浄土真宗親鸞会 熊本火の国のひろば

熊本で親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんとのふれあいを語ります

あんたは何のために生きているんだ?

2010-02-25 22:43:12 | ある親鸞学徒の視点

ドラえもんが生まれた2112年9月3日まで、あと102年くらい。

ドラえもんの世界では、21世紀初頭に銀河鉄道が廃止されて「どこでもドア」が開発されたことになっていた(と記憶しています)。

銀河鉄道すらないのに。

ドラえもんは、核融合でエネルギーを作っています。最近、地球温暖化対策の観点からエネルギー政策が見直され、原子力発電所の建設が世界的に進められようとしていますが、あれは核分裂によるエネルギーを利用しているのですよね。

核分裂よりは核融合のほうが放射能などの弊害は少ないといわれています。太陽も核融合によってエネルギーを出してますね。ただし、技術的には難しいところがある。

その難しい技術を克服し、核融合で動いているドラえもん。4次元ポケットのなかには、ネズミ撃退用の「核爆弾」が入っています。これは比較的有名な話ではありますが、科学技術も人間の「自分さえ都合よければ良し」とする我利我利な欲の心で大きく左右されることをほのめかしていると思います。



さて。。。そういう話をしたかったわけではないのだよね。

寺尾總主演の「半落ち」という映画があります。TSUTAYAで100円レンタ
ルされていました。

そのなかで、こんなセリフがありました。

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▼「あんたは何のために、誰のために、生きているんだ?仕事か?恋す
る人のためか?」

「自分のためです!」

「あなたには守りたい人はいないんですか」
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  :.
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誰のために生きているんですか?と聞かれて、「自分のためです」と答
える。

これについて、主演の寺尾さんは、「結局、魂とは、いのちとは何か?
という問題に行き着く
」とコメントしています。

自分のため、といっても、自分とはどんなものか分からなければ、「分
からない」と答えているのと同じだからでしょう。

ちなみに、原作者は、「誰のために生きるのか、と聞かれて、自分のた
めです、が答だとすると、とても寂しいことだ。自分のためだけに人間
は生きているのではないだろう。そういう意味で『あなたには守りたい
人はいないんですか』というセリフを加えた」という内容のことを言っ
ています。

浄土真宗親鸞会公式HPの「仏教講座 人生の目的は何か」の記事を参照してみてください。


利他の精神が人を元気に

2010-02-24 21:52:55 | ある親鸞学徒の視点
最近は春の陽気で、スーツもジャケットを着て歩くと暑いくらいです。東北では考えられない事態です。秋田では、まだ地吹雪で通勤中に遭難しかかっている時期でありました。

先日神を切りに行きました。いえ、髪を切りに行きました。

自宅のそばに1,780円でやってくれて、しかもコーヒーまでついてきて、マンガ読み放題という散髪屋があります。いつもそこに行っています。名前は「セカンド」というのかな。

秋田にいたころは、秋田駅前のモータープールという美容室に通ってました。

これは会社の先輩から「そこへ行って、『妻夫木聡風にしてください』とお願いしてこい!」と言われたのがキッカケだったわけですが。それも今は昔の話でございます。

あそこには、後日、高森顕徹先生の『光に向かって100の花束』(一万年堂出版)をたしか贈呈しました。

待合室に置いてくれていると嬉しいですね。


さて。

最近、企業の幹部社員をバングラデシュなどの発展途上国に送り込む「BOP(ボトム・オブ・ピラミッド)研修」が利用されているそうです。

BOPとは、年間3000ドル以下(年間30万円弱くらい)で暮らす約40億人のことです。

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▼BOP研修には大企業の幹部だけでなく、中堅・中小企業の経営者も参加している。

フージャースコーポレーションの広岡哲也社長(46)は2009年12月、バングラデシュを訪問した。広岡さんの会社は新築マンションの分譲事業を手がける。不動産不況の中、改めて「企業の価値とは何か」を考えるために参加した。

広岡さんたちは少額融資のマイクロファイナンスの現場や、医療・教育サービスを提供するNGOなども訪問した。生き生きと働くNGO関係者の姿を見た広岡さんは「利他の精神が人を元気にする」と気づいたという。

(2009.2.22日経新聞「途上国の実情肌で知る」)

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「利他」という言葉はもともと仏教の言葉で、「自利利他」ともいわれます。

相手を幸せにするままが、自分も幸せになるということです。

反対の言葉が「我利我利」。自分の利益ばかり考えているということで、そういう人は幸せにはなれないのだといわれています。

人生とはゴールなき円形トラック

2010-02-23 21:02:05 | テレビ座談会

2月21日(日)は、高森顕徹先生のテレビ座談会がありました。御著書『なぜ生きる』について教えていただきました。

「もっとも大事な「生きる目的」が示されぬまま、ただ苦しみに負けず「生きよ」「がんばれ」「死ぬな」の連呼は、ゴールなき円形トラックをまわりつづけるランナーに、鞭打つようなものでしょう。」

という箇所があります。

ゴールなき円形トラックをまわりつづけるランナーとは誰のことか。

自分のことだと思えないのは、「無明の闇」のためだと聞かせていただきました。

無明の闇については、浄土真宗親鸞会公式HPこちらを参照。

無明の闇のことを疑情ともいいますが、親鸞聖人は正信偈に

還来生死輪転家(げんらいしょうじりんてんげ)
決以疑情為所止(けっちぎじょういしょし)」

と教えられています。

生死輪転の家とは、まさにゴールなき円形トラックのこと。
それをまわりつづける自分と知らないのは、疑情によるのだと。


最近、うつ病の人が増えています。
一般に、うつの患者には「がんばれ」と言ってはいけないことになっています(病気が悪化するからです)。

それは、「がんばれ」という言葉が、ゴールなき円形トラックをまわりつづけるランナーに鞭打つようなものと薄々気づいているからではないでしょうか。

しかし、「がんばれ」というのをやめても、一時的に鞭打つのをやめただけで、ゴールなき円形トラックをまわりつづけている実態には変わりありません。

自殺者が増えているのも、むべなるかな。であります。


お昼は、近くのラーメン屋にいきました。

熊本では珍しく醤油ラーメンの店でした。

熊本市けやき通の「里屋」さん。



Uさんが職場の同僚から聞いたというところでした。

熊本では、ラーメンといったら豚骨です。

ちなみに、秋田でラーメンといったら醤油ラーメンです。

熊本の醤油ラーメンは、秋田の醤油ラーメンより、あぶらが多かったですが、けっこう美味しかったです。


信用は生命

2010-02-22 21:35:17 | ある親鸞学徒の視点

今日は平成22年2月22日。もう少しで22時22分。

だからって何もないと思うのですが。

作家の椎名誠さんが、

「夜、文章を書いていて、ふと頭を上げると、外の電光掲示板が、2時22分を指していた。そして、また文章書くのに没頭して、ふと頭を上げると、今度は3時33分であった。そういう風にして、4時44分、5時55分。

そんな話を友人にしたら、『次、6時66分を見たら、それって相当やばいことだよ』といわれた」

という話を書いていたのを見たことがあります。

時計の故障で8時88分というのは見たことがありますが。。。


閑話休題(さて)、

最近メガバンクが競って自己資本の強化に励んでいますが、三菱東京U
FJ銀行が行員に配っている冊子の中に、こんな言葉があります。

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銀行は信用を基礎として立つ。

信用は生命にして万事の本たり。

信を失えば即ち立たず。

(『銀行業務改善隻語」より)

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1927年の昭和恐慌の時代、三十四銀行(後の三和銀行、つまり現在の三
菱東京UFJ)の副頭取だった一瀬粂吉氏の言葉だそうです。

信用を基礎として立つのは、銀行だけでしょうか。


御臨末の御書

2010-02-19 21:28:48 | 地元での勉強会

わたくし、金融関係の仕事してまして、仕事柄、お金を借りている人の状況が分かるわけなんですが、先日、あるファイルを見ていたら、数年前に書かれたとおぼしきお手紙が入っていました。

いわく、主人が酒乱でお金が返せなくなったのだというわけです。

酔っ払って暴行事件を起こして、何百万円もの賠償金を払うはめになった。何度も離婚しようと思いましたが、子どもを一人前に育てるために必死で我慢してきたのです。

そのために、そちら(私ども)には、お金が返せなくなった。他にも借金がこーんなにあるんですよ、わかってください、お金がないんです。

しかし。しかしなんですね。

その「他の借入」の明細を見ていたら、なんとその手紙が書かれた直前に、新車を買っているではないか。しかもカーナビつきの。240万円以上。けっこういい車ですよ。

借金まみれの状況で新車買いますか。。私なら中古にするし、ナビなんてもってのほかだと思うのですが。現に私の車にはカーナビはない。

しかも。しかも、100万円頭金で払っているんですね。お金あるじゃんか!

だから、主人が悪いなんていってないで、あなたにも十分責任があるんじゃないですか?そもそもそんな主人を選んだのは、どこのどなたでございますか?

とその手紙を見ながらつぶやく冬の午後3時。この心を仏教では愚痴というのでしょうか。



さて、話は現代の2/14に移る。熊本市某所で親鸞聖人の教えの勉強会がありました。

熊本市内、もうすぐ熊本市になる鹿本郡植木町、もう熊本市にはならない玉名市から皆さん集まりました。

玉名市のTさんが、このたび、テレビ座談会の拠点の責任者になられる、ということで挨拶がありました。

そういえば、こちらのテレビ座談会(当初は電話座談会)は、最初、そのTさんのお母さまのお宅で開催されたのでした。11月の報恩講もそちらでした。あれからもう3ヶ月ですか。月日のたつのは早いですね。

演題は、「御臨末の御書」。親鸞聖人の御遺言について聞かせていただきました。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲の片男浪の寄せかけ寄せかけ還らんに同じ。
一人居て喜ばは、二人と思うべし。
二人居て喜ばは、三人と思うべし。
その一人は親鸞なり。
我なくも 法は尽きまじ 和歌の浦
 あおくさ人の あらんかぎりは


というものです。

死んだらどうなるか。親鸞聖人は安養の浄土へ行くと明言されています。

死んだらどうなるのか、はっきりしない人ばかりのなかで、阿弥陀仏の極楽浄土へ行くことがハッキリした、といわれてます。

それは阿弥陀仏の御力によるのだから、皆さんも親鸞と同じ身になれる。

いつ死んでも極楽参り間違いない身に早くなりなさいよ、という聖人の叫びが聞こえてくるような気がします。