浄土真宗親鸞会 熊本火の国のひろば

熊本で親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんとのふれあいを語ります

テレビ座談会「明日ありと・・・

2011-04-29 20:56:05 | テレビ座談会

本日、4/28(祝)は、高森顕徹先生のテレビ座談会がありました。

熊本市の国際交流会館にて聞かせていただきました。

 

親鸞聖人が9歳で出家なされたときに歌われた「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」についてなど、教えていただきました。

 

震災で被害を受けた福島県飯館村は、飯館牛というブランド牛で有名なところです。

東京大学の農学部の農業経済を専攻するコースには、学部の3年生に「フィールドワーク実習」というものがあります。

いわゆる農村調査ですが、私の1学年上の人が飯館村に調査に行っていました。私のときは、茨城県の岩井市というところでした。

で、その飯館牛の農家が、「明日からどうして生きていけばいいのか」と頭を抱えている、という記事を新聞で読みました。

 

あんな大震災にあっても、「明日どうしよう」という心が出てくる。

親鸞聖人は、「明日がある」と思うのは、「仇桜」つまり迷信だといわれている。

なぜ迷信か。

明日があるが正しいなら、誰も死なないことになってしまうが、それは現実に反するからだ、とお聞きしました。

数学の証明法でいうところの背理法、というものでしょうか。

理屈はそうなのに、現実は、「明日がないと思ったら生きて行けないじゃないか」と反発する心がある。

あんな大震災にあえば、「明日はない」と思ってもよさそうなのに、明日はどうしよう、という心が出てくるのですから、迷いは深いわけなのです。

そんな自分の心を「仇桜」と反省され、それと同時に全人類の迷信をぶち壊されるお歌を9歳で作られた。まさに世界の光、ともお聞きしたように思います。


4月ご法話、正信偈の構造

2011-04-26 19:41:13 | 日記

4/23(土)、私は高岡の某ホテルに泊まりました。

そのホテルは壁が薄いらしく、隣の声が筒抜けなんですね。

そして夜9時ごろから宴が始まったようなのです。もううるさいのなんの。椎名誠の『哀愁の街に霧が降るのだ』という本に、著者が若いころ住んでいた下宿の隣の部屋から「おまえおまえおまえおまえ・・・・」という声がえんえんと響いてきて、困ったという話が出ていますが、それを思い出しました。

私は医者から「10時に寝るように」といわれているので、10時に寝ようとしましたが、10時過ぎるとさらにやかましくなっていたのですね。

しかしまあ、世間的には夜10時就寝は早いほうだろうから、と思って耐えました。

ところが、11時になっても酒池肉林の宴は終わらないのですね。

いい加減にしてくれ、と思い、隣の部屋に電話しましたね。

「うるさいので、ちょっと静かにやってもらえませんか」(低い声で、ゆっくりと)

「へーい」と若いかどうかしらないが男の返事。へーい、とは何ですかあなたは江戸っ子ですかここは富山なのだよまったくもう。と思いましたが、効果てきめんで、その後は物音一つしなくなりました。

言ってみるもんですね。

そして思い返せば、まだ私が秋田にいたとき、日曜のご法話の帰りは、だいたい月曜の午前2時くらいだったのですが、車を乗り合わせて往復してましたので、「有難うございました」とか、車のドアを閉める音とかしていたわけです。すると、同じアパートの住人から「午前2時に何やってんだ、てめえ!!」と苦情が来たことがありました。

それを思い出すと、これも自因自果、自業自得なのかな、と思いましたね。

 

そして翌日、4月24日(日)は、富山県射水市の親鸞会館にて高森顕徹先生のご法話がありました。正信偈についてでありました。

今回は私も施主として参加しました。土曜の準備から手伝いましたが、いつもよりも真剣に聴聞しなければ、と思った次第です。

正信偈の目的は、最後の

道俗時衆共同心
唯可信斯高僧説

に明らかにされているとおり、全ての人よ、親鸞と同じ絶対の幸福になってもらいたい。そのためには、仏法を正しく伝えてくだされる先生の教えを聞けばよい。ということだとお聞きしました。

そのためにはまず、決勝点のあることを教えねばならない。そこで、親鸞聖人は冒頭

帰命無量寿如来
南無不可思議光

と、阿弥陀仏に救われたぞ!と完成のあることを明らかにされ、その後、高僧の教えを順々と明らかにされていくわけです。

 

正信偈の一言一言に重い意味があるとは教えていただいているとおりですが、その全体構造も考えに考え抜かれたものなのだと思い知らされました。

そして、高僧の2番目の天親菩薩の偉大な点は「依修多羅顕真実」、一切経を根拠に阿弥陀仏の本願を明らかにされたところにある。

親鸞学徒の本道は、根拠を明らかにして教えを伝えるのだ、ということを、親鸞聖人ご自身が高らかに宣言されているところだと思いました。

 

今回、鹿児島・熊本で1台のバスとワゴンが出ました。

つくづく思いますが、バスって楽な乗り物です。

バスで熊本のSさんから聞きましたが、むかし熊本では、「おつとめをしない者は虫になってしまう」と言われていた地域があったそうです。

「いや、私は本当に虫になってしまうと思って、いっしょうけんめいおつとめしました」

とのことでした。


4/17テレビ座談会

2011-04-21 19:55:54 | テレビ座談会

4/17(日)は、高森顕徹先生のテレビ座談会がありました。

初めて妹を連れて行きました。これまで幾度となく誘ってきましたが、たまたまその日会社が休みだったわけで。

妹は福岡におりまして、会場は佐賀県の鳥栖市のサンメッセ鳥栖というところでした。

ですので、朝、熊本から九州道をとばして福岡市中央区へ。

妹宅にて。

「今日、どこに行くの?」

「サンメッセ鳥栖!」

「なにがあると?」

「テレビ座談会!」

「は!?」

テレビ座談会というのが新鮮な響だったのでしょうか。

初めて高森先生のお話を聞いて、感ずるところがあったのでしょう、これから月に一度は仏法の話を聞かせていただきましょう、という方向になりました。

これも無上仏の御念力だと思わずにおれません。

 

座談会では、歎異抄を解説なされた『歎異抄をひらく』についてのQ&Aでした。

歎異抄第2章の「さらに親鸞存知すべからず」。についてでありました。


法蔵菩薩の願心と金融機関の内実

2011-04-16 18:26:28 | 地元での勉強会

本日は、熊本市国際交流会館にて、高森顕徹先生の以前の御説法をビデオで聞かせていただくご縁がありました。

親鸞聖人の正信偈

法蔵菩薩因位時
在世自在王仏所

とあります。阿弥陀仏が仏になられる前、法蔵菩薩という名前の菩薩であった。その師匠が世自在王仏という仏でした。

法蔵菩薩は、なんとか苦しみ悩む全ての人を救いたい、と師匠に申し出られます。

しかし、師匠の世自在王仏は、全ての人は全身ガンだらけのがん患者みたいなもので、どうにもならない。救うことは不可能である。ムダな努力はしてほしくない、と許可されません。

なんとか救いたい。

救えるものではない。

こんなやりとりが続いたあとで、世自在王仏が根負けされ、「じゃあ、やってみよ」ということで、法蔵菩薩は本願をたてられ、阿弥陀仏となられた。と聞かせていただきました。

こんな深刻なやりとりがなされているのに、当の本人である私たちは、こんこんと麻酔で眠り続けているようなもので、助けてくださいという心もないし、コップ落としたほどにも驚かない。

実に「対応が難しい」のが私たちだということでした。

 

ここで、はっとしたのは、対応が難しいのは実は自分であった、ということでした。

 

わたくし、金融機関に勤めておりますが、「対応が難しいお客さん」っているわけです。

お金を貸すのが難しいということもありますが、

貸したあとで、延滞が始まった場合、「支援するか、支援しないか」が問題となります。

金融機関ではこれを「生かすか、殺すか」と日常的に言っています。(おそろしい話ですね。銀行では3時に窓口を閉めたあと、こんな会話をしている人もいるのです)

支援する場合は、「今年は利息だけの支払いで結構です」とかいう話になります。

支援しないとなれば、「今すぐ全額返しなさい。でなきゃ怖いよ怖いよ。」という話になります。

 

で、部下が「この人は立派な仕事されているから、ちょっと延滞したくらい目をつぶって、支援したいのです」というと、

上司が「気持ちは分かるが、生かす根拠があるのかね?」と反論してきます。

部下は、いろいろ「生かす根拠」を探してくるわけですが、詰めが甘いと、

「うーん。殺さざるをえないよねぇ」という結論になってしまうわけですね。

そうすると、お客さんとしては、当然怒りますよね。「なんでだっ!」と思います。

そして場合によっては、国会議員に相談したりなんかして圧力をかけてくる・・・なんていうお客さんもあります。そうでなくても、1時間以上にわたり文句を言い続ける人もいますし、ときどき怒鳴り声をあげる人もいますし。まあ、そのくらいは可愛いものですけれども。。。

 

そういう、「対応が難しい」人が多いのが、じつはこの熊本県である。といわれてます。

日本でもトップクラスに難しいんだそうです。

これはなぜなのかわかりませんが、そういう県民性なんでしょうね、といわれております。

みんながみんなそうだというわけではないし、この記事を読んでいる人にはそんな人はいないでしょうが、一般論として、対応が難しい案件が多い。

 

貸した側が、この「対応が難しい」案件で頭を抱えながらエンピツなめているのに、当の借りた本人はそんなこととは露知らず、「金がないからしょうがないんだよ」と開き直っている(ことが多い)。これはよろしくないのではないか。

 

と思っていたら、実は「対応が難しいのは、あなた自身なんだよ」と叱られたような気がして、大変心に残った御説法でありました。

 

今日は、朝から来られた人、水俣から熊本市まで2時間車をとばして来た人、創価学会や日蓮宗の人から何度か誘いを受けたけれど「やっぱり納得できない。親鸞聖人の教えを聞きたい」と来られた人、ありました。

 


4月2000畳座談会、4/9熊本県立劇場

2011-04-11 19:46:56 | 親鸞会館(富山)での御法話

東日本大震災から1ヶ月経ちました。

心のケア、が大事と言われています。

被災者ももちろんですが、東京電力の社長も体調を崩したそうで。全ての日本人や地球人にとって、確実に心を痛めつける事故・災害、あるいは、これはもう事件といっていいのでしょう。

 

さて、そんな中、4/3(日)は富山県射水市の親鸞会館にて2000畳座談会がありました。

親鸞聖人の「凡そ八万四千の法門はみなこれ浄土の方便の善なり」について聞かせていただきました。

 

そのなかで、こんな大震災にあって、親鸞学徒にしかできない支援とはなにか。それは法施(仏法をお伝えすること)だとお聞きしました。

こういう状況だからこそ、一人一人に後生の一大事があることと、その解決が生きている時にできる、完成のある教えをお伝えせねばならない、と思いました。

 

4/9(土)は、熊本県立劇場にて、高森光晴先生の講演会がありました。

仏法を求めるときの3つの心がけについて教えていただきました。

その3つのうちの、聞き難い仏法を聞いているという心、についてお聞きしました。

 

ふりかえってみますと、あのとき、あの場所で、あの人から、声をかけられたから、仏法を聞くことができました。

私の場合は、2000年3月、大学の健康診断で、たまたま尿が出ず、検査員から「ちょっとジュースでも飲んできなさい」と言われ、ちょっとジュースを飲みに行きました。

そのとき、なんとかというサークルから声をかけられましたが、健康診断中につき断りました。

その後、無事、尿が出て、健康診断も無事終わり、やっと終わった、しっかしまあ、なんていう人込みだ、東京はおそろしいところだ、と思って出口を出たら、体育会系のサークルが新入生勧誘をわんさかやっているわけです。

おそろしい光景でした。誰にも気づかれないルートを必死で検索した結果、ある小さな階段があることに気づき、そこをそおーっと通って広い道に出たとたん、

「やあ、合格おめでとう

と手を出したある先輩がありました。結果的に唯一声をかけられたサークル、それが親鸞聖人の教えとの出会いでありました。

もしあのとき、尿がなんの問題もなく出ていたら、仏法とのご縁はなかったでしょう。1分でも遅かったら、ご縁はなかったでしょう。

つくづく不思議なご縁を喜ばずにおれません。

 

長文になってしまいましたが、聞き難い仏法を、私にしか伝えることのできない人に精一杯伝えていきたいと思います。