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道後温泉 4 伊佐庭 如矢

2010年02月12日 | 伊予松山歴史散策
伊佐庭 如矢(震庵)

伊佐庭 如矢は、
道後の医家、成川國雄の子として一家を創立し名は如矢、通称は斧右衛門、碧梧桐とも号した。初め伊予松山藩の老職菅良弼の家令となり、明治維新後は愛媛県庁、内務省の官僚、山田香川郡長、高松中学校長、琴平神社禰宣などを務め、晩年は、道後町長に挙げられ道後温泉の改造などを行った。現在の道後温泉本館は伊佐庭 如矢が建築したものである。

特筆事項は、「松山城天守存続に尽力した伊佐庭如矢」
明治6年2月政府は、廃城令を出して旧権力の象徴である城郭を取り壊すと共に、売却による維持経費の削減を図ろうとした。
伊予松山藩は、親藩がゆえに幕末朝敵とされ松山城の売却取り壊しは免れぬ状態であった。

存続を願い伊佐庭如矢は、大蔵卿大隈重信に城郭を公園化する事で、庶民の観覧のためにと上申した。
維持費は地元で負担する事を条件で、内務卿木戸孝允は公園化を条件で認め存続を許す事になった。

政府も各地の城の取り扱いに困っていたので、伊佐庭如矢の公園化計画は一つのヒントになり、その後各地の城は公園化が推進され存続した。
伊佐庭如矢は、道後温泉建設に努力して完成させた功績は良く知られているが、松山城存続に努力した事はあまり知られてない。

画像は、松山城存続にまた道後温泉建設に尽力した伊佐庭如矢の銅像である。
    銅像所在地:松山市道後湯之町20番8号 道後温泉本館北
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1 コメント

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天職キタ(*´ω`*) (大岩井)
2010-02-17 17:40:11

キジョーイしてもらうバ イ トおもろすぐるwwwwww
オレ動かなくても勝手にイって5万くれるし。。。

ちょっと試すだけのつもりだったのになぁ(^^;
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