板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

エッセイ:「Suicaの刷り増し(33)」2014.12

2014-12-28 19:59:04 | エッセイ
エッセイ:「Suicaの刷り増し(33)」2014.12


 早いもので今年も後わずか、良いことも悪いことも覚えきれないほどたくさんあった。 

 東京駅開業100周年記念のSuica一万五千枚を発売した件はなんともお粗末で、 死傷事故につながらなくて不幸中の幸いであった。
 方針を変更して、来年一月に希望者全員が購入できるように刷り増しするという。どういう意図でわずか一万五千枚に限定販売にしたのかよくわからない。いい加減なものだ。
インターネットのオークションでは10万円前後で取引が出ると噂されていた。マニアは希少で出回る数が少ないものを欲しがる。6千円(3枚)の元手で30万円を稼げることを期待していた人はさぞかし残念だろう。 
 中国や血の気の多い国などであったら、おそらく購入できなかったマニアが怒りくるって暴動にまで発展しかねないケースである。
 
 ところで先日、市の美術館に友人も出品した写真展を鑑賞した折、同じフロアで行われていた、「総武鉄道・市川―佐倉間の開通120周年記念」の資料展示会をのぞいた。官設鉄道による新橋―横浜間の開業の22年後である。展示を見ながら、それまで千葉県の鉄道について何も知らなかったことに恥じた。
 まず総武鉄道の起点が何と千葉県市川駅である。固定観念を持っていると、何でも東京を起点にしてしまい、また現在のJR総武線が国鉄由来のものであると考えがちである。しかし、当初は国鉄ではなく民営の総武鉄道会社が開業した線なのである。 
 その後、総武鉄道本所による本所(現錦糸町)~市川間が開通し、明治30年には錦糸町~佐倉~成東~銚子間が開通する。ちなみに総武線の由来は、上総、下総、武蔵の3国を通るからである。
 
 本所(錦糸町)~佐倉~成田~佐原~銚子の北ルートでは佐原町(現佐原市)の伊能権之丞が、本所(錦糸町)~佐倉~成東~銚子の南ルートでは成東町の31歳の青年の安井理民(はるたみ)が、千葉県で最初の鉄道敷設に名乗りをあげた。当時、千葉県は利根川と江戸川を結ぶ利根運河の工事をバックアップしており、これへの影響も考慮して知事はどちらの鉄道敷設の請願も却下した。

 ところが銚子への延長は、南の佐倉~八街-成東経由と、北の佐倉~成田-佐原経由の競願ルートは、陸軍大臣を巻き込んでの誘致合戦となった。多額の出資をした銚子の醤油業者(ヤマサ、1645年創業)の主張で佐倉-成東経由が決まり、明治30年に総武本線が開した。
 遅れて明治34年には、成田鉄道会社(民営)が佐倉―成田間開設、明治34年には銚子まで延長して成田線は我孫子~銚子間の全線で開業した。しかし、成田線および総武線ともども鉄道国有法(明治39年)により私鉄の17社が国に買収されたのである。
 
 ところで、銚子までのルートがそれほど必要であったのだろうか。また千葉県は利根川と江戸川を結ぶ利根運河の工事をバックアップしており、とあるがどういうことだったのか、疑問がわいて調べたところ、目からウロコであった。すでに知識のある方は、いまさら何を言っているのだとお笑いでしょうが。
 
 過日私のエッセイでも書いたが、江戸時代から明治時代にかけては、北海道や東北からの物資の輸送は北前船によるものであった。
 大阪、近畿方面には日本海から北陸経由で陸路で輸送するものと、日本海から下関、瀬戸内海経由で輸送するものとであった。一方江戸、関東方面には反対周りの太平洋経由の船で輸送されていた。ところが、江戸湾に入るには、房総半島を大きく迂回するルートのほか、銚子から利根川をり、千葉県の最北端にある城下町の関宿(現野田市)で分流する江戸川を下って江戸湾にいたるルートがあった。
 なおこの関宿での分流は、利根川の氾濫・水害防止を目的に水量を江戸川に分散するために江戸時代の初期に大工事で行われたものである。
 ところがこのルートには一部に浅瀬があり大型船が通航できず積み替えが必要だったことと、距離が長かったために途中を陸路でショートカットする場合があった。
 明治時代になり、貨物の輸送量が増えたことから、利根運河株式会社が設立され、明治23年には陸路でのショートカットの部分の利根川口の船戸(柏市、常磐自動車道傍)と、江戸川口の深井新田(流山市)に運河が開通した。 明治24年の舟運は年間約37,600隻にのぼった。明治28年には、東京~利根川運河~銚子間の直行の汽船が就航、144kmを18時間(時速8キロ)で結んだ。
 明治29年、*日本鉄道土浦線(民営、後の常磐線)が開通すると、それまで蒸気船で1泊2日を要した都心までが、わずか2時間で結ばれるようになった。明治30年、銚子~東京間に総武鉄道(後の総武本線)が開通し、所要時間が従来の5分の1(4時間)となった。これにより、長距離航路は急激に衰退し、運河の最盛期は、開通から明治43年頃までのわずか20年程度であった。 
 さらに太平洋戦争に突入すると、改正陸運統制(昭和16年)によって戦時買収私鉄は22社に上った。首都圏では、南武線、五日市線、鶴見線、青梅線、相模線などがある。
 何のことはない。日本国有鉄道とはおおむね民営でスタートした鉄道を買収、国営化したものであった。血も汗も流していない鉄道を上手く運営できるわけがなく、民営に逆戻りした所以であろうか。
* 日本鉄道は、日本初の私鉄であり、現在の東北本線や高崎線、常磐線など、東日本の東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線の多くを建設・運営していた会社である。
* 甲武鉄道は御茶ノ水、新宿、八王子を開業した(中央線の一部となった)。現在の西武国分寺線および新宿線の東村山 - 本川越である川越鉄道、および青梅線である青梅鉄道は、甲武鉄道の支線にあたる。 

エッセイ:エッセイ:「アフリカ・マサイ族のスマートフォン(32)」

2014-12-12 20:30:24 | エッセイ
エッセイ:エッセイ:「アフリカ・マサイ族のスマートフォン(32)」2014.12


 エッセイを創作していると、時にはネタ不足に窮することがある。毎月2~3本をノルマにして死守している。これを一度サボったら、ズルズルと奈落の底に落ちる可能性がある。それくらい粘りのない怠け者であることを自覚している。
 エッセイのタイトルや中身は、書いてる途中でコロコロ代わる。よくいうところの「起承転結」についても以前は律儀に守っていたが、最近ではそれにもこだわらなくなった。
 今回のエッセイの創作も途中まできて、今朝の新聞に目を通しているうちに、新聞のネタの中心して同じような論点で書けそうな気がしてきたので方向転換することにした。
 朝日(12月9日)のトップの見出しが ”GDPマイナス拡大” ”7~9月期 改善予測覆し年率換算で1.9%減”だと。何じゃこれは、である。
 
 アベノミクスで日本経済は好転し始めているとばかり思っていた。理由は、民間企業の設備投資、機械の受注等の落ち込みが広がり、公共投資も伸び悩んだからだと。
 円安が進み日経平均(12月初旬)だけは18000円を越えている。輸入が4割を超える食料品や原油は下がってきたとはいえ関連製品はじわじわ値上がりしている。吉野家の並牛丼が80円値上げの380円(27%値上げ)になる。それでも目標の物価上昇率2%到達はおぼつかないのだ。
 
 私のようなど素人にも、政府がアベノミクスの成功を自画自賛しているこの事態は、何かおかしいと感じる。消費マインドが落ち込み消費が伸び悩んでいる。それはそうだろう。”失われた20年”と言われ長い間デフレ不況で日本人は、質素で家計を守る生活パターンが身に付いてしまったのだ。
 
 20年といえば50歳代であった人も早や70歳代になっているのだ。何がしかの貯えはあっても、老後の保障のために貯めておく。もっと消費しろと、政府がカネや太鼓で鼓舞してもその気にはならない。わが身は自分で守らねばならないという感覚だろう。

 実際にはどうしても欲しい魅力的な商品がないのである。一般人の最も高額な買い物は、住宅とマイカーであろう。マイカーとて、登録台数では実用本位の軽自動車が普通乗用車とが同数になったそうだから、何をかいわんや、である。

ご存知のように、日本人の家計金融資産は国債発行残高の約1000兆円を越えて、なんと約1500兆円に上る。その大半を65歳以上の高齢者が保有しているという。これを生きた金として活用してはといっても、おいそれとはいかないだろう。しかしこれらの金融資産は、いずれ子どもや孫達に相続されるのだから、彼らの未来は明るいものといえないだろうか。若者が将来年金が貰えなくなると心配するがその必要はないのかもしれない(私流のマクロ的論法)。

 米国の中央銀行・FRB(連邦準備制度理事会)には、「物価が上がり過ぎないようにする」「インフレが進み過ぎないようにする」「失業率を抑える」というノルマがあり、最近では「インフレ率を抑えすぎてもいけない」が付け加えられたそうだ。
 
 日銀にはこういうノルマがないらしい。「物価を安定させる」ことが一応のノルマになっている程度である。したがって「物価が上がるのはダメだけど、下がるのはいいでしょう」ということで日銀があれこれ動いた結果、デフレ(さらにはデフレスパイダル)になったというのだ。これは、1997年に日銀法が改正され、日銀の独立性が大幅に高まった結果だとか

 ところで、世界で一人が1日1ドル以下で生活している貧困者数は、約12億人(世界人口68億人、17%)といわれている。日本の総人口の約10倍の人がわずか缶ジュース1本の金額で生活していることになる。

 今年のノーベル平和賞はインドのカイラシュ・サティヤルティ氏とパキスタンのマララ・ユスフザイ氏が受賞。世界では1億6800万人もの児童が教育を受けられず、貧困の連鎖が不幸をもたらしている。両氏とも学校教育を受けられない児童労働や女子の問題を取り上げ、貧困と無知の打破に勢力を注いでいる。
 授賞式のマララ氏のスピーチはとても17歳とは思えないくらいすばらしいものであった。いずれパキスタンを背負う民衆のリーダーになることが期待されるだろう。
 
 日本でもこれほどひどくはないが、子どもたちの環境は悪化しつつある。私たちの子供時分には考えられなかった児童虐待が増え、未処置の虫歯が多い子どもは要注意とされている。
 また増加する母子家庭では、貧困とともに子どもの環境悪化が社会問題になりつつある。東京豊島区のNPO法人は、親が仕事のために学童保育に通う児童たちがたった一人で夕食に菓子パン一個を食べているとして、夕食を一緒に食べる施設を立ち上げている。経済的な貧しさは、子どもたちが受けられる教育の問題に繋がり「貧困の連鎖」を生むのである。
 
 かって景気が良い時代には、日本人は一億総中流と言われたことがあった。ところがOECDの発表によると、先進国の中で相対的貧困率は日本が15.7%で米国の17.1%の次に悪いのである。私たちは、ともすると昔のイメージで日本は豊かな国だと捉えているかも知れない。しかし現実はそんなものではなくなっていることを再認識する必要がある。
 
 フォーチュン誌によると、2013年時点で全米上位500社のCEOは平均で一般労働者の204倍の報酬を得ているそうだ。その比率は、1950年では20倍、1980年では42倍、2000年では120倍というから恐ろしい勢いで格差が広がっているのだ。

 いつの時代にも、どこの社会にもあるのが差別である。米国は最も民主主義が進んだ国の一つだとされている。しかし口だけ、建前だけではないだろうか。最近の卑近な例でも警察官の黒人殺傷事件とその判決、またポーランド元大統領の証言による、CIAの拷問がポーランド内の施設で行われていた事実など、この手の話は枚挙に暇がないのである。
 
 さらに問題をかもし出しているのが格差社会である。先進国と発展途上国の格差は全体的に縮小している。しかしそれぞれの国の中では拡大し、貧困層が取り残されているのだ。
 人類が解決すべき大問題が、戦争から格差に変わってきたのである。

 格差があっても、下の階層の人たちが上をうらやましく思って頑張ろうとするなら、社会に活力が生まれ、結果的には格差は縮小してくる。「格差はあっても当然、頑張ってもしょうがない」と大勢が考えるようになったらどうなるか。
「貧乏人は貧乏人のままでいいや」と金持ちも貧乏人も思うようになったら日本もいよいよ、働かない人たちの多い発展途上国みたいになりかねない。

 昨今の報道から、相対的に若者に元気がないという中にその兆しを感じるのは私だけであろうか。平均的な若者が、留学や海外出張を拒否すると言うのだ。就活名で何十社も試験・面接を受け、挙句の果てに正規の社員になれれば御の字である。元気のない社会や親・大人を見て育ち、大きな夢を追えない個になってしまったのかもしれない。
 改めて経済が如何に個人にとっても社会にとっても大きな影響を与える存在であるかを認識するのである。

 最後にアフリカのマサイ族について触れる。マサイ族はケニア南部からタンザニア北部一帯の先住民である。人口は推定20~30万人といわれ、基本的には遊牧生活者である。
 一夫多妻で、牛が最も重要な財産で牛を持っていないと女性にも相手にされず結婚もできないらしい。マサイの男性は牛を飼育することと、視力3~4を使って牛を襲う猛獣を退治すること以外の仕事は一切女性任せだとか。
 
 最近のそのマサイ族がみんなスマートフォンを使っているそうだ。この話は、マサイ族と日本人のハーフ芸人、リロイ太郎が話しているからウソや誇張の話ではない。
 槍を持ったマサイビレッジの人々は街に牛を売りに行き、高く買ってもらえるよう、いつもスマホで牛の値段をチェックしているのだそうだ。
 
 あのジャラジャラした伝統衣装からマサイ族の人がスマホを取り出しているのは格好いいものだ。今の世界はこうなっているのかと驚き、時代に取り残されている私である。
 
 了