学習障害と英語指導を考える

特別支援の視点から。
どの子もハッピーになるような指導を。

インターナショナルスクールに通う(2)

2011年12月06日 | 特別支援教育について
インターナショナルスクールを取り上げた理由ですが、

なぜか、日本の通常の学校では大変な発達障害のお子さんも、

インターナショナルスクールでは症状が表れにくく、

勉強もなんとなくついていける、

と聞いたことがあったことに加えて、

ハワイで見たアメリカの特別支援学校の理念や、

これまで聞いていた欧州での教育方法などに共通するものを感じていました。


日本だからできないのではなく、

日本でも、インターナショナルスクールならできている。

これは、

発達障害だから、教えられない

学習障害だから、勉強についていけない

と、言い訳のように感じている学校関係者や教師、保護者に対して


「そうじゃない。この学校で、この先生で、このやり方だから できないのであって、

 組織を変える、環境を変える、やり方を変える、教材を変えれば どの子もできるのだ



という、現状への非難でもあり、これからの希望でもあるのではないかと思います。


日本でもできる。先生の教室でもできる。

ただ、もっともっと知らなくてはいけないことがたくさんありますね。


さて、今日は前回のお母さんのメッセージの続きです。

ちょっと長いですが、とても正直な思いだけではなく、

日本の教育の何にがっかりしたのかなど、比較しながら具体的に書いてくださっています。

わたしは、とても勉強になりました。


以下です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

全体として私が感じているのは 「学び」の定義の違いですね。

公立校は「学び」を全体の生徒の平均値、

もしくは教員のイメージするレベルを超えているかどうか、そこに到達しているかどうか、で図ります。

娘の学校では「評価」と「成績」は完全別のものであり、

「学び」は個人の物という考えか方が前提なので、

「評価に値する努力をしているか」が「学び」となります。


その学び(あくまで中学以降)ですが、具体的には

日本の公立の場合 数学のテストの平均点を75点としましょうか。

その75点を超えていれば「理解している・できている」

60点から75点であれば「やや理解していない」

50点以下であれば「できていない・理解していない」となり、

本人の日常的な努力や「どこが問題で、何をどうすれば」という部分には触れられず、

「勉強しなさい」「努力しなさい」といった言葉で片付けられてしまいます。


娘の学校の場合

まず新学期の始まりに「評価と成績」についての保護者全体にカンファレンスが行われ、

「わが校ではこのように評価をし、このように成績をつけます」というレクチャーが行われました。

そして全教科の成績の付け方の詳しい資料が渡されます。

そこにはテスト・プロジェクト・宿題への各項目の評価に対してのパーセンテージが記載されていて、

どの項目も最終的な成績に直結します。そして各単元の内容が書かれています。




これを元に生徒はどう学習を進めるかのプランニングをします。

そのプランニングにそって学習をしていく過程で、

努力をしているかどうかを教員は評価することになります。



前置きが長くなりましたが、このプランニングは細かく変化していきます、

教科担当と生徒、保護者が絶えず密に連携をとり、軌道修正していくので、

50点なら努力不足、75点以上なら合格、という考え方はありません。


娘の場合、特に数学がダメなので、週に2回数学の先生の下に授業後補習に行きますが、

自分で立てたプランニングを自宅でこなし、それを見てもらいます。


具体的にはこんな感じ

学校でのエクササイズのプリントは既に回答があるために、

まず私と一緒に全部一度やりなおします。


その時点で分らないところは教科書を何度も読み、参考書を見て、

何度もやり直したりします。それでも分らないところは先生に聞きます。


そこまで復習をすれば基本、どこがどう分らないかという質問のポイントを本人が理解しているので、

補習も進みます。




この過程で先生はノートをチェックし、どのような過程を経て、
どう問題を解いたのか、どこに問題があるのかを絶えず理解することになります。


実はこのやり方は小学校の頃からやっていました。

しかし、何度ノートを提出しても、具体的に使った小物まで本人に持っていかせても、

先生からは何の反応もなく、せいぜいマルを赤いペンでつける程度で

「解いた過程」を見てくれたことは一度もありませんでした。


酷い先生になると「家庭で勝手なことするな」といわれたり、

「解き方が学校で教えているものと違う」と娘が怒鳴られました。






教務主任の先生と担任が家まで来てくださったのですが、

教務主任も「分ります」とか「色んなやり方がありますよね」と私を煙に巻き、

懐柔するトコしかしませんでした。

先生のやり方が違うのなら「どうすれば良いのか教えてください」と何度も泣いて聞きましたが、

具体的に案を出してくることはなく「お母さん大丈夫ですよ」と私に言う始末でした。



娘の現在のインターの数学の先生は娘のMath learning difficulty を理解しています。

その上で、娘がどう学習を進めるのかのプランニングから関わってくれています。

モチロン家庭での取り組みを理解することを優先してくださるので、楽になりました。



簡単に言ってしまえば

主体にしているものが先生なのか生徒なのかの違いでしょうか。



平均点を挙げれば「頑張っている先生」なので平均点を上げるように、

個々の生徒の理解や進度は意味がなく、とにかく点数を上げる。


点数が上がれば「子供たちもできている」事になりますから。


切られるのは学習に困難のある子供たち




インターは個々の生徒の進度にものすごく神経を使っています。


様々な子どもがいるので、平均点は何の目安にもならないんですよね。


やれる子はどんどん自分で学習プランニングを立ててやっていきます。


だって目指せハーバードですから!

ピンキリのあるインターの平均なんかそもそも眼中にないんです。



学校にして見れば、ハーバードやスタンフォードに入ってくれるのなら、協力を惜しまないです。



一番盲点なのはアメリカからの赴任でゆるーいインターでらくーに過ごしているうちに
アメリカに帰ったら成績が酷いことになっていた・・・のような生徒かな。
それはそれで冷たいですよ。
だってアメリカに帰った子供のことなんて、
学校はどうだっていいんですよ。どうせ出たり入ったりが多いんですから。

分りやすいですよ。本人が自力で努力するなら協力を惜しまない。





学習困難がある生徒でも「できるようになりたい!」と願ってついてくれば協力をしてくれます。

でも「自分でやらない」生徒はほったらかしです。

インターで切られるのは「やらない生徒」ですね。

自分でやるって言わない以上、できないですから。

「学び」は本人のものなんです。先生はそのサポートをするのが仕事


という意識は日本の公立校とは違うと感じています。



個人主義ってこういう事なんでしょうね。


LDだから手を貸してくれるわけではないと思います。

特に中学生なので、LDであろうがなかろうが、

「Risk taker」であるかどうかを絶えず問われます。



日本の学習の考え方はLDを理解するとかしないとかのレベルではなく、

LDにはキツイです。


理解できないものを理解させようとしたり、できないことをできるようにさせる、とか。


できないならできないで、他の方法でカバーしよう、という考えにはならないんですよ。「で


きるようにさせる」事が「学習」なので・・・


これって何で理解してもらえないんでしょうか・・・


それぞれのスタイルって、言うのは簡単なんですけど、日本人はこの感覚全くないですよ。


学習困難な子どもが高速計算できるはずがないのに、

○最初は指を使っていいけど、最後は高速計算ね♪
○やればできるからっ♪繰り返しが大事よ♪
○頑張ろうね☆

って感じなんです。それで「それぞれのスタイル」を認めているつもりなんですよ。


何で早く計算できなきゃいけないんですか?って聞いても答えてくれない。

計算が何で算数の基礎なんですか?って聞いても答えてくれないんです。

6年生で足し算に紙を使っても、カウンターを使ってでも数が数えられればいい、って思わないんです。


計算が苦手だったら、計算機を使ってもいい、とは言わないんです。

できないから、苦手だからテストのとき、計算用に紙をください、と頼んだこともあります。


でも「不公平になるから」と言われてくれませんでした。

でもこういうんです。

○先生信じてるから♪
○頑張ろうね♪

こういえば具体的な策をとらなくても「個人を認めた」ことになるんです。

できる努力を見せようとしても

何度 頑張っている証を提出しても

「先生の頑張っている」は

テストで点数を出すことでしかなかったんです。

テストの点数が悪ければ

「努力が足りない」と言われ続けるんです。

力尽きて、自分を責める娘を見て先生は

「やる気がない」というんです。


そして
「私はそれぞれのあり方を認めようと努力したけど、

やる気がなくて努力しないんだからどうしょうもない」と娘の責任だというんです。



それぞれの学びのスタイル、なんて考え方日本にはないのではないかと絶望的になっています。



具体的な解決策を練る→プランをたてる→実行に移す→経過をみる→修正しながら進む


この当たり前のプロセスで進行するようになってから、娘は本当に目覚しい成長を見せています。


努力が評価になり、自信に繋がっています。


もちろんLDである事実は変わらないので、成績は悪いです。


成績は悪くとも、私はデキる。私は勉強が好きだ、と言えるようになりました。


成績なぞ問題ではないのです。



自分自身でどうプロセスを築き上げるか、ひとつひとつをどう行動していくのか、それが分ってきたことが重要なんです。

私たちにとってはインターは良い決断だったと思います。


また娘のLDが本当に目立たなくなり、自分で「私アタマ良い!」と思っているようで、ほほえましいです。


その笑顔が戻っただけでも無理して(本当に無理してですよ)インターに行かせた意味があるように思います。


実際年間200万円の学費は気が遠くなるような金額ですが、


中学・高校と「アタマが悪い、私はダメな人間だ」と思い続けて過ごす6年間は大人になっても影響してしまうでしょう。


安いものだと思って、私も頑張ります。

長くなってしまいました。

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7 コメント

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共感しました (案山子)
2013-10-23 00:30:20
はじめまして。
こちらの記事を拝見して、お母さんのコメントに激しく共感し、書き込みさせて頂きました。
公立校(私立は良く分かりません)の先生は、子どもの特性について余りに無知と思います。
私の甥は軽度LDですが、先生から「長いこと(といっても11年・・)教員してきたけれど、こんな子は見たことない」と言い、出来ない部分を手助けしてくれるどころか、クラスの子と共に、甥をバカにし責めるばかりでした。
インターに転校し、こちらのお母さんのコメントのように、メキメキ自信を取戻し、得意分野の才能が伸びました。
私の息子も軽度ASDです。甥の出来事から、息子の学校はインターと決めています。日本の公立校教師はもっと勉強して欲しいです。日本の教育は「調教」に思えて仕方がありません。

長くなりまして、失礼いたしました。
こういった記事を乗せて下さったことに、感謝いたします。
案山子さん (まとりょん)
2013-10-24 21:43:32
コメントありがとうございました。

日本の教育は「調教」。はい、それに近いかと思います。
「わんちゃん教育」という明言を、先日の学会で聞きました。

教室には、犬だけでなくネコもいるのです。

ネコに首輪をつけて散歩に行けないのをよしとせず、全員犬のように号令に従うような教育を、そろそろ変えなくてはいけない時ですというお話しでした。

インターの良いところは、個性があるのだということを、認めているところにつきます。

思いが変われば態度が変わり、行動が変わります。

一人一人が学んでいくことで、状況を変えていけるようにしていきたいですね。
インターナショナルプリスクール (うたママ)
2014-09-08 15:10:17
こんにちは。
私の息子は現在2歳で、1歳の頃からインターナショナルプリスクールを予約し、手付金まで払っていたのですが、2歳になり、入学が決まりましたが、面接で落とされました。
発達障害だったからです。
愕然としました。
個性を尊重すると大々的に言っていたのに。

うちの息子はまだ2歳という事もあり、診断は受けていません。

二語文はまだですが、大抵の言葉はしゃべれます。
また、椅子にもある程度なら座っていられます。

本当に差別されたような気持ちになり、とても辛かったです。
ただ、こんな学校なら行かせなくて正解だとも思っていますが、なんとも納得ができません。

今後息子に合ったインターナショナルプリスクールを探すつもりです。

愚痴みたいになってしまってすみません。
うたままさん (まとりょん)
2014-12-14 11:57:47
お返事大変遅くなってしまいました。
インターナショナルスクールといっても、やはり色々あるのですね。
ですが面接で落とされたと言うことについて、わたしは考え方は二つあると思います。
1つは、おっしゃるように、差別的であるということです。障害があるから門前払いというのは、ひどい話しです・・・。可能性を否定されてしまったように感じます。
私も同じように悲しみ、怒ると思います。

2つめは、学校側が責任を取れないと判断したのはむしろありがたいということです。誰でもウェルカムといっておきながら、入学後に配慮も支援もないどころか、理解さえされないのでしたら、子ども自身がどれほど苦しむことでしょうか。

1は、親が悲しいのですが、2は、子どもがつらいのです。

わたしは、今の段階では、2で良かったと思うしかないな、と思います。ですが、1が起こらないように、すべての学校ですべての子どもが対等に扱われ、楽しく学べるような学校を増やしていけるよう、がんばりたいです。

良い学校や先生と出会うことはとても大切です。まずは、それを探すところからですね。
インターナショナルスクール (ちぇりー山形)
2015-12-03 18:07:54
はじめまして!
息子のことで色々悩み、調べているうちにこちらへ辿り着きました。

日本での教育の現状について、大変参考になりました。
経済や科学技術だけではなく内面も、先進国にならなければと切に思います。

息子は現在6歳、知的障害の無い軽度ASDと、やや強めのADHDがあります。
現在は欧州に在住しています。

みなさんが話題にされていました、インターナショナルスクール(欧州某国のモンテッソーリスクール)に通学中です。
インターも本当に色々です。

入学を検討していました大規模インターでは、はじめから「障害児」とラベリングした上で、学校と教師が指示するプログラムを日々淡々とこなす、ということが行われていました。
一見、充実したプログラムに見えましたので、かなり前向きに入学を考えていたのですが、
そちらに通われていた方の親御さんから、『学校はその子自身ではなく「発達障害の特性」を見ている、障害児と一括りにされているので、子供の個性を認めてくれない、子供は色々なことにチャレンジしたいのに、何か提案をすると、「私のいうことだけをしていればいいの!」と叱られる、学校に行くこと自体が苦しくて転校した、私はここは勧めないわ』と言われました。

もう1件の大規模インターも、特別支援教育の専門家が丁度辞めてしまって、今年度は受け入れられない状況でした。

都内の某老舗インターは「発達障害児お断り」とHPにあります。
インターはどこでも、受け入れOKという訳ではなく、受け入れたとしても、適切な対応をしているとは限らないのですね。

やはり門前払いはショックですが、
中途半端に対応されて二次障害を起こすことだけは避けたいので、主様がおっしゃるように、対応できないと知らせてくれるのは、親切なのかも知れませんね。

日々、本当に色々ありますが、子供を「障害のある困ったあの子」ではなく、他のお子さんと同じように「○○君」と、息子自体を見て貰えることは、何より有り難いことです。

多くの日本の子供達が、少しでも居心地の良い、楽しく通える学校に巡り会えたら良いですね。

長文となってしまい、失礼致しました。
ちぇりー山形 (村上)
2015-12-22 22:32:44
仰るように、インターだからといってどこも英国や米国のようなスタンダードが通用しているわけではなく、やはりそれなりに支援の費用がかかるとなると、学校方針というのは大きく関係するところですよね・・・。
本当に学校は、人が作っている場だなあとつくづく感じます。
その学校を辞められた方が実際に何を不満とされたのかは知りませんし、どういう考えを先生がお持ちだったのかはわかりませんので、具体的にお聞きするともしかすると学校の言い分の根拠は科学的な情報に基づいたものだったのか、それとも一方的な決めつけだったのかもしれません。わかりませんが、こちら側にもある程度の知識がなければ、と思います。
少なくとも「多感覚指導」や「個別のニーズ」といった考え方そのものは欧米では当たり前ですので、日本の学校でそうした所から変えてもらうことを考えると、インターでもある程度、個別のニーズへの理解があるところだと話し合いがしやすいのかもしれません。
ですが、もちろん日本の公立学校でも、先生方の知識が多ければ、やはりそれは指導や支援という形になって反映されていますので、これも一概に言えませんが。
お答えになっていませんが、「探す」こと、そして入ってからも「対話する」ことが大切ですよね。
がんばってください!
学校を探してます (きいママ)
2019-01-19 03:01:11
投稿内容を読み、とても共感しています。私の娘はADHDとLDが混在している中3の女の子がいます。現在、セブで2年目の単身留学を迎えていますが、カナダでの特別学習支援の公立高校に留学したいと思っています。しかし、なかなか情報がすくなく、よろしければお嬢さんが通学されていた学校名を教えてくださいませんでしょうか。

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