「生かされている」
年を取るほどにその思いは強くなっていく
津波で流されてしまうのは 私であったかもしれない
通り魔に刺されてしまうのは 私であったかもしれない
そう考えるときりがない 日常の中にも山ほど死に至る危険は 起こっている訳で
そんなふうに考えると ここまで無事生きてこれらたのは 奇跡ではないかと思える
当たり前と思っていることが 奇跡なのだとしたら・・・?
私が生きているのは、何故なのだろう
生きたいのに死んでしまった人の思いを背負っている 背負う責任がある
そんなふうにも思えてくる
死んでしまったその人は きっと楽しく笑って充実した日々を過ごしたかったに違いない
だから 私はその思いをかなえるために 生かされている
「生きるのが疲れた」「生きていてもつまらない」
そんな言葉を聞くと 死んでしまった人達に申し訳ない気持ちになる
私は イキタイトオモッテイキテイル人間ではない
与えられて生きているだけ もし神様というものが居て
「あなたの寿命は今日までです」そう言われたとしても未練もない
生きたいわけではない でも生きているなら
死んでしまった人達の思いをかなえたい
そのために私は生かされているのだと思うから
泣いて生きても 笑って生きても同じなら 笑って生きる方を選ぶ
「笑えないし、楽しいと思えない」 と君は言うかもしれないけれど
私には甘えにしか聞こえない
もっと苦しい状況でも もっとさびしい環境でも
前向きに明るく生きている人はいるのだから
生きたかったすべての人々に思いを馳せると
生きるということが 違う意味を持ってくる
生きることが使命のような気がしてくる
生きたくて死んでしまった人々の思いを背負って生きていく
そう考えると 今日もベストを尽くして生きようと思える
もう死んでもいいですよ そう許可が下りる日まで