「ひま」こそが創造主

スケートファニチャーが生まれる、発想の源流を辿ってみます。大学から大学院へ入った直後、「何をしたらいいのか?」悩める恐ろしく暇な時間がありました。学校が大好きで用が無くても朝から晩まで登校するおれは、似た様に登校する工芸コースの友達Mと校内の広場でスケートボードをして毎日暇を潰していました。入学時?いや入試時からおれはそこでスケートし続けていたのですが、友達Mはスノーボードの方が専門でスケートは練習中だったのです。広場は目立つ居心地のいい所で、知合いや名前も知らないけど話をする人まで集まる交流場でしたから、ある日、女友達に「何か技やって見せてよ」と友達Mはけしかけられます。よくあるムチャ振り的な やりづらい空気にMは「俺、丘スケーターだからさ、これタイヤ付いた椅子なんだよ!」と気の効いたセリフを返したのです。丘サーファーと呼ばれる海に入らないで浜や街でナンパする格好だけサーファーのスケート版!というMオリジナルのネーミングで、さらに椅子だから滑らないよ!と言う最高のとんちが盛り込まれたセリフに、はまったおれは一日中笑い転げていました。毎日がそんな感じの「おしゃべりとんち道場」で基本が「ひまつぶし」なのに楽し過ぎて「ひまをしに」通いました。Mなんて一時間以上かけて通っていたので、「今日も用が無いのに来てみた」とか「今日も一日中だべっただけだね」なんて状況だけで笑い転げていました。お互い一応美術を勉強していたので、「何か作っても金かかるし邪魔になるよなー」「作る意味あんのかなー」なんて一見グータラ発言でも美術の真理を追求した有意義な道場だったのです。Mのとんちはカタチは無いけど最高の作品だし、毎秒毎秒が 例え面白く無くても それすら面白い人間なので、芸人になってもっと世を和ませてほしいと思ってしまいます。その後「ひまだしバンドやろうぜ」なんて事もしたり、少し用事が出来ると嬉しそうに「忙しくて困っちゃうよ」なんて只のゴミ捨てだったり、さらに「今忙しいから、遊んであげられないなあ」なんて「遊んで」って頼んでもないのにキザに断るギャグやら、何やっても面白いまま、本当に忙しくなって卒業しました。スケートファニチャーが生まれた発想の種には、偉大なる「ひま」が畑となって関わっていたのです。「ヒマはダメか?悪いのか? 」とはスチャダラパーの名曲の詩ですが、「ひま」こそが全てを生んでくれるのです。だからおれは一生ひまに生きるんだい!
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未来少年コナン

じゃあ、好きなアニメを聞かれたら「未来少年コナン」と 十歳の頃から変わらず答えています。ヲタク気質なので色々あるのですが、質問には必ず一つを答えたいのです。言わずと知れた宮崎 駿監督の原点と呼ばれる名作で、紙媒体のコミックのアニメ化が多い中 純粋にアニメとして生まれた最高傑作だと本気で思います。当時 野比太ファンからコナンのファンへすぐに乗り変わり憧れました。声一緒!好きな女性のタイプはラナしかいない!なんて言って、キモいと言われても未だに答えたいです。ロリコンか?メーテルって答えるよりはマシかな...マザコンか?裸足で歩くのが流行って、未だに裸足になるとコナン気分です。やっぱり毎週放送されたテレビ版に限ります。壮大なストーリーにはじっくりとした時間が必要です。その流れ方はちょうど一週間のペースにぴったりで、完全に話に入り込んでいました。おれもまだそこまではしていませんが、そのペースでビデオを見直したい程です。大事な事が伝わるには、それなりの時間が必要だという素晴しいサンプルだと思います。映画枠での発表を続ける宮崎監督ですが、「紅の豚」を自身で失敗と評してから傾向がメッセージ性重視に変わってしまいます。何か急激な危機感や使命感が爆発してしまったのでしょうか?「紅の豚」以前の作品でも十分過ぎるメッセージが込もっていたのに、「もののけ姫」からは意識し過ぎな「説教臭さ」を感じてしまうのです。これは「解り易さのサービスの度合」の問題ですが、おれの感覚では映画枠の時間は短いのに詰め込むテーマが大きい強引さを感じてしまうのです。あの「風の谷のナウシカ」の原作コミックの壮大さと比べると、スケールと時間軸が合わないハリウッド的です。これでは薄っぺらいファッション的なエコ祭りを招きます...が、「エコに深いも薄いも無い!理解なんて無くても流行りででも協力させればいいんだよ!」と考えれば納得は出来ます。実際に素晴しい社会貢献の成果を上げているでしょう。でもでも、映画とか、アニメとかは純粋に楽しみたいんだよね。宮沢賢治の様に落ち着いて、メッセージはこっそり忍ばせてほしいです。政治的過ぎ?思うに宣伝やコピーが大袈裟で台無しにしているのかもしれない。先入観から説教じゃあ、内容がいいバランスでも変形してしまうよ。まあ、そうは言っても好きで楽しんでいるんだけど、絶対にこんな意見も解っている筈で、いいバランスの作品も考えているでしょう。いつかトトロの立体のステンドグラスを作って監督にプレゼントしたいと思っています。
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ロビンソンの庭

好きな映画を聞かれたら「ロビンソンの庭」と 二十歳の頃から変わらず答えています。どこがいいのか言葉に出来ないところが一番の魅力なのですが挑戦してみます。かつて映画界にゴダール監督が「カットアップ」という編集コラージュ技法を革命的に模索し、ここから新感覚が広まりました。これは映像がパっと切り替わったり異なるイメージが同居したりするアートっぽい表現でコミック的な現実離れしたイメージです。動かないグラフィックとしてのコラージュは好きなのですが、どうしても映画としては時間を不自然に操っている気持ち悪さを感じてしまうのです。だから俗にいうロードムーヴィー派です。スタイリッシュなテンポのハリウッド的な映画はコミックの延長で「テレビ」に分別したくなるのです。おいしい事を急ぎ過ぎでしょう?判り易くテロップやワイプだらけのテレビ番組は時間に追われた文明人の知りたい欲のスピードの表れです。物事の深みと時間は絶対比例するとは言い切れませんが、時間によって深みが生まれる実例から推測すると早い物が薄っぺらくなりやすいと疑いたくなります。極論ですが「解りやすい物は軽い内容、解りにくい物は深い内容」深い重いテーマなのにわかりやすーい寸評でタイトに扱われたら、わかっちゃった気になる危険性は大きいです。都会は忙しいからテンポも大事だしテレビは諦めます!便利に情報を伝えて下さい。刺激の強さの好みなのかな?アクションハリウッドなドキドキ刺激も好きですが、本当にリアリティのある何かが伝わって来る映画は、考える頭では無く感覚的にさせてもらえます。「なつかしい~」とか「そういう声出ちゃうよね~」とか、画面から臭いを思い出したり!「ロビンソンの庭」は何十回も見ているせいか、自分の体験になってしまった錯覚すら感じます。心地良くて寝てしまうのは、それだけ優れた映画という事で、つまらなくて寝るのとは違います。ある時期などは病的にリピート再生で一日中流していたら、画面の中に自分も参加して生活していたり、かなりリアルな感触で夢の中を楽しんでいました。テーマの好みもあると思いますが、誰よりもこの映画で遊んでいるという自信はあります。っって、それはもう映画じゃないんじゃない?確かに異質な存在!そんな作品に憧れるのです。見る人が謎の活用方や勝手な遊びで楽しんでもらえる様な作品に、おれも挑戦し続けたいです。葬儀屋がドアを叩くまで!
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いざ鎌倉

スケートボードにはまったせいで、鎌倉方面に友達や縁が多いのと、なぜか引かれてしまう魅力的な雰囲気で鎌倉,葉山,湘南方面には良く行きます。第二のふるさととして住もうか?住むまいか?5年程悩んでいるのですが、理由が「源平」にあるのです。敵地鎌倉には異常に恐怖と興味が同居していて、先入観もあるのですが自分に眠る感覚的な反応も信じているので複雑です。同時に水が恐いです。そんな危うい面白さもあって時々遊びに行くのですが、最近鎌倉を調べているドローカルの友達に「ひきけ」という言葉を聞いて何かがパァーっと光ったのです。「ひきけ(比企家)」とは頼朝の乳母の一族で鎌倉幕府が衰退する時 北条氏に迫害されてしまう悲しい家系なのです。平家では無いどころか敵の乳母なのに、強い親近感を感じてしまったのです。落ちる悲しみの時は同じ人間の悲しみです。一気に鎌倉に住んでみても面白いなと思い始めたのです。(カヒミ・カリィさんが比企家の末裔でカヒミというネーミングに歴史が込められているそうです) 思い込みの強い影響は他にもあります。中学生の頃ゲームセンターのゲームにはまっていたのですが、1987年ナムコから「源平討魔伝」という驚異的なゲームが出て、内容が平家の恨みを遂げる為、義経,弁慶そして頼朝を倒すストーリーなのです。これには当然熱狂し後にゲームセンター用の基盤や機械を買ってしまう程で、未だにプレイします。これが妖怪や恐ろしい力で襲ってくる源氏方のパワーは本当だったんじゃないか?という妄想につながり、更にテレビの義経や陰陽士、オカルト情報好きが助長して、絶対 源氏は呪術的な暗黒の力を利用していたに違いないと思い込んでいます。パワーの影には必ず未知の何かが支えているはずだと信じているのです。そんな都市計画が完成している鎌倉は確実にパワースポットです。武士のやんちゃ感が溢れている若さがみなぎった雰囲気は、東京を窓口に文化を生み出し続けていると言えるでしょう。人気もあり庶民的だった雰囲気もハイソでロハス的な波に絡まれたりと不満もありますが、まだまだ楽しくなるハズの街です。単純なおれですが、それゆえの勘を生かしつつ挑戦して活きたいです。ひょっとして平家再興で鎌倉を狙って引き寄せられているのか?いやいや時代を超えて和解に行くのです!ちょっとしたノイローゼだけど、何か魂の使命みたいで面白いでしょ?人間なんてそんな理由で生かされているだけじゃないかしら?
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驕れる平家よ永遠に

自分が何処から来たのか?歴史を紐解く時深い感謝が溢れます。平家が源氏に破れ各地に落ちのびる時、桓武天皇が平民に下り桓武平氏になり千葉に土屋一族として暮らしました。大仏の目を入れたという法然上人の弟子を呼び、極楽寺を建てました。寺の沼には奇麗な蓮が咲き乱れ、一帯を蓮沼村と命名されました。土屋の本家なので小さいながらも栄華を極めていたのですが、曾祖父ひいじいさんが友達の保証人になって騙され没落してしまいます。残された物は金の阿弥陀像と古い墓だけです。鎌倉時代か さらに古いかと思われる仏様の顔や、寺で一番古い墓石、寺の住職さんの話など、十分な手掛かりに子供ながら感動したものです。特に墓石に刻まれた御先祖様「土屋八郎右衛門忠亮」の忠が親父の名前 忠男に、亮がおれの名前 隆亮に受継がれたのです。御家再興の努力は祖父の戦争での活躍でしたが日本は負けてしまいます。そして次は学問と考えて陸軍士官学校での教師として活躍し、教え子には三笠宮殿下も居られたそうで、辛い時代を語りたがらなかったじいちゃんの葬式には殿下から大きな花が届いて驚きました。続いて親父の御家再興は商売だって事でステンドグラス屋を頑張っているのです。極楽寺の本堂の窓には蓮の花のステンドグラスをびっしり寄進して、華やかなお寺になってしまっていますが、その荘厳さを直接見た時、信心深い親父の歴史への感謝に感動してしまいました。保証人で没落っていうのが「おごれる平家」丸出しで情に深いけど、なさけない様な憎めない血筋を感じます。性分みたいなものがこの自分にまで流れ込んでいる事をはっきり感じてしまいます。暗示的なものも疑えますが、血統というのはそういうものだと信じられます。駄目なところも認めつつ、落ちのびた土地で蓮を咲かせて暮らす、ポジティブで平和なメルヘン家系に感謝して生きたいなと思っています。御家再興って何なんだろう?金を奪われたのだから金が再興かと子供の時は思っていましたが、今は信頼出来る友達や仲間、家族の事なのかな?とクサイ事を考えています。だって奪われたのは金だけでは無いのですから。
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三人寄れどもんじゅの原発事故

「赤信号みんなで渡れば恐くない」のみんなって何人だろう?やっぱ3人かな。集団心理について、歩道を一人で歩いていて対向してくる軍団が3人以上になると道を開けて譲ってくれない!という密かな統計結果をおれは見つけました。サラリーマン天国に住んでいるので、朝晩のラッシュの方向はハッキリと満ち潮引き潮になっていて、まるでピンクフロイドのビデオの様に顔が無い集団に見えてゾクっとする毎日です。これが波に乗っている向きの時は、自分でも明らかに心強くなっているのです。やっぱり3人から変わりますが、このパワーを知っているので歩道では対向者に気を付けてフォーメーションチェンジを心掛けています。動物の種類によって集団心理の感覚の違いがあるところからすると明らかに人間は群れの動物で、しかも羊くらいのワイルドさの種類と思われます。なんだか急に弱い感じがするのは「人間様は強い狼なった」という妄想のせいなのです。鎌倉の海岸に鳥のトビが飛んでいて、トビに注意の看板があります。話を聞くと、食べようと口に近づけたハンバーガーを一瞬でトビがさらってゆくそうです。さらに先日!海岸で散歩中の犬のチワワがトビにさらわれたそうです。トビは生きた餌を落として弱らせて巣で食べるので絶望的です。犬のお母さんの混乱は想像しただけでもくらくらします。トビが相手では何の保証も訴訟もありません。自然をナメんなよ!って事でしょうか?昔話の様な事が起こるのも平和ボケしてるだけで当たり前!今も昔なのです。あるリンゴ農園のリンゴを野生のクマが全て食べてしまって、農園の被害は破滅的なのに農園のおじさんは「悪いのは人間なんだよ」とインタビューに答えたそうです。おじさんナイス。身体能力や動物としての順位ではクマは森の王様で当然格上だし、人間なんてトビよりも下!追い立てられる羊を想像したらペットかと思っていた犬よりも下なんじゃないか?イナゴの大群にだってかなわない!「おれたちゃあ弱いんだよ!貧乏なんだよ!もっと自信を無くそうよ!ちょっと調子に乗っちゃってただけだよーぅ!」つって下手に出て穏便に見逃してもらいましょうよ。負けちゃいますよぅ。
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グラフィティ

グラフィティについて、身近にも活動している友達がいるので時々考察してしまいます。街に突然登場するボム(落書き)で、好みのキャラクターを見つけると、スプレーの精霊を探す様に見つけるのを楽しみにしていたりしますが、自分が借金して建てた家や店、まさか車なんかに描かれちゃったら嫌ですよね。「なぜその情熱を白いキャンバスにぶつけないのか?」と普通に思うのですが、これはARTや美術の世界を知っているからゆえの発想で、彼らには最初からキャンバスはストリートしか存在し無かったのです。自分の存在の証明を仲間同士示し合うコミュニケーションツールだとか、その純粋さには無理矢理納得させられそうな魅力がたっぷりあるのです。自分も含めART思考な人は表現全てに進化や成長を求めてしまう癖がありますが、それは「人間は飽きる」という解釈が前提なので、全ての人に絶対には適応しないし、飽きるスピードが早過ぎるかもしれないのです。話を聞くとそれぞれ進化はしているのですが俯瞰で見たら「いつまでも街に落書き」と見えてしまうのも当全です。型にはまるという見方は色んな型を知っている勉強の出来る人の見方で、視野の広い優良な感覚ですが、あまりにも純粋な彼と接して「それだけでいい良さ」「どこも目指していない良さ」に感動してしまったのです。いつか美術館で個展を開く...的なグローバルな思考はある意味不純とも考えられます。おれのグラフィティに持つ魅力は、テリトリーパトロールという点です。その「地元愛,郷土愛」はストリート大好きのスケーターやサーファーのローカルスポットを守る感覚と同じで、ただ税金を払っている人よりも地面と深く関係,会話していて、土地を擬人化すると喜んでいると思うのです。特に都市は関係してあげないと死んでしまうと思います。そんな素晴しい側面が冷めた街と折り合い昇華したなら、おれは泣いてしまうと思います。横浜の桜木町ガードの様に歩み寄り合い、少しのルールをやんちゃボーイが渋々受け入れる。夢の明るい未来は、そこが子供の美術青空学校だね。「悪い事はカッコイイ」だけで活動しているポーザーでは無い証に、地元の町内会長のじじいや小学生のガキと仲良くためしてみてほしいです。スケートスタイルもナイスな彼の名言「毎日自分越え!」ちゅゎい~~っす、最高です。だ~いこ~んく~~ん
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うる星やつら

小学校3年生頃「うる星やつら」というアニメに夢中でした。巨匠 高橋留美子 先生の原点とも言える作品で、SFな上に和もギャグも冴えた未だに色あせない名作です。魅力的な女性が沢山出てくるので、このアニメの話をすると「いやらしい」と反応されてしまいます...が!決っしてエロだけがテーマの作品では無いのです。特にメインキャラクターのラムちゃんは基本的にトラの水着姿なので、いかがわしい女に思われてしまいますが、それがトラップになっていて「セクシーな鬼の娘宇宙人が実は地球人よりも一番貞節でまとも」という設定コンセプトを、ちゃんと読めば伺えるのです。本当にありとあらゆるクレイジーな登場人物が出演して、人間の持つ煩悩全てをユニークに映し出しています。おれは小学生にしてこのアニメから「人間見た目だけに騙されちゃ駄目だな」と悟ったのでした。こんなリアリティーのあるSF空想ファンタジーは、25年以上経つけど現れませんでした。アニメ産業はアジアに流れて盛んらしいけど、技術中心の専門学校的な作品量産システムではアニメ文化も衰退してしまうのではないかと疑ってしまいます。いつも考えてしまう「本当に作るべきなのか?」を考えずに作らせてしまう構造では、表面的なものばかり量産されると思うのです。これはアートも同じですが、どうやら人間は馬鹿だから表面的でもそれなりに楽しむ事は永遠に出来そうです。おれは過信して薄っぺらいものは放っといても自然に淘汰されていくと信じていたけど、そうでもない現実が本当に残念です。こうして資源が消え、社会はつまらない物で埋まって行く。そうならない様に伝える作品を無駄なく作りたいーっ!お前も埋めてるっちゃ!ちゅっどぉ~ん。
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不自由による自由

肉体から魂が抜けることを「自由になる」と考える人も多い様です。死んでるわけなんだけどね。苦労して生きていたり、病んでいる不自由な心がネガティブに肉体を重く感じてしまうのでしょう。SMのボンデージラバースーツの面白い話を聞きました。ゴム製の全身タイツは着ると汗をかけなくなり全身が痺れて皮膚が無くなってしまう感覚だそうです。皮膚というのは自分と外を隔てている境界な訳で、自分の体の壁が無くなって生きたまま自由になるのです。アニメ甲殻機動隊にもダイビングで自由になる描写がありましたし、グランブルーでも息苦しさからの自由です。トランスなどのダンスマニアがレイヴパーティーでピッタリした服を着るのも痺れて体が軽くなり疲れないからだそうです。不自由な方法で自由な感覚を得るという不思議な関係が面白いよね。日本にも古くから縄で女性を縛る文化があります。団 鬼六という巨匠が有名ですがエロい興味では無い感覚で引き込まれる伝統技術で、順序良く人体を少しも動けない程に固定して行く行程と縛られた女性と縄の組まれ方は美術や芸術とかに関係なく美しいと思えてしまいます。最終的にぶら~んと吊るされて縛られている女性は恍惚として心地よい痛みの様子です。想像ですが「体を不自由にして感覚が無くなり自由になる」装置なのかもしれません。そう考えると縛る男と縛られる女の愛情をも強く感じます。信用し合わなければ死んでしまいますから。こうした対極する感覚が反転し易くなる感じは、分裂症にも似ていて、真理ではあっても常に社会の表にあっては混乱してしまいますよね。何の刺激でも追求し過ぎる人は極に向ってDON'T STOP!してしまいますが、正直な冒険者としておれは大好きです。でも最近の気分では、極を確認して崖っぷちを見たら「ほどほど」を知れるから最終的には適当なバランスを目指してほしいという大人な気持ちです。エスカレートする興味や刺激は人間らしいものですが、止まらずに文明が何度も滅びました。発展も度が過ぎれば破壊と同じなのを過去に学習して、度が過ぎるものに憧れない感覚を取戻してほしい!と、特に「けしかける」メディアに頼みたいです。
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女性は宇宙

惚れて憧れた女性の自然体な面白さに比べ、おれの頭でっかちな考え過ぎてしまう性格に自らウンザリしてしまうことが多々あります。中沢新一先生の本で「生と死をもつ女性は自身が宇宙だから宇宙に興味を持たない」という話を読み、意味や知恵に夢中にならず哲学したがらない事に納得と同時に男のハンデに愕然としました。無意識の事をいくら意識的に考えても絶対に無意識そのものにはなれませんし、逆にどんどん離れてしまいそうです。悩み抜いた末、考えるのをやめる「スイッチオフ」というバカみたいな回答を見つけているのに、スイッチがやたら硬くて重くて難しいのです。犬の世話やスケートをしている時が自然にスイッチが切れる幸せな時間です。無意識の事や超越や宇宙を考えていると、いつも「欲の意識性」に悩まされます。これは古今東西ブッダも悩んだテーマでしょうが、難しい問題です。全ての欲を無意識な人間らしいもの...ととらえた解釈で悟りと説く生臭坊主だっているぐらいややこしいから、仏教ではストイックに排除して真理を探るんだろうね。男と女は本当にうまいこと対極してできているけれど、こんな思考で極まり過ぎた男女をよりバランス良く理想すると「考え過ぎない男」と「欲張らない女」にあこがれます。哲学とは残酷なもので、酷い回り道の様ですね。簡単なことをわざわざ難しく捉える究極の暇つぶしです。それでも戦わなければならない理由は、やっかいな「欲」のせいかな。「知りたがり男と欲しがり女」を肯定して幸せにするにはフリーメイソンの様に発展拡大しか無いのか?肯定でも、ほどほどの肯定ってのが難しいのが人間みたいだな!だから色々な事で、なかなかうまくいかない...って言う状況がちょうどうまくいってるのかもしれない!てきとう!適当こそ超能力?
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普通が超能力

警察や社会ルールについて急に認める気持ちになった革命的な時期があります。1997年25歳の節目に猛烈な恋をしたのです。おれを強烈に否定してくれる貴重な人で、大人になった自由で調子に乗っている時期でしたから、おかげで目を覚まし地面に足を着ける事が出来ました。この駄目な頃の意識はガンダムで言うところシャアの急進的で横暴なイメージで、「社会が悪い!おれが正しい!」でした。野比太に憧れていた純朴な子供の時期もあるので、かなり遅い反抗期で調子に乗っていた一時的な暴走時代の様です。「アーティストって滅茶苦茶をやって研究しなけりゃハンパだぜっ!」ていう間違った妄想も原因です。まずステンドグラスの材料店を開くと、ゴミのモラル問題の洗礼を受けたのです。コンビニが隣だからか毎朝 宴の終わったまま、缶とタバコとカップ麺が丸く並んで人数まで確認出来る程そのままお帰りになるのです。ファミレスかっ!ってつっこみも出ずに悩みました。他にも糞尿モラルも厳しいよね。店長になって本当に全てのモラルや社会ルールって必要なものなんだな!と痛感したのです。たくさんの人と土地を共有して生きているのだからあらゆる因果応報を想像して行動しなければいけないな!とマトモなことを叫んだのです。こんなきっかけで混沌から秩序へと一瞬で反転したおれが見た「覚醒」のイメージは、眉間の重い扉をやっとこさ開くと、そこに一言「開けるな」って書いてあって、「ガ~ン!開けちゃったじゃん!」先にゆってよ~って、そっと閉める感じです。この構造はよくある「何かを探し求めて旅に行くがやっと見つけた所が元居た場所」的な真理で、探究心がある馬鹿な男っぽいミスです。まあ見つかったなら回り道も必然!前回のまど・みちを先生の話とも繋がりますが、「この世界には隠されているものなんてひとつもない、ただ見ようとしていないだけ!」っこれは我ながら名台詞が飛び出したぜ!観念的にクレイジーは意識的で全然クレイジーじゃない!表裏一体?つまり超越的な能力や、ニュータイプ、パワーを人は求めるけど、それを備えた人は超フツーの素晴しくマトモな感覚を備えた人間らしい人間が、元から備えているもので、あたりまえだったのだ!という事です。普通が超能力!
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まど・みちを

「まど・みちを」さんを尊敬しています。意識したのは小学校の教科書の「つけもののおもし」からです。あらゆる存在の賛美を、童謡や子供にも伝わる詩で教えてくれます。(ぞうさん,白ヤギ黒ヤギの郵便,ポケットのビスケットが増える唄が有名です)2000年を迎える頃、巷では「宇宙へ宇宙へ」という浮ついた流行がありましたが、おれは反発した気分で「まど・みちを」の蟻の影を見てここも宇宙である事を知る詩を、強く必要な思考だと考えました。今もそれは続いていますが、ろはす等とは違います。宇宙の話となると世代的にもガンダムが例えに出て来てしまいます。意識を宇宙に解放して重力に縛られないニュータイプを強要するシャアと、重力に体も魂も引かれる力を認めるニュータイプのアムロ。この議論はマニアには果てしないものになってしまいますが、おれはアムロ派で、だからシャアは完全なニュータイプになれないんだよ!という持論です。が、シャアのような起爆剤がなければアムロの様な大事な事に気が付けない愚かな人間を物語っているので必要な人ですが...。話を戻すと、原始時代や縄文時代の方がよっぽど宇宙を飛んでいたのではないか?という感覚なのです。その時に自然愛とか地球愛というのは違ってしまうとおれは考えています。原始時代の人が襲ってくる火山や津波やジャングルを愛していた訳がない!無意識な自然や宇宙に少しでもなじもうという時にLOVEなんてエゴは絶対気持ち悪がられます。「ありがたや」と「だーい好き」は全く違います。だから近年のエコこそ人間の醜さで、ファックロハス!と誤解を恐れず言いたいのです。ディズニーに代表されるアニミズムなファンタジーの「擬人」というのは落着いて考えると人間中心の野蛮な思考かもしれないよね。解り易いし、自分と対等になるけれども相手を強引に自分に似た姿に引きずり出しているから、偉そうで歩み寄る姿勢が見えません。っとは言っても好きなんだけどね!その辺の強引さが無いのが「まど・みちを」の素晴しいところなのです。まめがあったらまめのまま存在を認めている!決して目や口を勝手に付けたりしない!そんな絶妙なバランスで存在の賛美を表現出来ている人がなかなかいないのです。「愛は地球を絶対救いません!」何でも愛に結び付ける人間の野蛮さが、喧嘩する暴力よりも醜く感じてしまう時がたまにあります。
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初期衝動

旅の中で「初期衝動」の大切さを再確認しました。高知のレジェンドサーファーに宴を用意されて商店街に買出しに出た時、緩やかで滑らかな路面にメンバーはたまらず スケートで繰り出したのです。商店街のおばちゃん達には驚かれたけれど、レジェンドは喜んで自分がサーフボードやスケートボードに初めて遭遇した時の話をしてくれました。高知の漁村にアメリカに渡った先輩がいておみやげにサーフ文化を送ってくれたそうです。当然情報の少ない中模索しながらのサーフィンですが、ある時8ミリフィルムが届いて壁にカーテンを張って上映会をしたら、ボードと足に何か「ひも」がついている事に気付き「あれは何だ?」と学習し、自転車のチューブでコードを作ったそうです。それまではボードから落ちたら泳いで拾いに行っていたという愉快な時代です。ああ!全く同じ「衝動」が今も生きているのです。おれがスケートボードを知った時もビデオはありましたがHOW TOなど皆無で、オーリーが出来るという人を噂だけで尋ね歩く日々がありました。海辺のバッティングセンター跡のバンクに来る人が飛べるらしい...と聞けば通って待ちました。現代の情報社会では考えられない文明開化夜明け前の時代ですが、その時のもどかしい楽しみや、わくわく感は、何にも換えられない宝です。そして今も自分達に「衝動」が生き残っていた事を指摘されて気付き、改めて大切にしたいなぁ~と思ったのです。何にでもある「はじめたきっかけ」っていつまでも忘れてはいけないことだよね。それぞれが違うきっかけでも本質的な衝動って世界的に共有出来る力があるから、衝動のオーラは引き付け合うんだね。器用貧乏という言葉があるけど、中々上手くならない事や情報が足りない事も衝動を保つポイントなのだろうか?いいや、若くから恵まれた道具と環境と情報に囲まれたスケーターにも、全く同じ衝動があるはずです。ただ苦労した分だけ思い入れが強いんだろうな。結局上手い下手とか技術的な競争なんて何の世界の話だろうと関係ないんだよね!衝動の純粋さだけで十分なんだよ!それが本当の楽しんでいるって事だから~...ってタローマンを見たら満面の笑み!曇り一つない純粋な衝動が常に生まれたてのフレッシュヒーロー!ああっっこれがタローマンの神髄なのか?!
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「氣」宇宙エネルギー

タローマンを語る上で欠かせないパワーが「真氣光」です。一般的に中国などの気功は気の高い先生が分けてあげるタイプで沢山気を分けたら、先生の気が減って疲れてしまう限りあるしくみです。ところが真氣光は宇宙や自然,大地から氣を流し込むしくみなので、氣を送る先生は全く疲れず逆に中継する度に元気になってしまう!というものです。土地や自然から溢れるパワーを感じていたし、そのしくみに感激して三年前に高知の山にある診療所へつれて行ってもらいました。はつらつとした先生は元気で愉快!体の各場所の氣を測定してバランスが良くなる様に氣を注入するのですが、注入するピストル状の機械の名前が「ハイ元気」それらしい機械だけど電源を入れなくても、本体と繋げなくても効果は同じ...と言うのです。人間は解り易い暗示も必要だから、雰囲気も大切でしょう!という説明に感激!堂々としたインチキ臭さが逆に「絶対に本物だ!」と信じ込みました。何でも信じなければ神秘的な事や不思議な事も潰されてしまうものです。その後講習を受けたタローマンは大先生のメッセージ入りの「ハイ元気」と水晶を常に持って、おれたちに氣を送りまくってくれました。実際に疲れて痛かったところが楽になったり、不安が和らいだり、無尽蔵な宇宙のちからを体感出来てしまうのです。サーフィンに海に入る人にとっては当然なくらい関係のあるパワーなので、さらに納得してしまいました。先生が簡単なパワーの受取り方を教えてくれました。「その土地の食べ物を食べる事」当たり前の様に口から氣が入るのです。移動ばかりさせられる食べ物は疲れて氣が弱まるイメージもぴったりします。東京に住むおれは、もう引っ越したくてたまらなくなっています。人間が奇跡的に生きているのは土地からの恵みの氣のおかげだ!と真剣に考えています。
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タローマン調査報告

最高のツアーから無事に戻りました。やっぱり期待を裏切らないタローマンのカリスマ性と四国高知の持つ土地のパワーにメンバー全員が小学生の様にはしゃぎました。今回改めてタローマンの底抜けな優しさに触れ、いくつか謎を解くヒントを得ました。仏教をルーツに昭和に生まれた「真如苑」という信仰を知りました。これまで「パワーと許しばかりのキリスト教」と「ストイックで現実離れした仏教」極端な両宗教に不満を持っていたおれには、程良く混ざった教えでスジの通った納得のいくものでした。この「利他の精進による人類,地球,宇宙への和楽の輪」という言葉は仏陀が最後の教えで説いた話が軸になっているものです。おれのイメージではキリスト教は神一人に頼り過ぎてただ幸せを欲しがるばかりで力は流動しない。仏教の無欲になり宇宙と一体化するには全員が参加しなければ理想は成立たないし人類は消えない。全員が神の様になり具体的に誰かに優しく施す、人間が秘めた力も信じるところが素晴しいです。良い知恵はどの宗教も共有して進化すればいいはずです。だから正直なタローマンの優しさや行動に嘘や偽善が無いのです。利他に精進する時ストイックに無欲になる事とは違いますから、本当に一緒に楽しくなれて、もてなされている事も感じさせないのです。「親切は気付かれない様にしなさい」とは、がばいばあちゃんの言葉ですが、タローマンは自分が一番楽しんで気付かせないスタイルです。お別れの時、本当に寂しい顔をするタローマンに胸が締め付けられました。自分でスケートパークを作るのも女の子でも入れる設計にしたり、楽しい楽園や山の開拓も金の為では無く、純粋に楽しみ楽しませたい衝動のみで動いているのです。このリアリティは他に見た事が無いくらい貴重で例え様が無い感動が、アートとか関係なく涙が出ます。それだけにタローマンの生涯孤独な辛さを強く感じてしまいます。自分の全てを他に捧げてしまう為には自分が楽しむ欲も力の源です。だからもっともっとタローマンとみんなが関わって遊んでほしいんです。孤独に耐えながらお楽しみを準備し続けているタローマンの魅力を秋には展示とパーティーで伝えたいと計画しています。おれも含め、一般的に変態と敬遠されてしまいますが、人間とは何なのか?この現代に言葉で表せない波動を増幅する使命を強く感じています。ああ!今すぐにでも高知に帰りたい!「タァロォ~オ マァ~~ン」
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