EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

一遍上人誕生の寺「宝厳寺消失・全焼」

2013年08月10日 | 伊予松山歴史散策
今日(8月10日)午後松山城ガイドで筒井門前にて広島県尾道市から来られた方をご案内していた所、火災発生のサイレンが鳴った。サイレンは、けたたましいものでなく、どこかの小火であったくらいに感じた。それから天守最上階に上がってみると、道後温泉方角に火災らしき煙が上がっており、直ぐにカメラを取り出し撮って拡大してみると、なんと宝厳寺の火災であることが判明した。松山市の古刹、宝厳寺、松山道後温泉の宝物を無くし残念。本堂には、「木造一遍上人立像」があり、早い火の回り方では運び出せなかったのではないか??

宝厳寺(ほうごんじ)は愛媛県松山市道後湯月町にある時宗の寺院で、時宗開祖一遍の生誕地。山号は豊国山。寺号は詳しくは豊国山遍照院宝厳寺と称する。愛媛県指定史跡である。
寺伝では天智天皇4年(665年)、越智守興が誓願院として創建したという。平安時代中期、天台宗寺院となる。往時は松ヶ枝町一帯に12の支院があったという。
正応5年(1292年)、寺は時宗の祖・一遍の弟にあたる仙阿によって再興され、時宗に改宗し、時宗十二派のうちの奥谷派本山となった。一遍は延応元年(1239年)、この寺の一角で誕生したとされている。一遍は、伊予の豪族、河野通信の第3子で、河野通広として誕生、その生涯は国宝『一遍聖絵』(一遍上人絵伝)があますところなく伝えられている。時宗の総本山は、神奈川県藤沢市の遊行寺(清浄光寺)で、寺紋は、河野氏の家紋と同じ、折敷に三文字である。
画像は、伊予松山城天守最上階からデジカメで撮った。


伊予松山城天守最上階(160m)からの画像。道後温泉方角の山手から煙が見えた。


拡大して見ると宝厳寺の本堂が燃えていることが判明した。以後の画像は連続画像である。


この画像が午後2時41分撮影。








午後2時43分撮影の画像で火柱が見えている。この時既に本堂の屋根は燃え落ちて写ってない。








午後3時48分撮影、宝厳寺の駐車場には、消防車の姿は見えない、道が狭いので大型の消防車は入ることは出来なかったのか??普段の初期消火活動が必要。


宝厳寺の本堂で、昨年5月8日に撮った画像。


本堂右手に庫裏があるがこれも燃えてしまったかも??


今朝の地元紙「愛媛新聞」の記事。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 68回目の愛媛県原爆死没者... | トップ | 浄土時のお施餓鬼 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伊予松山歴史散策」カテゴリの最新記事