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謎かけクイズ(6) 2012.05
1.田植え とかけて: モノマネ江戸や猫八 ととく
その心は: * (どちらも) カエルの合唱が楽しみ
2.ネギ坊主 とかけて: のど自慢大会でカネが一つの人 ととく
その心は: * 節がない
3.平幕優勝 とかけて: マラソン大会のペースメーカー ととく
その心は: * 落後するはずの人
4.オリンピック代表 とかけて: 宮本武蔵 ととく
その心は: * 五輪(の書)に賭ける
オリンッピクを五輪と表記するのは 1936年に読売新聞記者(川本信
正)が宮本武蔵の「五輪の書」から五輪としたのが起こり。
5.扇風機 とかけて: 復党した小沢一郎 ととく
その心は: * 回りの空気をかき乱す
6.政治生命をかける とかけて: 池にはまったドングリ ととく
その心は: * 泣いてはドジョウ困らせる
7.世界一のスカイツリー とかけて: 巌流島で待つ小次郎 ととく
その心は: * 武蔵(634)が相手という
8.晩酌 とかけて: ジュースになった バレーボールの試合 その心は: * もう一本欲しい
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エッセイ:「地獄の沙汰もカネ次第(15)」 2012.05
昨今、ニュース等で孤独死が報道されることが多くなったような気がする。人生80数年、終末がこれではさびしい限りで、やりきれない気持ちになるのは皆同じだろう。これからますますこの傾向が多くなるという。
先月午前11時ごろ、救急車と消防車のけたたましいサイレンの音が近づいてくるので、近くで火事でも発生したのかと不安になった。ところが救急車と消防車の2台が我が家の前で止まったのだ。
妻に、「前のS家に来たようだぞ」と知らせたら、何やら様子を確認するために通りに出ていった。私は二階の部屋から窓越しに隊員たちの動きの一部始終を見ていた。かれこれ一時間が経った頃、仏様になった痩せ細ったS老婆が担架で運び出されてきた。娘夫婦が立会っており、隊員からの聞き取り調査(?)を車の中で受けていたようだ。
昨年までは、Sさんから時々電話を貰って妻は話し相手として訪問していたがそれも途絶えた。介護職員が週二回、Sさんの娘も毎週必ず来ていたのである。子供達からは同居の誘いがあったが、それを断っていたらしく最後まで独居であった。第三者的には、経済的にも親子関係からみても何の不自由や問題もないように見えたSさんの黄泉(よみ)の国への旅立ちであった。
私は、担架で救急車に運び込まれる仏様を見ながら、どういう思いで亡くなったのだろうかと、言いようのない思いが過ぎ(よぎ)った。
毎年5月のGWになると、我が家と近くに住む娘の家では狭い庭にトマトやキウリなどの野菜を植える。今年も苗を買いに行く道中、車を運転する娘婿に今回のこの孤独死の一部始終を話していたのだった。
朝日新聞によると、日本は「多死社会」に入っているそうだ。2030年には年161万人が亡くなる。75歳以上では一人暮らしが約4割近くを占めるようになる。認知症の高齢者は今の1.7倍、350万人を超える。医療・介護の課題は裏を返せば「死に場所づくり」でもある。病院で死ぬのは89万人、介護保険施設で9万人、自宅で20万人、残り40万人は死を迎える場所が見通せないという。「看取(みと)り難民」の大量発生が現実味を帯びてきており、相次ぐ孤独死はその予兆であろうと。
ところで、昨今のような現役世代に先の見透視が出来ない社会、社会福祉の恩恵が危ぶまれる社会で高齢者の幸せが望めるだろうか。今や非正規雇用の割合は35%に及ぶ。大学を卒業しても安定した職に就けないことが普通になったのである。
一方、今の高齢者(70歳以上)からは、老後は子供の世話にはなりたくない、迷惑をかけたくないと判で押したような応えが返ってくる。高齢者の親の世代は戦争に駆り出され、食糧不足の中で自分たちを生み・育て、日本の復興を成し遂げた涙ぐましく、また逞し(たくまし)くもある人生であった。さらに地方や農村部では長男の嫁は舅・姑の老後の介護や終末を看取ったものである。おそらくこれほど波乱万丈の時代を生き抜いてきた世代は有史以来ないであろう。
そういう親たちの生きざまを見せつけられて育った今の高齢者が、自分たちの子供に同じ様な苦労をかけさせたくない。自分たちの終末を看取って欲しいとは言いだしにくいのも肯け(うなずけ)るのである。
しかし、「看取り難民」40万人を前にして「子供に負担をかけたくない」「消費税の増税はダメ」で「打つ手なし」では余りにも無策過ぎないか。
つまるところお金の問題である。日本に存在する金融資産は約1,500兆円、うち60歳以上が6割以上を持っている。すなわち約900兆円の資産の大半が遺産相続という形で引き継がれ、現役世代に流れ込んでくるのである。「地獄の沙汰もカネ次第」の風潮の世では、経済大国「日出る国」とまで言われた日本国民としても救われないだろう。
了
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エッセイ:「東大と小・中学校留年(14)」2012.05
板井省司
私ごときボンクラは、東大と云うところはエリートの巣窟であり、新聞・TVなどマスコミに登場する各界で活躍する人でも東大卒と聞くと、さも有りなんと人物評価をしてしまうのである。
明治政府は内閣を支える官僚組織をつくるためには、藩閥のコネに左右されない優秀な人材を役人に育てなければいけないという趣旨で、1886年(明治19)に帝国大学令を発し現東京大学を設立した。
恒例の英国高等教育専門誌による2011〜12年の世界大学ランキングでは東大は30位である。8年連続一位のハーバード大学に代わってカリフォルニア工科大学が一位になった。
東大は、ランクアップためには留学生の積極的な受け入れ体制も必要不可欠であるとして、新学期を4月から9月に変更すると発表した。
ところで、東京大学には教授が一体何名いるかと問われたら、大方の人は300〜500人と応えるだろう。ところが驚くことにその数が何と1,320名である。また以前は助教授と呼称されていた準教授がさらに910名いるのである。
東大の全学生数は大学院まで含めておよそ14,000名、これに対して教授の数1,320名が多いのか少ないのか疑問のわくところでもある。
日本トップの学府で優秀な学生を指導し、行政や政治、経済など各界で活躍する人材に育てる知性と権威の象徴 ― そんな「東大教授」の肩書を定年前に捨ててしまう人が相次いでいるそうだ。
教授の平均年齢56歳、年間平均給与約1,200万円だ。旧7帝大の中で教授の人数も平均給与や年間予算も一番高い、なのに辞めてしまう。理由は「東大が、かってはもっていた輝きが失われてしまった」からだとか。その要因は近年の「大学設置基準の改正」にある。分かりやすく言えば、世知辛くなって、「自由な空気が失われてしまった」ということだそうだ。
さらに、65歳への定年制延長が若手との軋轢を生じている。私立大学では、70歳が定年のところが多く、転身するなら早い方が受け入れられやすい。早い話が、「東大教授」の肩書へのこだわりよりも「背に腹は代えられぬ」というそろばん勘定が働いているとも言えるのではないか。
一方、ごまかし言葉を駆使して自らの責任を明確にしてこない「東大話法」「東大文化」を指摘する安富歩氏は、「東大は、表面的にはいいことを言って何かやっても、実はやっているふり。何も変わっていない、ということもありますから」と指摘する。
帝国大学令が出されて120年、国民から悪評高い官庁の組織的天下り、これに続けとばかりに東大学府からも人材が流出し始めたようだ。早期退職した教授らは、建て前は尤もらしいことを言っているが、早い話がわが身に有利な食いぶちの選択にしか思えないのは私だけであろうか(そんなこと当たり前だ、と言われそうだが)。
ところで、橋下大阪市長は学力レベルが目標に達しない小・中学生を「留年」させることを検討するよう市教委に指示したという。留年で学力は本当に伸びるのか。留年コストは誰が払うのか。義務教育に流年は必要かという問題が提起されているのである。
ちなみに、OECDの15歳での留年率は日本、韓国、ノルウェーは0%、英国2.2%、フィンランド2.8%、米国14.2%、ドイツ21.4%、仏36.9%、ブラジル40.1%、OECDの平均は13%である。
義務教育の学力問題に対しては、その背後に根本的な問題が隠蔽されていることも認識しなければならないが、以下専門家の主たる意見である。
元文科省大臣町村氏は言う。算数の授業が分からなくなった場合、学年が進んでもその状態が続く。分からない授業を受け続けるほど苦痛はない。不登校や学ぶことがいやになることにつながる。教職員は習熟度別にクラス分けするなど「平等じゃない。差別だ」と反対する。「機会の平等」は大事だけど「結果の平等」まで求めるのは、人間社会ではあり得ないことだと。その最たるものが「学年信仰」で、現行法でも留年は認められているのに運用されてこなかっただけだという。
比較教育学の専門家園山大祐氏はフランスの例をあげた。仏が留年を減らす方向にかじを切った理由の一つは早い段階で留年が重なると、子供は意欲をなくして非行に走ったり、中退したりし成績の回復が難しいことが判明した。二つ目は、仏は大学まで無償なので、留年させるとその分、国の持ち出しが増えるため。
さらにPISA(国際学習到達度調査)で留年率の低い国が上位を占めていた。そのOECDが留年を廃止する提言を出したことも大きな要因にある。
仏でさえ、子供にとって留年はショック。同じ学年で異年齢の子が少ない日本ではさらに衝撃が大きいと。大阪市が取り組むべきは補修システムをつくることだ。制度を変えさえすれば現状が良くなるわけではないと。
教育社会学の青砥恭氏は、留年の実施を主張している人は、「低学力の背景には貧困の問題が横たわっている現実への認識が足りない」という。底辺校を中退した若者と話して感じるのは「低学力と貧困の連鎖の強さ」だと。中退した生徒は、親も中卒、高校中退が多く、学校の楽しさを体験していない。親は子供が学校に行かなくても特に問題だとも思っていない。子供にとっても、勉強した先にどんな未来があるのか見えてこない。留年はその子は学校から排除されることになるから、不就学、底辺校進学、中退、非正規雇用、生活保護という道筋が明らかだ。国が生活保護に3兆円の税金を投入しているのに、留年は新たな「生活保護予備軍」を大量に生み出すことになる。それよりもつまずいた子供の学び直しために税金を使った方が有効であると。
以上のように、義務教育の留年については、どれがベターかは複雑な問題が絡まって難しいのである。
竹中平蔵氏は、維新の会・橋下市長の動きに注目して、小泉純一郎元総理のようなタイプになり得る可能性を示唆している。小泉氏は劇場型手法を取り入れて、政治の閉塞感の中にあった国民を政治に関心を向かわせた。ものごとを単純化させるセンスは抜群であった。
その弊害として「競争は善」の中で日本社会を蝕んでいる側面が随所に見られるようになってきた。特に未婚率増加や生活を不安定にさせる非正規雇用問題、安値競争で安全性や経営が揺らぐタクシー、バス業界等である。その結果として今回のバス事故の大参事につながったといっても過言ではないのではないか。
こと義務教育の留年に関しては、国の教育基本方針にゆだねるべきものであり、あまり性急な解決手法は大阪(地方自治体)だけの問題では済まないような気がするがいかがであろうか。
了
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