板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

弥生・時事川柳

2012-03-29 19:48:30 | 川柳(時事)




12弥生・川柳  2012.03


1.絵に描いた机上の八策はしゃぐ今
    1策でも難しいのに八策は

2.東電を極悪人に仕立て上げ
    経産省、国有化狙う悪知恵

3.職張った元官僚を拾う神
    元経産省古賀氏の起死回生

4.友愛に未練残して鳩迷い
    何のための中国訪問

5.ニャーオ(ワ)ンと小判くわえ猫五輪
    カンボジア人・猫ひろし

6.維新会カルチャー並みのチルドレン
    応募数と質は?

7.お願いも脅しがつけばもうヤクザ
    東電の値上げ契約
 
8.嘘八百何とでも言える公聴会
    年金喪失のJIS社長

9.勝手な理屈先入れ先出し慰安旅行
    習志野警察、慰安旅行優先

10.ゴロゴロがコロコロ負ける大関陣
    満員御礼・鶴竜でもつ




エッセイ「どうして空気ばかり読むのか」 2012.03

2012-03-22 20:18:01 | エッセイ



エッセイ:「どうして空気ばかり読むのか(11)」 2012.03
板井省司

「これは、なんだ。地震の直後、仙台市内に押し寄せる津波。TVで目の当たりに見た衝撃的な光景だ。家も、畑も、田んぼも、車も、飛行機も、あらゆるものが巨大な大蛇に飲み込まれていく。頭の中では分かっていたつもりでいたが、現実に起こった状況に身体の震えが止まらなかった」。さらに三陸海岸一帯も津波の破壊に見舞われる恐ろしい生き地獄であった。

追い打ちをかけたのが福島第一原発の電源喪失による機能不全に陥った放射能漏れ事故である。大地震・津波は天災であって日本で生きている限り、必ず起こるものと覚悟をしておかなければならない。しかし、安全で低コスト、クリーンなエネルギーであると、いいことづくめでもてはやされた原発事故は人間の欲・油断・いい加減さが生み出した人災である。
ところが、原子力専門家でも影響力のある委員の中には、この後に及んでも福島原発の事故は特別なケースであり、一般には原発は安全であると言ってはばからない御用学者がいるのである。
一昔前、水洗処理がなかったころ、我々の人糞は厠(かわや)の中からくみ取り、「肥ため」に集めるか、海洋投棄をせざるを得なかったのである。「肥ため」のものは腐敗を待って畑にまいたものだ。その臭いは強烈であったが、有機の人糞は時間が経てばある意味消滅してしまうから問題はなかった。

これに比べて原発の放射能廃棄物は処理の方法がなく、年々山積みにされて行くだけである。検討されているのは、ガラスで固化し、金属容器に入れて地下300メートルに敷設する「地層処分」である。
しかし、これも地元住民らの承諾を得て実現するのはいつになるのか見当もつかない。またこの方法も10万年の安全を如何に保証出来るかと云う 問題を突き付けている。
「トイレのないマンション」と揶揄されてきた原発と核燃料サイクル体系は改めてその成否を問われているのである。


 
欧米では天災時や貧困に対して教会等が対象者にいち早く手を差し伸べているのを見ることが多い。ところが日本の仏教を中心とする宗教団体では一部を除いてほとんどそういう光景を見かけないのである。
うがった見方をすると、寺にお布施をくれる檀家ではない人びとに関心を持たず、余計なお節介もしない。余計なことをすると檀家にソッポを向かれることが心配なのだろうか。
さらには井の中に閉じこもって布教心も人助けも忘れてしまったのだろうか、と不思議に思っていた。

ところが、久々に日本の仏教会が動いたのである。私はどの宗教にも加担しない主義であるが、この全国仏教協会の動きに注目するのである。
全国仏教会が「脱原発宣言」を発表した。政治的発言を控えて来た同会としては異例のことだ。「誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばねばならない」と明言している。
「日中・太平洋戦争で仏教会は何をしたか。戦争反対の声を上げずに、信徒から集めた寄付金で、軍に戦闘機を送ったこともあった。それでも戦後は懺悔もしていない。あの戦争の時、国家に順応して戦争に協力してきたことと、原発問題に口を閉ざす雰囲気が重なる。
運命の尊厳を唱える仏教者として原発は持ってはいけないものだ。生活のあり方を見直して、原発を必要としない社会を目指すべきだ。」戦争中、多くの仏教者が口を閉ざしたことを反省し、今こそ原発問題で刷新すべきだと。

一方、「独立検証委員会」の北沢宏一委員長は「原子力ムラ」の体質を厳しく指摘した報告書を出した。「原発の安全神話」による自縄自縛が生まれていた。なぜこれ以上の安全策が必要なのかと云う論理だ。
一人ひとりは安全対策に問題があると思っていたが、自分が何かを言ってもどうしょうもないと、みんなが空気を読みあっていたと。空気を読むことが日本の社会で不可避であるとすれば、そのような社会は原子力のようなリスクの高い大型で複雑な技術を安全に運営する資格はない。世の中の空気を読んで口を閉ざす。その愚を繰り返してはならない。
宗教家と科学者が説く原発事故の教訓である。(政治「考」朝日新聞編集委員:星浩)

卑近な例は、東電が電気料金値上げを4月1日から実施するにあたって、契約者に一方的に値上げ要請を突き付けてきたことである。いやなら他の電力会社と契約をしてくれと云う「騙し討ち」の脅し文句であった。
さすがに一部のマスコミが契約期間中には値上げに応ずる必要がないと、騒いだため東電は釈明し「その通り」と頭を下げたのだ。

私を含めて日本人は従順である。権威からのお達しは素直に受ける。それがたとえ理不尽であっても自らは正面切って反論しない気質である。
そしていつも「物言わねば腹膨る(心に思っていることを言わないでいると不満が溜まり、腹が張ったようで不快である)」を味わっているのである。



「謎かけクイズ(4)」  2012.03

2012-03-18 22:39:31 | 謎かけクイズ



「謎かけクイズ」(4) 2012.03
    

1.入学試験カンニング  とかけて:   壊れた電子レンジ  ととく
              その心は:   *どちらも 回答(解凍)が出来ず

2.選抜高校野球開会式  とかけて:   宇宙ステーションの搭乗員  ととく
           その心は:   *行進(交信)をする

3.船中八策       とかけて:   心肺能力をつけるトレーニング  ととく
             その心は:   *高知(高地)である 

4.花粉症        とかけて:   放射能汚染 ととく
             その心は:   *飛散(悲惨)から逃げられない

5.ひな人形       とかけて:   温室ビニールハウス  ととく           
             その心は:   *すくすくと育てたい

 
6.消費税       とかけて:   バレーのセッターが上げたボール ととく
             その心は:   *直ぐに叩く

7.余震・予震      とかけて:   突然プロポーズされた恋人  ととく                        
             その心は:   *本震(本心)が読めない 
   
9.想定外        とかけて:   へぼ将棋の王様  ととく                          
             その心は:   *逃げの一手

10.原発稼働中止    とかけて:  検察から取り調べを受ける冤罪者 ととく      
             その心は:   *ストレスに対処出来ない

11.大津波        とかけて:   銀座に開店したユニグロの客  ととく
             その心は:   *予想外に押し寄せる

12. ドラフト契約金額  とかけて:   消費税反対を叫ぶ自民党  ととく         
              その心は:  *表向きの綺麗ごと     

エッセイ:「百歳のパワー」2012・03

2012-03-06 22:48:19 | エッセイ



エッセイ:「百歳のパワー」2012.03(10)
板井省司

約40年前(1970年頃)、ある料亭で行われた会合を思い出す。50歳代の医師とお付きの医師をゲストとし、当社に対して業務上のアバイスをお願するというようなものであった。もちろん私は末席で小さくなっていた。お相手はかの有名な現・聖路加国際病院理事長・名誉院長であり100歳の現役医師・日野原重明氏であった。

私の日野原医師に対する印象は世間で言われている医師とは全く違っていた。彼の主たる話の内容は、その当時誰もが本気で考えもしないことであった。そんなことは理想論で夢のまた夢だと思っていたことを青年のようにとうとうと話すのである。
私は診療する側の医師がそんな悠長なことでいいのかなと思って聞いていたくらいであった。

当時日本は高度経済成長の真っただ中にあって、産業界も医療機関等もただひたすら拡大と利潤追求に邁進していた。国民もそれに便乗して正に行け行けドンドンという狂乱のような世界、時代であった。40年前に、今日では当たり前のように行われている医療の世界のあるべき姿を日野原医師が洞察していたことを感慨深く思い出しながら認(したた)めてみた。

医療も技術、科学的側面が強くなり「病気は治ったが患者は死んだ」と云う状態が問題となっていた。そこに患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ、生活の質)を維持・向上させることが医療には必要ではないか。例えば末期ガンの患者の痛みを和らげ、余生を穏やかにおくらせる終末医療(ターミナル・ケア)は患者本人は無論家族にとっても大事なことである。末期ガンの痛みを主とする肉体的苦痛は大変なものでモルヒネなどの麻薬は使っていなかった時代である。
日野原医師の提言は当時の終末医療の在り方を考え直すことだった。ガン患者は外科手術の進歩と、次々に開発される抗癌剤による医療で正にモルモット的であり、その副作用に苦しんでいた。


人間は言葉によって自分の置かれた立場を無意識のうちに修正してしまうものである。今日では当たり前のように使われている「生活習慣病」と云う言葉がある。糖尿病、高血圧症、癌、高コレステロール症、通風、肥満症(メタボ)などは、以前はひと括りで「成人病」と云われていたものである。言葉通り「成人病」とは歳をとると誰でもなる、罹患する頻度が高くなって当たり前と云う概念であった。
ところがこの「生活習慣病」という言葉を普及させたのが日野原重明医師である。「成人病とはとんでもない」この言葉の普及によりこれらの病気の責任は患者である。今日では当たり前のように、自らの悪い習慣が原因で「生活習慣病」になったと誰もが認識するようになったのである。

生活習慣病に関する書籍は、巷のブックストアーに行けば何十種類もあり、またメタボ対策の料理本も同様である。最近では脂肪体重計のトップメーカである「タニタ」の社員食堂の料理とレシピがそこの栄養士とともに有名となっている状況である。
これほど日本国民の健康、医療の発展・啓蒙に貢献した医師も少ないであろう。

さて、日野原医師は「100歳私の証、あるがまヽ行く」の中で2000年に「新老人の会」を発足させたのは「新老人」が世界を変えるいうものである。「老人」や「高齢者」と呼び名が現役で社会に貢献できる人に、不必要な劣等感を与えると考えてのことだ。

「愛し、愛されること」「創(はじ)めること」「耐えること」が三つの標語。これに加えて、日本人が長く用いて来た世代別の呼称の定義を次のように変えて、各世代を若返られせることを提言している。

少年:5~17歳
青年:18~34歳(選挙権は18歳に変更)
壮年:35~74歳(定年は75歳に変更)
老年:75~99歳
百歳者(センテナリアン):100歳以上

医療制度では75歳以上を一律後期高齢者としている。提唱したことは、決して机上の空論ではなく、世界に広がりつゝあり、新たな日本社会の実現に向けての大きな原動力になると。

私見であるが、日本の少子高齢化は止めようがないところまで来ているが、ならばどうするかだ。国(役人や国会議員)は今になって慌てふためき、育児施設の待機待ちをなくす、育児休暇を取りやすくする、子供手当の支給などの場当たり的な施策を考えているようだ。しかしそれだけの効果では50年かかっても出生率が2.0には回復しない限定的なものであろう。
日野原医師の提唱する世代別の呼称に定義を改めて、高齢者(壮年)に定年制の延長を含めてもっと社会に貢献できるようにすることの方がはるかに現実的であるように思うがどうだろうか。

日野原医師の手帳には103歳まで予定がぎっしりで、なかなかアポイントが取れないらしい。1970年「よど号」ハイジャック事件に遭遇し、「これからの人生は与えられた人生だから、人のために身をささげようと決心した」と解放時の心境を語っている。
睡眠時間は5時間、病院ではマスコミに健康の秘訣の一つと報道した手前、エレベータを使わないという。著書は共著や翻訳本を入れると数百種になるともいう。

日本は世界に類を見ない高齢化社会になり、騎馬戦から肩車の世の中に入っていく時代である。百歳者(センテナリアン)から肩車をしてもらなければ国家の組織が機能して行かないというのも情けない話である。
国民の幸せを願い、「新老人」まで提案して行く百歳者をまざまざと見るにつけそのパワーに驚きいる次第である。