあります。戒壇院は、もとは観世音寺の西戒壇で、日本三大戒壇の一つになっているそうです。観世音寺側の門のそばには、鑑真が唐から請来したという天然記念物の菩提樹があります。

 
 
一方の、観世音寺は、7世紀に創建の九州を代表する古刹です。梵鐘が国宝に指定されていますが、宝蔵の中央に立つ三体の重文像に存在感があります。像高が5mほどの馬頭観音、不空羂索観音そして十一面観音で、あたりを圧しています。

 さらに、東に行くと菅原道真を祭る太宰府天満宮があります。京都の北野天満宮と共に全国の天神様の総元締めになっています。境内には、道真が大宰府に左遷されたときに、後を追って京都から飛んできたと言われる飛梅があります。大宰府に赴任の前に、自邸の梅のそばで歌った、「東風ふかば、にほひおこせよ梅の花、あるじなしとて、春な忘れそ」はあまりにも有名です。

 
 天満宮を頂点にした三角形の他の頂点には、光明禅寺と九州国立博物館(九博)があります。光明禅寺は13世紀に創建され、江戸時代には天満宮に仕える人たちの菩提寺でした。苔寺とも呼ばれ、苔むした庭は美しく、特に秋の紅葉の頃は、京都にも負けない景色がひろがります。
 一方九博は、美術系の博物館の性格を持つ東博、京博、奈良博に対して歴史系の博物館として位置づけられています。位置づけだけでなく、曲線を多用した建物は、他の博物館とは一味違った博物館となっています。

 観世音寺にある馬頭観音とう仏像は、なじみが少ない仏像の一つかもしれません。観音は信者の様々な願いを聞きとどけて、さまざまに姿を変えて出現し、これを変化観音といわれています。馬頭観音もその一つで、、千手観音、十一面観音などなどがあります。聞きとどけると言えば、現在ではスマホに向かって話せば、話す内容を認識してくれます。筆者が就職したころは、大型コンピュータを使い、特定の話者が事前に録音した言葉の中から内容を認識するのが精いっぱいで、それもオフラインでの処理でした。その後のコンピュータの処理能力の向上と、ソフト技術の発展で現在のように手軽に使えるようになりました。そこには、スマホの販売者ではなく、陰でこれらの技術を支えた技術者の存在を忘れてはならないと思います。
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システィナ礼拝堂の天地創造の天井画を見るために床に寝転がってはいけません(ヴァチカン市国)

2017-05-14 08:00:00 | 世界遺産
 カソリック聖職者の堕落に反対するカタリ派の一部のアルビ派の拠点がアルビでした。フランスでは、一時的にアヴィニョンに法王庁が移されるなど、法王庁との関連が深いのですが、カソリックの権力の頂点は、やはりローマ法王庁です。今回は、以前にも紹介したヴァチカンの法王庁や美術館を写真を増やして紹介します。ただ、訪れたのが25年前と古いので記憶が定かではなく、状況も変わっているかもしれません。また、写真類はカラースライドをスキャナで取り込んだもので、精細さに欠けるものがあることをお許しください。

 ヴァチカン市国は、言わずと知れたカソリックの総本山サン・ピエトロ寺院を中心とする世界で最も小さな独立国です。面積は0.44㎢、新宿御苑が0.58㎢ですから、それよりやや狭いということになります。また、皇居は1.2㎢程度なので、ヴァチカンは皇居の1/3あまりといった感じです。人口は800人余りでカソリックの修道者ですが、スイス人傭兵も市民権を持っているそうです。

 
 現在のサン・ピエトロ大聖堂は17世紀に完成した2代目で、世界最大の教会建築です。聖堂前の広場は、正円を中央で割って長方形を挿入した横長の広場で、円の中心には目印があり、中心点に立つと円形の回廊に並べられた4列の列柱が重なって見えます。筆者はちょうど法王の謁見に出会いましたが、広場は信者で埋め尽くされていました。当時の法王は、ポーランド出身のヨハネ・パウロ二世でした。皇居の一般参賀に比べて、法王との距離が格段に短かったように思います。

 
 
 
 
 ヴァチカン美術館は、サン・ピエトロ大聖堂の北隣にあって、世界最大級の美術品を収蔵展示しています。ただ、筆者が訪れた時には、何かの都合で閉館時間が早くなって、駆け足で見て回る羽目になりました。入館すると、二重螺旋の階段を通りますが、中央部分が空間になっていて、螺旋部分では出会わない反対方向の人に列を見ることができます。美術の教科書に出てくるような作品が沢山あると思いますが、駆け足だったので、ほとんど見損ねているのではないかと思います。その中では、ライオコーンと天地創造が記憶に残っています。ラオコーンは、高校時代に石膏デッサンをさせられたので、実物はこれか!との感じです。天地創造はシスティナ礼拝堂の天井画として描かれていますが、ETはこの絵からヒントを得たとしか思えません。面白かったのは、「床に寝転がらないでください」との表記が日本語でもありました。たしかに、天井を見上げると首が痛くなるので、床に寝転がると楽なのかもしれません。現在では、ハングルや中国語でも注意書きされているのかもしれません。

 鳴門にある大塚美術館に行くとシスティナ礼拝堂が陶板画で再現されています。勿論、天地創造の部分も再現されています。美術館の話によると、万が一本物が焼けたり劣化しても陶板画なら2千年は美しさを保ち続けるとのことです。原画の撮影も光線状態や見る角度など、コンピュータのデジタル・スキャナで取り込むようにはいかなかったそうです。陶板への焼き付けも、3Dプリンタのようなお手軽手法ではなく、4色分解し4色の釉薬で転写原稿を作って焼き上げ、最後は目視により、職人によるリタッチで仕上げられたそうです。ただ、釉薬の発色は、完全なYMCではないでしょうから、撮影した原像はコンピュータによって補正されているのかもしれません。この大塚美術館では「寝転がらないで」の表示は無かったように思います。
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祇園祭の山鉾巡行も勇壮ですが鉾町が華やぐ宵山はもっと素敵です

2017-05-07 08:00:00 | 日本の町並み
 砂丘、稲荷と日本の三大XXが続きましたが、今回はその続きで日本三大祭の一つである祇園祭を紹介します。ちなみに、この三大祭りは祇園、天神それに神田というところが定説のようです。また、京都三大祭りもあって、こちらは祇園、葵それに時代となりますが、歴史の浅い時代祭りだけが格下という感があります。

 祇園祭は、もともとは八坂神社の祭礼で、天災や疫病を鎮めるため9世紀に始まったものだそうです。現在ではお祭りの主役のように華やかな山鉾巡行は、ずっと後の14世紀ごろからのようです。お祭りは7月いっぱいかけて行われ、クライマックスの山鉾巡行は17日と2014年に復活した後祭りの24日に催行されます。この巡行は、今から50年以上も前の学生時代に見に行きましたが、写真も記憶も定かでないので、復活した後祭りの宵山の様子を紹介します。

 後祭りは、21日に鉾立、22日が宵々山、23日が宵山で24日に巡行が行われます。前祭りの巡行が四条烏丸から左回りに烏丸御池まで巡行しますが、後祭りはその逆の右回りとなります。前祭りの鉾町は四条通を挟んだ烏丸と堀川の間に分布していますが、後祭りの鉾町は、室町通の東西を市場から北へ伸びています。

 
 筆者の訪れたのは22日の宵々山で、日没の少し前、四条通の南の大船鉾から北へ鉾町を散策しました。大船鉾では提灯に火が入る前で、やがて通りを北に進むにつれて、提灯に火が入り待ちの表情も変わってきます。

 
 
 人の出は前祭りほどではなく、比較的ゆっくりと楽しむことができました。山鉾巡行では、次々と通っていく山鉾の勇壮な姿が眺められますが、宵山ではすぐ近くで山鉾を見られます。

 
 
 横に掛けられている見事なタピストリーも眺められますし、山に登ることもできます。

 
 
 また、町のあちこちで屏風や神様などが飾られていて、これらを眺めるのも楽しいものです。

 
 
 
 鉾町が、なにかしっとりと華やいだ感じになっています。また、子供たちが声を合わせてお菓子などを売る様子も、かわいくって、お祭り気分を盛り上げています。お祭りは神事なので、このような表現は不謹慎かもしれませんが、巡行は観光客に対するパフォーマンス、宵山は鉾町の人々の楽しみ、といった印象でした。

 祇園祭の山鉾巡行を疑似体験するヴァーチャルシステムがあるそうです。実際の山鉾の動きなどを、モーションキャプチャと呼ばれる装置でコンピュータに取り込み、これを山鉾の映像と組み合わせて、巡行の動きをCGで再現するのだそうです。当初は、現在の山鉾巡行を再現したものでしたが、祇園祭が始まったころの、未舗装の道路を進む山鉾の様子なども再現可能とのことです。混雑を避けて、ゆっくりと山鉾巡行を楽しめますが、人ごみの熱気で参加するのがお祭りかもしれません。
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日本人の姿はほとんど見かけませんが順天は見どころいっぱいです(韓国)

2017-04-30 08:00:00 | 世界の町並み
 カナダのカルガリー動物園には、緑一杯の自然の中に、自然ではない恐竜(の模型)がにゅーっと顔を出してビックリします。一方、韓国南端の順天湾は葦が茂る湿原が広がる自然そのもので、人工物は木道ぐらいしか見当たりません。今回は、この順天湾を含む順天市の近郊を紹介します。

 順天市は、韓国南部の中央当たり、ソウルから南に300kmほどの27万人都市です。現在はソウルからKTXが乗り入れていて3時間足らず、筆者が訪れた頃は、在来線特急のセマウルで4時間ほどでした。10年ほど前に訪れた時には、シティーツアーと称して、順天近郊をバスで回ってくれるツアーが駅前から出ていて、ちょっと前までは無料で、参加した時は\300くらいでした。安いからといって、土産物屋に寄ったりして、ろくに観光地に寄らない代物ではありません。ほぼ一日かけて、4か所ほどを、ゆったりした時間配分で案内してくれました。現在も、曜日によってコースが少し変わるり、値上がりをしたようですが続けられているようです。欠点は、韓国人対応のツアーなので、ガイドの内容は、事前や事後にネットやガイドブックで調べて、ようやく分かった、というところです。では、そのガイドツアーで訪れた順に紹介しましょう。

 
 
 最初は、順天ドラマ撮影場です、京都の映画村ってところでしょうか。2006年に作られて、数多くの韓国ドラマが撮影されたようですが、日本人には、ちょっとなじみがありません。1950年代から80年代にかけてのソウルや順天の町並みがオープンセットで付か作られ、看板の字などはハングルですが、日本の昭和期の町並みを見るようです。

 
 
 続いては、松広寺で韓国の仏教最大勢力の宗派の発祥の地だそうです。仏教は、中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わったのですが、中国にも韓国にも、我が国に残るような古い仏教施設は少ないようで、松広寺の建物も1980年代の再建です。ただ、境内の雰囲気は、掘割やせせらぎがあって、古刹の雰囲気を醸し出していて悪くありません。

 
 
 
 次は、楽安邑城民俗村です。邑城とは、集落を土塁などで囲った出城のようなもので、楽安邑城は城壁内に数多くの伝統的家屋が残り、現在も現役の住居として使われています。この伝統的な風景から、日本でも放映されたチャングムの誓いでロケに使われたそうです。世界遺産にもなっている河回マウルとも似ていますが、河回マウルでは両班の家屋が幅を利かせていた感じですが、こちらは庶民の藁ぶきの家並です。訪問した時には、伝統衣装に身を包んだ一行の行列に会いましたが、後日行われるお祭りのリハーサルのようでした。

 
 最後に訪れたのが順天湾でしたが、芦原に木道が伸びているだけです。ツアーのメンバの中に、日本語が堪能な韓国の人が居て、この観光地は何を見るのか尋ねたところ、この自然を見るらしい、との答えでした。後で分かったのですが、この順天湾は世界5大沿岸湿地の一つで、ナベヅルの飛来地でもあり、ラムサール条約の保護地だそうでしたが、鶴の姿は無くどこまでも続く芦原でした。

 順天ドラマ撮影場はレトロな雰囲気ですが、そこで撮影される映画の大部分は、フィルムを使わないディジタル撮影と思います。TV放送を前提とするチャングムなどは当然でしょうし、劇場で映写される映画も、撮影技術が4K、8Kと高精細化されてフィルムと同等か、それ以上になってきています。ディタルで記録された映画は、テレビと同様にコンピュータによる加工が簡単なのもメリットです。ただ、上映館によっては、アナログの映写機を使うところも残るため、最終段階でフィルムにコピーするのだそうです。
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朱色の祐徳稲荷の最寄り駅のそばには茶色の肥前浜宿の町並みが続いています

2017-04-23 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は東京国立博物館の表慶館を設計した片山東熊の設計した仁風閣のある鳥取を紹介しました。鳥取は三大砂丘で有名ですが、今回は三大稲荷です。これも諸説あって、伏見稲荷は外せないものの、それぞれの稲荷神社が、ご自分を入れた三大を主張されています。これらの中で、伏見稲荷から最も遠い稲荷神社と思われるのが佐賀県の祐徳稲荷です。今回は、この祐徳稲荷と、その最寄り駅に近い肥前浜宿も町並みとを合わせて紹介します。

 
 
 祐徳稲荷は、佐賀県の西よりの鹿島市にあり、JR長崎本線の肥前浜駅から南に2kmほどの所にあります。伏見稲荷は千本鳥居が壮観ですが、祐徳稲荷は、山の斜面に清水の舞台に似た懸崖作りが見事です。清水の舞台が、木肌の茶色の世界ですが、こちらは鮮やかな朱塗りの社殿が緑に映えます。当然社殿を支える柱も朱で塗られていて、これが壮観です。社殿の右側には、社殿まで登るのが辛い人のため、以前に訪問の時には無かった有料のエレベータがあります。以前に訪問の時と違った現象は、中国人の多さでした。案内所の方によると8割ほどが中国からで、その理由は佐賀空港に上海からのLCCが到着するからのようです。

 
 この祐徳稲荷の最寄り駅になる肥前浜駅の南側には、長崎街道の脇街道の宿場町の遺構である浜宿があります。宿場町としてだけでなく、佐賀平野の米と良質の水を原料とした酒造りの町として、街並みの中には造り酒屋が数多く残っています。こちらの町並みには、さすがの中国人も出没はせず、祐徳稲荷の朱色の世界ではなく、茶色の世界です。
 
 
 
 
 旧長崎街道沿いの古い町並みは、長崎本線の南西200mほど、ほぼ線路と平行に通っています。白壁の土蔵造りが連なる景色は壮観にも見えます。これらの町並みの中心は、造り酒屋の酒蔵と商店、それにオーナーの自宅です。その中の一軒では、酒蔵の見学もできます。宿場としての遺構は少なく、よく見かける本陣跡などはありません。継場という人馬の継立業務を行っていた建物ぐらいでしょうか。

 
 
 庇の上に鬼瓦がずらりと並んでいる工務店や、格子の前の水路など、酒蔵以外のも点景も数多くです。そして、モノクロームと茶色の世界の中に、下見板張りのオリーブグリーンのパステルカラーの建物が1件あり、新鮮な印象です。林業再生事業の看板が掲げられていましたが、もとは郵便局の建物だそうです。

  
 これらの町並みから離れて、駅のすぐそばに建つのが漬蔵で、百年以上の歴史のある漬物屋さんだそうです。こちらは土蔵造りではなく、板壁の古風な建物です。

 お酒づくりの世界では、急速にIT技術の導入が進んでいるそうです。発酵過程で、味を左右する環境は、すべて数値化され、この値になるように、コンピュータによって発酵タンクの自動制御を行うそうです。また、味を左右する酵母も、純粋培養が進み、酵母の製品名で購入して、再現性の高い酒を作られるようです。万が一、天災や火事などで酒蔵が失われても、元の酒の味を簡単に再現可能だとか。もはや、酒は農産物ではなく、工業製品の様相です。ただ、すべてのファクタが数値化できるとは思えないし、酵母も純粋といっても、微量な不純物が紛れて、味を左右するのではないかとも思ってしまいます。ただ、この微妙な差を、飲む人間が判別できるかは疑問ですが。
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アルビのサント・セシル大聖堂よりサン・サルヴィ聖堂の回廊や町並みの方に親しみを感じます(フランス)

2017-04-16 08:00:00 | 世界遺産
 仏教とヒンドゥー教の遺跡のアンコール遺跡、そしてルーマニア正教の修道院群があるスチャヴァと続きました。今回は、フランスの中でローマカソリックが権勢をふるう都市がアルビです。世界遺産は、サント・セシル大聖堂などの大規模な建築だけではなく、歴史的な街並みも対象になっています。

 このアルビは13世紀ころには、カソリック聖職者の堕落に反対するカタリ派の一部のアルビ派の信仰の拠点でした。その後、宗教と国王とが連携した戦争で制圧され、北フランスとローマ・カソリックの権力と文化に汚染されてしまったそうです。そういえば、その後の14世紀には南フランスのアヴィニョンにローマ教皇庁が移転していますから、南仏までローマ教皇の権力に侵されていたわけです。

 
 
 
 アルビは、フランス南部のトゥールーズの北東50kmほど、列車で1時間足らずですが、筆者が訪れた時には線路の補修とかで代行バスでは2時間近く。市街地の北側をタルン川が蛇行して流れ、南に突き出した川沿いにベルビ宮殿があります。ベルビ宮殿はロートレックの美術館としても使われていますが、川沿いに作られた庭園やタルン川の眺めが綺麗です。

 
 この、宮殿まで駅から歩いても15分ほど、途中の町並みも、なかなか趣があります。

 
 
 
 サント・セシル大聖堂はベルビ宮殿の手前で、13世紀から16世紀にかけて作られたゴシック建築です。レンガで作られた聖堂としては世界一の規模で、114m(奥行き)×35m(幅)で高さも40mあるそうです。身廊のそばにそびえる鐘楼は高さが78mあって、かなり威圧感があります。内部には、膨大なイタリア絵画で飾られていて、天井には最後の審判が描かれています。

 
 さらに、駅寄りにはサン・サルヴィ聖堂が町並みに飲み込まれるように建っています。入り口は、ビルのアーチの階段を上ったところだったような気がします。回廊が美しく、ロマネスクとゴシックが入り混じった構成なのだそうです。ただ、なんとはなく廃墟的で、中庭は学生のたまり場の雰囲気です。

 アルビ派は、聖職者の堕落を糾弾しているにもかかわらず、十字軍から攻められています。いつの時代にも、聖職者と称する人間どもの権力は、暴走して困りものです。そもそも、宗教というもの、立ち上がりの頃は、信者の心を掴むために、宗教らしく振舞うのですが、信者が増えると、権力欲にとらわれるように思います。当初から、権力目的の新興宗教もあるようにも感じます。どうも、人間という弱い存在を利用して、権力を手中に収めるようです。弱い人間は、何かに頼り、やがては、その存在無くしては生活できなくなる習性の悪用です。最近の、スマホ依存症を見ていると、この弱さとしての同じような現象を感じます。
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弟子の設計した鳥取の仁風閣は、師匠が設計した旧岩崎邸と似ていました

2017-04-09 08:00:00 | 日本の町並み
 東京国立博物館の紹介が続きましたが、今回は博物館の表慶館を設計した、片山東熊の作品のある鳥取を紹介したいと思います。東熊は、ジョサイア・コンドルの初代の4人の教え子の一人ですが、東京駅などの設計をした辰野金吾に比べて知名度が低いようです。赤坂の迎賓館はあまりにも有名ですが、その迎賓館の設計者で、他にも宮殿風の建物を数多く手がけています。博物館関連では、京都と奈良の旧本館、そして伊勢にある徴古館など、そして鳥取城跡に建つのが今回紹介する仁風閣です。


 仁風閣は、後の大正天皇が皇太子の頃に山陰を巡行の折に宿泊所とした建物です。旧鳥取藩主が、鳥取状跡に別邸として、フレンチ・ルネサンス様式で建てられたものです。ふれんち・ルネサンスは、ロアールの古城群で見られる様式のようで、片山東熊の作品では京都の博物館の旧館がそのようです。前回紹介した、東京の表慶館はネオ・バロック用紙ですが、片山東熊はフランスのデザインが好きだったのでしょうか。




 池泉式回遊庭園の宝隆院庭園に面した側は、2階にサンルーム、1階はテラスになっています。転記が良かったので、このサンルームからの眺めは気持ちが良かったです。このデザインはどこかで見たことがあると思ったら、東京の湯島にある旧岩崎邸でした。旧岩崎邸は、ジョサイア・コンドルの設計ですから、弟子の東熊の設計も似てくるのでしょうか。内部は、旧鳥取藩と藩主の資料が陳列されて公開されています。建物の後方の小高い丘の上には、その旧鳥取城が石垣だけを残し、一帯は山の名前を取って久松公園となっています。

 鳥取というと三大砂丘の一つの鳥取砂丘を外せません。仁風閣も砂丘へのバス路線の途中にあります。さて三大砂丘と言われますが、残りの2つは諸説あり、どうも鳥取は別格のようです。学生の頃に鳥取を訪れると、鳥取の三大日本というのを聞きました。日の丸自動車、日本交通そして日本一の砂丘だそうです。日本人って三大が好きなんですね。



 さてその鳥取砂丘のそばに、砂の美術館なるものがあります。砂で作った巨大な彫刻の美術館ですが、素材が砂なので、恒久的な作品保存は無理で、毎年テーマを決めて作品群が展示されます。メインの展示は体育館のような建物で、中国の兵馬俑遺跡のような感じがします。その中に巨大な建物や人物の群像などが作られています。屋根で覆われているので、雨で砂が崩れないようになっていますが、乾燥してもダメなので、適度に水を撒いているようです。筆者が訪れたときは、「砂で世界旅行・東南アジア編」でしたが、砂で作られたアンコール遺跡の巨大な塔が、しっかりと建っていました。屋内以外にも小ぶりの作品が並んでいて、こちらもなかなかユニークなものがありました。

 砂の彫刻は氷の彫刻ほどではありませんが、保存性は無くって、刹那的な芸術の一種かもしれません。空間芸術の分野である彫刻が、時間芸術的な面を持つのかもしれません。逆に、本来は時間芸術であった音楽も、録音と再生の技術が進んで、時間に縛られなくなってきています。もちろん、いくら録音技術が進んでも、鑑賞するためには時間の束縛からは逃げられまえんが。録音された音楽は、好きな時に効くことができて、名だたる演奏家の演奏が最良の状態で聴けるというメリットがあります。コンピュータで制御された録音技術は、SPで録音された名盤から雑音を取り除いてリメイクできます。有名な指揮者は、録音の1音だけを差し替えることをしたそうですが、音楽の流れを妨げるやり方は納得できません。
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カルガリーでは恐竜も動物園のメンバの一員です(カナダ)

2017-04-02 08:00:00 | 世界の町並み
 町中のお寺に大きな布袋像があったのが台湾の台中でした。カナダには、動物園の一画に巨大な恐竜がにゅう~っと顔を出す所があります。それは、カルガリー動物園で、今回はその動物園を中心に紹介をします。

 カルガリーは、カナダの南部、やや西寄りの都市で、西海岸のヴァンクーヴァから飛行機で1.5時間ほどの100万都市です。カナディアンロッキーの玄関口としてにぎわい、1988年には冬季五輪も開催されました。ただ、それだけ大きな都市の割には、どことなく落ち着いた感じで、動物園は市の中心部から東へほんの2kmほどですが、周辺は草原と針葉樹林帯です。市街地の中をボウ川が流れ、動物園もボウ川の北岸に面しています。このボウ川は、カナディアンロッキーのボウ氷河に源があり、バンフ国立公園の中を流れ下ってカルガリーに達しています。バンフでは、マリリン・モンローが主演をした「帰らざる河」のロケ地にもなりました。源流が氷河のためでもないのでしょうが、市内を流れるボウ川の風景はちょっと寒々しい感じがしました、訪れたのが晩秋だったからかもしれませんが。

  さて、カルガリー動物園です、市の中心部からはC-Trainというトラムで20分ほどで動物園駅に着きます。このC-Trainは市街地では路面の併用軌道を走り、郊外に出ると専用軌道を走ります。広島電鉄の宮島線のような感じです。動物園ンお広さは、およそ50万㎡で、上野動物園の3.5倍ほどもあり、園内を歩き回ると、けっこうくたびれます。訪れたのが晩秋だったせいか、売店やキャフェテリアもほとんど閉まっていて、暖かいものを飲んで一休み!というわけにはいきませんでした。


 内部は6つのゾーンに分かれていて、北米、南米などそれぞれのエリアに生息する動物が居ます。その中に、恐竜ゾーンというエリアがあるのです。周りの雰囲気も、恐竜が生息していたと思われる太古の感じに作られています。恐竜は、もちろん生きている実物ではなく、原寸大の作りものですが、木々の間から現れる姿は、けっこう迫力があります。この動物園に恐竜がいる理由は、カルガリーの南にバッドランドという恐竜の化石が数多く見つかり世界遺産に登録されている場所があるからです。



 一方、本物の動物は北米ゾーンを中心に見て回りましたが、あまり数多くは見られませんでした。やはり、冬ごもりの前で、動物たちもバックワードに引っ込んでいたのかもしれません。北アメリカというと、ビーバーを見たかったのですが見られず、代わりにバイソンが、のんびりと寝そべっていました。

 外国に行くと、数多くの車両を連結した路面電車を見かけます。C-Trainも4連で走っています。我が国では、無賃乗車を防ぐためでしょうか、通常は単機で走っています。地下鉄の代わりに路面電車が便利で建設コストもかからない思うのですが、単機の電車では輸送能力に限界があり、効率もよくありません。外国では、車掌が居なくとも、ちゃんと乗車券を買って、乗車時に刻印機に通している様子を見ます。また、時折は検札があって、無賃乗車の場合は、容赦なく数倍の料金が徴収されます。日本では、これだけITや、乗車券のIC化が進んでいて、犯罪の少ない国ですから、なんとかクリアする解は無いのでしょうか。
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東京国立博物館の建物は時代や様式が異なり建物だけでも博物館の様相です

2017-03-26 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は東京国立博物館の庭園にある5つの茶室を紹介しましたが、今回は展示に使う5つの建物を紹介したいと思います。建てられた古さの順から並べると、表慶館、本館、東洋館、法隆寺宝物館そして平成館になります。

 
 
 古さの順では表慶館ですが、まずは本館です。現在の本館は昭和13年に開館した二代目です。初代の本館は、明治15年に、ジョサイア・コンドルの設計で現在の本館ある場所に建てられましたが、関東大震災で壊れてしまいました。昭和天皇の即位を記念したもので、復興本館と呼ばれています。基本設計は、銀座4丁目の和光を設計した渡辺仁ですが、実施設計の段階で少しデザインが変更されています。本館は日本美術の展示に使われ、2階が歴史順、1階はジャンルごとの展示になっています。地下などはバックオフィスに使われています。この2階に上がる正面階段は、巨大で目立つ存在のためにテレビのドラマなどでロケに使われます。有名なところでは、半沢直樹で銀行の内部として使われました。

 
 続いて、表慶館は本館に向かって左側、緑のドームが印象的な建物です。こちらは、のちの大正天皇の成婚を記念して明治42年に開館しています。設計をしたのは、初代本館を設計したジョサイア・コンドルの教え子の一人である片山東熊で、当時ヨーロッパで盛んであったネオ・バロックという様式が採られています。特別展が平成館で行われることが多く、表慶館は時たま使われる程度になりました。最近の傾向として、宝飾関連の特別展や、貸し切り展示に使われるようです。内部のエレガントな雰囲気が、これらの展示にあっているからかもしれません。こちらの内部の中央ホールや両端の階段などCMなどでよく見かけます。

 
 本館向かって右側の建物は、東洋館で、東洋美術の展示を行っています。霞が関ビルが建てられた昭和43年に開館しています。設計は谷口吉郎で、神社などの高床式を思わせる和風モダニズムの設計になっています。内部はスキップ・フロアーといって、一つの建築平面の高さをそろえず、区画によって異なる建築手法が採られいます。東京ハンズやソニービルなどで見られる床構造ですが、東洋館の場合は、見えている場所に行く経路を探すのに苦労することもあります。

 
 法隆寺宝物館は、正門から入った場所からは見えません。左手の奥まったところに建っていて、この建物も二代目になります。初代は、昭和39年に建てられ、法隆寺宝物を保存収蔵するための、校倉風の2階建ての建物でした。この初代は、公開の目的が薄く、木曜日のみの公開で、気象環境が悪いと公開中止でした。学生の頃、関西から博物館を訪れて、木曜なので法隆寺が見られると思って行ったら閉まっていてガッカリの経験があります。夏休み中は湿度が高かったのでしょうね。そして現在の2代目の建物は、東洋館を設計した谷口吉郎の息子の吉生の設計で、平成11年に建てられました。縦横の線を強調したドライな設計になっています。内部にある陽光が差し込むレストランも好評なようです。

 
 一番新しい建物の平成館は、本館の左側の奥にあり、もっぱら特別展の展示会場として使われています。皇太子の成婚記念ということですが、この博物館は元の名前が帝室博物館ということもあってか、皇室のエポックに併せた建設が多いようです。100年もつように、との設計がなされていていますが、六本木ヒルズの事故を受けて、正面の回転ドアだけは100年たたない前に取り換えられています。特別展は2階の展示室が使われていますが、天井で一番高い部分は8.5mあり、計算上は東京大仏が収まる高さです。一方、1階には400名収容の講堂があり、頻繁に講演会などが開かれています。ビジュチューンの井上涼の講演の時には客席を埋めた子供たちの熱気で、いつもの雰囲気とはずいぶんと違いました。

 本館1階の17室には保存修復を解説したコーナーがあります。地味な展示で、大部分の人は、本館から平成館への通り道として通り抜けるだけです。その解説によりますと、収蔵品の調査をして、そのカルテを作っているそうですが、現在のペースで200年はかかるのだそうです。調査には最新の電子機器が使われ、なんと仏像もまるごとCTスキャンにかけられるようです。これらのカルテは、おそらく電子ファイルとして保存され、検索もコンピュータが使われるでしょうが、200年後にもウィンドウズは存在するのでしょうか。
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ヨーロッパの田舎のスチャヴァ周辺には素晴らしい修道院群です(ルーマニア)

2017-03-19 08:00:00 | 世界遺産
 仏教とヒンドゥー教の遺跡が15km四方ほどの森林の中に散在しているのがアンコール遺跡でした。パッケージツアーのバスで回っても2日をかけても、その一部しか見られませんでした。一方、キリスト教の5つの修道院が農地の間に散在しているのがルーマニア北部のモルドヴァの教会群です。今回も2度目の紹介になりますが、写真を増やし、周辺も加えて紹介します。

 5つの修道院群があるのは、ルーマニアの最北端のスチャヴァ県で、北側はウクライナとの国境になります。県都のスチャヴァまで、首都のブカレストから急行列車で6時間半ほどです。現在は少し速くなってるかもしれませんが、「思えば遠くに来たもんだ!」という感じがします。このスチャヴァを起点に、その西側に散在する修道院は、個人旅行で行った場合は、タクシーをチャーターすることになります。筆者の場合は5~6時間かかったように思います。

 これらの修道院は、モルドヴァ公国の王がトルコとの戦勝の旅に一つづつ建てたもので、ルーマニア正教の教会堂です。どれも似たような外観ですが、内外の壁がフレスコ画で埋め尽くされ、壮観です。建物は対称的に作られていますが、北側の庇だけが深く作られていて、これは北からの風雨から壁画を守るための工夫だそうです。それでも、北側の壁画は、他の面に比べると痛みが激しいそうでした。これらのフレスコ画は、文字の読めない人に、聖書の内容を教えるためで、それぞれの絵は、聖書の重要な場面だそうです。

 それでは、筆者が訪れた順に5つの修道院と、現地のガイドさんに勧められて世界遺産未指定ですが素敵な修道院とを写真で紹介します。

 フモール修道院
 
 

 ヴォロネッツ修道院
 
 

 モルドヴィッツァ修道院
 
 

 スチェヴァッツァ修道院
 
 

 アルボーレ修道院
 

 ドラゴミルネイ修道院
 
 

 ここからはおまけの画像です。ルーマニア正教の教義に則った結婚式の写真です。 スチャヴァ市内にある教会に入ると、これから結婚式が始まるところでした。全くのよそ者でしたが、この結婚式の一部始終に参列する羽目になりました。
 

 移動中の車窓から見上げたコウノトリの巣は電柱の上。日本では大騒ぎをして保護しているコウノトリが野生で飛んでいます。最後の1枚は、修道院内で見た携帯電話を使う修道女、今から13年前ですから、日本でもやっとFOMAが出た頃です。俗世間から隔離されているはずの修道女には似つかわしくないかもしれないショットでした。
 

 広いエリアに家がまばらにしかない場合は、固定電話より携帯の方が効率がいい場合もあります。事実、携帯電話が出現する前には、電話局から家庭まで線を張らずに無線で飛ばす方式もありました。かつて、どこかの首相が電気も来ないアジアの国で、「それなら携帯電話にすれば!」なんて、ふざけた発言をしたことがあります。IT(アイティー)のことをイットとのたまった人間です。電話の情報は空を飛んでも、電力は現在のところは空を効率よく飛ばないんです。
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