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【COGHCC聖書通読】 2017/10/06

2017-10-06 07:35:55 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 106:1-3
「主をほめたたえよ。主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。 だれが主の大能のみわざを語り、その誉をことごとく言いあらわすことができようか。 公正を守る人々、常に正義を行う人はさいわいである。」

冒頭に詩篇の作者は、人のあるべき姿、本来の立ち位置について記しています。それは主の恵みと慈しみに感謝して御名をほめたたえ、主の奇しき御業と誉れを語り告げ、公正を守り、正義を行うことです。そのような人々こそ神に喜ばれるさいわいな者、私たちの目指す姿です。

http://bible.com/81/psa.106.1-3.ja1955

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詩篇 106:6-8, 12-14
「われらは先祖たちと同じく罪を犯した。われらは不義をなし、悪しきことを行った。 われらの先祖たちはエジプトにいたとき、あなたのくすしきみわざに心を留めず、あなたのいつくしみの豊かなのを思わず、紅海で、いと高き神にそむいた。 けれども主はその大能を知らせようと、み名のために彼らを救われた。

このとき彼らはそのみ言葉を信じ、その誉を歌った。 しかし彼らはまもなくそのみわざを忘れ、その勧めを待たず、 野でわがままな欲望を起し、荒野で神を試みた。」

なぜ主に感謝し、主の成し遂げられた御業を語り、公正と正義を守り行うことが大切なのか、それは神の民イスラエルが犯した過ちを繰り返さないための教訓だからです。今日に生きる私たちと、いにしえの聖書時代の人々の間に何の関わりがあるのか、それは先人たちの過ちとその結果を学ぶことにより自らの罪深さを深く認識するためにあります。もし旧約聖書に記されたイスラエルの罪を他人事のように読み、一笑に付すだけならば、私たちは神様と何の関係もありません。イスラエルの罪から己の罪深さを悟り、自らの罪の重ね合わせて真の悔い改めに至ることにこそ、旧約聖書の存在意義があります。「われらは先祖たちと同じく罪を犯した。」との自己認識を持つことが、まことの救いと永遠のいのちに至るための鍵となる信仰告白です。

http://bible.com/81/psa.106.6-8,12-14.ja1955

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詩篇 106:22-23, 28-31
「彼らは、エジプトで大いなる事をなし、ハムの地でくすしきみわざをなし、紅海のほとりで恐るべき事をなされた救主なる神を忘れた。 それゆえ、主は彼らを滅ぼそうと言われた。しかし主のお選びになったモーセは破れ口で主のみ前に立ち、み怒りを引きかえして、滅びを免れさせた。

また彼らはペオルのバアルを慕って、死んだ者にささげた、いけにえを食べた。 彼らはそのおこないをもって主を怒らせたので、彼らのうちに疫病が起った。 その時ピネハスが立って仲裁にはいったので、疫病はやんだ。 これによってピネハスはよろず代まで、とこしえに義とされた。」

今日の詩篇にも記されているように、イスラエルの歴史は神様の恵みに対する反逆の繰り返しです。しかしすべてのイスラエルが神様に逆らったのではないことが救いです。イスラエルの会衆が罪を犯したとき、モーセとピネハスのように神様の側に立って、全会衆のために執り成して祈る仲裁者の存在こそが、イスラエルが絶ち滅ぼされなかった理由です。そして今の私たちには、永遠の大祭司であられるイエス様が、神と私たちとの仲裁者となってくださっています。主イエスの十字架に現された神の愛を知り、御言葉の教えを守る私たちもまた、モーセとピネハスのように神様の側に立って、破れ口で執り成して祈ることが、先に救われた私たちに課せられた使命であることを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/psa.106.22-23,28-31.ja1955

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詩篇 106:43-46
「主はしばしば彼らを助けられたが、彼らははかりごとを設けてそむき、その不義によって低くされた。 それにもかかわらず、主は彼らの叫びを聞かれたとき、その悩みをかえりみ、 その契約を彼らのために思い出し、そのいつくしみの豊かなるにより、みこころを変えられ、 彼らをとりこにした者どもによって、あわれまれるようにされた。」

私たち人間は、罪と知りながら罪を犯し、悪とわかっていながら抜け出すことのできない、実に憐れむべき存在です。しかしそのような人間の弱さを知り尽くしておられる神様は、罪に陥った私たちが主の憐れみを叫び求めるとき、アブラハムと交わした永遠の契約を思い起こされ、御心を変えてまで罪を赦し救い出してくださる、愛と慈しみに富む真実なお方です。この神様の真実に、私たちもまた真実な心をもって応えようではありませんか。

http://bible.com/81/psa.106.43-46.ja1955

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詩篇 106:47-48
『われらの神、主よ、われらを救って、もろもろの国民のなかから集めてください。われらはあなたの聖なるみ名に感謝し、あなたの誉を誇るでしょう。 イスラエルの神、主はとこしえからとこしえまでほむべきかな。すべての民は「アァメン」ととなえよ。主をほめたたえよ。』

罪の支配するこの世に生きる私たちは、悪と世俗的な忌まわしいものの中に散らされた存在です。しかし主は、罪の世にあっても罪に汚れぬ心のきよい者をこの世から救い出し、聖なる神の民として集められます。キリストの十字架を信じた私たちは、この罪からの救い、神の召集を経験しているという自覚を持つべきです。そのような意識に目覚めるとき、自ずと主に感謝する心が芽生え、聖なる御名を賛美せずにはおられなくなります。神様から選ばれ、神の民とされて集められている特権にただ満足するだけに留まらず、主に感謝しその誉れをほめたたえる者とならせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.106.47-48.ja1955
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【今日の聖句】 2017/10/06

2017-10-06 06:35:18 | 今日の聖句
ヤコブの手紙 5:16
「だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。」

祈りの力を最大限に引き出すには、罪から離れ、身も心もきよい状態を保つことです。主にある聖徒たちとの交わりの中で互いに罪を告白し合い、神に義と認められ、また心の傷が癒されるよう互いに祈り合い支え合う、祈りの共同体となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/jas.5.16.ja1955
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