エッセイ:「そうだったのか・韓国の反日(30)」2013.11
世界には三大料理あるいは四大料理と呼ばれるものがあるらしい。いろんな説があるが、一般的にはフランス料理、中華料理、イタリア料理それにトルコ料理をいうらしい。
ところが、反日外交ではあらゆることで日本のことにケチをつける韓国が、日本料理を世界の四大料理として認めているのだから不思議だ。それは韓国人が世界で最も日本料理が好きで、世界で日本料理の最も多いのが韓国だからかもしれない。
韓国人は、あらゆるものを自国が世界やアジアで何番目かというランキングを付けるのが好きである。あくなき競争心が韓国発展の原動力だ。特に日本より上か下かの比較は韓国人にとっては「元気の素」になっているのだ。
そこに登場してきたのが、「韓国料理の世界化、五大料理化に」のキャンペーンである。「日本にやれて我々にやれないことはない」料理文化においても日本を意識することで「世界化」の議論が始まった。
そのきっかけは、仏の「ミシュラン・ガイドブック」のトップクラスに日本の料理店がたくさん登場したことである。日本料理では寿司への国際評価の高さが韓国人の目にとまった。そこで代表的な韓国料理の「ビビンバ」を世界に売り出そうと国を挙げてキャンペーンが展開され始めた。
これに対して日本の一部の専門家からは大丈夫なのかと疑問の声も。ビビンバの専門シェフ(職人)などはいない。いたとしても誰も評価しない。ビビンバ作りに何十年とか、親子代々のビビン屋などはあり得ない。
ビビンバとは残りものをかき集めてご飯の上に並べ、スプーンでかき混ぜて食べるのである。韓国ではビビンバをはじめご飯をスプーンで食べる。アジアでも特異である。欧米ではスプーンはスープを飲むためのものである。韓国が吹聴している宮廷料理などとはおこがましいと云うのである。
これに反し、日本の寿司職人は何千何万人もいる。その道一筋ですしを握り、客はそれを高く評価し、日本文化として日本社会で確固たる地位を築いているのだ。普通の人の寿司に対する日常的な愛情と熱意が、結果的に海外進出につながったわけである。韓国が意図しているキャンペーンなどによらず、寿司文化や美味しさの評価を得たのである。
いずれにしても、世界の消費者からビビンバの味や文化がどう評価、判断されるかということである。日本料理にそれほど対抗意識を燃やしても意味がない。韓国人は相手が日本であると必要以上に燃える悪癖がある。
私は韓国のことをロクに知りもしないで、情緒的なエッセイをいくつか書いてきた。それはそれで平均的な日本人の心情を表わしたものだと思っている。
しかし、韓国通として知られる黒田勝弘氏(71歳、履歴:文末)の「韓国反日感情の正体」を読んで、私の心のもやもやとしたものが吹き飛とんだ。今回のエッセイは黒田氏の話を紹介しながら、私なりに「そうだったのか、韓国の反日」をテーマとして書いたものである。
もちろん、昨今の韓国の言動に対して何のこだわりも怒りも感じない方には悪しからず。
韓国との付き合いが40年以上、韓国での実生活が約30年、韓国社会から日本の右翼と言われている黒田氏は、「韓国社会では日常的には反日を感じさせられることは実はほとんどない。メディアにあふれる不愉快な反日さえ知らなければ、日常的には反日は無い(?)に等しい。テレビや新聞を見なければこんな楽しい国はない」という。
「今や街には反日は無い。無いどころか、若者街ではカタカナやひらがなの看板がカッコいいと堂々と目につくところに出ている。日本語をしゃべっていてもだれも振り向かない。日常生活で日本拒否の現象など全く見当たらない」。
「過去(日帝・反日)は遠くなり、現実感はなくなった」。現実の日本情報が広範に流通している。今や過去情報と現実情報は量的に逆転している。韓国社会では反日はもはや風化してしまったかに見える。
韓国国民は大きく分けて、大衆と知識人(メディア等)に分けられる。日本では知識人は親韓で、大衆は嫌韓だったと言える。これに反して韓国では、知識人は反日で大衆は親日だった。韓国の知識人は、「過去を忘れてはならない。日本は警戒すべき」とお説教を続けてきた。韓国の反日にはそういう実態があるのである。
韓国大衆が日本に対する反日を風化させていることにイラ立ちを募らせている。だからいわば意地になって反日をやっていると言うべきかもしれない。日本観をめぐって「大衆と知識人」の乖離が目立つということだ。
李王朝時代(約500年間)以来、韓国社会を支配してきた知識エリート・文人(知識人)は、民を諭し(さとし)、導く啓蒙的役割を与えられているため、その主張はいつも「べき論」である。そこでは「ある姿」よりも、原理、原則、理想、理念に基づく「あるべき姿」の方が重要となるのである。
韓国のメディアがなぜあんなに反日なのかも、そこから説明できる。
韓国では、メディアは言論界と言われ、日本のメディアのような単に情報を伝達する報道機関ではなく、それ以上に物事を「論」ずる媒体なのである。「論」とはこうあるべきだと言うことを主張することである。したがって、韓国のメディアは本来、客観より主観を重視してきた。これがメディアの役割と信じられているのである。民を輸し善導すると言うのは啓蒙的で教育的だからしばしば扇動的になる。結果的にメディアは反日を教育し扇動していることになるのだ。
私がこれまで韓国メディアの反日の異常さに驚き、振り回されていた根っこのところがやっと理解できた。日本の常識は世界の非常識と揶揄されているが、それにもまして韓国の常識を日本の常識で測っていた。理解しようと思っても無理があったのだ。今の日本人が度量衡をヤード・ポンドや尺貫法では理解できないようなものである。
韓国のメディア、知識人が反日を叫んでも大衆はそれに対して反対、反論はしない。「反日はもういいじゃないか」と思っていても、世論調査では圧倒的に「日本は嫌い」と応える。李王朝以来、大衆は権力には反論し、楯をつかない方がベターだということを実感しているからだろう。
韓国人の歴史観というのは、歴史を「あった歴史」より「あるべき歴史」だということである。「こうあるべき歴史」としては朝鮮総督府の建物などあってはならないのだ。「あった歴史」を消してしまうことである。日本人は重要なものであれば歴史の象徴、生き証人として保存することを考えるはずだ。
韓国人にとって悔しいのは、植民地にされたことだけではない。自力で独立できず、戦後も戦勝国として認められなかったことが今になってトラウマなのだ。
元慰安婦は、日帝への協力者ではあるが抵抗者として復権、反日運動の先頭に立たされているのである。彼女たちの「独立有効者」への変身は韓国人の「あった歴史」より「あるべき歴史」が重要という典型的な産物である。
竹島問題は韓国にとってはもはや領土問題ではない。韓国史の見果てぬ対日独立戦争になっているということである。韓国の日本に対する鬱憤は日本に支配されたことより、その支配を自力で打ち破ることが出来なかったことである。韓国は竹島を舞台に日本と“疑似戦争”を展開しているのだ。この「戦いの気分」がまさに竹島問題の核心である。
「日本が奪いに来る」「独島を守れ」と叫んで独り相撲のように騒ぐのはその性である。日本を盛んに挑発しているのだ。韓国軍のあらゆる装備を投入して日本相手の模擬戦争を展開するのだ。
そう言われてみれば、海上保安庁、自衛隊はピクリとも反応していないのに、小さな岩礁に仰々しく韓国軍を投入した殺気立った警備には「そうだったのか・韓国の反日」と思いたくなる。
韓国のメディアでは毎日のように日本、日本で日本が登場しない日はないといってよい。
反日の一方で「日本に学べ」、何か問題が起こると「日本はどうやったか」となり今も続いている。高齢化先進国の日本の現状に対する認識は強い。特に韓国のマスコミは日本の「65歳定年制導入」を一斉に取り上げている。観光や留学で日本を訪れた若者は、秩序、清潔、親切の3点を指摘する。女性達は安全とクリーンとソフトを挙げる。
それでもマスコミは、日本が国際社会で問題になったり、批判、非難されたり、難しい状況になったりすると、韓国に関係なくても大書特筆される。これは永遠の快感?なのであろう。日常的には「日本の失敗は、韓国のよろこび」なのだから。
韓国人は自らを「ハン(恨み)の多い民族」という。したがって、韓国人は「恨みの文化」ということになる。いつまでも過去を持ちだして日本を非難し、限りなく「謝罪と反省」を要求し続ける姿は「うらみがましく」見える。
「日本を打ち負かしたい、日本と戦って勝ちたい」日本に勝ってこそハンプリ(ウラミを解消)は終了する。日本が相手だと普段でない力が出る。文字通り日本は「元気の素」である。「見果てぬ夢」である対日独立戦争を今スポーツの舞台にやっていることになる。からと言って、キム・ヨナが浅田真央に勝ったとしても本物の独立戦争にならないから物足りない。もっと歴史がらみの直接的な対日独立戦争イメージが欲しくなる。
それが竹島問題、慰安婦問題やサッカーなどのスポーツの試合で日本人が相手だと国民を熱狂させるのである。国を挙げてのスポーツ・ナショナリズムで興奮できるのである。
「日本支配を自力で打ち破れなかった」という歴史的トラウマが大きい。これは極端なことを言って、韓国が日本と戦争をして勝たない限り癒されないのである。
地震の少ない韓国では、「日本沈没」という言葉が普通名詞のように使われている。小松左京のSF小説「日本沈没」が人気で、島国の日本はいつか沈没する、これが韓国人の快感なのである。阪神・淡路大震災の時も「日本沈没」の快感からか「ざまみろ」的な声がネットに数多く登場したと。東日本大震災の際も一部メディアが「日本沈没」で同じ報道をしたのである。日本のメディアが仮にこのようなパフォーマンスをとったとすれば、国民から猛烈な非難を受け、見放されるだろう。
しかし、さすがの韓国人も被害者の秩序を保った冷静沈着な様子を称賛したと。数日後、救い出されたお婆さんの第一声「ご迷惑をおかけしてすみませんせした」が他者への配慮だったことに韓国人は驚き、日本人の“美徳”だとして話題になったのである。それはそうだろう。韓国人の場合、悲劇を悲しむ肉親や家族は大声で事態を非難し,慟哭し、果ては激情のあまり時には失神もする。日本人とは対照的なのである。
産経新聞(2013年10月16日、スクープ)の「元慰安婦報告書、ずさん調査」の記事を端緒に、「なでしこアクション」(山本優美子代表)という歴史を次世代につなぐネットワークが、元官房長官の河野洋平氏に内容証明付きで公開質問状を送った。米国ではすでに日本の子供たちに「イジメの実害」が起きている。公開質問状には米国で活動する「日本人の子供を守る母の会」(豊田育代代表)の抗議文も添付されている。
日本軍の「性奴隷」が世界で非難されている。それはずさんな調査(証言の人選は韓国側が行った)で慰安婦の強制性を認めた「河野談話」(1993年8月)にあるとするものだ。
そもそも第二次世界大戦当時、公娼婦制度は合法。慰安婦は世界各国にいた戦時売春婦で、当時の日本兵の数十倍の高給を得ていたとされる。批判を恐れないで言うと、現在次々に発覚するホテルやデパート料理の表記偽装と似ている。慰安婦制度は世界中でどこでも大なり小なり堂々と行われていた制度である。
それが証拠に韓国では世界的に有名な公娼の妓生(キーセン)制度があったではないか。
しかも朝鮮戦争後に米国を中心とする連合軍兵士を主に対象とした公娼だとも聞く。
韓国の朴大統領はヒステリックに日本軍による「性奴隷」などと世界中で日本を批判している。あろうことか、先日歴訪中のEUでは訪問国で「安部総理と会談しても得るものはない。会談しない方がよい」とまで言い切る。これが一国の大統領の外交センスだとすればなんと正直で軽薄な人物だろうか。
日本の有識者によると、「朴大統領は、経済的にも外交的にも行き詰まりつつある。『反日』しか生きる道はなく、常軌を逸した日本批判・日本攻撃を続けている」と。
知っての通り、一部の例外を除いて韓国の大統領は、「命乞い」のように反日を唱えるが、引退後の末路はことごとく悲惨で哀れなものになる。
朴大統領は就任以来ずうっと「命乞い」を続けているようで、私には哀れに思えるのだ。
了
黒田勝弘:(京大卒、元共同通信ソウル支局長、元毎日新聞ソウル支局長、菊池寛賞、
ボーン上田記念国際記者賞、日本記者クラブ賞等受賞)、著書「韓国の反日感情の正体」他多数。
世界には三大料理あるいは四大料理と呼ばれるものがあるらしい。いろんな説があるが、一般的にはフランス料理、中華料理、イタリア料理それにトルコ料理をいうらしい。
ところが、反日外交ではあらゆることで日本のことにケチをつける韓国が、日本料理を世界の四大料理として認めているのだから不思議だ。それは韓国人が世界で最も日本料理が好きで、世界で日本料理の最も多いのが韓国だからかもしれない。
韓国人は、あらゆるものを自国が世界やアジアで何番目かというランキングを付けるのが好きである。あくなき競争心が韓国発展の原動力だ。特に日本より上か下かの比較は韓国人にとっては「元気の素」になっているのだ。
そこに登場してきたのが、「韓国料理の世界化、五大料理化に」のキャンペーンである。「日本にやれて我々にやれないことはない」料理文化においても日本を意識することで「世界化」の議論が始まった。
そのきっかけは、仏の「ミシュラン・ガイドブック」のトップクラスに日本の料理店がたくさん登場したことである。日本料理では寿司への国際評価の高さが韓国人の目にとまった。そこで代表的な韓国料理の「ビビンバ」を世界に売り出そうと国を挙げてキャンペーンが展開され始めた。
これに対して日本の一部の専門家からは大丈夫なのかと疑問の声も。ビビンバの専門シェフ(職人)などはいない。いたとしても誰も評価しない。ビビンバ作りに何十年とか、親子代々のビビン屋などはあり得ない。
ビビンバとは残りものをかき集めてご飯の上に並べ、スプーンでかき混ぜて食べるのである。韓国ではビビンバをはじめご飯をスプーンで食べる。アジアでも特異である。欧米ではスプーンはスープを飲むためのものである。韓国が吹聴している宮廷料理などとはおこがましいと云うのである。
これに反し、日本の寿司職人は何千何万人もいる。その道一筋ですしを握り、客はそれを高く評価し、日本文化として日本社会で確固たる地位を築いているのだ。普通の人の寿司に対する日常的な愛情と熱意が、結果的に海外進出につながったわけである。韓国が意図しているキャンペーンなどによらず、寿司文化や美味しさの評価を得たのである。
いずれにしても、世界の消費者からビビンバの味や文化がどう評価、判断されるかということである。日本料理にそれほど対抗意識を燃やしても意味がない。韓国人は相手が日本であると必要以上に燃える悪癖がある。
私は韓国のことをロクに知りもしないで、情緒的なエッセイをいくつか書いてきた。それはそれで平均的な日本人の心情を表わしたものだと思っている。
しかし、韓国通として知られる黒田勝弘氏(71歳、履歴:文末)の「韓国反日感情の正体」を読んで、私の心のもやもやとしたものが吹き飛とんだ。今回のエッセイは黒田氏の話を紹介しながら、私なりに「そうだったのか、韓国の反日」をテーマとして書いたものである。
もちろん、昨今の韓国の言動に対して何のこだわりも怒りも感じない方には悪しからず。
韓国との付き合いが40年以上、韓国での実生活が約30年、韓国社会から日本の右翼と言われている黒田氏は、「韓国社会では日常的には反日を感じさせられることは実はほとんどない。メディアにあふれる不愉快な反日さえ知らなければ、日常的には反日は無い(?)に等しい。テレビや新聞を見なければこんな楽しい国はない」という。
「今や街には反日は無い。無いどころか、若者街ではカタカナやひらがなの看板がカッコいいと堂々と目につくところに出ている。日本語をしゃべっていてもだれも振り向かない。日常生活で日本拒否の現象など全く見当たらない」。
「過去(日帝・反日)は遠くなり、現実感はなくなった」。現実の日本情報が広範に流通している。今や過去情報と現実情報は量的に逆転している。韓国社会では反日はもはや風化してしまったかに見える。
韓国国民は大きく分けて、大衆と知識人(メディア等)に分けられる。日本では知識人は親韓で、大衆は嫌韓だったと言える。これに反して韓国では、知識人は反日で大衆は親日だった。韓国の知識人は、「過去を忘れてはならない。日本は警戒すべき」とお説教を続けてきた。韓国の反日にはそういう実態があるのである。
韓国大衆が日本に対する反日を風化させていることにイラ立ちを募らせている。だからいわば意地になって反日をやっていると言うべきかもしれない。日本観をめぐって「大衆と知識人」の乖離が目立つということだ。
李王朝時代(約500年間)以来、韓国社会を支配してきた知識エリート・文人(知識人)は、民を諭し(さとし)、導く啓蒙的役割を与えられているため、その主張はいつも「べき論」である。そこでは「ある姿」よりも、原理、原則、理想、理念に基づく「あるべき姿」の方が重要となるのである。
韓国のメディアがなぜあんなに反日なのかも、そこから説明できる。
韓国では、メディアは言論界と言われ、日本のメディアのような単に情報を伝達する報道機関ではなく、それ以上に物事を「論」ずる媒体なのである。「論」とはこうあるべきだと言うことを主張することである。したがって、韓国のメディアは本来、客観より主観を重視してきた。これがメディアの役割と信じられているのである。民を輸し善導すると言うのは啓蒙的で教育的だからしばしば扇動的になる。結果的にメディアは反日を教育し扇動していることになるのだ。
私がこれまで韓国メディアの反日の異常さに驚き、振り回されていた根っこのところがやっと理解できた。日本の常識は世界の非常識と揶揄されているが、それにもまして韓国の常識を日本の常識で測っていた。理解しようと思っても無理があったのだ。今の日本人が度量衡をヤード・ポンドや尺貫法では理解できないようなものである。
韓国のメディア、知識人が反日を叫んでも大衆はそれに対して反対、反論はしない。「反日はもういいじゃないか」と思っていても、世論調査では圧倒的に「日本は嫌い」と応える。李王朝以来、大衆は権力には反論し、楯をつかない方がベターだということを実感しているからだろう。
韓国人の歴史観というのは、歴史を「あった歴史」より「あるべき歴史」だということである。「こうあるべき歴史」としては朝鮮総督府の建物などあってはならないのだ。「あった歴史」を消してしまうことである。日本人は重要なものであれば歴史の象徴、生き証人として保存することを考えるはずだ。
韓国人にとって悔しいのは、植民地にされたことだけではない。自力で独立できず、戦後も戦勝国として認められなかったことが今になってトラウマなのだ。
元慰安婦は、日帝への協力者ではあるが抵抗者として復権、反日運動の先頭に立たされているのである。彼女たちの「独立有効者」への変身は韓国人の「あった歴史」より「あるべき歴史」が重要という典型的な産物である。
竹島問題は韓国にとってはもはや領土問題ではない。韓国史の見果てぬ対日独立戦争になっているということである。韓国の日本に対する鬱憤は日本に支配されたことより、その支配を自力で打ち破ることが出来なかったことである。韓国は竹島を舞台に日本と“疑似戦争”を展開しているのだ。この「戦いの気分」がまさに竹島問題の核心である。
「日本が奪いに来る」「独島を守れ」と叫んで独り相撲のように騒ぐのはその性である。日本を盛んに挑発しているのだ。韓国軍のあらゆる装備を投入して日本相手の模擬戦争を展開するのだ。
そう言われてみれば、海上保安庁、自衛隊はピクリとも反応していないのに、小さな岩礁に仰々しく韓国軍を投入した殺気立った警備には「そうだったのか・韓国の反日」と思いたくなる。
韓国のメディアでは毎日のように日本、日本で日本が登場しない日はないといってよい。
反日の一方で「日本に学べ」、何か問題が起こると「日本はどうやったか」となり今も続いている。高齢化先進国の日本の現状に対する認識は強い。特に韓国のマスコミは日本の「65歳定年制導入」を一斉に取り上げている。観光や留学で日本を訪れた若者は、秩序、清潔、親切の3点を指摘する。女性達は安全とクリーンとソフトを挙げる。
それでもマスコミは、日本が国際社会で問題になったり、批判、非難されたり、難しい状況になったりすると、韓国に関係なくても大書特筆される。これは永遠の快感?なのであろう。日常的には「日本の失敗は、韓国のよろこび」なのだから。
韓国人は自らを「ハン(恨み)の多い民族」という。したがって、韓国人は「恨みの文化」ということになる。いつまでも過去を持ちだして日本を非難し、限りなく「謝罪と反省」を要求し続ける姿は「うらみがましく」見える。
「日本を打ち負かしたい、日本と戦って勝ちたい」日本に勝ってこそハンプリ(ウラミを解消)は終了する。日本が相手だと普段でない力が出る。文字通り日本は「元気の素」である。「見果てぬ夢」である対日独立戦争を今スポーツの舞台にやっていることになる。からと言って、キム・ヨナが浅田真央に勝ったとしても本物の独立戦争にならないから物足りない。もっと歴史がらみの直接的な対日独立戦争イメージが欲しくなる。
それが竹島問題、慰安婦問題やサッカーなどのスポーツの試合で日本人が相手だと国民を熱狂させるのである。国を挙げてのスポーツ・ナショナリズムで興奮できるのである。
「日本支配を自力で打ち破れなかった」という歴史的トラウマが大きい。これは極端なことを言って、韓国が日本と戦争をして勝たない限り癒されないのである。
地震の少ない韓国では、「日本沈没」という言葉が普通名詞のように使われている。小松左京のSF小説「日本沈没」が人気で、島国の日本はいつか沈没する、これが韓国人の快感なのである。阪神・淡路大震災の時も「日本沈没」の快感からか「ざまみろ」的な声がネットに数多く登場したと。東日本大震災の際も一部メディアが「日本沈没」で同じ報道をしたのである。日本のメディアが仮にこのようなパフォーマンスをとったとすれば、国民から猛烈な非難を受け、見放されるだろう。
しかし、さすがの韓国人も被害者の秩序を保った冷静沈着な様子を称賛したと。数日後、救い出されたお婆さんの第一声「ご迷惑をおかけしてすみませんせした」が他者への配慮だったことに韓国人は驚き、日本人の“美徳”だとして話題になったのである。それはそうだろう。韓国人の場合、悲劇を悲しむ肉親や家族は大声で事態を非難し,慟哭し、果ては激情のあまり時には失神もする。日本人とは対照的なのである。
産経新聞(2013年10月16日、スクープ)の「元慰安婦報告書、ずさん調査」の記事を端緒に、「なでしこアクション」(山本優美子代表)という歴史を次世代につなぐネットワークが、元官房長官の河野洋平氏に内容証明付きで公開質問状を送った。米国ではすでに日本の子供たちに「イジメの実害」が起きている。公開質問状には米国で活動する「日本人の子供を守る母の会」(豊田育代代表)の抗議文も添付されている。
日本軍の「性奴隷」が世界で非難されている。それはずさんな調査(証言の人選は韓国側が行った)で慰安婦の強制性を認めた「河野談話」(1993年8月)にあるとするものだ。
そもそも第二次世界大戦当時、公娼婦制度は合法。慰安婦は世界各国にいた戦時売春婦で、当時の日本兵の数十倍の高給を得ていたとされる。批判を恐れないで言うと、現在次々に発覚するホテルやデパート料理の表記偽装と似ている。慰安婦制度は世界中でどこでも大なり小なり堂々と行われていた制度である。
それが証拠に韓国では世界的に有名な公娼の妓生(キーセン)制度があったではないか。
しかも朝鮮戦争後に米国を中心とする連合軍兵士を主に対象とした公娼だとも聞く。
韓国の朴大統領はヒステリックに日本軍による「性奴隷」などと世界中で日本を批判している。あろうことか、先日歴訪中のEUでは訪問国で「安部総理と会談しても得るものはない。会談しない方がよい」とまで言い切る。これが一国の大統領の外交センスだとすればなんと正直で軽薄な人物だろうか。
日本の有識者によると、「朴大統領は、経済的にも外交的にも行き詰まりつつある。『反日』しか生きる道はなく、常軌を逸した日本批判・日本攻撃を続けている」と。
知っての通り、一部の例外を除いて韓国の大統領は、「命乞い」のように反日を唱えるが、引退後の末路はことごとく悲惨で哀れなものになる。
朴大統領は就任以来ずうっと「命乞い」を続けているようで、私には哀れに思えるのだ。
了
黒田勝弘:(京大卒、元共同通信ソウル支局長、元毎日新聞ソウル支局長、菊池寛賞、
ボーン上田記念国際記者賞、日本記者クラブ賞等受賞)、著書「韓国の反日感情の正体」他多数。