JAHPON LAND( Pucci )

スケートファニチャーやステンドグラス作品などJAHPON.comとして活躍する作家 土屋隆亮(プチ)のメッセージ!

「ひま」こそが創造主

2007年06月30日 | Weblog
スケートファニチャーが生まれる、発想の源流を辿ってみます。大学から大学院へ入った直後、「何をしたらいいのか?」悩める恐ろしく暇な時間がありました。学校が大好きで用が無くても朝から晩まで登校するおれは、似た様に登校する工芸コースの友達Mと校内の広場でスケートボードをして毎日暇を潰していました。入学時?いや入試時からおれはそこでスケートし続けていたのですが、友達Mはスノーボードの方が専門でスケートは練習中だったのです。広場は目立つ居心地のいい所で、知合いや名前も知らないけど話をする人まで集まる交流場でしたから、ある日、女友達に「何か技やって見せてよ」と友達Mはけしかけられます。よくあるムチャ振り的な やりづらい空気にMは「俺、丘スケーターだからさ、これタイヤ付いた椅子なんだよ!」と気の効いたセリフを返したのです。丘サーファーと呼ばれる海に入らないで浜や街でナンパする格好だけサーファーのスケート版!というMオリジナルのネーミングで、さらに椅子だから滑らないよ!と言う最高のとんちが盛り込まれたセリフに、はまったおれは一日中笑い転げていました。毎日がそんな感じの「おしゃべりとんち道場」で基本が「ひまつぶし」なのに楽し過ぎて「ひまをしに」通いました。Mなんて一時間以上かけて通っていたので、「今日も用が無いのに来てみた」とか「今日も一日中だべっただけだね」なんて状況だけで笑い転げていました。お互い一応美術を勉強していたので、「何か作っても金かかるし邪魔になるよなー」「作る意味あんのかなー」なんて一見グータラ発言でも美術の真理を追求した有意義な道場だったのです。Mのとんちはカタチは無いけど最高の作品だし、毎秒毎秒が 例え面白く無くても それすら面白い人間なので、芸人になってもっと世を和ませてほしいと思ってしまいます。その後「ひまだしバンドやろうぜ」なんて事もしたり、少し用事が出来ると嬉しそうに「忙しくて困っちゃうよ」なんて只のゴミ捨てだったり、さらに「今忙しいから、遊んであげられないなあ」なんて「遊んで」って頼んでもないのにキザに断るギャグやら、何やっても面白いまま、本当に忙しくなって卒業しました。スケートファニチャーが生まれた発想の種には、偉大なる「ひま」が畑となって関わっていたのです。「ヒマはダメか?悪いのか? 」とはスチャダラパーの名曲の詩ですが、「ひま」こそが全てを生んでくれるのです。だからおれは一生ひまに生きるんだい!