ユーズドの非物質的価値

スケートファニチャーの活動で使い古したボードの回収を続けていて、研究所に壁の様に山積みにしています。実験研究用や、イベント、使用例のサンプルとしてストックしているので、基本的に販売はしません。ボードの回収はスケートショップやライダーの好意によって集まったもので「物質的にはタダでも決してタダでは無い価値」が、まとわりついています。その怨霊の様な何かを無視した使い方をしてしまったら、もう回収する活動も続けられませんし 世界中のスケート仲間に顔を合わせられません。以前一度だけイベントで椅子として組んで販売し現金に変換した事がありますが、ボランティアで売上金はすべて募金しました。その募金金額はかなりの大金で、よだれが出ましたが震える手で手放しました!まるでロードオブザリングで自分の中にゴラムの声まで聞こえた程です。椅子の金額は¥5,000プラスお気持ち額!だったにも関わらず1万円も出してくれた人が沢山いて、改めて使い込んだスケートボードの持つ価値の高さを感じたのです。スケートボードを体験してみれば、あの傷を付ける為に どれだけライダーが傷つき、汗や血を流しているのかを理解すると思います。もしかしたら新品のボードよりも価値があると考える事も出来るでしょう。最近流行りのダメージ加工ジーンズほど馬鹿馬鹿しい価値の考え方は無いでしょう!薄っぺらいし、もったいない!それを踏まえると やっぱり本物の傷が付いたボードは貴重品です。車のボディの傷だって大事な歴史で、気にして直ぐ治す奴に限ってエンジンルームなんて自分で開けた事無い表面至上主義者なんだよ。全ての事につながる「本質に目を向けられる感覚」が無ければポーザーだ!欲張りポーザーなんて、だいっきらいだぁ~!!
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素材は黙って料理されろ

タローマンツアーの展示計画を進めるにあたって、おれの視界の狭さに愕然としています。今までの活動も全て言える事なのですが、作家として創る側にいると主観ばかりが働いてしまい、「やりたいことばかりの自己満足世界」に落ち入りがちなのです。もちろん作品や個展には絶対必要な要素なのですがイベントとなると、もっともっと引きの広い視界で計画を立てないとホームパーチーになってしまうよね。改めてマネージャーやプロデューサーの素晴らしさを感じているのです。思い入れが強くなりすぎる、好きなものが大好きな、ヲタク気質の変態には難しい仕事だよね!クールに見渡して冷静に判断するバランス感覚に、欲張りなおれは憧れてしまいます!が、そんなに相反する人格が同居するなんて無理ですね。こんなコダワリの性格なので何でも自分でやろうという習慣があり、助けを求めずに混乱してしまいがちです「一人で生きて行こうなんて無理なんだから、他人を信じなさい!」とお釈迦様に言われました。これからは人をたよって生きよう!ほらっ 人という字わぁ~~
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ハワード爺の楽園

インタビュウで好きなアーティストを聞かれた時「HOWARD FINSTER」を第一に答えています。まずマイナーで知ってる人が少ないのですが、強烈な世界観とスタイルは主にアーティストから尊敬されるタイプかもしれません。その理由はハッキリしています「作品っぽく無いから趣味のおじさんと思われる」のです。初めて見た彼の作品はデイヴィッドバーン率いるトーキングヘッズのアルバム「Little Creatures」のジャケットの絵です。その絵をもとに古本屋で彼の本「STRANGER FROM ANOTHER WORLD」を見つけた時、衝撃を受けました。彼は広大な自宅の庭に、植物とゴミやセメントで素晴しい楽園を作っていて建物や車 あらゆる所に独特の絵が描かれているのです。これは完全に「探偵ナイトスクープ」でパラダイスと呼ばれているコーナーの外国版です。地方の土地を持っている芸術家おじさんの自慢の彫刻を並べた「自称美術館」もしくわ「自称テーマパーク」を自力で作り、理解の無いご近所さんから変態扱いされがちな やんちゃじじいがあちこちに潜んでいるものです。そんなスタイルが大好きなおれは、自分もそうなりたいと憧れています。最近は「グローバルに考えローカルに動く」的な言葉が流行りオシャレな軽い感じに使う矛盾が、いい言葉だと思うが故に吐きそうになります。解った様な事言って結局トレンド君じゃあ意味無いよ。こういった「洗練と原石の葛藤」みたいなバランスは難しいものですが、おれは「洗練よりもその衝動、意気込み」だけでも作品の完成度とか関係なく十分評価してしまうのです。この本はバイブルとして一番見える所に置いてあります。ある日友達の染物屋「HOMAREYA」誉史男さんが雑誌インタビューで偶然この本をバイブルと紹介していて!驚き、更に親近感が湧きました。何とも説明は難しいのですが、誉史男さんも「力をもらえる」と表現していました。本当に力を与えるという事の方法 ヒントや秘密が、このバイブルには込もっているのだと思います。探してゲット!オススメです!
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自分越えドロップ

「毎日ひとつ自分越え」とはタローマンツアーを共にしたダイコン君の流行語大賞ですが、この 言葉だけでは無いダイコン先生の熱い生き様と激しく攻めるスケートスタイルを目の当りにしたツアーメンバーが、強い影響を受けて「自分越えの連鎖」が起きています。おれのパートナーは出会って直ぐにスケートボードに目覚め、平地でノープッシュ(足で地面を蹴らない)ポンピング加速をマスターし坂道を探しにクルージングデエトを楽しむナイスで立派なスケーターなのですが、ランプの「ドロップイン」を避けたまま10年滑って来てしまったのです。スケートボードはそれぞれが自分のペースで挑戦する自由な遊びなので、只の度胸試しを煽るよりも自ら挑戦する日を待っていました。誰もが踏み出す第一歩がドロップインで、大きな壁は彼女にとってはバンジージャンプなのです。ツアー中 ボウルの壁を高速で走り回るダイコン君やヒロッシャーの熱い滑りに憧れて、遂に踏み出す決意でスケートパークへ、勇気を出して遂に 遂に飛んだのです!!ボードに乗る基礎はミニランプしか知らないスケーターよりも勝るバランス感覚の部分を持つ彼女らしく完璧なフォームで成功しました。祝杯のビールの味は格別で、こんな勇気を奮い起こさせてくれた先生方に「自分越え報告」をしたい!と電話報告「恐かったけど自分越え出来たのは、憧れさせてくれたおかげ!本当にありがとう!生きてた意味があった!!」と号泣。スケーターにとって身に覚えのある感覚で感動!そんな超える瞬間に立ち会うと鳥肌が立ちます。諦めずに続けていると、この喜びや感動は毎日やってくるのです。思い起こせば10年前初心者の彼女を相模湖近くのダウンヒルに挑戦させてクラッシュ!額から大量に流血の大コブで「もう一緒に滑れないかな?」と思いきや、彼女は悔しくて一人で毎晩猛特訓、5キロ以上ある大学までスケートで通学!と惚れ直す事件からして、スケートする為に生まれて来た様な人間なのです。それぞれにとっての ほんの小さな自分越えでも その場に居合わせた名も知らぬスケーターは目敏く認め拍手や歓声、ボードでランプを叩きまくる喝采で賞賛し合う素敵な世界!この感動をもっともっと広めて「生きてた意味があった」と一人でも多く言わせたいと再確認した出来事でした。本当におめでとう!そして ありがとう!!
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ぶさいく戦士ガンダム

TV版「機動戦士ガンダム」のブームに対し監督「富野由悠季」は失敗だったと語ったのです。この衝撃発言には、驚きと同時に激しい感動に震えたのを覚えています。富野先生は戦争を通して少年達の人間ドラマを表現したかったのに、モビルスーツが格好良過ぎて内容よりも表面的な人気が目立ってしまった事が嫌だったと言うのです。勿論正しいファン達は深い人間ドラマの内容の素晴しさを ちゃんと受取っているのですが、先生の常に厳しく考え葛藤している証です。プラモデル販売が先行してしまう様な企業の流れに苛立った富野先生は 続編の依頼にヤケクソの難解さを盛り込んだ「機動戦士Zガンダム」を監督します。ストーリーを複雑にする ヤンチャっぷりは、逆効果で更なるヲタクを育ててしまうのです。当時ヲタクを認めたく無かった先生は再び葛藤したでしょうが、時間をかけて認める様になったそうです。生徒達が手を挙げて「せんせーい!先生も十分ヲタクだとおもいまぁーす!」ってシーンを妄想しちゃうよね。現代において テレビは特に企業の薄っぺらい息がかかるから、トレンドを意識した美男美女を駆使して 内容も茶番になりがちなモノです。「媚びた感覚は内容の保険の延長で保険しか無い手抜きを生む可能性も強いのです」両者のバランスが悪いと視聴者をバカにしている事になるよね。でも実際に表面的な欲が喜ばれる悲しい現実が強いので葛藤は続くのです。学生の時、興味があった現代美術評論家の上野俊哉教授との 飲み会に参加した時、学生達と「実際乗るとしたらどのモビルスーツがイイか?」を延々盛上がって飲んでいた事に 異常に腹が立って帰ってしまった事がありました。若い感性で評論出来る教授の良さだったのに、なぜか表面的な感覚に捕われる事に嫌悪感が湧いてしまう自分がいるのです。モテるイケメンに生まれなかったコンプレックスなのでしょうか?表面にも惹かれる自分も知ってるだけに混乱します。やっぱ美容整形で世界平和も真理なのかな?「閃光のハサウェイ」の映像化を乞う!
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新解釈エヴァンゲリオン

アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」10周年企画で「EVA AT WORK」というアート展示に参加しています。悩める中学生の重い哲学を興味津々なアニメーションに込められた難解な作品で、当時のテレビ版のエンディングでは期待も強過ぎたせいか 納得いかなかったものの、歳も30を超えて映画版追加エンディングで見直してみたら 改めて納得出来たのです。年齢的なタイミングもあるかもしれません。説明し過ぎない世界観が感覚的にさせられるので、これに対し誰かと感想や話をしたりアンサーソング的な作品を発表し合ったりする事で成立する仕組の作品なのではないかと思います。昔から伝わる神話にも口上で伝えたり噂による第三者の介入が大きな役割を担っていましたから、このような企画は大きな意義があると思うのです。同人誌での勝手な新解釈を表現し合う活動を少しアカデミックにした感じでしょう「この映画が外側に広げるこういったコミュニケーションこそが目的だったのか」と深読みしますが結果的な成功で、正直不思議な神がかった現象だと思います。熱烈なファンは他人の解釈が介入しないそのまんまの作品を好む様ですが、沢山の新解釈が飛び交う方が盛り上がるし おれも色んな解釈を見たいと思うので今後も企画が膨らんでいって欲しいです。この期会に是非直接作品を見て下さい。会場/恵比寿POINT 会期/2007年8月24日~9月8日 http://www.gainax.co.jp
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幻にぶっ飛べ!孫悟空

古いおもちゃ箱から出て来た「飛べ!孫悟空」の指人形セットに最近シビれています。言わずもがなのドリフ西遊記人形劇で、30オーバーには伝説の番組です。その人形へのデフォルメキャラクターデザインセンスの完成度の高さが未だに色褪せない傑作な上に、何よりも「加トちゃん」を西遊記に無理に当てはめない「なりゆき感」に改めて感動しているのです。めちゃめちゃポップ!そばにいたメンツで楽しむ衝動を活かして 西遊記を演じる事なんかに捕われない素晴らしさがたまらないのです。番組はメンバーの賭博系スキャンダルで打切りになり天竺まで辿り着かない事や、高価なテープ節約でTBSが保存してないという噂、ギャグやゲストの権利版権問題でDVD化が熱望されているが実現しないのでは?という状況です。コミックや噂を素に研究中ですが、映像の無い状態が本物の西遊記の伝説を探っている様な錯覚で、ほんの小さな記憶による情報でイメージを膨らめる時なんて 幻の番組の世界に飛んで行けます。ゲスト名と簡単なストーリーだけで十分見えてしまうので、映像が無理でも いっそ台本を出版してほしいと思うぐらいです。これこそ世界に誇れる日本のテレビ芸術の結晶でしょう!現在のテレビにおけるプロモーション重視でスポンサーに媚びるばかりの「制作の衝動を見失ったテレビ番組」には最高のバイブルになる筈です。見るだけで解った気や 良い事をした気にさせる、世相を伺ったエコやら「愛は絶対地球を救わない」偽善番組の うすっぺらさに強烈な悪を感じます。非国民と言われようが吐き気は隠せません。NO RESPECT !!
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混沌秩序 紅白梅合戦

純粋さを守ると言う事は並大抵の努力では足りない困難な事です。男特有の好奇心から「試して知らなきゃ語れない」という論理から自分を汚して生きて来たけど、1997年のある日 紅白の梅の木の話を知ったのです。優性遺伝子 劣性遺伝子という変える事の出来ない法則があって、白い梅の近くに紅い梅があると白い梅が紅く染まってきてしまうのです。それを防ぐには紅くなりかけた花を切らなければならなくて、放っとけば全て紅く染まり 二度と白くは戻らないというのです。この現実には愕然として 生物レベルに存在する優劣のはかなさに涙が出てしまいました。人間に置き換えて、これは努力が無ければ自然に滅亡へと向っているのではないか?と不安になったのです。でもでも...この世に白い梅が無くなって困るかなぁ?と自然のなりゆきを信じて考えてみると、別にいいのかなぁ?葛藤になります。進化はどうなのか?絶滅する様な弱い生物は淘汰されて洗練される自然?より精巧な擬態に進化した葉っぱの虫の様に、人間も美人が より子供を産む現実から 美人が増えて行く進化。欲も自然?この世に人間がいる以上本当の自然なんて存在しないのかもしれない。あ、白い梅も人間の欲が守ろうとしているのか?小さい頃、それぞれきれいな色の絵の具を混ぜまくったら酷い色になった経験あるよね 混沌カオスと秩序の関係でも、混沌そのものが完璧に秩序に戻る事は無理があり、こんな色使えないって流される事もあるでしょう。死刑判決だよね。延々と紅白の梅の話は結論無く膨らむので、話題に困った時はオススメです。
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渋谷ゆり空気写真

タローマンツアーメンバーのカメラマン「渋谷ゆり」はナイスな写真を撮るね。ユリとは大学が ほぼ同期の後輩で、おれは毎日校内でスケートしたり ぶらぶら遊んでいたから「スケート始めたんだぁ」とカメラを首からぶら下げたユリが初めてボードを抱えて12号館前に来た日の事を鮮明に覚えています。真っ白に塗ったボードにデッドベアーが5匹並んだ窓用の裏張りステッカーを貼っていて!ニコニコで「窓用のを貼っちゃったぁ」だって!「いやいや、ええ?うっすら色が見えるけど真っ白じゃん!」としばらくハテナマークが浮かんでいたけど、結局「ふ、ふけえぇ」と感心してしまい強烈に覚えているのです。感覚的な女性ならではの不思議さで思い付きもしない発想だったからその後、卒業して時間が経って忘れた頃メディアに写真作品を見つけた時 彼女の独自の視点の斬新さに納得しました。普通スケートカメラマンは滑っているライダーの技を撮るものと観念的に思っていたのに、ユリはその滑りを廻りで見てワイワイ言ってる逆側を撮っていたのです。あの雰囲気、空気観は独特の世界があって、素晴しいと感心してしまいました。「流行りや観念に捕われずに自分の感覚を失わずにいる視線というものが写真なんだなぁ」と写真芸術の世界を少しだけ理解した様な気がしたのです。シャッターを押してしまった訳を写真を通して読み取れるのがいいよね。ただ絵ズラがカッコイイから...とかの軽い見飽きたファッション写真が氾濫する一億総カメラマン時代に貴重な「紙の写真から語りかけて来る」立派なカメラマンだと思います。まるで思い出の空気を残す魔法だねぇ~ありがとう ゆりっぺ!濃厚サイト世界旅行気分で要チェック http://www.yurishibuya.com
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鬼ゴンズ教祖のバイブル

マーク鬼ゴンザレス大先生が2000年頃トランスワールドに載せた感動のコラムの話です。スケートボード新旧を対比して考察したもので、流石の奇才!滅茶苦茶そうで芯はマトモな的を得た傑作です。当時のスケートの流れはフラットトリックと呼ばれる、平らなパークでカーブボックスと呼ばれる箱形の障害物に細かい技でグラインドをかける等の「決められた場所で技の完成度を高めるトレーニング」的な流行りがありました。真面目な日本人らしい感覚でパークまでの移動時バックにボードをしまってる人をよく見かけた程です。鬼ゴンズ曰く「最近のスケートボードは直線的でコントロールし過ぎ」と表現し 彼好みの曲線的な乗りを誘発する様に「KROOKED」というブランドを立ち上げます!意味はグニャグニャだって!!その理論は最高に優しく 自分の好みを混ぜながら決して否定から入らない、人徳がにじみ出た美しい文章でした。「昔のボードは大きくて 飛んで行くボードにしがみついて乗っていた」そんなスタイルが大好きだったと。只 走行する道筋が直線か曲線かという話ではありません!これは もはやスケートだけの話では無いのです!テクノロジーの発達による人間の制御能力が進み過ぎる事への警告にも全く重ね合わせる事が出来るのです!コントロールする事に程良く挑戦し続けるバランスというのは難しいもので、時には道具も退化しながらでも 楽しもうよっていう遊び心が大切だという事です。このコラムに反応したスケーターも多かった筈だし、ホソイブーム復活やドッグタウンブームの技よりもスタイル重視の流れも重なり、予言者ゴンズの祈り通りに曲線的スケートボードが広まりました。あのコラムはバイブルで、ゴンズを崇める おれ等は信者だね。ちょっとしたポエムにも深く感動したりしてしまいます。読んでない信者はバイブルを探して下さい!必ず誰かが知っています!
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小宇宙ボウル巡り

スケートボードのパークに最近増えて来ている「ボウル」と呼ばれる半球型の洗面台の様なランプの面白さに夢中になっています。普通のミニランプと呼ばれる滑り台が向き合った様な二次元的な世界とは全然違う感覚で、ミニランプが得意な人でもボウルの感覚に馴染むまでには時間がかかります。正にスケートのカテゴリーの中では複雑さが最高位なのではないかと思います。ドッグタウン映画でもお馴染みの「水を抜いたプール」から始まっている訳だけど、プールは勿論 パークによって様々な形のボウルは同じ物がありません。その度にそこの世界観「宇宙」を覚え体に馴染ませなければなりませんから、臨機応変さが重要になってきます。スケートボードにおいて、この臨機応変という言葉が一番大切な言葉の筈です。一期一会なストリートカオスを一瞬で判断してコントロールする...とはマークゴンザレス大先生の教えですが、そんな新しい障害物を探し続けてメイクし倒して行く感覚は人生そのもの!色んなボウルを巡る感覚は銀河系の宇宙を巡る様です。大袈裟でロマンチックですが、それくらいボウルは それぞれ小宇宙です!重力の違う惑星?スペースシャトル チャレンジャーで飛び出そうぜ!
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ケニーの兄貴と現場探し

芸術家を本格的に志すきっかけになったのが「キースヘリング先生」ですが 生きて継承している大好きな作家がいます。「KENNY SCHARF」という名のやんちゃな奴で、純粋に楽しんでいる感じがたまらなくイイ バランスなのです。作家をしていたら美術館やビッグビジネスを目指したくなりますが、創作活動というものは純粋な楽しみを基本と考えたいので そんな初期衝動を失なわずマイペースに活動する ケニーシャーフに憧れるのです。こんな話の時に頭に浮かぶのは「ピーターマックス先生」です。美術館をにぎわす実力を持ちながら、ビニール製品やバッチなどの安い仕事を沢山したので格が上がらず美術館入り出来なかった残念な作家...と言われがちです。おれは本人は解っていてPOPを追求した結果選択した道だと思うし、そんなに美術館が偉いのか?と強がって言いたいです。正直、憧れは永久に振り切れないでしょうが 美術館の裏のしくみを知ると それを目的に活動する程バカバカしい事は無いと思ってしまいます。アートの現場として、おれが感じるリアリティあるコミュニティはホットロッドカルチャーの世界で カーショーやギャラリーでのイベントでイラストや彫刻、車そのものに職人技術のピンストライプ、さらにタトゥー、シルバージュエリー等まで様々です。全てちゃんと買う人がいて成り立っている現実感のある世界で無駄がありません。アート出身で職人に向うタイプと職人出身でアートに向うタイプ、対極するタイプが上手く融合したらいいのにと長年夢見ていますが、アート出身の洗練され過ぎるセンスには職人の作品が中途半端に見えてしまったり、職人出身のテリトリーを出ずに活動が成り立つ恵まれた環境が活動を籠らせてしまったりで、なかなか混ざりません。ホットロッドの世界はヲタクそのものなので、おれのヲタク気質にもピッタリで アート界にいる浮ついたセレヴ野郎や甘えた坊っちゃん嬢ちゃん蘊蓄メガネよりも、居心地がいいんだわぁ。そんな憧れのいいバランスに「ケニーシャーフ先輩」がいるんだよね!勝手にヘリング門下生の兄弟子としてライバル視して精進しようと思います。ナイスなサイトも要チェック! www.kennyscharf.com (16日までお盆休みです)
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レンスピでジョ~~イ

アニメ大国日本でもかなわない傑作アニメ「The REN & STIMPY Show」通称レンスピの大ファンで、ぬいぐるみコレクションやら デスクトップまでレンの従兄弟SVENな程です。肌色の神経質なチワワのRENと赤い体白い腹青い鼻でまるまるした明るくブリッコの猫のSTIMPYのバカなドタバタコメディです。その世界観はかなりクレイジーで純粋に楽しむ為にアニメの可能性をとことん追求しています。その流れは最近映画化した「スポンジボブ」に受継がれていますが、あの衝撃的な革命アニメにはかないません。子供のいる知合いが娘にレンスピビデオを見せていたら、大変気に入り影響されてしまって トイレの便器をなめちゃう愉快なセンスになってしまい、当然奥さんにビデオを捨てられてしまったそうです。わかるわかる!「じょ~い」ってゆってたんだろうな。だから実際は大人がみるアニメとされているのかもしれない。赤塚不二夫 先生の「天才バカボン」原作でのオチ場面で、急に絵のタッチが劇画調になってしまうパターンがよく見られます。手抜きの適当な他の場面とのギャップが激しくて、過剰な表現に揺さぶられます。それに似た技術がレンスピにも満載で、スティンピーがレンに叱られる迫力あるシーンでは 気持ちが画面に入り込んじゃって一緒にガタガタ震えたり、騒いで踊ったりしてしまう程引き込まれるツボをついた表現で 中毒性があります。百聞は一見に如かず!全話入ったDVDがあるので一生笑っていられそうです。ありがとうJohn K ! ハァピハァピジョイジョイジョ~~~イ
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昇華ミノタウロス

古典芸術に登場する「ミノタウロス」という名のキャラクターが大好きです。きっかけはピカソの「ゲルニカ」で 勿論ダントツで一番好きな作品なのですが、そのエスキースなのか?ミノタウロスばかりを素描したシリーズが残っているのです。頭は牛、体は人間という半獣のミノタウロスは むさぼり食ったり、下半身が興奮した状態で女を追いかけ回したり、怖がられ拒否されたのか?挫折して おいおい泣いている姿だったり(この時下半身も泣いているのが最高!)、考えられる人間の欲望だけが凝縮した様な存在で ドラマチックに切ないのが たまらなく好きなのです。実際ピカソは好色ぶりも有名で、にんにくばっかり食べて晩年まで現役のスケベじいさんだったそうで、芸術家や天才は変態でOKみたいな例えにされがちです。「そんな己の狂気を外側にひっくり返す作業こそが芸術」と おれは考えているので、良い作品にはその作者自身がそのまま投影されていたり 反転して理想が映し出されていたりするものです。仏教用語で「昇華」という言葉があり、気に入ってよく使います。己の中にはびこる狂気などのもやもやを作品として 絵画や彫刻に込めて表に現すと、毒が抜ける様に己がすっきりして純粋なる狂気が形になる!という解脱法の様なものです。実際これダケの作品では自己リハビリで他人に見せる必要を感じないし やたらに他人の狂気をのぞき見たい趣味も無いので、自分の部屋にしまっておいてほしいものですが、広く発表する事も意識して洗練された その狂気の純粋さは本当に感動的で美しいと思えます。このように表現する作業は自身がまるはだかになる事で勇気のいることですが、ただまるはだかになるだけの作家にも困ります。勇気だけでは称えたく無い陳列罪です。世に出す意味があるか?出していいものか?スジは通っているか?エゴでは無く冷静に考えるまでは部屋にしまっておきましょう...と思ったけど、いやいや、最近はカッコつけのオシャレばっかりで本当にひっくり返れた作家がいないので勇気だけでも称えるよ!はだかで外に飛び出せぇ~はんたいのさんせいなのだ!
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流動的インド数学

インド式の数学の噂を聞きました。数字による計算では無く図形やイメージで答えを浮かび上がらせる不思議な世界で驚きました。11X11というかけ算なら、十の位1と一の位1を分けて斜めに棒を描き かけ合わす数は逆の斜めに描きひし形を作るのです。交差した点の数が左から1、2、1と並び答えの121が出てくるというのです!これはたまたまかと思い、ひと桁からバッテンを描きまくってみたら本当でした。最近お亡くなりになった作詞家 阿久 悠 先生の「遠くから茶の間の描写が出来る」という言葉から、「厳選された具体性は抽象になり 広く人々に当てはまり伝わる!」と感じていたところに、さらにこの数学の具体性の概念が加わって おれの中の考察が盛上がって来ました。よくよく見てみれば、かけ算のマークからしてバッテン描けって言ってるね。量を数字に例えていたものを具体的な棒の量に戻してイメージさせる流れは、数字だけで判断する現代の病に効くカンフル剤になる予感がします。ゼロを発明したインドを勝手なイメージで数学に強い事だけで賢く頭の良い硬い人種と思っていたけれど、とんでもない!イメージする力の優れた、流動的でやわらかい感性に溢れた人種なのですね。「数字と心を自由に行き来出来る優れた抽象と具象の魔術師」アメリカが世界に蔓延させる数字と心を切り離す思考を最初から拒否し続けているインドだから、世界を導く希望の光のヒントになることでしょう。
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