8/28(土)は、熊本市の国際交流会館で、親鸞聖人の教えを学ぶ勉強会がありました。
歎異抄第一章の「摂取不捨の利益」について聞かせていただきました。
摂取不捨の利益については、関連して、浄土真宗親鸞会公式HPのこちらも参照していただければと思います。
○苦海の人生を乗せて必ず渡す阿弥陀仏の救助の大船
http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20100715shouji-kukai-taisen.htm
その説明のなかで、蓮如上人の
「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、我が身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路の末、三途の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ」(御文章)
が出てきました。
ここ1週間ほど体調を崩して寝込んでいたのですが、それでも「死」についてはまったく思いもよらなかったなあ、と思いました。
それほどまでに、人は死については鈍感である。
蓮如上人の警鐘乱打が聞こえないわけです。
今回も、初めて参加された方がたくさんありました。
休憩時間の様子です。