学習障害と英語指導を考える

特別支援の視点から。
どの子もハッピーになるような指導を。

チャレンジ教室~エイジくんを迎えて

2013年07月21日 | チャレンジ英語教室(読み書き困難)

昨日は、チャレンジ教室にスペシャルゲストが来てくれました。

現在アイルランドの高校一年生のエイジ君です。

 

エイジ君は、小学校2年生のときに重度のディスレクシア、

そしてアスペルガー症候群と診断され、

小学校では典型的な「おちこぼれ」「いじめ」に合ったといいます。

その後、2年生でスイスに留学、

一時帰国ののち、

ニュージーランドのクライストチャーチ、イギリスのミルフィールドへと

学びの場所を海外に見出しました。

現在は、イギリスの有名大学への進学を視野に、

アイルランドの進学高校に在籍中。

 

そういうエイジくんがチャレンジ教室で体験談を語ってくれるというので

私はとても興奮していました。

 

単に海外でがんばっている人の話を聞いて視野を広げるというのではなく、

普段の学習教室ではできない、

彼らの持っている特性を正面から取り上げ、

それを乗り越えてきた経験者の話を聞き、

自らの体験を振り返り、できれば客観的に見れるように・・・。

決して正当な評価を受けてきていない彼らですが

環境が変われば自分たちも変わる、つまり

「できない」んじゃなくて「やり方なんだ」

ということにも、気づいてくれれば・・・という願いがありました。

チャレンジの子どもたちは全員が、1つかそれ以上の

診断名をもっています。

私は普段、彼らと「○○くんはディスレクシア」といった

診断名を口にすることは決してありません。

それは、指導においてそういうことは必要ではないからです。

彼らが何であろうと、私は問題ないからです。

ですが、彼ら自身が無視できない問題として

自分の特性と向き合い続けなくてはいけない現実があります。

その場しのぎだけではない、自尊心を育てていく必要があります。

 

当事者同士の話し合いというのは、

成人の場合は少しずつ機会が設けられるようになってきているように思いますが、

子どもたち同志というのは、本当にありません。

「みんなと違う自分」に対する劣等感や孤独感は無視できないのですが

大人がいくら言ったところで

「あなたにはわからない」とどこか距離を持ってしまうように思います。

だから、同じような、似たような経験を経てきた

若者同士の語り合いの機会が必要だと考えています。

 

そういう私の思いはとてもあるのですが、

ティーンエイジの当事者として

体験を語れる子どもはなかなかいません。

(ほとんどの中高生はまだまだ苦しみの渦中にいます)

ですがヨーロッパなどでは、ディスレクシアのユースの会もありますし、

同じ特性を持つ者でなければわからない体験を共有し、

自分たちによりよい環境や社会作りのための活動をしています。

 
エイジくんは、重度のディスレクシアを乗り越えた体験を持っています。

ただ、「しんどいよね」で終わらない、

希望が見えるのではないかと思いました。

(注:「乗り越える」=「障害がなくなる」ではありません。
生まれ持った特性は消えません。
ですが、学校で必要とされている読み書きのレベルに到達し、
学習の”障害”ではなくなったということです)

 

エイジ君は、まず自己紹介から始めました。

「ボクは1年生のときに、全く勉強ができないってわかったんだ。

それでいじめられるようにもなった」
 

「ボクは漢字が全然書けなかったし、読むのも大変だった。

漢字は、こういう風に見えていたし、

ボクはまっすぐな線を引くことすらできなかった。 」

 

「2年生になって、スイスの学校に行って、

本当に楽しかった。

1年間いたけど、自分が馬鹿だとか、思わなくてよかったし

本当にとても楽しく勉強ができたんだ。

日本語よりも、英語(アルファベット)のほうがずっとシンプルだったから

読んだり書けるようにもなった。」

 

「日本と、あちらの学校の違いは、とても大きい。

まず、先生が違う。教え方が全然違う。

わからないのが悪いんじゃなくて、日本では先生の教え方が悪いとわかった。

(あちらでは)

もしボクがわからないことがあったら、

”どこがわからないの”って聞いてくれる。

声の出し方から違う。

笑顔で接してくれる。

日本は、「○○なんでできないの!?」って怒鳴る。」

 

「ボクは、海外での1年間目は、特別支援教室にも通いながら

通常の教室も通った。

そして一年後には、

ディスレクシアの検査に引っかからなくなった。

つまり、読み書きの障害がなくなったんだ。

これは、学校が良かったから。」

 

 

 

質問

「エイジ君、学校には来ているけど、机にうつぶせて

寝ているだけの子っていないかな?

学校に来てるだけって子」

 

エイジ

「??? そんな人、いません。見たことはありません」

 

聞いていたみんなは、はっとした様な顔で、指を折って数を数え始めました。

「・・・信じられへん。うちのクラスには○人くらいいる」

「うん、うちも○人くらいいる」

 

エイジ

「そんな子は、いません」

 

質問

「じゃあ、不登校って知ってる?学校に来なくなっちゃった子はいない?」

 

エイジ

「いません。ボクが在学中にクラスで来れなくなった子は一人もいませんでした。 

 みんな学校に来ています」

 

みんな、ある意味ぽかーんとしていました。

日本では、不登校で学校に来れなくなる子や、

教室でただ寝ているだけ、座っているだけの子が当たり前の光景を見ているので

信じられなかったのかもしれません・・・・

 

次に私からの質問で、

彼のスクールでの”体験学習”にはどんなものがあるのかを尋ねました。

そこで、高学年は海外にボランティア活動をしにいく、という話しをしてくれ

一つエピソードを紹介してくれました。

 

「ボクの先輩は、カンボジアに行ったんだ。

そこでは、簡単な英語を教えるのが仕事だった。

ある日、小学校に行って英語を教えて、

この問題出来る人、手を挙げて、って言ったら

手が挙げられない子がたくさんいることに気づいた。

両手がない子がたくさんいたんだ。

それに気づいて、どうしようと思った、と先輩は言っていた。

でも、一人の両手がない子が”わかります”といって前に来て

黒板にチョークで答えを書こうとした。

どうやったと思う?

脇の下にこうやってチョークを挟んで、

こうやって答えを書いたんだ。

 

あるとき、白人の兵士がやってきて、

子どもたちを整列させて、縄でつないで泥だらけの場所に連れていった。

何をするのかと思ったら、

子どもたちを泥の中に蹴落として、地雷を探させていたんだ。

地雷だよ。

子どもたちがどうして手足をなくしたのか、それでわかった。

見ているみんなは泣いていた。

でもどうすることもできなかった。

抗議をしても、聞き入れてもらえなかった。

悲しかったと先輩は言っていた。

こういう体験学習を、僕らの学校ではすることができる。

日本では、とても考えられないだろうと思うけど・・・」

 

 

その後、ipadでスクールの写真をみんなで見て、

ようやく心もほぐれてきたようで、

子どもたちは質問をたくさんしていました。

「学校はどんな大きさ?」

「食堂ってどんなの?」

「どんな植物や木が生えてるの?」

「寮ってなに? どんな大きさ?」

などなど・・・。

 

最初は緊張していた笑顔も見えて、

良かったです。

 

子どもたちから直接の感想を聞いていませんが、

また後日、何を思ったか感じたか聞いて見ようと思います。

 

実は私からグループに、

自分の障害特性について投げかけた質問もありましたが

長くなるのでここまでに・・・

あっという間の90分でした。

 

 *エイジくんは、福岡の「一般社団法人ギフテッドスクール」
校長下津浦先生のお子さんです。
現在夏期休暇で一時帰国し、夏はギフテッド校で勉強中。


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