板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

3月・弥生・川柳

2014-03-29 13:06:12 | 川柳(時事)
3月・弥生・川柳


1.目を見たら作り笑いと器量バレ
    パククネ大統領

2.残さずにドンブリ飯が食える春
税金を使うのが仕事

3.併合はソ連にまかせりゃよかったの?
歴史認識の差

4.竜が舞い鶴が飛び立つ大草原
横綱鶴竜

5.セッカチに行方不明が死亡となり
    マレーシア、東北いまだに行方不明

6.みんなの党実は一人の党だった
渡辺党首の個人借金

7.倫理観乏しい人がなりたがる
    政治家(猪瀬、渡辺ら)

8.本音ではクリミアよりもガス欲しい
EUの対ロ制裁

9.ムダ買いに節税効果はコレコレと
買いだめ

10.冷めた頃ひっかきまわして騒ぎ立て
橋下市長

エッセイ:「日本人のなんば歩き・走り(9)」2014.03

2014-03-21 22:15:07 | エッセイ
エッセイ:「日本人のなんば歩き・走り(9)」2014.03

昨今の中国では、何と「文明」というスローガンが流行っているそうだ。北京五輪以降は、道につばを吐くなどしたら、厳しく罰金を取られてきたが、交通信号の無視などは相変わらずだとか。まあ、中国という国は、上は共産党幹部から役人まで汚職がはびこり、下は庶民に至るまで倫理観念に乏しいお国柄と言われる。
日中関係は氷河期にあるが、PM2.5に関しては中国側が嫌に低姿勢で日本にノウハウを求めているらしい。とにかく中国人は、自分さえ今が良ければ、後は野となれ山となれの感覚だろう。少々言いすぎか、他人のことを言えた義理ではないと言われそうだが。

日本では、文明開化(civilization)という言葉は福沢諭吉が初めて使ったとされる。この文明開化は、明治政府が廃藩置県(1871年)以降に「西欧」をモデルとした強い政策である。
 文明開化政策は、廃藩置県や改暦(太陽暦)、新貨条例、断髪令といったものから、裸体・刺青・立小便・夜這いなどの風俗の統制、民族信仰の抑圧、乞食・物乞いなどの禁止、芸者・娼妓(しょうぎ)の管理などの風俗の統制へと展開していった。 これは単に西欧文化の「模倣」にとどまらず、民衆世界の固定観念を解体するものであった。

ところで、日本人が「なんば歩き」という固有の歩き方を江戸時代から明治になるまで続けていたことは意外に知られていない。
この「なんば歩き」は右足と右手を、左足と左手を同時に出す歩き方をするもので、前屈みに歩くので「足半(あしなか)」といって前の半分しかない草鞋(わらじ)を履いていた。東京の上野公園の西郷隆盛は「足半」である。

「なんば歩き」のイメージは、竹馬での歩行、天秤の担ぎ方、相撲の鉄砲、段梯子の登り方、阿波踊りなどであり、ゴリラの走り方も「なんば」そのものである。
殿中において武士は長い袴(はかま)を引きずって廊下を歩く。長い袴の裾(すそ)を歩行の度に両手で手繰(たぐ)らなければ歩けない。したがって、右足と右手を、左足と左手を同時に動かさざるを得ないのである。

江戸時代最大の行事といえば、幕藩体制の長期存続を可能にした参勤交代(大名軍役)である。加賀藩の参勤交代では2000~4000名の行列を組み、1万8300両相当(約11億円)を要したそうだ。
これだけの人が徒歩で移動するのであるから、大名の乗る籠や鉄砲、やり、のぼり、馬さらには着替えの衣装、水、食料など様々なものを足軽等が運ぶ荷物の量は大変なものであったであろう。重い槍やのぼりを立てて持ち歩けば「なんば歩き」にならざるを得ない。籠担ぎも同様である。長い時間楽に歩ける「なんば歩きは」こうした参勤交代で必然的に定着していったものと素人的にも想像できる。

日本人は 農耕民族であり、農作業において鍬を振るうときは、身体的なクセとして、“利き手 利き足”を前に出す。武士も、刀を振るときは、利き手 利き足”を前に出す。江戸時代の、武士や飛脚以外の一般庶民は走れなかった。戦で農民が駆り出されても、時代劇や映画のように走れなかった。槍もって歩いていた、という説もある。
武士や忍者が走るときは、刀を押さえていなければならず、飛脚もまた荷物を付けた棒を押さえて走らなければならない。やはり 体幹部(胴体)を捻ると、走りづらい。
着物や浴衣を 着崩さずに歩くには、体幹部(胴体)を捻ってはいけない。また、舞踊や歌舞伎の動きから考察しても、捻りは存在するが体幹部を捻っている訳ではない。武術も同じである。道着を着慣れない人は、前がはだけてしまい、すぐ着崩れる。

江戸時代の大名行列の絵などを基に、当時の日本人の歩き方は手に何も持たない場合は腕や上半身をあまり振らず、腕を振る場合は出た足と同じ側の手がわずかに出るような動きだったとする見解がある。西洋人の歩行のような体をひねる動きは、特に武士は大小の日本刀が邪魔になり着物が絡むため難しい。
また、着物の帯も緩みやすい。そもそも近代以前に肉体を道具として駆使して山などで運搬する農作業者や行商などの職業では、重量のある荷物を運ぶにあたっては体がぶれないよう歩くことは必然であり、ことさら腕を振ったり体をひねったりする動作は行なえない。

「なんば歩き」は日本人独特の歩き方で、古来より腰を帯で締めている着物生活をしていた日本人にとっては当たり前の歩き方であった。140年前の江戸時代までは、日本人すべて「なんば歩き」であったとも言われている(写真やビデオの記録がなく、当然否定の説もある)。
私も若いころに和服を仕立てて着たことがあったが、そういわれてみると腰を帯で締めると何となく「なんば歩き」的な動きになったような記憶がある。

仮に、我々現代人が歩き方を右足と右手を同時に出す「なんば歩き」に変えるようにと政府からお沙汰が下されたらどうだろうか。まさに明治政府はこんな大胆な政策を打ち出して国民の意識改革を狙ったのである。

「なんば走り」は、江戸時代における日本の飛脚の走り方といわれており、これにより飛脚は1日に数十km、場合によって100km以上を走ることが出来たとされるが、その走法は失伝しているためその真偽は不明である。
「なんば走り」は一般に走行時にピッチが増加し、上肢の振りや上体の捻りが少ないため通常の走法と比較して効率の良い楽な走り方とされている。

従来の「なんば歩き」が廃れた原因は、一説には明治初期に徴兵制が導入された際、西欧式軍事教練が学校教育に右手と左足、左手と右足を同時に出し、体をひねる歩行が取り入れられたためあるとされる。

なぜ、歩行法を変化する必要があったのか。明治10年の西南戦争において圧倒的な兵力を誇るはずの官軍は薩軍に苦戦し、熊本では完敗した。これにより、明らかになったのは、徴兵令によってにわかに集められた農民兵は集団行動ができない、行進ができない、駆け足ができない、突撃ができない、方向転換ができない、匍匐前進ができない、という点であった。
要するに機動性と集団性をまったく欠いていたのである。また、黒船軍団に怯え(おびえ)た徳川幕府がそれに対抗できる強い軍隊を持つ必要に迫られた結果として歩行法を変える必要があったとされている。こうして、最初は軍隊を通して近代的歩行法が日本のなかに移入された。それは、やがて学校教育を通して子どもたちの体の中に入り込むこととなった。
これによって日本人の伝統的な身体所作は失われていった。だが伝統的な身体所作が失われてゆくと同時に、新しい身体所作も獲得された。つまり、日本人は「なんば」を失ったが、整列行進という、リズムにあわせて歩くことを獲得したのである。

現在、世界のスプリンターは、男女の別なく筋肉増強に血道を上げている。しかも、上半身だ。まるで、ボディビルダーのように逆三角形になった肩と胸。どうしてそんな上半身が必要なのか。それは、現在主流の走法は肩で走る。左右の肩を入れ換えながら下半身を引っ張る。そのエンジンにあたる肩がパワーはあるが、重いので、選手たちは一様に手指を開き、肘を上に撥ね上げるようにして走っている。だから矢のように走るのではなく、重戦車がトップアクセル状態で唸りを上げて進むのに似ている。どちらかと言うと見栄えはしないし、美という概念から程遠い。
 
そこに、世界陸上で日本の末續慎吾選手が登場した。日本人陸上選手で、世界選手権、オリンピックの短距離で追い上げ、追い抜いて入賞したことがあっただろうか。
 2003年のパリ世界陸上男子200mにおいて日本人短距離選手初の銅メダル獲得という
快挙をなしとげた末續選手の走り方が「なんば走り」であるということで脚光をあびた。
しかしながら、末續選手の走り方は「なんば走り」ではない。あくまでも本人が「なんば走り」をイメージして走っていることを強調したために有名になっただけのことである。

ちなみに、「なんば走り」のマウンテン・ゴリラは時速50キロだそうだ。人間はオリンピックで優勝するトップ・アスリートでも時速40キロで、それも100~200mの話である。

それにしても末續選手が活躍したお陰で、私は日本人が「なんば歩き」「なんば走り」という固有の身体所作を変換したことを具体的に知り、エッセイのネタにしたということである。



エッセイ:「韓国の蒸し返し(8)」2014.03

2014-03-16 10:11:33 | エッセイ
エッセイ:「韓国の蒸し返し(8)」2014.03

「済んだ話を蒸し返し・す」こんないやなことはない。一度解決した問題をもう一度取り上げることを言う。人生で一度や二度はこの嫌な経験をした人は少なくないのではないだろうか。曲りなりにでも結論が出て“めでたし”で気持ちよく治まった。しかし結論に納得しない人が話を蒸し返してくるのだ。
概して日本人はこの「話の蒸し返し」を心良しとしない。極端な話、平気で話を蒸し返して自己主張をするような人は「変わりもの」として仲間や組織からつまはじきされる可能性さえある。少々納得できなくても結論が出たものに対してケチをつけないというのが日本人のいさぎよさでもある。
おそらく国際的にもそれが常識であろう。これは民主主義の基本であり、一般社会の約束事、さらに国際社会のルールとして確立されているはずだと思う。

ところで、3月12日の朝刊を見て目を疑った。“日米韓首脳会談へ調整・オランダ核サミット”の見出しである。「実現すれば安倍首相とパククネ大統領の会談は初となる。米国は4月のオバマ大統領のアジア歴訪に向け日韓関係改善を促しており、日本側も3カ国会談に前向きだ」とある。
我々素人目にも、現状の日韓関係で二国間の首脳会談はまず不可能である。そもそもパククネ大統領が意固地になって歴史認識、竹島、従軍慰安婦問題などで反日・反日帝キャンペーンを張っているのだから承知するはずがない。
しかし、このままではオバマ大統領のアジア歴訪の外交は日韓の仲たがい、内輪もめ
を曝け(さら)出すもので、失敗に終わる可能性がある。中国からもいいもの笑いにされた上に、国内的にも厳しい立場に立つことになる。
アメリカにとっても日韓のどちらかの肩を持つことはできない。いたたまれずに核サミット(3月24、25日)を機会に仲を取り持ったということだろう。実現するか否かは、パククネ大統領の胸しだいである。私の邪推ではあるが、またしても会談実現にあらぬ条件を付けてくる可能性も否定できない。日本は断固としてパククネ大統領の条件をはねつけてもらいたいものである。

ところが、本エッセイを執筆中に安倍総理大臣が河野談話を見直すことはしないと発表。前日に菅官房長官の従軍慰安婦問題を再調査するとの発表と明らかに内閣不一致の問題が生じたのである。
危惧していた通り、パククネ大統領は歴史認識の問題を会談の条件にしてきた。さあ、ここで安倍総理は自分の信念を断固貫くかどうの判断に迫られた。貫けば、3カ国会談は開催されず、その責任は日本側の安倍総理に降りかかってくる。当然日米関係が怪しくなってくることは火を見るより明らかだ。いずれにしても韓国はしてやったりと快感に感じたところであろう。韓国の対日外交とは、このような拙いものであることを日本人は承知しておくべきであろう。

さて、日本が太平洋戦争を遂行したことが正しかったと思う日本人はタダの一人もいないと思っている。もちろん「やむにやまれず、やった」「日本はそこまでを追い込まれた」という見解を持つ人はいるだろう。だが彼らとて戦争はするべきではなかったと思っているはずだ。
また、この戦争で日本国民は近隣諸国に多大な迷惑をかけたことを真摯にお詫びしていることも疑いのない事実である。現に迷惑をかけた東南アジア諸国で中国や韓国以外の台湾、フィリッピン、インドネシア、旧インドシナ、旧ビルマ、マレーシア、シンガポール、タイなどにおいては日本のお詫びや反省の誠意は受け入れられているのである。

2013年の韓国独立運動記念日にパククネ大統領、曰く「被害者と加害者の立場は1000年経っても変わらない」と。これはあと900年以上も韓国は「被害者」として日本を恨み続けるというのだ。
そんなことを言ったら、日本だって韓国に謝罪と賠償を要求する権利があるのだ。1274年と1281年の2回に元寇の来襲があった。高麗の王朝が元の皇帝フビライに日本遠征を焚き付けたのである。元弘の主力先兵は高麗兵であったことは、中国の正史「元史」にも、朝鮮の正史「高麗史」にも記述がある。壱岐、対馬に上陸した高麗兵はどんな暴虐行為を働いたのか。韓国の理屈でいくと、800年しか経っていないのであるから韓国に謝罪と賠償を要求する権利があるということになる。

公式演説であるから、当然大統領府はもちろん関係省庁が演説の細部まで点検したはずである。しかし誰一人として、「日本人を虐殺し、日本の婦女子を凌辱(りょうじょく)した」事実を知らなかったのだ。もしこれを知っていたら、「1000年の恨み節」は「100年の恨み節」に変わっていたことだろう。

韓国は小・中華思想の国である。自国の文化様式、価値観が最高であり、世界中どこでも通じると思いこんでいるのである。韓国人同士の口ゲンカの手法(格好よく強く罵(ののし)って、見物人の喝采を受けた方が勝ち)が日本にも世界にも通じると思いこんでいる。交渉は高飛車に出なければ損をするというのである。
仮に日本人がそんなことをやったら、世間の笑いものになるのがオチである。不遜な態度を見せないのが日本人の説得・交渉術でもある。

私には未だにわからないのが職業「泣き女」である。何も韓国文化・慣習を愚弄するつもりはなく、理解したいだけである。日本人は韓国人の感情の起伏の激しさに同情し、慰安婦の問題でもコロっと騙されかねないのである。
大泣きして「私はこんなに悲しんでいる」と「故人」にも「周り」にも認めて貰う。それ位に他人の行動に茶々を入れる国民性だということだ。泣いてないと「悲しくないのか?」と周りから疑われる。
韓国人は感情論を優先させ、日本人は論理的に話をしようとするので絶対に噛み合わないという。まあ韓国人に合う国は北朝鮮ぐらいだろうと。

韓国には、「従兄弟(いとこ)が土地を買えば腹が痛くなる」と言う諺があるそうだ。他人の不幸は蜜の味だし、他人の栄誉は憎悪と嫉妬の対象だ。2010年、トヨタが欠陥車で米国でのリコール問題を起こした際に、韓国は国を挙げて喜んだという。「憎い日本」韓国が官民挙げて「東京五輪阻止」に血道を上げたのはその歴史に培われた本能的な動きだったと言えまいか。
あろうことか、2020年の五輪開催都市決定の投票直前になって、韓国は放射能汚染から自国民を守るためとして東北地方の魚介類の輸入禁止の措置をアカラサマに発表した。これを聞いた時、そこまでやるのか韓国よ! である。その非常識さを疑い、もはや日本が相手にすべき国ではないこと認識した。
2013年3月11日東日本大震災の慰霊祭が140数カ国の外交官も出席して執り行われた。その式典に出席しなかった韓国と中国の2国。
韓国大使館の言ったセリフが奮っている。「大使館館員がファックスを見落とした。意思表示がなかったのならなぜ連絡してくれなかったのだ」と。自分たちの非常識を曝け(さらけ)出すようなウソ・詭弁さえ持ち出すのだ。韓国とはこのレベルの国である。

大統領は英国で「日本は、過ちに対する反省や謝罪が徹底的に出来なかった。その端的な例がまさに従軍慰安婦問題だ」と言った。ならば以下の事実はどうなのだと言いたい。
日本人はベトナム戦争については米国とベトナムとの戦争だったと思いこんでいるようだ。しかし、米国からの経済援助欲しさに1965年に韓国軍は参戦し、5万人の兵士を送りだしている。韓国軍は残虐行為をはたらき、ベトナム女性との間に強姦などの性的交渉でもうけられた子供(ライダイハンと呼ばれ、敵軍の子・混血として蔑称・迫害される)を2000~3万人も置き去りにして逃亡した国が、よくもそんなことが言えたものだ。しかもベトナムとの国交樹立後、5名の韓国大統領がベトナムを訪問したが誰もまともな謝罪をしていないのだ。

フィリッピンに留学する韓国大学生が1年間に1万人いるが、フィリッピン女性を騙(だま)して同棲し、生まれた子供を「コピノ」と呼ぶ。コリアンとフィリピーノの合成語で、今や1万人を超えたとされる。
南太平洋にある国、キリバスに韓国の遠洋漁業船の乗組員が売春という文化を伝えた。
彼らが狙うのは貧しい家庭の少女である。女性が妊娠すると逃げ、性病を置き土産にする。
キリバスでは不道徳人間を「コレコリア」と言うようになったそうだ。こうした事実に目をつぶり「日本は人道主義を学べ」と演説できる鉄面皮が韓国の政治家なのである。

韓国は、売春インフラがとてつもなく充実している。それなのに韓国は「強姦大国」でもあるから不思議である。国連麻薬犯罪事務所の発表によれば10万人当たり韓国での強姦は13.3件で、日本の1.5件の9倍に当たる。また、英国警察がOECD34カ国を調べた結果、日本は最下位34番目で韓国は11番目であった。

ソウルの宗廊市民公園で95歳の老人に37歳の男性が暴行を加え死亡させた。老人が「日本の統治時代は良かった」と述べたことに立腹しての犯行であった。
韓国は「儒教の国なので老人を大切にする」と日本人は思いこんでいるが、これは大ウソなのだ。75歳以上の自殺率は、日本は10万人当たりで4.6人、韓国は160.4人(OECD調査)と異常に多いのだ。

韓国には「蛙がオタマジャクシの頃を覚えているか」という諺がある。都合の悪いことは直ぐ忘れる。それは一個人に限らない。国家的失念と国民的失念を得意とする国なのである。マスコミも失念と忘却を常とする。

今日の韓国社会を特徴づける差別は、職種に対する強烈な貴賎意識と、学歴崇拝主義が一体となり、まるで李王朝時代と変わらないような身分制度をつくっている。
韓国人勤労者の40.4%の月給が200万ウォン未満であるのに、大企業(従業員数2%)の大学卒初任給は290万ウォンである。
 上位者は、どこまでも傲慢・横柄に振舞い、下位者は卑屈になる。上位者が下位者へ使う言葉使いは、とても同じ国の言葉とは思えないほどの違いがある。
 つまり、今日の韓国では、高卒以下は収入の面でも、社会的待遇の面でも、彼ら自身の意識としても「人間扱いされない李王朝時代の、(のび)(農奴)みたいな存在」なのだ。
これはまさに韓国が構造的な超差別社会としか思えないのである。

さて、自民党の高村正彦副総裁は講演し、旧日本軍による従軍慰安婦問題について『韓国で日本の軍が直接的強制連行をした事実はない。韓国以外ではあったが、日本軍による軍法会議で裁かれた』と述べ、強制連行があったとする韓国側の主張に反論した。(略)自身が外相を務めていた1998年に日韓共同宣言をまとめた際、金大中大統領(当時)から『一度謝れば韓国は二度と従軍慰安婦のことは言わない』と説得され、『痛切な反省と心からのおわび』を明記したことを紹介。『国と国の関係で一度決着したものを蒸し返してはいけないし、蒸し返させてはいけない』と強調した」(時事通信 より)

 日韓の戦争賠償・戦後補償は日韓基本条約で解決している。それを蒸し返してきたのだから、本来、日本は慰安婦問題など相手にする必要はなかった。それでも日本が律儀に対応し、客観的事実に反して謝罪と賠償(賠償は民間ルート)をしたのは、大国としての責任感が先走ったからだ。
 一度蒸し返しを許すと、何度も蒸し返されることになる。案の定、韓国は戦後補償をどんどん求めてきた。しかし、日本はこれ以上、韓国の相手をする必要はない。
 韓国も既に先進国なのだから、いい加減、内政事情(反日による人気取り)ではなく、国際関係に責任を持つべきだが、しばらくは韓国の小国根性は直りそうにない。日本としては、根気よく韓国からのワガママを拒絶していくしかないだろう。
 
同じようなことはヨーロッパでも起きている。よく、「ドイツはちゃんと過去を清算している。日本はドイツを見習え」と言われるが、事実は違う。日本は日本流の清算(対国家賠償中心)を、ドイツはドイツ流の清算(対個人補償中心、しかもドイツ国民中心)をしてきたが、いまだに周辺の小国からユスリ・タカリを受けている。
 
ユーロ危機以来、ギリシャ支援をめぐってドイツが要求する緊縮策に対し、ギリシャ側は強く反発している。一応、ギリシャ与党には責任感がある(というか背に腹は代えられない)ので、緊縮策をある程度受け入れているが、基本的には与党も野党も国民も、ドイツに不満を抱いている。
 そんな中、ギリシャ国民によるデモでは、ドイツのメルケル首相をヒトラーになぞらえたプラカードが掲げられたりもしている。また、ナチス・ドイツによる損害についての戦後補償も訴えている。
 国民だけでなくギリシャ政府も過去を蒸し返している。スタイクラス財務次官は、戦争賠償・戦後補償を「未解決の問題」とし、賠償請求額を算定していくと述べている。日本が戦争賠償・戦後補償を済ませているように、ドイツもドイツ流の戦争賠償・戦後補償を済ませているのだが、過去の蒸し返しは続いている。
 
日本人は「戦争賠償・戦後補償は未解決だ」と言われると、「ごめんなさい……」とおとなしくなってしまいがちだ。しかし、既に戦争賠償・戦後補償は解決しているのに、小国がことある事に蒸し返しているというのが実態である。
 小国が過去を蒸し返すのは、それが彼らにとって数少ない外交カードの1つだからだ。また、大国となった日本やドイツには地域秩序に対する責任感があるが、小国にそうした責任感はない。ワガママを一方的に言っても、大国がそれを聞き入れてくれるという甘えがある。
 ドイツも昔ほどの国力はないが、ギリシャがもっと悲惨な状況にあるので、ユーロ圏の中心メンバーとしての責任感から、ドイツはジッと耐えてギリシャを支援し続けるしかない。一方、国力の衰えてきた日本と違って、韓国や中国といった日本の周辺国は成長を続けている。その意味でも、日韓通貨スワップ縮小を決定したのは当然のことだ。
 国力に応じて国際関係に責任を負うという自覚がなく、いつまでも小国気分で過去を蒸し返す周辺国に対し、日本はこれ以上甘えを許してはならない。過去を蒸し返すということは、現在の重荷を引き受けていないということなのだから




参考)産経セレクト・呆韓論:室谷克実 他


注)韓国の経済破綻はそれほど遠い先の話ではない。輸出に頼り、サムスンやヒュンダイの大企業の業績に頼っている不安定な韓国経済はウォン安と債務残高急増で破綻したらひとたまりもない。サムスンから外国の資本は逃げて行き、たちまち二度目のIMF介入を体験することは間違いない。
韓国はこのままいけばウォン高になり、輸出産業がダメになる。しかしウォン安政策をとれば海外の投資家がウォン売りに走り、投機的なウォン売りが起きる。韓国は対外債務が非常に多いため、ウォンの買い戻しができず、再び通貨危機になる可能性が高い。日本に通貨スワップをお願いにくるしかない.


エッセイ:「キティちゃんのマイ・ポット(7)」2014.03

2014-03-04 12:47:13 | エッセイ
エッセイ:「キティちゃんのマイ・ポット(7)」2014.03


人は顔かたちが違うようには趣味もいろいろ、やり方もいろいろ。この歳になるとお互いに自分の趣味に熱中することがなにも増して心身共にプラスになりそうだ(やり過ぎもあるが)。大方の人が、自分の趣味を語らせたらなかなか止まらないという世界でもある。初対面の他人(ひと)とすぐに親しくなれる方法としては、相手の趣味を知ることだと言われる。

ときに、海外旅行が趣味とはいってもいろいろで、よく会う私の知り合いの二人の男性は、旅行には一人で行くことが多いようだ。もちろん旅行の計画から準備をはじめ、フライトやホテルの予約など全てを自らがこなすことは当たり前である。
パック・ツアーであれば、そのような面倒なことは全て旅行会社に任せで、自分がやることは身支度だけである。

行きたい地への一人旅をするからには、旅行の目的をハッキリさせ、その地の歴史、地理、文化・風習、治安に対するリスク管理はもとより片言の現地語ぐらいは勉強していくのだろう。彼らにとっては、旅行のスケジュールをたてる楽しみと同時に、誰にも拘束されずに、気の向くままに自由に動けるのが一番いいのかもしれない。

話術にもよるが、他人(ひとさま)様の旅行の思い出話を聞かされるほどうっとうしいものはない。しかし、彼らの旅行話は実に楽しい。いくら聞かされても飽きない。聞くものが全て新鮮である。ついつい質問攻めをしたくなる。これが物見 遊山のツアー旅行と違う点であろうか。

ところで、いよいよ4月1日から消費税8%の導入である。3月30日24時から4月1日の増税のための値札の切り替え作業も大変らしい(参考:消費増税の変更基準は末尾に)。

日本は世界でも有数の自販機王国である。自販機の飲み物は機械の構造上1円単位の変更が出来ないので10円値上げされる。これは増税分を超えて実質値上げになるそうだ。
ただ値上げは飲料メーカーにとっては、もろ刃の剣だ。清涼飲料の販売本数のうち自販機の割合が減り続けているそうだ。
2012年は32%とスーパーの37%を下回った。自販機より安く売るスーパーやコンビニに対抗しづらくなってくる。「自販機での販売価格を10円値上げすれば確実に減る」と言われている。量販店で自販機より安く大量に購入するようになるかもしれないと。

自販機と言えば、市のコミュニティセンターで囲碁を楽しむ時に、毎回飲みものを買っていたけど今年になって止めた。
夏場はどうしても脱水症にならないように冷たい飲みものを求める。いつもは緑茶やウーロン茶、スポーツドリンク等を飲んでいた。何かの拍子に甘い清涼飲料を飲んだら結構いけたのである。それが病み付きになって甘い清涼飲料が欲しくなる。冬になると甘いホットレモンティーやココアなどに変わるのだ。
コーヒーは自宅でもブラックで飲んでいるからさすがに身体が受け付けない。自販機のブラックはカン入りで容量が少ないのでもの足りない、と言うよりそれを口実に甘いものを求めていたのかもしれない。
確かに囲碁は集中して右脳を使うゲーム(右:左脳の割合は、囲碁8:2、将棋5:5、チェス1:9と言われている)であり、疲れた脳にエネルギーを補給する意味では吸収の早い糖分を補給することは戦績を上げるためにも良いのかもしれない。
一日にわずか1本の甘い清涼飲料を飲んだぐらいでどうということもないだろう。それほどナーバスになる必要はないと思うが、気になり始めた。これまでの自分の過去を振り返っても、他で甘い清涼飲料を求めて飲んだことはないのだ。若いことから、健康診断で空腹時血統値は100~110と正常値範囲内だが高めであったのが気になる。

週に何回かは妻と一緒に1時間ほどウォーキングをする。コースはほとんど同じであるが、スーパー・イオンの店内を通り抜けて行き、帰りは買い物をして帰るのである。通路の近くでポット類が目に入り、早速金属製の容量300mlのものを買って帰った。
しかし裸のポットを抱えて持ち運ぶのは見栄えがしないので、適当な袋はないだろうかと妻に催促したところ、驚くべきものを持ち出してきたのである。

300mlのポットがピッタリはいる布袋で、持ち運び用のヒモまで付いている。ピンクの柄模様なのでよく見ると、Hollow Kittyの文字とキティちゃんの絵が沢山印刷されている。おまけに、マジックペンで書かれた「ことりぐみ」「わたなべ あい」の名前の文字が残っていた。
何のことはない、今中学生の孫娘が幼稚園生のときに使っていた、妻の手製による布袋だったのだ。妻は、「ピンク色で男の人には格好悪いがどうする、使う?」と聞くから、私は「使うよ」と応えていた。
囲碁を打ちながら、キティちゃん袋に入ったポットのブラックコーヒーを大吟醸酒でも飲むようにちびりちびりと飲んでいる。インスタントコーヒーでも孫が側にいると思うと格別においしく感じる。
妻が何度か「誰か他の人に、ピンク色のキティちゃん袋のことを言われない」と聞くから、私は「男性は女性と違って、そんなことには関心がないのだ。あったとしても、知らん顔をしているものだよ」と。
キティちゃん袋を孫娘に見せると懐かしそうに、上履きを入れていたと。この歳になると、こんな些細なことが日常に偶然起こっても感激してしまうものである。わが人生はこの程度の平凡さで流れてきているのだと思い直す。

天台宗・故今東光・大僧正の名言「人生は冥土までの暇つぶし」「人生はつまらぬことがつまるように」を引きだして改めて認識している次第である。
― 了 ―


(参考)消費増税8%
3月は消費増税前のかけ込み需要が増えるとあって、売り手側も必死である。最近は通販が増えていることもあって、3月30日の24時までの時点と日付が変わる4月1日0時以降の表示の問題も出ているようだ。いづれにしても、税の支払いが5%の積りでいたものがタッチの差で8%を取られたりするトラブルがないことを祈る。

基本的に、新制度の消費税か旧制度の消費税かが決まるのは、「商品の引渡し日がいつか」によって変わる。「引渡し日」の判定基準は「出荷した日」「相手方が検収した日」などいくつか種類があるが、普段出荷日や発送日基準で売上を立てている場合は発送日が4月1日なので8%となる。

*鉄道運賃の8%消費税増税は券売機や運賃表示の関係で4月1日の始発から。
*ネットショップでお届け希望日によって発送日が変わる場合は、原則として消費税も変わる。
*3月31日発送予定だった商品(5%で決済済み)が、店舗都合で4月1日の発送になった場合、消費税は変わり店舗側の負担。
*コース料理の予約を3月中に受け付け、実際の来店は4月になる場合の消費税は8%となる。実際のサービス(役務)の提供が4月になるため。
*24時間営業のコンビニなどの店舗は基本的には0時に変更。
*23時58分から並んでいた人が0時を超えた場合は8%。
*ゴールデンウィークのホテルの予約を3月中に申込・決済した場合8%。
実際にサービスを受けるのは5月になるため。
*通勤・通学用の定期券を、3月中に半年分購入する場合5%。
電車代や飛行機などの旅客運賃は経過措置により3月末までに購入すると旧税率が適用。
*Suicaに3月中に1万円チャージした場合8%。
定期券の場合は経過措置の対象となるが、SuicaなどのICカードへのチャージは、乗車券の販売をしていることにはならないため。
*2013年9月に結婚式場で契約し、2014年6月に実際に式を挙げる場合5%。
2013年9月末日までの契約なら、経過措置によって5%となる。契約時の金額から実際の予算が増えた場合、増えた分については8%の税率が適用。
*2013年12月に結婚式場で契約し、2014年6月に実際に式を挙げる場合8%
経過措置が受けられるのは平成25年9月30日までに契約成立。
*電気代やガス代は検針が月の中頃だけど、消費税は4月中の検針は5%。
*カード決済でカード利用が3月、引き落としが4月の場合、引かれる消費税は5%。
*2013年9月30日までに予約した本の代金を2014年3月に支払い、4月に受け取った場
 合の消費税は5%。
*雑誌の年間購読をしていて、2013年9月末までに購買契約をし、その代金を2014年3月
 31日までに支払う場合5%。
*4月公開の映画の前売り券を3月に購入する場合の消費税は5。%
 ディズニーランドの年間パスポートも5%で事前購入。