エッセイ:「百合子と好朗のねじりあい(24)」2016.11

森好朗会長が仕切きる組織委員会が後先を考えずに決めたこと。関係者が喜ぶ行け行けどんどんで、予算もどんぶり勘定、誰が払うのだそのムダ金は? というのが小池都知事の本心だろう。
森氏のような太っ腹風のタイプのリーダシップが日本では好まれ、政界では派閥のボスとして一目置かれてきた。それは予算を獲得する 腕力であり、儲かった関連ゼネコンなどからの集金力が巧みな実力者なのである。政界引退後でも森氏の力は厳然と続いているのだ。
東京五輪のボート・カヌー、水泳、バレーボールの競技場で意見が割れている。組織委員会としては、ボート会場は都内の「海の森水上競技場」とIOCに了承されているものをいまさらなぜ変更せねばならぬのかと言うのである。
バッハIOC会長とコーツ副会長が来日した。IOCの内部では東京都と組織委員会が競技施設の選考ででもめていることに対して不快感を示していると伝えられる。真偽のほどは分からないが、リーク風に誰かが装っている可能性もある。
小池都知事との会談ではバッハ氏はそんなことは御くびにも出さず、東京が大原則に則って準備を進めることに全面的な協力をするという。
さらに、オリンピック開催に多額の経費が掛からぬようバッハ会長は2020アジェンダを発表しているほどである。
会談はあくまでも都側の意向や希望を尊重するが、都側に会場を決め打ちしないように釘を刺し今後四者会談で検討していくというもの。

東京五輪の競技施設や運営コストが、当初見積もられていた額の3~4倍の3兆円を超えそうだというのである。小池都知事は”お豆腐屋さんじゃあるまいし”と皮肉交じりで言う。
この金額はまじかよ! と、誰だってビックリする。談合でぼろ儲けを狙っている大成建設などの大手ゼネコンやそれらに肩入れする組織委員会や政治家の利権が絡み合っていることが週刊誌等で報じられている。それが事実とすれば眞に腹立たしい。
ボート会場は「海の森水上公園」に決定し、当初予算の7倍の約500億円でいつの間にか着工しているとは驚いた。日本の土木工事の技術からすればそんなに慌てて着工しなくても十分間に合うはずのものだ。
IOC水連の会長も来日し、都知事との会談では新設の会場が真のレガシーになると。これに呼応するかのように日本バスケ協会会長川渕三郎氏をはじめ、有名なアスリートまでが一斉に水泳会場などの新築の会場を声高に求め始めた。旧来の建物を改築した会場で何がレガシーだ、ということらしい。
そりゃー、アスリートにしてみれば、立派な会場でやれれば志気が上がると言うことだろうが、そんな軽い志気ではまことに頼りない。これまでアスリートは、こういう問題には口を挟まず言葉を濁して来たように思う。いつの間にか自己主張をする世の中になってきた。
った見方をすると、森組織委員会からの指示、あるいは組織委員会の主張を援護をするために仕組まれたパフォーマンスのようにも思える。
そのことはボート会場の候補に長沼(宮城県)の話が出ると、すぐさま「東京から遠すぎる、IOCは韓国での開催も検討している」という記事が新聞で報道された。これは長沼に反対する森組織委員会長による揺さぶりのために流したガさネタであろうとも言われているからだ。それが証拠にこの話はそれっきり出てこないのである。
さらに、すべての会談・会議はオープンにしたいとする小池都知事に対し、それを認めたバッハIOC側から四者会議はクローズドにという要望が出された。これなども有識者は、森組織委員会長側からの要請による可能性が高いと言う。クローズドにする必要性や理由は全くないものであると。会議後に議事録がオープンにされためにそんなにいい加減な決定はできないだろうと。

ところで、東京誘致が決まった時点で一番喜んだのは誰だったのだろう。もちろん誘致に尽力した関係スタッフやアスリートと大多数の国民であろう。
しかし最も喜んだのは、オリンピックがもたらす経済効果の恩恵にあずかる企業やそれを取り巻く政治家や役人らではなかろうか。
特に経済政策で打つ手なしの状態にある安倍政権にとっては起死回生の一打ともいえる。総理が地球の真裏のブラジルへ土管を抜けてタイムスリップしたい気持ちはよく分かる。
ましてや、五輪という千載一遇のチャンスに自民党総裁の任期を延長してまでその恩恵に預かりたいとする気持ちもである。私はそのことを決して否定するものではない。

いずれにしても、世界の先進諸国のなかで日本は、女性が冷遇されている国、男社会の国として恥ずべき国家に位地(世界100位以下)しているのである。
しかも、世界から嘲笑されているにもかかわらず未だに男性は気づいていないのだから滑稽である。
男性は、女性に比べていい加減なところ、無責任なところが多いようだ。結果に対して責任を取らない、取らせない、互いにいあうのである。
その最たるものが、太平洋戦争の開戦の責任である。誰一人よして自ら責任をとった人はいない(?)。正に「赤信号、皆で渡れば怖くない」式の価値観である。真に責任を痛感して自害した近衛文麿侯(総理大臣3回、通算約4年)くらいだろう(私の偏見)。
このことは、何も太平洋戦争に限った話ではない。最近の東電、東芝、三菱自動車など企業のトップの責任逃れ、取り方を見れば一目瞭然である。

東京五輪における男社会の責任者の代表ともいえる森組織委員長と、開かれた都政の代表者であり女性を代表する小池都知事のねじりあいはまだまだ続く。もちろん私が応援するのは小池都知事であることは言うまでもない。
了

森好朗会長が仕切きる組織委員会が後先を考えずに決めたこと。関係者が喜ぶ行け行けどんどんで、予算もどんぶり勘定、誰が払うのだそのムダ金は? というのが小池都知事の本心だろう。
森氏のような太っ腹風のタイプのリーダシップが日本では好まれ、政界では派閥のボスとして一目置かれてきた。それは予算を獲得する 腕力であり、儲かった関連ゼネコンなどからの集金力が巧みな実力者なのである。政界引退後でも森氏の力は厳然と続いているのだ。
東京五輪のボート・カヌー、水泳、バレーボールの競技場で意見が割れている。組織委員会としては、ボート会場は都内の「海の森水上競技場」とIOCに了承されているものをいまさらなぜ変更せねばならぬのかと言うのである。

バッハIOC会長とコーツ副会長が来日した。IOCの内部では東京都と組織委員会が競技施設の選考ででもめていることに対して不快感を示していると伝えられる。真偽のほどは分からないが、リーク風に誰かが装っている可能性もある。
小池都知事との会談ではバッハ氏はそんなことは御くびにも出さず、東京が大原則に則って準備を進めることに全面的な協力をするという。
さらに、オリンピック開催に多額の経費が掛からぬようバッハ会長は2020アジェンダを発表しているほどである。
会談はあくまでも都側の意向や希望を尊重するが、都側に会場を決め打ちしないように釘を刺し今後四者会談で検討していくというもの。

東京五輪の競技施設や運営コストが、当初見積もられていた額の3~4倍の3兆円を超えそうだというのである。小池都知事は”お豆腐屋さんじゃあるまいし”と皮肉交じりで言う。
この金額はまじかよ! と、誰だってビックリする。談合でぼろ儲けを狙っている大成建設などの大手ゼネコンやそれらに肩入れする組織委員会や政治家の利権が絡み合っていることが週刊誌等で報じられている。それが事実とすれば眞に腹立たしい。
ボート会場は「海の森水上公園」に決定し、当初予算の7倍の約500億円でいつの間にか着工しているとは驚いた。日本の土木工事の技術からすればそんなに慌てて着工しなくても十分間に合うはずのものだ。

IOC水連の会長も来日し、都知事との会談では新設の会場が真のレガシーになると。これに呼応するかのように日本バスケ協会会長川渕三郎氏をはじめ、有名なアスリートまでが一斉に水泳会場などの新築の会場を声高に求め始めた。旧来の建物を改築した会場で何がレガシーだ、ということらしい。
そりゃー、アスリートにしてみれば、立派な会場でやれれば志気が上がると言うことだろうが、そんな軽い志気ではまことに頼りない。これまでアスリートは、こういう問題には口を挟まず言葉を濁して来たように思う。いつの間にか自己主張をする世の中になってきた。
った見方をすると、森組織委員会からの指示、あるいは組織委員会の主張を援護をするために仕組まれたパフォーマンスのようにも思える。
そのことはボート会場の候補に長沼(宮城県)の話が出ると、すぐさま「東京から遠すぎる、IOCは韓国での開催も検討している」という記事が新聞で報道された。これは長沼に反対する森組織委員会長による揺さぶりのために流したガさネタであろうとも言われているからだ。それが証拠にこの話はそれっきり出てこないのである。
さらに、すべての会談・会議はオープンにしたいとする小池都知事に対し、それを認めたバッハIOC側から四者会議はクローズドにという要望が出された。これなども有識者は、森組織委員会長側からの要請による可能性が高いと言う。クローズドにする必要性や理由は全くないものであると。会議後に議事録がオープンにされためにそんなにいい加減な決定はできないだろうと。

ところで、東京誘致が決まった時点で一番喜んだのは誰だったのだろう。もちろん誘致に尽力した関係スタッフやアスリートと大多数の国民であろう。
しかし最も喜んだのは、オリンピックがもたらす経済効果の恩恵にあずかる企業やそれを取り巻く政治家や役人らではなかろうか。
特に経済政策で打つ手なしの状態にある安倍政権にとっては起死回生の一打ともいえる。総理が地球の真裏のブラジルへ土管を抜けてタイムスリップしたい気持ちはよく分かる。
ましてや、五輪という千載一遇のチャンスに自民党総裁の任期を延長してまでその恩恵に預かりたいとする気持ちもである。私はそのことを決して否定するものではない。

いずれにしても、世界の先進諸国のなかで日本は、女性が冷遇されている国、男社会の国として恥ずべき国家に位地(世界100位以下)しているのである。
しかも、世界から嘲笑されているにもかかわらず未だに男性は気づいていないのだから滑稽である。
男性は、女性に比べていい加減なところ、無責任なところが多いようだ。結果に対して責任を取らない、取らせない、互いにいあうのである。
その最たるものが、太平洋戦争の開戦の責任である。誰一人よして自ら責任をとった人はいない(?)。正に「赤信号、皆で渡れば怖くない」式の価値観である。真に責任を痛感して自害した近衛文麿侯(総理大臣3回、通算約4年)くらいだろう(私の偏見)。
このことは、何も太平洋戦争に限った話ではない。最近の東電、東芝、三菱自動車など企業のトップの責任逃れ、取り方を見れば一目瞭然である。

東京五輪における男社会の責任者の代表ともいえる森組織委員長と、開かれた都政の代表者であり女性を代表する小池都知事のねじりあいはまだまだ続く。もちろん私が応援するのは小池都知事であることは言うまでもない。
了
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