JAHPON LAND( Pucci )

スケートファニチャーやステンドグラス作品などJAHPON.comとして活躍する作家 土屋隆亮(プチ)のメッセージ!

不自由による自由

2007年06月20日 | Weblog
肉体から魂が抜けることを「自由になる」と考える人も多い様です。死んでるわけなんだけどね。苦労して生きていたり、病んでいる不自由な心がネガティブに肉体を重く感じてしまうのでしょう。SMのボンデージラバースーツの面白い話を聞きました。ゴム製の全身タイツは着ると汗をかけなくなり全身が痺れて皮膚が無くなってしまう感覚だそうです。皮膚というのは自分と外を隔てている境界な訳で、自分の体の壁が無くなって生きたまま自由になるのです。アニメ甲殻機動隊にもダイビングで自由になる描写がありましたし、グランブルーでも息苦しさからの自由です。トランスなどのダンスマニアがレイヴパーティーでピッタリした服を着るのも痺れて体が軽くなり疲れないからだそうです。不自由な方法で自由な感覚を得るという不思議な関係が面白いよね。日本にも古くから縄で女性を縛る文化があります。団 鬼六という巨匠が有名ですがエロい興味では無い感覚で引き込まれる伝統技術で、順序良く人体を少しも動けない程に固定して行く行程と縛られた女性と縄の組まれ方は美術や芸術とかに関係なく美しいと思えてしまいます。最終的にぶら~んと吊るされて縛られている女性は恍惚として心地よい痛みの様子です。想像ですが「体を不自由にして感覚が無くなり自由になる」装置なのかもしれません。そう考えると縛る男と縛られる女の愛情をも強く感じます。信用し合わなければ死んでしまいますから。こうした対極する感覚が反転し易くなる感じは、分裂症にも似ていて、真理ではあっても常に社会の表にあっては混乱してしまいますよね。何の刺激でも追求し過ぎる人は極に向ってDON'T STOP!してしまいますが、正直な冒険者としておれは大好きです。でも最近の気分では、極を確認して崖っぷちを見たら「ほどほど」を知れるから最終的には適当なバランスを目指してほしいという大人な気持ちです。エスカレートする興味や刺激は人間らしいものですが、止まらずに文明が何度も滅びました。発展も度が過ぎれば破壊と同じなのを過去に学習して、度が過ぎるものに憧れない感覚を取戻してほしい!と、特に「けしかける」メディアに頼みたいです。