東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

浅草橋から柳橋へ

2016-07-15 | 散歩
  柳橋には、1842年の水野忠邦による改革で、深川などの岡場所から逃れてきた芸妓が移住し、
  花街が形成される。やがて洗練され江戸市中の商人や文化人の奥座敷となった。
  幸いにも交通の便にも恵まれ隅田川沿いに位置していたため舟遊びの要の地となる、
  柳橋と聞くだけで花街と柳橋芸者の独特の風情が伝わってくる。


  

     浅草橋
     神田川にこの橋が架けられたのは1636年のこと、
     浅草御門前にあったので浅草御門橋と呼ばれていたが
     いつしか浅草橋と呼ばれるようになった。




                 

                 浅草見附跡
                 幕府は主要な地点に櫓・門・橋などを築き江戸城の警護をした。
                 ここにも門が置かれ浅草御門と呼ばれ、
                 また警護の人を配置したことから浅草見附と言われた。




  

     浅草橋から見た柳橋
     川の両側には遊漁船が並び水上オートバイが走る。




              

              浅草橋は人形の街です、吉徳と秀月。




              

              道の反対側には久月
              人形の久月は、江戸時代、天保六年に創立され、
              主に人形の企画・販売。雛人形などの日本人形に限らず、
              フランス人形の企画・制作・販売をも行う。




  

     柳橋へ向かう柳原通りに初音森神社摂社
     太田道灌により社殿が建立されたと伝えられ、当地周辺の産土神として崇敬を集めた。
     1551年ごろ社前に馬場が出来、初午祭には馬追いの催し等が行われていた。
     昭和23年に旧蹟地であるこの地へ初音森神社摂社が創建された。
     柳原土手近くにあった”初音の馬場”も小説などによく出てきます。




  

     やってきました柳橋
     神田川が隅田川に流入する河口部に位置する最下流の橋梁で、
     南詰の東日本橋側に進むと国道14号(靖国通り)上の両国橋西交差点にたどり着く。
     永代橋を模した作りは力強く男性的ですね。




  

     柳橋のレリーフ
     柳橋の欄干にはかんざしのレリーフがある、
     かつて芸者衆がこの地に存在していたことをこのレリーフで思い起こさせてくれる。

     花街と舟宿で賑わっていた柳橋、
     探せば当時の面影が見られる場所もあるというが、、、。




  

     橋の袂には小料理屋さんも、
     というより和風のプチカフェみたい。




              

              この日もあちこちでカメラさんを見かけました、
              特に何の日でもないのにたくさんのカメラさんが。

              こんな人たちを見かけるとえっと思う、
              同じようなことに興味を持っている人たちが
              こんなにたくさんいるんだ。

              かなりマニアックな所を歩いているけど世に奇人の数は多いみたい、
              ま、せいぜい後ろ指を指されないように気をつけなくちゃ。
                                                              7月3日 柳橋を訪ねて
         

コメント (4)
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