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日本三大八幡造り「伊佐爾波神社」

2017年03月13日 | 伊予松山歴史散策

道後温泉本館正面に半旗が掲揚してあった。・・何故半旗ですかと質問された。

3月11日、東日本大震災の日です。哀悼の気持ちを表すためですと説明すると納得された。

 

 

3月11日、道後温泉ガイド当番日で午後から道後観光開会に詰めていた。

二組の観光者から依頼を受け案内した。

一組は、横浜市から来られた男性で湯築城のガイド依頼であった。日本100名城巡りで99城を巡って来て湯築城が最後ですとの事でした。

もう一組は、東京から来られた女性二人組で、いま流行している御朱印ガール、道後地区で御朱印が出来る日本三大八幡造りの一つ「伊佐爾波神社」と道後温泉の守り神「湯神社」を案内した。

その後、道後温泉本館を案内した時、本館正面に半旗が掲揚してあったのを見て、何故半旗の掲揚ですか?と問われた。

今日は、3月11日、東日本大震災の日です。哀悼の気持ちを表すためですと説明すると納得された。

国指定重要文化財:伊佐爾波神社。

3月11日、東京からお越しになった若いお二人さん、いま流行している御朱印ガールで、道後地区で御朱印が出来る日本三大八幡造りの一つ「伊佐爾波神社」と「湯築神社」を案内した。

伊佐爾波神社

伊佐爾波神社拝殿。

社伝によれば、335年、仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に来湯した際の行宮跡に創建されたという。旧鎮座地は「伊佐爾波岡」と呼ばれていた場所で、現在の湯築城跡とされる。祭神は、仲哀天皇・慶神天皇・神功皇后・三柱姫大神である。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「伊予国温泉郡 伊佐尓波神社」と記載され、式内社に列しており、神仏習合の時代には、宝厳寺と石手寺は、共に伊佐爾波神社の別当寺であったとされる。

延元3年(1338)伊予国守護・河野氏による湯築城の築城に際し、現在の地に移転した。その後、伊豫松山藩の藩主となった加藤嘉明は、松山城の固めとして松山八社八幡を定め、伊佐爾波は「湯月八幡宮」として一番社とされた。
弓の名手といわれた伊豫松山三代藩主松平定長は、将軍家(家綱)より江戸城内において弓の競射(流鏑馬)を命じられた際、湯月八幡宮へ必中祈願をした。寛文4年(1664)6月、定長は、将軍家の御前で弓を無事に射ることができ、祈願成就の御礼として社殿の造替に着手した。

寛文7年(1667)5月15日、飛騨の工匠を招き大工697人、延べ人数69,017人を要し新社殿が完成。松平家より代参として家老竹内家が参拝し、遷宮式が挙行された。新社殿は石清水八幡宮を模したとされる八幡造で、宇佐八幡宮とあわせて全国に3例しかない八幡造である。
神社の宝物として、重要文化財の太刀(銘 国行)がある。その他に全国的にも珍しい算額22面がある。算額とは、和算の事で、日本独自で発達した数学で関孝和が有名。22面が一社に残されているのは非常に珍しいことである。・・神社の回廊に展示してある。

そして昭和になり、神社の大改修が下記の通り行われた。
昭和31年6月、本殿が国の重要文化財に指定。
昭和42年6月、申殿及び廊下、楼門、廻廊が重要文化財に追加指定。
昭和45年から3年間にわたり、本格的な復元解体修理。
平成12年から2年間にわたり、総工事費約2億6千万円をかけ、屋根(檜皮)の葺き替え工事、丹朱塗他塗装工事、破損個所の補修、その他修復工事。
参道前の社号碑は、出雲大社第82代出雲国造千家尊統の書である。

註:松山八社八幡とは、「一番社:伊佐爾波神社・二番社:桑原八幡神社・三番社:日尾八幡神社・四番社:雄郡神社・五番社:日招八幡神社・六番社:朝日八幡神社・七番社:還熊八幡神社・八番社:阿沼美神社」

 

伊佐爾波神社本殿で、造りが八幡造りとなっており、日本に三カ所しかない。日本三大八幡造りの一つ、京都の石清水八幡宮・大分県宇佐市の宇佐八幡宮・松山市の伊佐爾波神社である。社殿は、石清水八幡宮を模して造営された。

八幡造り本殿が近くで観えるのは伊佐爾波神社だけである。

八幡造りとは:切妻・平入りの2つの建物前殿(まえどの)・後殿(うしろどの)を前後に連結させ、中間に1間の相の間(あいのま)が付く。

前殿を外殿・礼殿・細殿・出殿・出居殿といい、後殿を内殿とも呼ぶ。

 

 

 

 

社務所で、此処で御朱印を受ける。

重要文化財指定表示板。表示板最上に盃を三段重ねた様なマークがある、これが文化財愛護のロゴマークである。

伊佐爾波神社の長い石段。135段あり急勾配である。

伊佐爾波神社の長い石段を上り詰め振り返ると松山城天守が観える。

135段の石段を上る自信のない方はご安心下さい。う回路があります。

真っ直ぐ伸びる道は、参道で道後温泉駅に通じている。

3月11日は観光客が多く入浴するため列をなしていた。半旗が見える。

3月11日、東日本大震災の日です。哀悼の気持ちを表すために道後温泉本館は半旗を掲揚した。

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