遺族ら参加し合同追悼式 中越地震から3年。

六十八人が死亡した新潟県中越地震から三年を迎えた二十三日午前、被災地の新潟県長岡市で合同追悼式が行われ、遺族や泉田裕彦知事らが黙とうや献花をし、犠牲者の冥福を祈った。
遺族ら参加し合同追悼式 中越地震から3年 【 中日新聞(CHUNICHI Web) 】
式典は新潟県と七つの被災市町が主催。最大震度7を記録した新潟県川口町の古田島徳之さん(46)が、倒壊した自宅の下敷きとなって亡くなった娘の千秋さん=当時(12)、父親の定夫さん=当時(64)=ら、犠牲者にささげる言葉を遺族代表として述べ、追悼。
また地震などの影響で児童数が減少、本年度で閉校が決まっている川口町立田麦山小の児童ら被災地の小学生約百三十人が、被災地の復興と再生への願いを込め、メッセージの読み上げや「ふるさと」の合唱を披露した。
新潟県中越地震で被災した旧山古志村(現長岡市)の住民が暮らす仮設住宅は、年末の退去期限を前に空き家が目立つ。山古志の新居に移る人々は「コイ養殖を再開したい」「畑で野菜を」と明るいが、高齢者らへの支援が不十分と行政を批判する声も出ている。
長岡市陽光台の仮設住宅にはピーク時の三分の一にあたる九十七世帯、約二百七十人が暮らす。
関登志雄さん(78)は五十年以上、山古志で特産のニシキゴイを養殖してきた。村のコイ養殖は地震で十二億円の被害があり多くの業者が廃業。関さんは年間三万匹を販売していたが、三十五の池がすべて崩壊した。
避難生活の中で「大衆に売れるコイよりも、地震前に追求できなかった究極のコイを育てたい」という思いが募った。今年四月、山古志の避難指示が全面解除されると山に三つの池をつくった。来春、一組の雄と雌のコイから養殖を再開、「人の心を癒やす」理想のコイを育てるつもりだ。
今年五月、山古志で農作業を再開したのは主婦青木恵子さん(65)。「仮設住宅の庭でも野菜を作ったけど、山古志の畑で作ったものとはおいしさが全然違う」と笑顔を浮かべた。今月末には村へ帰るという。
農業藤井シズエさん(79)は山古志に再建した自宅に十一月、孫二人と一緒に戻る。「仮設の顔なじみと離れるのは寂しいけど、生まれ育った土地がいちばんいい」
一方、仮設住宅の両親と兄を毎日、見舞いに来るという長岡市の四十代主婦は、行政が住宅購入費を融資してくれないと憤る。両親は認知症で、兄は地震後、うつ病を発症したという。「収入のない人に融資はできないの一点張り。ほとんど手を差し伸べてくれなかった」と唇をかんだ。

改めて震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げると共に、長岡市で車ごと土砂崩れに巻き込まれ、お亡くなりになった皆川貴子さん・皆川真優ちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。。合掌。
そして、無事に救出された優太ちゃんが元気に過ごしていることを祈念いたします。


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