早稲田建築AO入試 空間造形力エキスパートコーチ 高橋順一の日記:合格最短の秘密


国内外美大デザイン受験指導32年約1000名累計合格率89.9%
/早稲田建築AO他10年指導コーチング

戦争とその後、

2023-02-21 20:35:17 | 戦争後の歩み
エピソード1:

私が小児麻痺(ポリオ)にかかった第二次世界大戦(太平洋戦争終結後、復員した父の世代)が1950年に生まれた、赤ん坊の私がその時はまだワクチンがない時代でした。

その時、私の日本国有鉄道に復帰し勤めていた電気技師の父と、電話交換手の母の両親は、三日三晩寝ずに「神への祈りを捧げました」。

その時代は多くの赤ん坊がポリオ感染で亡くなりました。私は神がその願いを聞いてくれ、命が救われたのです。

私は両親による神への請願という全力の祈りにより、神がその全能の力と慈愛で私の命と引き換えに、右足のポリオによる発育下肢障害が残りました。

父は毎日、東京駅前の国鉄の強電の電気技師である仕事の帰りに、神田にあるヘレンケラー学院という、マッサージと東洋医学の針と灸の国家資格が取得できる専門学校で学び国家資格を取得しました。後にヘレンケラーが来日した時の二人で撮った写真が我が家にはあります。その技術で毎日帰宅後に動かない右足をマッサージしてくれました。当時は皆くみ取り式トイレで、風呂と台所は薪でしたね。電灯の根元から分配できる二股ソケットがナショナルの松下幸之助さんの手柄で、真空館式5球スーパーラジオができて、どの家庭でもラジオが聴ける、みんなものがなくても、融通し合い絆がある貧しい時代ですがいい時代でした。

私も小学生の頃は毎日、赤胴鈴の助などを聞きながら風呂当番で薪をくべていました。近代的なものはなかったけれど、毎日が平和で近所の人と絆がありとても心豊かな時代であったと思います。なぜならば、想像力が研ぎ澄まされあれやこれやと、かってに想像できたからです。子供は近くの林や田んぼ、あるいは川や海、森などが身近にあったからだと思います。

今のように幼稚園から塾や専門家に習うという、善し悪しは別にして、自分の頭で考えて
失敗も問題も単なる概念であり、それを解決するのが自分の頭で考えることが一番大事なことですが、それができない人がほとんどです。一度の自分の人生ですのでどういう、理想的なシナリオを描いてもいいのです。

私はそれが、デザイン思考であると思います。誰かの言いなりや奴隷になるのではなく、上手くいくか、いかないかではなく自分で自分の一度の人生を、何度、倒されてもまた起き上がり再度挑戦してゆくのが、クールだと思います。






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