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【COGHCC聖書通読】 2016/12/11

2016-12-11 19:25:23 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 18:1-4
『さてダビデは自分と共にいる民を調べて、その上に千人の長、百人の長を立てた。 そしてダビデは民をつかわし、三分の一をヨアブの手に、三分の一をゼルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイの手に、三分の一をガテびとイッタイの手にあずけた。こうして王は民に言った、「わたしもまた必ずあなたがたと一緒に出ます」。 しかし民は言った、「あなたは出てはなりません。それはわれわれがどんなに逃げても、彼らはわれわれに心をとめず、われわれの半ばが死んでも、われわれに心をとめないからです。しかしあなたはわれわれの一万に等しいのです。それゆえあなたは町の中からわれわれを助けてくださる方がよろしい」。 王は彼らに言った、「あなたがたの最も良いと思うことをわたしはしましょう」。こうして王は門のかたわらに立ち、民は皆あるいは百人、あるいは千人となって出て行った。』

多くの人の助けを得て、ダビデは態勢を立て直すことができました。そして自ら先頭に立って王位奪還のために戦おうとしますが、ダビデと共にいた人々は皆、敵の狙いはダビデ王ただ一人の命であることを知っていたため、町の中の安全なところに留まって指揮を執ってくださいと嘆願し、ダビデも受け入れました。私たちもまた、守るべき者を身を挺して守る心と、人の勧めを聞き入れる心を持つべきです。

http://bible.com/81/2sa.18.1-4.ja1955

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サムエル記下 18:5
「王はヨアブ、アビシャイおよびイッタイに命じて、「わたしのため、若者アブサロムをおだやかに扱うように」と言った。王がアブサロムの事についてすべての長たちに命じている時、民は皆聞いていた。」

ダビデの気懸かりは、わが子アブサロムの身の安全でした。普通であれば反逆者は戦死するか生き延びても処刑されるのがこの世の常ですが、ダビデはアブサロムを殺さないようにと将軍たちに懇願しました。自分に反逆してもなお子を思う父としてのダビデの心は、神様の私たちに対する愛と変わりありません。私たちも罪の故に永遠の裁きと死を受けなければならないものが、天の父なる神様は御子イエス様のいのちと引き替えに私たちを生かしてくださいましたから感謝いたします。

http://bible.com/81/2sa.18.5.ja1955

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サムエル記下 18:6-8
「こうして民はイスラエルに向かって野に出て行き、エフライムの森で戦ったが、 イスラエルの民はその所でダビデの家来たちの前に敗れた。その日その所に戦死者が多く、二万に及んだ。 そして戦いはあまねくその地のおもてに広がった。この日、森の滅ぼした者は、つるぎの滅ぼした者よりも多かった。」

ダビデ王に従う民は、エフライムの森でアブサロムを王として擁するイスラエル軍に対して戦い、勝利を収めましたが、武力により命を落とした者よりも密林の行軍で命を落とした者の方が多かったとあります。神様は、ご自身の愛するイスラエルの民同士が互いに争うことを決して望まれず、同族の手に掛かって命を落とすことなく、大自然の脅威の中で死ぬように取り計らわれたのではないでしょうか。私たちも同じ神様に愛されている者として、互いに争い合うことをやめ、御心に身を任せることが大切です。

http://bible.com/81/2sa.18.6-8.ja1955

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サムエル記下 18:9
「さてアブサロムはダビデの家来たちに行き会った。その時アブサロムは騾馬に乗っていたが、騾馬は大きいかしの木の、茂った枝の下を通ったので、アブサロムの頭がそのかしの木にかかって、彼は天地の間につりさがった。騾馬は彼を捨てて過ぎて行った。」

アブサロムはエフライムの密林の中でダビデの家来たちと出会いましたが、その麗しい髪の毛のためか、樫の木の枝に頭が引っかかって宙吊りになってしまいました。アブサロムの秀でた点、王として相応しい麗しさが、かえって自分を窮地に陥れる原因となったことは何とも皮肉なことです。

また、騾馬は彼を捨てていったと記されている表現は、アブサロムを王として擁する軍隊は、ダビデに従う人々とは異なり、アブサロムのために命懸けで戦うほどの強い忠誠心を持ち合わせていなかったことを暗示しているようです。

いずれにせよ、権威は神様から与えられるものであり、自分の才能や努力で権力を得ようとしても、神様の御心に適わない者は失敗に終わります。私たちは何事も神様の御支配の元に生きることが肝要です。

http://bible.com/81/2sa.18.9.ja1955

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サムエル記下 18:10-13
『ひとりの人がそれを見てヨアブに告げて言った、「わたしはアブサロムが、かしの木にかかっているのを見ました」。 ヨアブはそれを告げた人に言った、「あなたはそれを見たというのか。それなら、どうしてあなたは彼をその所で、地に撃ち落さなかったのか。わたしはあなたに銀十シケルと帯一筋を与えたであろうに」。 その人はヨアブに言った、「たといわたしの手に銀千シケルを受けても、手を出して王の子に敵することはしません。王はわれわれが聞いているところで、あなたとアビシャイとイッタイに、『わたしのため若者アブサロムを保護せよ』と命じられたからです。 もしわたしがそむいて彼の命をそこなったのであれば、何事も王に隠れることはありませんから、あなたはみずから立ってわたしを責められたでしょう」。』

エフライムの密林の中で頭が木に引っかかり自由の利かなくなったアブサロムを見つけたダビデ軍の兵士たちは、ダビデ王の意志に従い、アブサロムに手を下そうとはしませんでした。たとい自分の敵であっても、私たちは神様の御許しなしに人に危害を及ぼしてはなりません。

http://bible.com/81/2sa.18.10-13.ja1955

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サムエル記下 18:14-15, 17
『そこで、ヨアブは「こうしてあなたと共にとどまってはおられない」と言って、手に三筋の投げやりを取り、あのかしの木にかかって、なお生きているアブサロムの心臓にこれを突き通した。 ヨアブの武器を執る十人の若者たちは取り巻いて、アブサロムを撃ち殺した。

人々はアブサロムを取って、森の中の大きな穴に投げいれ、その上にひじょうに大きい石塚を積み上げた。そしてイスラエルはみなおのおのその天幕に逃げ帰った。』

ダビデ軍の大将ヨアブは、兵士たちがアブサロムを見つけながらも手を下そうとしなかったことに立腹し、自ら槍を投げて一息に殺害しました。軍を指揮する将軍としては規律を乱さないためには致し方ないことかもしれませんが、憐れみのない心の持ち主は後に自分の身に呪いが降りかかることを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/2sa.18.14-15,17.ja1955

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サムエル記下 18:24, 32-33
『時にダビデは二つの門の間にすわっていた。そして見張りの者が城壁の門の屋根にのぼり、目をあげて見ていると、ただひとりで走ってくる者があった。

王はクシびとに言った、「若者アブサロムは平安ですか」。クシびとは答えた、「王、わが君の敵、およびすべてあなたに敵して立ち、害をしようとする者は、あの若者のようになりますように」。 王はひじょうに悲しみ、門の上のへやに上って泣いた。彼は行きながらこのように言った、「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」。』

戦いの最前線からの知らせを待ちわびていたダビデ王はアブサロムの身を案じていましたが、アブサロムが殺害された知らせを聞いて、深く嘆き悲しみました。これは、アムノンに続きアブサロムまで失った親の悲しみと共に、自分の子どもと正面から向き合わず、正しく育てることのできなかった後悔の念が表されているのではないでしょうか。私たちの子育てにおいても、才能や知識の面での教育のみならず、心を正しく導き、信仰の継承を何よりも大切に心掛けなければなりません。

http://bible.com/81/2sa.18.24,32-33.ja1955
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