傷だらけの天使のスローなブログ
ON THE ROAD
やっとです
2月はオリンピックとともにあっという間に終わり、いよいよ明日から3月。
その明日からいよいよ仙台でもセブンイレブン、ローソン、ファミマに銀行のATMが入る。
政令都市では一番最後だそうだ。
いままでは他都市からきた人にコンビニのレジの人が「ATMはないの?」と聞かれることが多かったという。
でも考えると便利だよ。
けっこう街中の銀行って駐車場が狭い。
最近仕事の関係で車での移動が多く銀行によるのが一苦労だった。
コンビニで用がたせるなら便利。
あくまでも引き出せるお金が入っていればだが
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キャロルはスゴイ!
昨夜は矢沢永吉について書いたので今日はキャロルを書いてみる。
1972年から1975年の3年間だけ活動した伝説のロックンロールバンド。
このバンドのモデルとなったのはレコードデビューする前のビートルズ。
ビートルズといえば長髪だが、10代後半から20歳くらいまでの
アマチュア時代~セミプロ時代の彼らはエルビスプレスリーに憧れ
リーゼントに革ジャン&細身のブルージーンズというスタイルで演奏していた。
その姿を真似てできた日本のロックンロールバンドがキャロルだ。
今では矢沢永吉が所属していたバンドとのイメージが強いが、
このバンドは矢沢以上に日本のロックミュージックシーンに大きな影響を与えている。
それは何か・・・メンバーのジョニー大倉の書いた詞と彼の歌唱法だ。
たとえば・・・
『愛されてるいつも』が
『愛さレッツェル・イッツ・モー』と
日本語が英語のように聞こえる歌い方をはじめてしたのがジョニー大倉だ。
これは日本のロック史上画期的な出来事だった。
彼が出てくるまでは日本語でロックをするのは無理。
メロディに自由度を与えるために、歌詞は英語で書くべきだとの意見が日本のロック界には強かった。
それがこの独特な歌い方と日本語と英語が絶妙にブレンドした詞のおかげで、
日本語の詞でも英語のようなメロディラインを持つことができるようになった。
これは後のサザンの桑田圭祐や佐野元春の歌に見事に受け継がれた。
さらには最近のBZにまでも影響を及ぼしている。
彼らの英語のような流れをもつ日本語と英語のコラボレートされた詞には、
キャロルの存在が色濃く反映されている。
リーゼント、皮のツナギなどで不良の象徴のように見る人もいたが
君はファンキーモンキーベイビー
いかれてるよ~♪
だけど恋しいオレのカノジョ。(ファンキーモンキーベイビー)
雪の世界の恋だから
春風が溶かしたなんて
シャレにもならない恋をした間抜けなファニー
テディボーイ(涙のテディボーイ)
詞も曲もとてもポップだったし、ジョニー大倉の声は
甘く、ギターの内海のテクニックも冴えわたり、今聴いても色あせていない。
音楽的にも日本のポップ史上忘れられないバンドの一つだと自分は評価してる。
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矢沢世代
アイ・ラブ・ユー・OK矢沢永吉ソニーミュージックエンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |
永ちゃん、俺たちはもう一度走れるだろうか?クリックするとNHKサイトへ
今夜9時からのNHKスペシャルは矢沢永吉と彼と自分の人生の関わりを書いて寄せられた500通のメールから構成された番組だった。
矢沢永吉・・・56歳。伝説のロックンロールバンド『キャロル』解散後の30年前にソロデビュー。
上のアルバムジャケットは彼のソロデビューアルバム『アイ・ラブ・ユー・OK』だ。
当時は26歳。当時高校生だったオレにはこのマドラスチェックのジャケットにコンバースを履き、アメ車のコンパーチブルに乗った永ちゃんの姿はまぶしかった。
そうオレも矢沢世代。でも常にビッグにメジャーにという永ちゃんよりも、
ビートルズやボブディランに影響され自分の生き方や愛の強さはかなさを歌う
浜田省吾や、都会の若者のシュールさを歌う佐野元春にオレは共感を覚えていた。
オレにとってはキャロル時代の方が音楽的には影響が強い。
それでもカリスマ性の強い永ちゃんに影響されていた同世代の人は多い。
この番組ではそんな40代のオヤジやオバサンが紹介されていた。
この俺らの世代、リストラだ。離婚だ。起業したが自己破産。会社での重い責任で心が病んだ。愛する人に先立たれる。・・・などなど。
オヤジやオバサンの苦痛の叫び・・・でも彼らはボロボロになっても立ち上がる。
彼らには矢沢の音楽や生き方が人生の師だ。
★40歳男性(大阪)「自己破産し途方にくれていたが、永ちゃんに勇気づけられ死ぬ気で頑張れた。人は立ち直れるんだ。俺も負けるものか!」
★41歳男性(奈良)「妻が交通事故の後遺症に苦しみ、子供たちが家事を手伝いながらの生活。一緒にライブへ行き、一家で永ちゃんに生きる力をもらいました」
★40歳女性(東京)「去年の東京女子国際マラソン。心の中で“永ちゃん、永ちゃん・・・”と念じながら走りました。市民の部で4位に入賞することができました。永ちゃん、ありがとう!」
苦しい日常を精一杯生きて、1年一度永ちゃんのコンサートで一緒に絶叫し
ロックンロールして生きる力をもらう。
『ドアを開けろ』『黒く塗りつぶせ!』『バイバイ・サンキューガール』
まさにE・YAZAWAの世界そのものだ。
多感な青年時代に好きになったアーチストから、生きるヒントや力をもらう
のはその対象アーテイストが違っても俺たち世代の特長なのかもしれない。
団塊の世代はフォーク世代だが40代の多くはロックンロール世代だ。
ガンバレローリングストーン!
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あ~宮城県!
ココ最近宮城県といえば耐震偽装のA一級建築士やOヒューザー社長といった
悪人の産地として不名誉な評価であった
しかし・・・しかし
ついに
キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!
荒川選手金メダル(地元紙河北新報記事)
荒川選手はもともと神奈川県の生まれなのだが1歳半の時に宮城県にやってきた。
さらに5歳でスケートを宮城の地ではじめているので宮城っ子と呼んで問題なし!
あの大魔神佐々木投手、東北大出身のサラリーマン、
ノーベル化学賞受賞者の田中氏についで三番目の県民栄誉賞も決まった。
荒川選手に県民栄誉賞(河北新報)
いや~いい演技だと思った。
最近のジャンプ至上主義のフィギュアスケートにおいて
『曲芸』ではない見事な美しさ、気品あるパフォーマンスが光った。
特にジャンプ中心の前半より、
あの得点にはならない技という『イナバウアー』からはじまる
中盤からラストまでの盛り上がり・・・実に見事でした~
本当にあの『イナバウアー』は目先の得点にはむすびつかないかもしれないけど
最後には高得点として結果に反映されたような気がする。
まさに荒川選手、銀盤、音楽、観衆のすべてが一体となったグルーブ感が凄かった!
ディドリームビリーバーの歌詞じゃないけど、まさに
『彼女はクィーン』…銀盤の女王だ!!
表彰式で表彰台の真ん中に立った荒川の笑顔の後ろには後光さえ感じられる。
世界一の座が彼女を変えたのか、彼女が変わったから世界一になったのか?
あの1~2ヶ月前の真央ブームの時の荒川にはこんな雰囲気はなかったよね。
日本選手の不振が連日のように伝えられていたトリノオリンピック。
だからこそ余計にうれしい金メダルだった。
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穏やかな日
今日は仙台も気温が10度を越え3月下旬の陽気。
車の中は温室状態。
仕事で訪れた仙台の南隣りの名取市の市役所。
明るい青空なんとなくぼんやりとかすんだ感じが春らしさを感じさせる。
こんな空は久しぶりだな。冬ももうすぐ終わりそう。
こんな数年後には忘れ去られそうな穏やか日が一番いいのかもしれないな・・・
などと市役所の駐車場で缶コーヒーを飲みながらふと感じる。
空を見るのが昔から大好きだ。
それも夜の星空とかより昼間の空の方が好きだ。
青空もいいし、流れる白い雲を見るのもいい。
過ぎ去った日々もこれからの日々もみんなこの空の中にあるような気がしてくる。
懐かしい人の顔も浮かんでくる。
いつまで見ていても飽きない。
・・・・・でもとにかくあの建物の中で一仕事してくるか
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車窓から
営業の仕事の途中、信号待ちの時間などに目に入ったモノを
ブログに載せていこうかと思う。
さてこれは映画『オールウエーズ・三丁目の夕日』にでもでてきそうな
昭和の色が濃く残った雰囲気の電気屋さん。
その外観もさることながら、店のシューウィンドーの中央にあるのが
今流行りの薄型テレビなどではなく全自動洗濯機というところがいい。
きっと現オーナー1代かぎりの営業だろうが、少しでも永く営業して
いてほしいものである。
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シネコンはノスタルジック
自分が小学校の低学年だったいまから30数年前。
当時自分は仙台市の下町に住んでいたのだが自宅のそばに映画館が3軒もあった。
そんな自分の家の近所の映画館も昭和40年代後半にはすっかり消えていた。
その後映画館というのは街の中心部にしかなくなり、
だんだんとデートの場とか、日常の生活から場所だけじゃなく、関わりまでも
遠い存在になりつつあった。
そんな映画をまた身近な存在にしてくれたのが、郊外の大型スーパーに隣接した
シネコンだ。
一人で観る人から若いカップル。老夫婦、ご婦人たちのグループ、家族連れ。
さまざまの人たちが映画を観に訪れてくる。
いや買い物のついでに映画を見る人だっているだろう。
その雰囲気が自分の子供のころ家のそばにあった小さな映画館にそっくりなのだ。
確かにシネコンは街中の映画館のような文化の香りは少ないかもしれないが、
昔の下町の映画館のような『娯楽のニオイ』はプンプンしている。
先日ラジオを聞いていたら、はっきりとした数字は忘れたけれど、
昨年よりまた映画を見る人口が減ってきているらしい。
シネコンの存在は、また昔のように生活の中で映画を観る事が
習慣化されてくることにつながっているとの調査報告もある。
シネコンが今後さらに地方の町や村に進出してくると日本の映画事情は
大きく良い方向に変わるのではと期待している。
シネコンの定義・・・シネマコンプレックスの略語。
6~18の複数のスクリーンを持つ複合型映画施設。
ちなみにスクリーン数6以下の施設はミニコンという。
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『愛』がテーマのチャイニーズファンタジー(2006年5本目)
「この世のすべての男からの寵愛と、
不自由ない生活を約束しましょう。
その代わり、お前は決して真実の愛を得ることはできない。
それでもいいですか?」・・・
もし自分が生きる術さえも持たず、空腹に震える幼い少女だったとしたら、
そんなふうに神様にいわれたら女の人ってどう答えるんだろう?
この映画のヒロイン傾城は『それでもいい』と答えた。
『プロミス』(無極)公式サイト
キャストは人気の韓流スターのチャンドンゴンをはじめ
日本が誇る国際スターの真田広之、
美人女優セシリア・チャンの豪華なアジアの才能の競演。
かつての美男アクションスターだった真田広之だが
彼も中高年世代の45歳になり男の色気がでる俳優になってきた。
すごく華のある役者だ。
映画はチャイニーズファンタジースペクタクル。
香港映画のワイヤーアクション(ワイヤーで吊り下げられた空中でのアクション)
とCGなどでの幻想的な映像のコラボで現実からおとぎの世界へといざなってくれる映画。
愛を得ることをあきらめたヒロイン、
愛することを知らない将軍、愛の意味さえ知らずに育った奴隷、
愛が憎しみに変わった侯爵、愛の悲しみを背負った刺客、
登場人物にとっての『愛』の存在はいろいろだ。
そのそれぞれの男女が『真実の愛』を求めて運命(プロミス)を変えようと生きる。
これはそんな彼らと彼女のファンタジーストーリーだ。
普遍的なテーマはやはりいつの時代も色あせない。
ラストは悲しく切なくそれでいて幻想的。
やはり映画はおもしろい…ただただそう感じさせてくれる
エンターテイメント作品だ。
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今どきの青春の詩
さて青春とはいったいなんだろう
その答えは人それぞれちがうだろう
ただひとつこれだけはいえるだろう
僕たちは大人より時間が多い
大人たちよりたくさんの時間をもっている
吉田拓郎の『青春の詩』の歌詞の一部分である。
彼は1946年の生まれだから今年還暦だ。
まさに『団塊の世代』といわれる年代。
来年は2007年問題などといわれているように
多くのこの年代の人たちが定年を迎える。
『たくさんの時間』を一生懸命に働いてきた人たち。
『青春』という言葉が死語になったこの時代
そんな『青春』を生きてきた人たちを対象にした商品が
ここ数年はたくさん出てくる気配。
これは最近TVでもCMが流れていた『CD付き雑誌』
★あの素晴らしい愛をもう一度/加藤和彦と北山修(1971)
★神田川/南こうせつとかぐや姫(1973)
★誰もいない海/トワ・エ・モア(1970)
★花嫁/はしだのりひことクライマックス(1970)
★青春の詩/吉田拓郎(1971)
★心の旅/チューリップ(1973)
の6曲が収録されたCDが1枚ついている。
自分の年代だと青春時代というより子供の頃聴いた音楽。
それでも懐かしくて買ってみた。
車のスピーカーから流れる曲を聴けば
『へ~こんな感じだったんだ』と新鮮!
自分の頭の中で流れていた曲調とは微妙に違う。
『花嫁』ってフォークソングだとばかり思っていたんだけど
かなりソウルフルなブラスが入っていてアメリカンサウンドだったんだな。
女性のリードボーカルもパワフルでフォークってイメージではない。
トワ・エ・モアのハーモニーもなかなかいい。
こんな曲を作っていた人たちが60歳を越えてるんだから
日本のポップ音楽も歴史ができてきた証拠だ。
これで390円は安い!
って思ったんだけど、これはこの創刊号の特別値段。
次号からは980円だという。
ここから先は人生の先輩たちにお任せして
オレはこの創刊号で打ち止めにしておこう。
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