EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

山岸良二先生、秋山兄弟生誕地で講演される

2017年10月20日 | 伊予松山歴史散策

予てより計画しておりました山岸良二先生の講演会が、10月18日(水曜日)午後2時より秋山兄生誕地武道場で開催されました。

定員70名で着席を準備していましたが、90名の参加者があり盛大な講演会でした。

講師の山岸先生は、日本考古学協会全国理事で、千葉県習志野市文化財審議会会長をされており、昨年まで東邦大学付属東邦中・高等学校の教諭をされておられました。

現在は、引き続き東邦大学付属東邦中・高校講師としてまた、昭和女子大学教授、放送大学の講師として活躍されておられます。

山岸先生は、習志野騎兵連隊についての研究では第一人者で、特に秋山好古に関しては奥深く研究をされておられます。

日本騎兵の父と呼ばれた秋山好古は、千葉県習志野から騎兵第一騎兵旅団長として騎兵隊を率いて日露戦争に出征し、遼陽、黒溝台、奉天の戦いで奮戦激闘し、日本の勝利に大きな貢献をしました。

今回の講演演題は、「秋山好古と習志野騎兵旅団」で好古を軸にその人物に迫る大変貴重な講話であり参加者は熱心に聴講されていました。

松山市民の知らない好古の凄さを改めて確信した思いでした。

なお、今回の講演会には習志野市から、山岸先生と奥様、習志野騎兵連隊史跡保存会代表で、習志野市大久保商店街理事長の三橋正文さん、習志野郷土史普及会の平野さん、習志野市商店連合会事務局長、竹内昌子さんの5人が秋山邸にお越しになられました。

翌日の10月19日(木曜日)午前中は、大正13年3月から昭和5年3月まで務めた北豫中学校(現、愛媛県立松山北高等学校)を視察、午後は、現存12天守の一つ伊予松山城を見学され、夕方空路帰路になられました。

画像はその様子です。

松山市歩行町二丁目3番地6にある秋山兄弟生誕地で、画像左側の建物が武道場です。講演会はこの建物で開催されました。

生誕地の土地は、伊予松山藩主から頂き、江戸時代から変わっていない敷地です。

講演会会場の秋山兄弟生誕地武道場入り口に掲示した案内板。

秋山好古の信条「簡単・明瞭・質素・倹約」の指針に基き、手作りの案内板です。

開場前の秋山兄弟生誕地武道場内部です。

秋山眞之が提唱して創設された「松山同郷会」名残の武道場で、現在は柔道と合気道の錬成をしています。

講演会開場前の秋山兄弟生誕地武道場内部です。

定刻の午後2時、講演会に先立ち挨拶を述べる常磐同郷会、平松昇理事長。

今回の講演会の後援をして頂いた、習志野騎兵連隊史跡保存会会長・千葉県習志野市大久保商店街理事長、三橋正文さんが、講師の山岸先生の紹介とご挨拶をされた。

挨拶をされる習志野騎兵連隊史跡保存会会長・千葉県習志野市大久保商店街理事長、三橋正文理事長。

講師の山岸先生の紹介をされる三橋正文さん。

 講演をされる、山岸先生。

 演題は「秋山好古と習志野騎兵旅団」

秋山兄弟生誕地武道場が一杯になった講演会場。

松山市民が知らない秋山好古の神髄が語られ、参加者は熱心に山岸先生の話に聞きほれていました。

山岸先生は、参加者一人一人に詳しい資料を作成して分かりやすい講話をされた。

熱弁を振るい講話をされる山岸先生、聞く方も真剣です。

習志野騎兵第14連隊の連隊旗を復元しその説明をされた。

当時騎兵連隊は、171連隊あったが、習志野には、第13・14・15・16連隊が駐屯しており、この4連隊が突出して精鋭の騎兵隊であった。有事になると騎兵第一旅団、第二旅団として編成され活躍した。特に日露戦争で一番の激戦、黒溝台を制したのは、秋山好古が率いた騎兵第一旅団(秋山騎兵支隊)の大活躍があったからだと話された。

騎兵第13連隊・14連隊は、平時は近衛師団に属し、精鋭の騎兵連隊であった。有事になると、騎兵第一旅団として編成された。

秋山兄弟生誕地で活動している研究員、受付を担当しました。

 秋山兄弟生誕地で活動している研究員、各位受付、会場案内等々を担当した。

習志野騎兵連隊史跡保存会の方達と秋山兄弟生誕地の役員。

左側の男性が、習志野騎兵連隊史跡保存会三橋正文会長、右側の男性が山岸先生、平成24年10月31日、習志野騎兵連隊跡を視察研修に伺った時お世話になりました秋山兄弟生誕地の研究員各位。松山での記念にと写真に収めました。

講演会の翌日10月19日、伊予松山城見学された習志野市の皆さん。

NHKドラマ「坂の上の雲」この場所で、秋山好古を演じた「阿部寛さん」秋山眞之を演じられた「本木雅弘さん」正岡子規を演じた「香川照之さん」の3人にが撮影した場所で一枚。

NHKドラマ「坂の上の雲」に出て来る画像です。

後方の天守が伊予松山城天守。

習志野騎兵連隊史跡保存会の皆さんをご案内しここで撮りました。

過密スケージュールの中、松山名物の宇和島風タイ飯を食されました。

時間がなく、ゆっくりと美味しく味合う事が出来なかったと思います。

習志野にお帰りになる三越松山店前のバス停までお見送りをしました最後の写真。中身の濃い素晴らしい講演有難うございました。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブルーインパルス(青い衝撃... | トップ | EEK紀行・画像で回顧 現... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伊予松山歴史散策」カテゴリの最新記事