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【COGHCC聖書通読】 2017/08/23

2017-08-23 07:30:01 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 62:1-2, 5-6
「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。 神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない。

わが魂はもだしてただ神をまつ。わが望みは神から来るからである。 神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。」

今日の詩篇の箇所のキーワードは、1節と5節に繰り返される「沈黙して神を待つ」ことです。私たちにとって、黙って待つことは実に難しいもので、頭では理解していたとしても、自分から問題解決のための行動に先走ってしまいやすいものです。しかしこの詩篇を詠んだダビデは、黙して神様の備えられた時を待つようにと勧めています。それはダビデが長年の信仰の鍛錬を通して、希望は神様から来るもの、神様こそ真の救いであり、決して揺るぐことのない頼るべき存在であることを経験し、会得していたからです。実際にダビデは自分から政敵の命を求めたことはなく、神様の導きによって彼らが自滅し、平和的な解決がなされるときを待ちました。私たちもまた神様に信頼して待つことのできるよう、忍耐と信仰を身に付けさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/psa.62.1-2,5-6.ja1955

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詩篇 62:7-8
「わが救とわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である。 民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。[セラ」

沈黙して神様の時を待つとは、棚からぼた餅のように、何もせずにただぼんやりと無駄に時間を過ごすことではありません。沈黙の中で神様と向き合って祈り、主との対話の中から、神様が備えられたときを見逃すことのないように待ち続けることです。神様の御前に心を注ぎ出して祈るとき、私たちは真の神様との交わりを持つことができ、神様に信頼する信仰を確立することができます。

http://bible.com/81/psa.62.7-8.ja1955

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詩篇 62:10-12
「あなたがたは、しえたげにたよってはならない。かすめ奪うことに、むなしい望みをおいてはならない。富の増し加わるとき、これに心をかけてはならない。 神はひとたび言われた、わたしはふたたびこれを聞いた、力は神に属することを。 主よ、いつくしみもまたあなたに属することを。あなたは人おのおののわざにしたがって報いられるからである。」

力と慈しみは神様に属するものであると信じる者は、人の力で他者から奪い取った祝福など何の価値もない、無益で虚しいものであると知っています。この世の富に心を掛けるのは、希望のない証拠です。やがて朽ち果てるこの世に希望を置く虚しさを捨て、ただ神様の力と慈しみに信頼して寄り頼み、日々のきよい信仰生活の報いとして、永遠の祝福を主から受けるさいわいに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.62.10-12.ja1955
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